Neetel Inside ニートノベル
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「……え?」
 さっきと同じリアクション。
 だけど、今度の驚きは桁が違う。
「あ、違うの。えーっと、なんていうか、環奈がわざとやったとかそういうのじゃなくて、」
 不破は慌てて韮瀬をフォローしてるけど、それよりも先に聞かなくちゃいけないことがある。
「その女の子の名前は?」
「え? ――あー、戸田くんも聞き覚えあるでしょ。今西さん。いつも朝名前だけ呼ばれるあの子」
 やっぱりか。やっぱりなのか。
 今まで気になっていたけど聞けなかったことがこんなに簡単にわかってしまって、すごく不思議な気分だ。
 この日差しのせいではなく、頭が変な熱を帯びている気がする。鼓動も早い。
「いやあのね、そんな顔しないで。ほんと戸田くんが考えてるのと違うから」
 おろおろと言われたけど、一体僕は今どんな表情をしているんだろう。
 そして、僕は今何を考えているんだろう。
 色んな疑問が渦を巻いているのに、妙に冷静でもある。
 いや、冷静とは違うな。それにしちゃ頭が回らない。むしろ、ぼんやりとしている感じだ。
 意識ははっきりと、でもぼんやり。
 矛盾しているとしか思えない、この状態から抜け出すために。
「……その話、もうちょっと聞いていい?」
 もっと話を聞くため、僕はベンチを指差した。

「えっと、ね」
 鞄を置いて一息ついて、不破が口を開く。
 公園のベンチはあるかないかの木陰に辛うじて覆われていて、僕と不破が日差しを避けるとスペースの都合上、鞄は太陽に晒されてもらうことになったようだ。
「うちの学年にね、朝鷺ちゃんていう女の子がいたの」
 ぱた、ぱたと不破の足は地面をゆっくり叩いている。癖みたいだ。
「この子、背が小さかったのね。で、今西さんって凄くでっかかったの。見たことないだろうけど、あたしたちと頭一つ以上違うの。ほんと」
 知ってる、なんて言えるはずもない。
 僕はただ頷くだけ。
「今西さんね、昔から大きかったけどそんなに目立って大きい、って訳じゃなかったの。背の順で後ろから2番目か3番目、みたいな感じで」
 へぇー。
 想像してみようとするけど、どうもあの今西が誰かより小さいという状況が想像できない。
「なんだけど、小5の冬かな。一気に伸び始めて、あっという間に160台になっちゃったの。で、男子が『デカ女』とか『トーテムポール』とか呼び始めて。あ、トーテムポールって分かる? うちの校門のとこになんかあった変な顔がいっぱい積んであるやつ」
 ……想像できない。
 僕の頭の中ではモアイがいっぱい積み重なった。で、一番上に今西の顔。
「で、奈美――あっと、今西さんが怒ってね、『デカいのだけ差別するのはおかしい!』って言ってさ。『一番ちっちゃいさぎちゃんもなんかあだ名つけてよ!』なんて」
 足のぱたぱたが、今西を名前で呼んだときだけ止まった。
「それで朝鷺ちゃんもなんか色々あだ名つけられるようになっちゃって。今西さんもそれに乗ってさ、あだ名考えたりしてたの。けど、朝鷺ちゃんて結構そういうの嫌がるタイプだったのね。なのに溜め込んじゃって」
 そこでふう、と息を吐いて、不破は目に入ろうとしている汗を指で拭う。
「不登校、にはならなったのかな。けど、夏休み明けたら転校しちゃってたの」
 レンズ越しに、不思議な目の色。
 僅かに揺らぐその意味は、僕にはよく読み取れない。
「で、ね」
 また、言葉がちょっと切れる。
 不破の足は動きを止めていて、僕達の間の沈黙を埋めるのはセミと車の音。
 風が少し吹いて僕らの頭上の影が揺れた。
 そして、その風が収まった頃、不破がようやく口を開く。
「環奈、今西さんを責めちゃったわけよ。それもみんなの前で」
 すごかったんだから、と軽く疲れた笑みを浮かべて、
「最初は教室の隅っこのほうで言い争ってたんだけどさ、だんだんヒートアップしてきて。最後クラスの半分ぐらいが参加してたんだけど、大体が奈美責めちゃう感じで」
 また今西を名前で呼んだけど、今度は気付く様子がない。
「ふたりとも仲良かったんだけど、環奈って自分の許せないことは許せないタイプなのね。で、時々『そういうのやめなよ』みたいなこと言ってたんだけど、奈美悪乗りしちゃってて。逆に環奈もニラニラ呼ばれるようになっちゃって。とにかく色々環奈も溜まってたんだと思う」
 訂正が一向にされないのは、完全に喋ることに集中しているのか、それとも。
 わざと距離を置くように喋ってただけで、実際はそうでもないってことなのか。
「で、それからは、うん。いじめ、だったと思う」
 ぱたん、と1回だけ足が動いた。
「それ、あたしも参加してたわけなのよ」
 ちら、とこっちを見てくる。
「……別に、だからって引いたりとかは、ないけど」
「ありがと」
 口元だけで笑って続ける。
「何やったかとかはさ、言わないけど。今思い出してもそれなりにひどかったと思う」
 でもね、と呟いて
「環奈は、何もしてなかった。それは本当。むしろすっっごい後悔してた」
 もう一度本当だから、と繰り返す不破。
 そんなに言わなくても、その表情を疑えるわけがないのに。
「奈美が学校来なくなるまでずっとあたし達にやめようって言ってたし、来なくなってからもすっごい落ち込んでた。『メール返事くれない』って泣きそうになってたの覚えてる」
 そう話す不破の目も、少し潤んできている。
「で、長くなっちゃったけど。環奈ってそんなとこからも立ち直っちゃえた子なの。ちょっと変なこと言われたぐらいで、部活来なくなるわけない」
 そう言いきって、不破は息をついた。
 ……さて。
 どうしたらいいんだ、僕。
 色んなことがあんまりに一気に襲い掛かってきて、整理が追いつかない。
 話を聞いているうちに頭は少し普通に戻ってきたけど、考えるべきことが多すぎる。
 韮瀬のこともだけど、今西のことも。
 あいつが今まで僕に見せてこなかった色んな所を、一気に知ってしまって。
 次会うときに、どんな顔をしたらいいか僕にはわからない。
「なんかごめんね。変な話しちゃって」
「いや、大丈夫。むしろ感謝してる」
 それと、少しだけ後悔も。
「……感謝?」
「あ、ほら。今西、さんの話ってなんかタブーみたいな空気あったから」
 危うく呼び捨てにしかけたけど、なんとかこらえる。
「あー」
 なるほど、という顔をする不破。
「確かにねー、まだみんなそんな感じだもんね」
 ん。
「あれ、不破は違うの?」
 すかさずその発言を拾う。
 もしかして、今西が教室に戻る足がかりになるかもしれないから。
「やっぱさー、環奈見ちゃったから。多分、今でも不登校になっちゃってるのすっごい気にしてると思うし」
「……そう、なんだ」
 韮瀬は今西が保健室に来ているのを知っているんだろうか。
「何通も『不登校にだけはならないで』ってメール送ったらしいんだけど。まあ奈美も自分いじめたっぽい相手の話なんて聞かないよね」
 環奈のこと嫌いなのかなー、と呟いて、不破はまた足をぱたぱたさせた。
 韮瀬の話題はどうしても付き合ってる云々になっちゃうから一度も出してないけど、正解だったのかもしれない。
 けど実際に不登校ではなくて、
 ――――あ。
 そこまで考えて、ようやく気付いた。というか、繋がった。
 今西が絶対に譲らなかった、『保健室登校』という肩書き。
 理由を聞いても、「不登校はやなんだもん」とだけ言っていて、「やってなんだよ」って何回か追及したけど、結局答えてくれなかった。
 その理由は、つまり。
「不破!」
「え、何!?」
 いきなり立ち上がった僕に、不破が驚いた視線を向ける。
「ちょっとさ、韮瀬のアドレス見せてくれない?」
「え? あ、うん、いいけど」
 鞄から携帯を取り出して、軽く操作すると僕に渡してくる。
「ちょっと覚えるから時間かかるけどいい?」
「う、うん」
 そう言って、ちょっと体の角度を変えて一心不乱に画面を眺めるふり、をしながら。
 こっそりと、画面を操作する。
 携帯は持ってないけど、姉ちゃんのをこっそりいじくったことがあるから少しだけ操作は出来る。あの時の蹴りは痛かったなぁ。
 それを生かして、アドレスの一覧に戻って。
 『今西奈美』と書かれたところを開く。
 そして、今度こそ宣言したとおりに、携帯に穴を開けかねない勢いで、脳に刻み込む。
 今西に繋がる、11桁の番号を。
 ――よし、完璧だ。暗唱できる。
 あとは、
「あ!」
 あたかも、操作に慣れていないふりをして。
「ご、ごめんなんか画面消えちゃったんだけど」
 リラックマがこっちを向く待ち受けに戻して、不破に返すだけ。
「ん? あ、大丈夫大丈夫」
 不破もなんの疑いもなく、受け取ってくれた。
「じゃ、僕帰るから」
「え」
「今日はありがとねー!」
 返事を待たずに、影を抜けて太陽の下を家に向かって小走りで進みだす。
 汗がすぐに吹き出てきたけど、構わない。
 今僕の体に残すべきは水分じゃない。この電話番号だけだ。

       

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Neetsha