Neetel Inside ニートノベル
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 見た物を見たまま信じる……とは言ったものの、俺はこれまで生きてきた中でそこまで多くの物を見てきたとは言えねえ。
 少しばかりの家庭の事情があって、極端な遠出をしたことはほとんど無かったし、海外に行くことなど皆無だったんだ。
 珍しい物と言えばせいぜい動物園や水族館に行ってきました、程度。
 見解が広いわけでもねぇ、世間を知らない癖に口だけは達者な糞ガキ。それが俺だ。
 そんな糞ガキの俺が二つだけ断言できることがある。



 俺がこの目で見た全ての中で一番強いのは、四谷だ。


 そして――


 俺が考え得る全てのシチュエーションの中で、今の状況が一番最悪だ。
 

 一帯の空気が張り詰め、静電気のような何かを頬で感じた。
 四谷が飢えた狼のように低く喉を鳴らしている。
 こちらを見据えるその表情に、理性など一片も見られない。
 可愛い表現をするなら、それは鎖を引き千切った猛獣だった。

 「ここからいなくなるしかないなぁぁ目白ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 死刑宣告。

 やばいやばい、死ぬ! この世から消される! 女なんてどうでもいい、とにかくこいつを落ち着けないと……
 「まっ、待て、お、おち、落ち着け四谷! おお俺はぶぇ、別に運命とかか」
 落ち着かないのは俺も同じだった。舌が乾き、絡まり、攣りそうになり、口から言葉が上手く出てこねぇ。
 視界の端で占い女を捉えた。俺はどうにか片目で女を見ながら、
 (おいお前俺が運命の相手なんだろおいこの状況なんとかしろよ俺死ぬぞおいこら早くねぇ早く)
 と視線で訴えかけ、必死に助けを求める。口で言うより遙かに早く伝達することができた。
 瞬く間に『返事』が返ってくる。
 (ちょっとあなたの心がぐっちゃぐちゃなのでよくわからないんですけど、多分大丈夫ですよ)
 チェシャ猫のような笑みは崩さずにウィンク。ぐ、と親指を立てやがった。あー可愛い。
 
 死ね。
 死ぬ。

 「動くなよぉ動くなよぉ絶っ対動くなよぉぉぉぉぉぉぉ」
 言われなくても俺は動けねぇよ。
 右手に手刀を作り、弓を引き絞るように、ゆっくりと、じっくりと振り上げる。
 その構えには、慈悲も容赦も遠慮も手加減も一切無かった。
 俺の頭の隅で臨時ニュースの如く走馬燈が流れ始める。……ああ、あまりいい人生では無かったな。
 ふ、と四谷が息を吸う。
 ……終わった。

 ひゅ、と風を切る音がした。
 ほとんど同時に、落雷が目の前に落ちたような爆音も響いた。


 四谷の手刀は俺の横、空を斬り……何にも接触する事無く、その動きを止めた。
 結果、残ったのは無傷の俺。

 それと、長さ3m程の深い爪痕が刻まれたアスファルト。
 
 四谷は顔に日光を受け、爽やかな笑顔で言う。
 「だから言ったろ? 動くな、ってさ」
 
 俺は緊張の糸が切れると同時に、頭の中で別の何かが切れかかった……が、かろうじて繋がった。
 「ざっけっんなボケ!! シャレにならねーんだよテメーがやると! 死ぬかと思ったわ!! つーか殺す気だったろ途中まで!!」 
 安堵と共に溢れ出る怒りを思いのままぶつけてやった。ぶん殴ってやろうかとも思ったけど痛いのは俺だけなので抑える。
 「ソンナワケナイダロウメジロクン。ボクニキミヲコロスナンテデキルワケナイジャナイカ」
 急に片言になりやがった。どうやら反応を見るに途中で正気に戻ったらしい。不発弾みたいなヤローだ。
 「……いやマジにごめん。最近なんか本当に心をへし折られてばっかりで、ちょっと死にそうだったんだ。済まなかったな」
 かと言って深く頭を下げられても反応に困るんだよ。
 「……ったく、次やったら突然変異体αですって言ってNASAに売っ払うからな」
 まあ、確かに気持ちは良くわかる。3人の彼女候補を逃した上にさっきのトドメだ。おかしくもなるかもな。
 元凶の一人である女を見ると、相変わらずのニヤケ面。だが、僅かに冷や汗が垂れているのが確認できた。
 さすがに四谷の力を目の当たりにして平常心は保てなかったか。
 ざまーみやがれ。少しばかりスカッとしたぜ。今の気分は悪くねぇし、飯の奢りかなんかで許してやるか。
 
 「じゃ、そーゆーわけだから。運命の相手は誰か他の奴を探してくれ」
 俺は女の顔もロクに見ず、手を振って歩き出す。
 こんな恐ろしい女にはもう関わりたくねぇ。神に出くわした無神論者の心情がよーくわかるぜ。
 「特に僕なんかどうでしょう。運命感じちゃったりしません?」
 そのまま戯言を吐いている四谷の髪を引っ張り、改めて帰路につく。
 「心配しなくても貴方と私は近い内にまた出会うでしょう。その日までお元気で……進くん」
 ……どこまでも食えねぇ女だ。俺は返事の代わりに良く響く舌打ちをかました。
 
 「なるほ……のひと……んせが……うて……」
 後ろから、呟きの断片が聞こえた。……何の話だ?
 随分と心身が疲れたので、その後は風呂入ってすぐ寝た。
 

 「……これが昨日の話だ」
 「運命に、読心術……か。にわかには信じがたい話だが、お前が言うなら確かなんだろうな」
 大塚は真面目に考え込んでしまった。こいつは俺とは逆に、見える物が全てじゃないって考えを持っている。
 話はたまに合わなくなるが、性格はそうでもねぇ。
 「ま、あの電波女とは連絡先も交換せずに別れたし。二度と会う機会はねーだろーな」
 「この間みたいに転校してくるんじゃあないのか?」
 大塚は昨日の女を思い出すような意地の悪い笑みを浮かべる。
 ちょっとばかし不快だったが、俺はそれをからからと笑い飛ばした。
 「そのパターンは二回は有り得ねぇだろ。そもそも転校生が入れる席がもう無くなったからな」
 「まあ、さすがにな」
 「どうしたの? 何の話?」
 神田が会話に割り込んできた。
 「ああ、実は……」
 いきさつを説明しようとした瞬間、タイミング悪く先公が戸を開けて入ってくる。
 神田は名残惜しそうに着席。
 運命も糞も無い、いつも通りの授業が始まる。
 
 「あー、今日は教育実習生が来たんだ。簡単に自己紹介を頼みます」
 
 運命も糞も無い、
 
 「おい見ろ目白、かなり美人だぞ? 高校生くらいに見えるけど、ちょっと目つきが妖しいな……悪くない」
 
 いつも通りの授業が、
 
 「こんにちは、私の名前は池袋と申します。よろしくお願いしますよ」
 
 始まる。
 
 「池袋先生! 僕です、運命の相手の四谷孝文です! 結婚して下さい!」


 ……しつこいようで悪いが、俺は運命とか信じねぇからな。 

       

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