悪魔と言うものは恐ろしいものだ。隙を見せると自分の命が危うい。
そう両親から教わって来た。
しかし、今俺の前にいるこの悪魔はどう見てもそこまで恐ろしいものには見えない。
とってつけたような小さい二本の角に、空を飛ぶには退化が激しい翼。
ちょっと日焼けしました程度の小麦色の肌も、一昔前のガングロギャルに比べたら人間的だと言える。
そして何より……美しい。
人間の姿を持ちながら人間離れしたそのスタイルは、まさしく悪魔的と呼ぶにふさわしい。
「うわぁ! 出たよ! 悪魔出たよ! 本当に出ちゃったよ!」
四谷が酷くキョドっている。
無理もないか。四谷は一応普通の人だしな。
「出して頂いたお礼に、あなたの望みをなんでも叶えて差し上げましょう」
悪魔はそんな四谷を無視して、俺に常套句を述べる。
「凄ぇ! どうすんだ五反田? 新橋に呪いかけんの勿体なくね? て言うか願いの数増やしてもらえばいいんじゃね? 俺天才じゃね?」
「四谷、落ち着け。てか黙れ」
「……はい」
注意された四谷はしゅんとした顔にする。
「願いを増やす、と言う願いも可能です」
悪魔が囁く。
……そんなうまい話があるのだろうか?
「それで、『願いの代償』は何なの? どうせあるんだろ、何か」
俺の質問を聞いた悪魔はニヤリと嗤った。
「聞かれたからには答えないといけませんね……願い事一回につき、『寿命30年』です。
ちなみに私を呼び出したら、例え『願いなどない、と言う願い』でも寿命はいただきます。
たくさん願い事をした後に『寿命を増やせ』と言われても、これまでの願いの分全てを先に引かせてもらいます」
なるほど、そう言う事か。
「……つまり五反田はもう30年寿命引かれたも同然、って事?」
「そうなるな」
四谷が再び挙動不審気味になる。
「ど、どうすんだよ五反田?」
「さあ、どうします?」
二人が俺に答えを求めて来た。
まあ、願いなんて既に決まってる。
「俺の願いは一つ――
――俺と、付き合って下さい」
俺を見る二人の時間が、止まる。
わずかな硬直のあと、先に口を開いたのは四谷だった。
「そ……その手があったか!」
そう、これでいいんだ。
「え? 付き合う? え、私が? あなたと? え?」
想定外の答えだったようで、悪魔は先ほどの四谷状態になってしまった。
「寿命が30年減ろうが60年減ろうが、構うもんか。俺はあなたと共に生き続けたい」
一目惚れだ、ようするに。
その言葉を聞いた悪魔は浅黒い頬を赤く染める。
「は、はい……えっと、願いは願いですからね、仕方ありません。よ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を垂れた。
こうして、俺と可愛い悪魔の甘甘な生活が始まる事となった。
「おい」
「ん、何だ四谷」
これからの短いながらも幸せな人生を想像していたところに、邪魔が入る。
「さっきまで『新橋の野郎……俺達彼女いないグループの中で抜け駆けした罪は重い』とか言ってたのにお前……」
四谷が俺に嫉妬の念を向けている。
「いや、ホラあれだよ。こんな俺にも彼女ができたんだし、お前にもすぐに……」
「じゃあ俺にもさっきの魔導書使わせろよ! もう一つあっただろ!」
四谷は落ちてた魔導書を拾い上げ、俺に差し出す。
「え、いやあれ黒魔術使える人じゃないと危ない……」
「知るか! 俺もこんな可愛い彼女ができるなら寿命の一つや二つ投げ捨ててやるわ!」
こいつも中々の覚悟だ。
ま、四谷なら大丈夫か。
「じゃあこのメモに文字の解読表が載ってるから、自分で呼んで」
「サンキュー五反田! やっぱ持つべきものは友達だな! あと彼女だな! ヒャッハー!!」
四谷は上機嫌なテンションで、さっそく本とメモを見比べている。
さて、俺は……
「えっと、名前まだ聞いてなかったね。何て呼べばいい?」
「あ、私はクロメって呼ばれてました……あなたは?」
さっきの挑発的な表情の影も見せない彼女。あれはあれで興奮……じゃなかった、悪くないとおもうんだが。
「可愛い名前だね。俺は……」
「来たあああああああああ!!!」
四谷の叫び声と強い光明に、俺とクロメちゃんは思わず顔を向ける。
……随分早いな。
光が晴れた後、そこに居たのは――
「我を呼んだのはぬしか、人間」
焦げ茶色の肌に鋭く巨大な角と禍々しく屈強な羽を生やした、2m半ほどの悪魔だった。
見た感じ女の子ではなさそうだ。
「あれは……上級悪魔!?」
クロメちゃんは奴のことを知っているようだ。
かなり驚いた顔をしているのを見ると、相当のレアものらしい。
……待てよ、上級悪魔って事は……
「なんだ、女の子じゃないのか……仕方無い、じゃあ俺好みの可愛い彼女が欲しいんだけど……」
「クックック、やっとだ……封印されて300年、長かった」
……アレがああしてああなって……
「えっとね、まあ正直可愛ければなんでもいいと言えばいいんだけど……」
「これで存分に人間界で暴れる事ができる」
……そしたら間違いなく……
「欲を言うなら、身長は160くらいで普通かやや痩せ気味の体型で、髪型はセミロングかボブカットで……」
「まずはお前に出してくれた礼をたっぷりしてやらんとな」
……まずい、止めないと。
「で、性格はやや内気だけど俺の事が大好きなの。それで人目の無いところだと俺に甘えてくるのね。いやあかわいいなあ」
「死ねぇ!」
「おい気付け、そいつは――!」
ぐしゃ、と言う音が物置に響く。
続いて、ゴッ、ゴッ、ゴッ……と言う規則的な音が延々と流れてくる。
俺とクロメちゃんはその光景を、黙って見てる事しかできなかった。
「やめ……て……」
なおも無慈悲に落ちる拳。
四谷はぐしゃぐしゃに泣いていた。
馬乗りになって無抵抗の相手を容赦なく殴り続けるその様は、まさに悪魔だった。
一発ごとに僅かに物置全体が振動しているのを、肌と耳で感じる。
「何で……」
四谷が呟いたのが、聞き取れた。
「何で俺には……
彼女が出来ないんだぁぁーーーーーーーーーー!!」
そう言ってトドメの右フックをたたき込む四谷。
悪魔は声にならない声をひり出した後、ピクリとも動かなくなった。
「あーあ……死んだかな」
一応封印してたものだし、殺しちゃまずかったかもしれない。
「こ、この人素手で悪魔を……」
クロメちゃんはさっきよりも遙かに、信じられないと言った顔をしている。
「四谷は昔から喧嘩が異常に強くてね。困った時には本当に頼りになるんだよ」
こいつがいなかったら危なくて悪魔召喚なんて出来ないしな。
「五反田……俺、帰るわ」
袖で顔を拭った四谷は、力ない声でふらふらと外へ出て行った。
ちょっとかわいそうだったな。
明日謝っておこう。