ナイフが空を切る音が二つ続けて聞こえた。
(――速い)
 この間投げられた時とは速さが違う。段違いのスピード。
 受け止める――は不可能。となれば避けるか弾くかの二択だったが、私は直感で、正確には嫌な予感に従って回避を選ぶ。そして当たる事の無かったナイフは近くの壁に刺さる――“刺さらなかった”。ナイフは壁を抉るかのようにして進み、そのままどこかへと飛んでいった(のだろう)。後に見ると、綺麗にナイフの大きさの穴が壁にあいている。
(おいおい、一体どんなことをしたらただのナイフが壁を突き破るというんだか……)
「ふふ、なんだか不思議そうな顔をしてますね」
 と、そんな私の意図を読み取ったのか、メルちゃんが甲斐甲斐しくも解説をしてくれる。分かっていてもどうしようもない、と自信を持っているからだろう。
「メルちゃんの司力は『情報』です。『対価』は自らの“情報”。だからメルちゃんには過去の全ての情報がないわけですね」
「……だからあの帝国にいた理由も分からない、というわけか」
 いつだったか、メルちゃんは過去の記憶がないと言っていた。私はそんな彼女に心配を寄せたものだったが、その時の彼女は心配はいらないと言って聞かなかったものだった。その時は疑問に思ったものだったが、なるほど、自分で原因は分かっていたから心配はいらないと言っていたというわけなのか。納得できる。
「『対価』の中では比較的に大きいものでしょうね。擬似的に存在の抹消と同等の効果が現れるわけですから。『禁術師』さんのように“後”も“先”もではなくて、“後”だけですから、生きる方からすれば希望があっていいですけれど。……まあそんなわけで、この『情報』というのは非情に使い勝手がいいわけです。応用性の高さ、それが自慢です。物も者も、全てのモノは等しく情報を内包していて、それに干渉する力――全てのモノに対しての天敵なわけです。例えばこの間の“人間の情報への干渉”、例えば今の“ナイフの情報への干渉”といった具合にですね。より詳しく言ってあげるなら、さっきのナイフはあらゆるモノの頂点に立つ存在に仕立て上げていたんです。当然、壁なんてあって無きに等しいんですよ」
 毅然とした態度で、彼女は話す。大人びて聞こえる――それはあながち間違いでもないんだろうと思われる。『情報』を司る彼女は、情報の入荷量が普通の九歳児のそれとは比べ物にならない。色々を知っているから、態度は子供ではない(同様の理由でメイラちゃんも大人びているのだと思われる。あちらの場合は、扇の中の人格から色んな情報を受け取ったのだろう)。
「ただまあ、流石はレクお兄ちゃんです、真正面からじゃナイフを投げたって避けられてしまいますね。メルちゃん、これでも頑張って修行したつもりだったんですけれど。――でしたら、こんなのはどうでしょうか」
 そう言うと、彼女が右手に持っていたナイフが“消える”。フッ、と見えなくなる。――分かる、消えたのではなく見えないだけ。存在の情報を、極めて小さくしただけ。
 メルちゃんは、傍から見るとナイフでも投げるかのような動作をする。別に空気を切るような音もしないから、本当にそう見えてしまってもおかしくない。だが違う、彼女は投げている。横に体を反らして少し後、今度は後の壁から何かが当たったかのような音が聞こえた。そこには何も見えない。ただ、壁が傷ついているように見えるだけ。
「……信じられないね。驚きだ」
「それはメルちゃんも言いたいんですよ……。見えてないはずなんですけど」
「それはまあ、メルちゃんの動きから軌道を予測してだね」
「無茶苦茶な……」
 ――それは君にこそ相応しいんだけれどね。
 見えないだけではない、モノとして見えないのだ。周囲への影響が、限りなく小さいという状況。モノが迫っているとすら感じられない。存在が、薄い。これはあまりにも――驚異的だった。
 だけれど、今ので確信が一つ生まれた。
「情報の改変は一つまで。二重の改変は不可能――なんじゃないかな」
「今の一手でそれを見破りますか……。流石も流石ですね」
 今のナイフは、さっきのように壁を突き破るようなことはなかった。わざわざその情報まで消す必要は本来ならないはずなのに、それでも消えてしまっていたという事実。つまりは、複数の情報の改変が不可能ということ。
「ですがまあ、それが分かったところでどうしようもないでしょうけれど」
 と言って、今度は複数のナイフを投擲する。見えないが、そこに確かにそれは存在する。存在せずとも、そこには存在している。
 ――彼女の言うとおりだとは思う。軌道はなんとなく読めるとはいえ、そう何度も何度も投げられてはいつかはボロが出る。それに今度は何本投げているかは予測できない。元暗殺者の彼女は、攻撃動作など見える“存在”ではない。今回だって私は彼女が四本ほどのナイフを投げたかのように見えたというのに、実際に避けてみてから背後の壁を見てみると、そこにあったのは九個の傷跡。一つはさっきのものだから、八本。彼女は八本のナイフを投げていたのだった。こっちが、無茶苦茶だと言いたいくらいだ。
 けれど弱音を吐いている場合でもない。ひとまずは戦闘が続行できないほどに――斬る。そして滑るように前へと前進する。その動きがあまりにも自然で、メルちゃんの対応が数瞬遅れた。その隙に一気に間合いを詰めて、そして峰打ちで――斬る。その軌道は寸分違わずメルちゃんの体を捉え、避ける事もできずに、右の刀で一閃。体を捉えた。
 ――そして、“私の刀が折れる”。
「なっ――」
 砕け散った右の刀の破片が宙を舞う。その光景が、なんだかとてもゆっくりに目に映った。折れた刀を捨てて下がる時に、今度は目に映るナイフが投げられる。頂点の存在が襲い来る。
 ――三本。
 刹那の間に考え、どうにかして最適な回避行動をとる。できるだけましなダメージにするために。
 右腕と左足に掠める。あまりにも鋭利なそれは、むしろ不思議なほど痛みを感じさせない。ほどなくして、じんわりと痛みが湧き出てくる。そうなって初めて、この傷は、掠めたというよりはなんとか致命傷は避けていた、というレベルのものであると理解できた。左足の傷はまだ問題ない、立てる。だが右腕は動かない。どんな傷になっているかなんて見たくないが、血が腕を伝わって手の先の方まで流れてくる。壁を背もたれにするようにしてなんとか立ち続ける。
「ふ、ふふ……なんとまあ規格外な力なことだね……」
 刀が皮膚に触れたまさにその瞬間に、刀の強度を落とされた――存在のランクを最低にされた。結果として、当然のように折れた、と……。正直、そこまで応用性のある司力だとは思っていなかったのだけれど甘く見ていたようだ。当然の報いだ。
「さて、ではレクお兄ちゃん。最後にメルちゃんに何か愛のメッセージはありますか?」
 笑顔だ。可愛く、そして――悲しい顔。
「……メルちゃん」
「はい、なんでしょう?」
「そんな顔をしちゃいけない。君は――いつも笑っているべきだ」
「――っ。……ですね、ごめんなさい」
 彼女はナイフを四本取り出し、そして。
 仰向けに、バタリと倒れた。
「そ、んなっ……これって……」
「そう、“君のナイフだよ”」
 今私がもたれている壁は、彼女が“見えないナイフ”を投げて刺さった場所だ。おそらくは刺さっているだろうナイフを、おそらく私は投げた。それだけのこと。投げる方でさえ、その存在を感じられないナイフは今メルちゃんの胸に刺さっているはずだ。
 血が流れて重くなった体を駆使して、彼女に近づく。心臓よりもやや下から血が滲んできていることから、その辺りに今も刺さっているのだろう。
 そして私は宣告する。けじめをつけるために。
「私の勝ちだ、メルちゃん」