Neetel Inside ニートノベル
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「はは、ははは……」
 笑うしかない、とはまさにこのことだった。
 シノイは、ただただ笑う。
「これを……僕にどうしろと?」
 答える人はいない。
 シノイは、これまで多くの地を冒険してきて、何者にも負けない――といえば聞こえがよすぎるかもしれないにしろ、それに近い自信のようなものはある。
 これまでの人生で彼に互角に戦えたのはたった一人だけであるという(もちろんメイラだ)、根拠だってある。自信があるのだって当然の帰結といえるものだ。
 まあもちろん、彼だって戦えば勝てないかもしれないと思う存在は存在する。
 例えば、人間の中でも最高峰の力を持つといわれる『神徒』。
 例えば、この世界にいる魔物の中で最強を誇るというドラゴン(一般には古龍と呼ばれる)。
 例えば、『万魔の王』と呼ばれる、全魔物で最強だという『魔王』(こちらでいう『魔王』とは、『万魔の王』の意味がある。メイラとはまた違う意味での『魔王』だ)。
 下の二つについては、シノイでも、とても人間の敵う相手であるとは思えないので除外して考えるにしても、それであれば彼は『神徒』以外には負けるとは思っていない。勝てない人だっているにはいるだろうが、そこまで強いと言われる人は、彼は他に知らなかった。
 そういう意味で、彼にとってメイラとは想定外の強さであったといえる。
 女子供とて容赦はしない――それは当然であるとはいえ、いくら彼であろうとそれを全く無し、というのは不可能だった。無意識の内に、どこか手加減していたというのはあったと思う。
 まあ、その手加減というのもメイラが幻術のようなものを使った時点で消え失せたわけだけれど(もしかしたらメイラの狙いはそれだったのかもしれない)。
 その結果、彼はメイラに勝利を収めた。見た目では。
 既にメイラは大怪我をしているし、出血だってとても無視できるようなものではない。
 勝っている。彼は今でもそう考えている。いや、考えていた。
 メイラが稀少な『召喚術』というものによって、あるものを呼び寄せるまで。彼は、勝ったつもりでいた。
 空に浮かぶ、その荘厳なる姿。噂に違わない、その力強さ。そして何よりも――そこにいるというだけで発される、威圧感。
「……」
 そこには、真紅の鱗を持つドラゴン――『最古の古龍』がいた。



 実際にそれがいるのか、シノイは知らないが、例えばヴァンパイアと呼ばれる魔物の中に、『原初の吸血鬼』と呼ばれる最強のヴァンパイアが存在するらしい。
 別にヴァンパイア云々はどうでもいいのだが――とにかく、その『原初』という存在は例外なくとてつもない力を持つというのが、多くの場合において成立することの多い事実だ。
 それは古龍だとかにも当てはまるわけで、つまるところそこにいる『最古の古龍』とやらは、今現在の地上で最強と呼ばれる存在だ。
 このレベルの古龍ともなれば人間の言葉を話すなどと言うのは造作も無い事らしく、そうでなくとも古龍という存在はとてつもなく知能が高い。考える、という行為が、はっきり言って人間のそれさえも超えている。
 そのため、古龍というのは唯一人間の言葉を話せる魔物として認識されていて、コミュニケーションだってとることができる。
 古龍が住んでいる山などがあるような国では、国家としてその古龍と話し合いをしたりして、相互不干渉の条約だって結んでいるという噂もあるほどだ。
 古龍と親密になった国などではたまに、国がピンチになれば古龍が国を助け、その逆に古龍が何かしら助けを求めれば国がそれを助ける――といった、そんな国だってある。
 だからシノイは、その古龍が人間の言葉を話したという事実に、そこまで驚きはしなかった。
《ここは……どこだ。我は、何をしている?》
 『最古の古龍』、名をグレイズヴェルドという。
 赤い鱗が特徴的な、最強の古龍。大きさだって、どれだけあることやら。とても人間の敵うような相手ではない、断じて。
《『召喚術』……か。この我を呼び出せるような者がこの世に存在するとは驚きだが、なるほど。これは懐かしい匂いがする。人間の『魔王』ではないか》
「匂いだなんて、あんたって変態なのね」
《……》
 シノイは凍りつく。
 心の中で、「そんなこと言わないでくれって頼むから!」と叫んでいるが、それはもっともだった。
 これまで呆然としていたルゥラナたち、そして一般の人々も今現在の状況を理解し始め、動揺が伝達していく。
「流石のあたしも、古龍に変態はいないと思っていたんだけど、やっぱりいるものなのね。おーい、レクシス良かったわね、変態は種族を超えて存在するらしいわよー」
「(たのむから私に話を振らないでくれるかな、メイラちゃん!?)」
 必死にその気持ちを誰かに悟られないように、懸命に押さえ込む。そして、なんとか苦笑いを返すことができた。
 さて、メイラの暴言にもかかわらず、特に何の反応も示さない古龍グレイズヴェルド。怒り狂わないことに、会場にいるメイラ以外が全員胸を撫で下ろした。
《……我を》
 と、彼(?)はすごくすごく、静かに、一音一音をはっきりとさせるかのように、言葉を発する。
《侮辱しようとは……随分な身分になったことだな、『魔王』。その軽率さ……いつか身を滅ぼそうぞ》
 メイラ以外、全員こう思った。
 『全力でこの場から逃げたいっ!』と。
 しかし、この空気。逃げようにも、その最初の行動を起こせない。無理に行動を起こそうものなら殺されるかもしれない、そういう雰囲気に包まれていた。
《まあ、とはいえこれも『血の契約』による巡り合わせということなのだろうな。かの『魔王』の顔に免じて、その無礼は見逃してやるから感謝するがよい》
「やーだよ、この馬鹿ドラゴンが。あ、略してバカドラって呼んであげるからむしろ感謝しなさい」
《……貴様ら一族はどうでもよい所ばかり遺伝しよって》
「ふふん、そんなこと言って、あんた実はそんなに強くないとかいうオチなんじゃないの?案外今のあたしでも勝てたりして」
《……ほぅ。ほぅほぅほぅ》
 空に浮かぶ古龍とメイラとが睨み合う。周りの緊迫度合いは、今まさに絶頂期。
《汝、我のことを舐めておるな?》
「さっきからそう言ってるでしょバカドラ。悔しかったらあたしに強さを見せつけてみせなさい」
《くははっ。なんと愚かな。我に戦いを挑むというか。身の程知らずめが。……よかろう、一昔前の借り、今ここで》
「あたしが戦ってやるわけないでしょ。あたしはラスボス、オーケー?まずはそこにいるシノイって奴を倒してみせなさい。あたしはそれからよ」
「……………………え」
 シノイに戦慄が走る。冷や汗がだらだらと出てきていた。だらだらだらだら出てきていた。ものすごく出てきた。
 グレイズヴェルドがシノイの方を一瞥する。
《よかろう》
「よくないですよくないですよくないですって!問題大有りですすみませんもう許してください」
 怖いものは怖いのだ。恥だとかを気にしていられる余裕なんて無い。全く無い。たとえこれから先の人生で馬鹿にされる事になろうとも、これだけは譲れない――そんなシノイだった。
「じゃあ、後は任せたわよ、バカドラ。流石のあたしでも、そろそろ、意識の……げんか、い……」
 バタッ、と、メイラが倒れた。
 動く事は無い。一切動かない。
 そしてシノイは両手を合わせて、こう思う。
「(今から僕も後を追うよ)」
「勝手にあたしを殺すなっ!」
 突然バッと起き上がって、そしてそのまま再度意識を失った。
 シノイとしては、「なんだ、今の?」という反応だ。忙しない人だなあ、と彼は思う。
 もちろん。
 これは彼にとっての現実逃避であり、現実はものすごく危険だ。こんなことを考えている暇など、本来あるわけが無いのだ。
《……さて、軽く捻り潰してやるとしようか》
「……え、ま、まじなんですか」
《当然であろう。でなければラスボスまで到達できんではないか。そこの『魔王』をよく見るがよい、余裕のあまり眠ってしまったではないか。その余裕を後悔させるためにも、我は汝を――討つ》
 いえ、それはただ単に出血のあまり意識を失っただけです――などとは言う事も出来ず。というか言えるわけがない。
 とにかく。
 彼がまずするべきことは一つ。
「皆さん、さっさとこの場から離れてくださいっ!というよりも逃げるんですっ!」
 人々は皆、はっとした。
 そう、逃げること。それを全員が忘れてしまっていた。
 古龍との会話に引き込まれ、その“逃げる”という選択肢は消えてしまっていたのだ。
 もちろん覚えていた人もいたけれど、それは言い出すタイミングが無かったから逃げ出せなかったため。
 逃げろと言われた今、やっとのことでそのチャンスがやってきたということだ。
 まず、一人が逃げ出す。するとそれにつられるかのように、少しずつ逃げ出していく人が現れる。そして、一気に――人々は逃げ惑い始めた。
 我先に、とでも言わんばかりに一目散で逃げ出す。これは臆病などではない。むしろ賢明だ。ここで逃げ出さないような奴の方が馬鹿なのだ。そう、ルゥラナたち3人のように。
 しばらく時間が経って、ついにルゥラナたち3人とシノイ、そしてグレイズヴェルドがこの場に残った。
「……あー、流石に状況が状況だから手助けする。いいよな?」
「ええ、助かります。……一応」
 最後にボソッと言ったのは、ルゥラナには聞こえない程度に。
「私も助太刀しよう。なぜならば、変態の暴走を止めるのも変態の役割だからね」
 ギロリ、とグレイズヴェルドに睨まれるレクシス。今、『最古の古龍』は『変態』を完全に敵視した。
「メルちゃんはここで温かく見守っておきますから、皆さんがんばってください。応援しておきます」
「お前も戦えよっ!」
 とルゥラナが叫んだ。しかしメルミナはそんなこと知ったことではない、とでも言わんばかりの表情だ。
「妹を守るのが、兄の務めでしょう」
「自分の身くらい自分で守れよっ!」
「そんな物騒な事をしたら、メルちゃんの株が大暴落します。メルちゃんはあくまで、か弱い女の子(キャラ)なんです。……まあでも、ここはルゥお兄ちゃんの御考えを汲み取って、自分の身くらいは自分で守りましょう」
 すっと、メルミナはナイフをどこからか取り出した。銀色に光る、投擲用のナイフだ。
「……とてもじゃねえが、その見た目で『か弱い』はない。絶対にない」
「むっ、心外です」
 ちょっと怒ったような顔になるメルミナ。それを見てにやけるレクシス。それを見て回し蹴りをレクシスに繰り出すルゥラナ。そして吹っ飛ぶレクシス。観客席から転げ落ち、地面の所へとレクシスが顔面からダイブした。
 シノイは、思う。
「(とても不安だ……)」
 苦労の絶えない、今日もまた、そんな一日を過ごす事になったシノイだった。

       

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