Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 ほっぺたを思いっきり抓り、まぬけ面になっているであろう僕に対して和服の子は思い出したかのように手を叩く。
 その仕草は大人っぽいと言うよりかは、おばちゃん臭いと言った方が正確だった。
 「おお、自己紹介がまだじゃったな。わしの名前は御茶ノ水 タエ(おちゃのみず たえ)。ご覧の通り吸血鬼じゃ」
 ご覧の通り、と言われても僕にはただの女の子にしか見えない。まあ、確かに格好が古風だし大人びていて不思議な雰囲気はあるけど。
 「あ、どうもよろしくお願いします。僕は神田 結城(かんだ ゆうき)です。ええと……学生やってます」
 「僕の名前は四谷 孝文です、どうぞお見知りおきを。いやはや、月が綺麗な夜に月より美しい女性二人と出会えるとは。何か運命的な物を感じざるを得ませんね」
 ずいと僕を押しのけ、さっきの焦りや態度など忘れたかのように自信満々に名乗る四谷。
 これこそいつもの四谷だと実感し、何故か安心してしまう。
 「結城に孝文じゃな。そっちの今しがた結城を惨殺したのが自称吸血鬼ハンター(笑)の馬鹿娘……」
 「自己紹介くらい自分でするわよ! えっと、私は飯田橋 比奈(いいだばし ころな)……」
 「……いいだばしころな……」
 探検家の子の名前に四谷が反応を見せる。
 「もしかして……テニス部の飯田橋さん?」
 「あれ、私の事を知っているんですか?」
 「有名人だよ、うちのテニス部の次期エースって……そうか、どこかで見た顔だと思ったら飯田橋さんだったのか」
 テニス部の飯田橋さん。彼女の顔は知らなかったが、噂は僕も聞いていた。
 その端麗な顔と細身の体に似合わない荒々しいプレイを得意とし、サーブの練習で通行人の肩を脱臼させたこともあるとかないとか。
 「あ、同じ高校だったんですか、お二人とも?」
 飯田橋さんはこれまで死人のようだった顔をほころばせる。噂になるだけあって、その笑顔は真夏の太陽を彷彿とさせる明るさだった。
 水道橋さんの満月のように妖美な微笑みとは対照的だが、その美しさに甲乙はつけがたい。
 「学生業の傍ら、フリーの吸血鬼ハンターをやってます。あまり名前が好きじゃないので『ヒナ』って呼んで下さいね」
 吸血鬼ハンター。
 初めて聞いた職業だ。ヒナさんはなんでそんな事をやっているのだろう?
 見た感じ御茶ノ水さんはそんなに悪い人じゃ無さそうだけど……。
 「ま、吸血鬼を狩る前に見事人間をハントしてしまったがな」
 「それはあんたが――!」
 「おーおー、無関係の少年の人生をブチ壊して責任転嫁か。お里が知れるわ」
 ……悪い人ではないけど、意地の悪い人ではあるみたいだ。もっとも、彼女を人と呼んでいいのかわからないけど。
 ……そう言えば、僕もそうだっけ。
 「こ、殺すッ! 生きたまま木に磔にして口いっぱいにニンニクを頬張らせ太陽光でジリジリ炙りながら額に十字架をつけたり外したりして痛みに泣き喚くアンタを動画で撮って全世界に発信してやるッ!!」
 度重なる挑発にヒナさんがぶち切れ、顔が鬼のそれへと変化する。怒気と殺気で形成された彼女の表情は、吸血鬼なんかよりよっぽど恐ろしかった。
 「あ、その、僕は別にそんな、気にしてないので大丈夫です」
 「そ、そうだ。吸血鬼って一体どんな感じなんです? そのほら、人間との違いとか」
 彼女が杭を掴んだので僕は慌ててそれを制止し、四谷が強引に話題を変える。見事なコンビネーションだ。
 「違いか……。まあ簡単に言えば、力が強くて血を吸う。以上じゃな」
 ……そのまんまだ。
 「そ……そうですか」
 四谷も半笑いで答えにくそうだった。
 「やれやれ、面倒な……じゃ詳しく教えてやれ、吸血鬼ハンター(笑)」
 僕と四谷の『終わりっすか』と言う表情に気付いたのか、御茶ノ水さんはヒナさんに答えの丸投げをして寝転がる。
 ヒナさんはそれを横目で見て舌打ちするも、反論せずに説明を始める。

 「じゃ、私が説明しますね。……吸血鬼。人とは似て全く非なるモノ。夜な夜な現れては人を襲い、その血を吸って生命を維持する。
 その力は強力無比で、ひとたび腕を振るえば岩を砕き、狼の如き速さで地を駆ける……」

 ……凄いはずなのに、何故かあまり凄く感じない。
 「へぇ、そうなんだ。吸血鬼って凄いな」
 四谷が感心したように呟く。間違いなく彼のせいだ。
 
 「……彼等は頑丈な肉体と段違いの再生力と生命力を持ち、殺す方法も限られる。具体的には
 ・日光に長時間当てる
 ・心臓に木の杭を突き刺す
 ・十字架を長時間密着させる
 ・銀の武器で何度も刺す
 ・流水に放り込み、溺れさせる
 ・長期間血を吸わせない
 ・にんにくを大量に食わせる
 ・聖水を大量に振りかける
 ・首を刎ねる
 ・頭を砕く
 ・心臓を破裂させる
 ・窒息させる
 ・失血死させる……」

 「だいたい何やっても死ぬじゃん」
 四谷が我慢できずにツッコミを入れる。確かに、あまり限られてないと僕も思う。……と言うか、それより。
 「他はともかくとして、日光に当たっちゃいけないの?」
 吸血鬼の弱点と言えば日光なのは当然だが、それが駄目ならまともな生活はできなくなってしまう。
 学校に行くのすらままならない。
 「あー、大丈夫じゃ。お主は半吸血鬼かそれ未満だから、せいぜい日焼けしやすくなる程度じゃな」
 寝返りを打ちながら御茶ノ水さんが答える。
 あ、そんなもんでいいんだ……。
 
 「要するに、弱点を突くか原型を留めないほどに破壊してやれば死にますね。
 ……鏡にはまともに映らず、写真にもぼんやりとしか残らない。招かれないと他人の家に入るのを躊躇う」

 ……ずいぶん中途半端だ。

 「血を吸われた人間は例外無く死に至り、血を分けられた人間は同族と……」

 「おいコラ」
 御茶ノ水さんの横槍が入る。彼女は真夜中だと言うのにすっかりだらけたポーズをとっていた。
 「血を吸われた人間が死ぬとか……いつの話じゃ、いつの。そんなんでいちいち殺してたら大問題になっとるじゃろ」
 御茶ノ水さんの言う事には、血を吸って殺さない事も可能らしい。それを聞いて僕は胸をなで下ろした。
 「うっさいわね、本にはそう書いてあったのよ! ……それに、私の両親は……」
 「……アイツか。あれは例外じゃ」
 ……?
 よく分からないが、彼女達の過去に何かあったらしい。

 「だから私は吸血鬼を殺す。一匹残らずこの手で、滅ぼす」

 杭を握りしめ、彼女は冷酷な表情を見せる。
 さっきの笑顔から想像もできない、一点の曇り無く澄んだ人殺しのような……そう、「吸血鬼殺し」の目をしていた。
 僕の中の吸血鬼が震えるほどの、静かに怒る鬼の目だった。
 「わしは別に人畜無害の品行方正なる善良吸血鬼じゃぞ。と言うかアイツ以外は大体そうじゃ」
 その眼光をものともせず、御茶ノ水さんは寝たまま言う。
 「さて、どうかしらね。昔は人の命を喰らって生きてきたのかもしれないし、今も隠れて殺しているのかもしれない。これから急に狂って殺し始めるかもしれない。信用ならないのよ、アンタ達は」
 「吸血鬼差別じゃな」
 ……そこまで聞いて、ふと疑問がわく。
 「そう言えば御茶ノ水さんっておいくつなんですか?」
 吸血鬼は寿命が長いと言うのも定番だ。昔は、などと言う事は見た目通りの歳では無いのかもしれない。そう思ったのだ。
 「神田、女性に年齢と体重を聞くのは失礼だぞ。あとタイミングがおかしい」
 四谷に窘められた。失礼なのはわかっているけど、どうしても気になる。
 「構わんよ、わしは。今年で72になる」
 「もうすっかりババアだから騙されちゃ駄目ですよ」
 「たわけ、わしはまだピチピチでお肌つやっつやの美白系じゃ」
 「あ、加齢臭酷いんで近寄らないで貰えます? くさっマジくさっ」
 
 72歳。確かに人間で言えばおばあちゃんだ。それでも予想よりは若かったけど。
 「何一つ問題無いな」
 四谷はと言えば、不適に笑っている。100歳でも1000歳でも10000歳でも、四谷は全く気にしないだろう。
 
 「のう結城。お主もこの肌ガサガサ娘の差別主義っぷりを見てどう思う? その内お主も殺されるぞ、もう一回」
 「お、お肌は大丈夫だと思いますけど……」
 急にが同意を求めて来たので、僕はとっさに上手い返事を返せなかった。が、ヒナさんは嬉しそうだ。
 「ありがとうございます! やっぱり血を吸わないとしわくちゃになる若作りババアとは肌の潤いが違いますよね!」
 「なるか、たわけめ。寝不足で泣き虫でデベソで恐がりで小学生まで一人で厠行けなかった癖によく吠えるわ」
 「肌の話と全く関係ないでしょ! と言うか何でアンタが知ってんのよ!」
 「さーてなんでじゃろーなー」
 そもそも、肌の話自体が本筋とズレている気がするけど……。
 「えっと、僕も全員殺すって言うのはちょっと反対かなー……って……」
 「あ、神田君は殺さないですよ、もちろん。吸血鬼になったの私のせいだし。責任持って私が面倒を見ます」
 「責任!?」
 四谷がその言葉に反応を見せる。僕も同じく、その言葉が気になった。
 「責任っていうのは、どういう……」
 と尋ねられると、ヒナさんは顔を真っ赤に染めた。
 「え、いや、責任ってホラ、その、け、結婚とかじゃなくて、何と言いますか、血が吸いたくなったら私のをどうぞ的な、何かお困りでしたら私が対処します的な、それです」
 あわわわとつっかえながら言うヒナさんに、さっきの表情の面影など微塵も無かった。
 その姿は、何と言うか……かわいい。それにしても、よく表情を変える人だ。
 「はっ、お主のような誤爆小娘には無理じゃ。結城にはわしが吸血鬼としての生き方を教えてやる故、お主は献血にでも行っとれ。ちょうど下僕と言うか、召し使いが欲しいと思っていた所での」
 「アンタはただ楽したいだけでしょ!」
 「お主と一緒にいるよりは何百倍も安全じゃ」
 もう何度目かにもなる口論が始まる。
 ……はぁ。これからどうなってしまうのだろうか。





 「……一人なら」
 え?
 「一人なら、俺は我慢できた。これまで何回も経験してきたからな」
 二人が言い争いを続ける中、四谷が下を向きながら何やら呟いている。
 「だが二人に言い寄られるとはどういう事だ!? 俺を差し置いてッ! 答えろ神田アアアァァァーーーーーッ!!」
 四谷が、僕に向かって吠えた。山が震えるほどの、雄叫びを。
 そして立ち上がり、笑いながら手招きをする。僕に。
 「吸血鬼の力とかさあ……試してみねぇか……ちょっくらスパーリング(どちらかが死ぬまで終わらない全身全霊で行うガチの殺し合い)しようぜぇ……?」
 括弧の中にとんでも無いことを言っている四谷。
 四谷の殺気は、少しの漏れも無く僕に集中している。
 それに直に当てられた僕は、人生で二度目の死を実感させられた。
 「や、やめようよ四谷……死んじゃうよ……」
 僕は泣きそうな声で、心の底からそう言った。
 「そうだ、冗談は止めておけ。手加減を間違えると死ぬぞ」
 「ちょっと四谷君、よしといた方がいいですよ。その力だと殺されちゃいますって」
 二人の言ってる事は正しい。ものすごく、正しい。
 なんせ二人は、四谷の実力を全く知らないのだから。
 
 と、そこで四谷の殺気がフッと消える。
 僕は生を実感し落ち着きを取り戻すも、四谷の調子がおかしい。
 
 「僕も……『私の血をどうぞ』とか『下僕にしてやる』とか言われたいです……女の子二人に取り合いされたいです……」
 四谷は泣いていた。顔では無く心で泣いているのが、僕にはわかった。
 急に四谷はヒナさんの手を取り、真剣な顔でまくし立てる。
 「ヒナさん! 僕を殺して下さい! 僕も吸血鬼にして下さい!」
 「ええ!? む、無理ですよそんなの!」
 女の子にモテたいがために、ついに人間をやめる事を決意したようだ。
 ……いや、もしかしたら決意するまでも無い事なのかもしれない。四谷にとっては。
 四谷が吸血鬼になったら、彼の力はどうなってしまうのだろう。想像したくもない。
 「タエ様! 僕を吸血鬼にして下さい! 下僕にして下さい!」
 女の子にモテたいがために、プライドすら捨ててしまっているようだ。
 ……とは言うものの、最初から彼にプライドなんて物があったのかわからないけど。
 「ふむ。本当にいいのか?」
 「はい! お願いします!!」
 え!? そんなに簡単に吸血鬼にしちゃっていいの!?
 「え、よしといた方がいいですよ四谷君! あまり良いことは無いですよ?」
 「構わんとです!」
 「よし。じゃ、まず血をある程度吸うぞ。血を取り入れて混ぜ、元に戻さないといけないのでな」
 僕の焦りやヒナさんの制止など気にも留めず、二人は四谷吸血鬼化計画を始める。
 別名、究極生命体誕生プロジェクトとも言える……のかも知れない。
 御茶ノ水さんは四谷に近づき、首の近くで舌なめずりする。
 「これはエロい」
 緊張した四谷の呟きが、物静かな闇に響く。
 「ふむ……では、いただきます」
 そう言って口を開けると、口内で糸を引いているのが見える。
 ……その姿を見て、僕もエロいと思ってしまった。あうう。
 
 そして、四谷の首筋に牙が突き立てられた。
 「……あれ」
 と思ったが、御茶ノ水さんは必死に顎を上下させている。
 「おかしいのう」
 どうやら、どれだけ噛みついても歯が立たないみたいだ。
 それもそのはず、四谷は女の子を目の前にした上に首に口付けされて体を緊張させきっているのだ。手加減していては牙が通らないのだろう。
 「どんな筋肉してるんじゃお主は。力を抜け」
 「はいっ!」
 緊張のあまり声が裏返っている。全く脱力した様子は見られない。
 「……まぁ、いい。少し力を入れて噛むぞ」
 御茶ノ水さんは少し口を上下させた後、改めて首元に噛みつく。
 「んむむむ」
 僅かに、牙が首の肉に入り込んでいった。
 緊張の表情を崩さないので、血を吸われている時は痛いのか気持ちいいのか四谷の表情からはわからない。
 やっと牙が通った御茶ノ水さんは、安堵して血を一気に吸い込む。
 吸い込む。

 ……。
 動きが止まる。

 そして二秒後、素早く首から口を外し、
 「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 と叫んで倒れ、のたうちまわり始めた。

 え? 何? どうしたの?
 僕が疑問に思っている間にも彼女は口を押さえて転がり回り始める。
 「え、ちょ、なにこ、な、まっず! にが、苦辛い! なんで、こっ、こんな、ひっど! ひどい! おか、おかしい! これはおかしい! ない! ないよこれは! く、口が溶ける! 死ぬ! 死んじゃう! ちょ、誰か水!」
 ばったんばったんと陸に打ち上げられたマグロのように跳ね、顔をトマトのように赤くしていた。
 「あはははははははは! 何よこれ! 最高だわ!」
 僕の隣ではヒナちゃんが携帯の動画モードで彼女を撮影している。心の底からこの状況を楽しんでいるようだ。
 「たす、助けて! 無理! ちょ、死んじゃう! 舌が焼ける! 歯が、歯が抜ける! こ、ころな! 助けて! 死ぬ! ほんとに死ぬ! ああああああああああああっ!」
 彼女は既に目から大量の涙を流しており、さっきまでの余裕たっぷりの態度が嘘のように悶絶していた。痙攣も起こしている……どんなにまずかったのだろう。
 「ガハッ、あまり笑わせないで……死ぬ……こっちが死んじゃう……」
 笑いすぎて呼吸が止まりそうになりながらも撮影を止めないヒナさん。彼女の姿を見ていると本当に動画を全世界に発信するかも、と思えてくる。
 
 女の子二人が大変な状況になってる中、僕はただ呆然としていた。
 四谷に至っては吸われている途中のポ―ズのままピクリとも死んだように動かず、その姿には哀愁が漂っている。

 御茶ノ水さんの悲鳴とヒナさんの笑い声が響く空は、既に明るさを取り戻し始めていた。
 ……これからどうなってしまうのだろうか。本当に。

       

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