Neetel Inside ニートノベル
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 4 警察―鳴海アキラ―

「おーい。鳴海くーん」
 ぺちぺち、と張りのいい音がして、アキラの意識は海面へと上昇していく。
 ゆっくりと目を開いた先には、珠子の顔があった。どうやらアキラを膝枕していたようだ。
「……なにしてるんですか?」
「膝枕。寝てたし」
「好きで寝てたわけじゃないんですけど……」
 アキラがゆっくりと立ち上がり、それに倣うように珠子も立ち上がる。
 珠子一人で駆けつけたようで、覆面パトが一台だけ入り口の角から覗いていた。しかし、慌てて侵入したのだろう。車のドアに大きな傷があった。しかし、せめてもの礼としてそれには触れないでおく。
「ここ……ホントに前原さんから聞いてた話通りだね」
 鬼――フェイクマンと骸骨の戦いの傷跡を見て、珠子はため息混じりに呟いた。
「……で。鳴海くんは、顔面潰しに出会ったんでしょ? どんなんだった?」
「ああ……。やっぱり人間じゃなかったです」
 胸ポケットからタバコを取り出し、くわえて火を点ける。
 紫煙を吐き出し、その煙を目で追いかける。
「なんだろう。特撮の敵怪人、って感じでした。リアリティが無くて、それでも不気味で」
「……それでよく助かったね。もしかして、前原さんの言ってた鬼?」
「フェイクマンって名乗る鬼に助けられました……でも、系統的には、あの骸骨の仲間っぽい感じもあって……」
「もしかして、裏切り者とか?」
「裏切り者?」
 フェイクマンが、元は骸骨と仲間だった?
 その様がまったく想像できず、アキラは珠子へ振り向く。
「ありえない話じゃないと思うけど? そもそも、そんな異常な化け物が、そうそう何度も出てくるわけないだろうから、出所は同じだと考えるのが自然じゃない?」
 アゴに手をやり、確かにそうだと珠子の言葉に納得する。
 しかし、頭ではそれが自然だとわかっていても、あのフェイクマンと名乗る鬼が人を殺していたとは考えたくなかった。自分の命の恩人だし、なによりフェイクマンからは心を感じたからだ。骸骨にはない心。それはなにより、仲間ではないという証明じゃないだろうか。
「水島さんの言う通りだと思います。……けど、私には納得できない」
 珠子は、後頭部で手を組み、覆面パトに向かって歩き出す。慌てて珠子に並ぶアキラ。
「――まっ、気持ちはわかるけどね。助けてもらったんだし、その恩人が悪人だったなんて、考えたくないよね」
 珠子の口から出たその言葉に、つい驚いて体が固まってしまう。
 そんなアキラを見ながら、彼女はにやにやと笑い「ポーカーフェイス」と言った。
「……水島さんて、本当は超能力者なんじゃないですか?」
「バカにしないでよ。経験と実績に裏打ちされた推理、って言って欲しいね」
 その言葉に苦笑しながら、アキラはタバコの灰を携帯灰皿に落とす。
「超能力、って言ってバカにするなって返されたのは、さすがに初めてです」
「……言葉が増えすぎるのも考え物だよね。私の推理も、超能力なんて陳腐な言葉にされるんだから」
 やけに芝居がかった口調で、アキラを指差す。
 ふざけた様で、どこか深い事を言う。よく考えれば勢いで言っているのはわかるのだが、それでも心に留めておかなくてはと思わせられる言葉だ。
 珠子が助手席のドア前まで走っていき、下手投げでアキラにカギを投げる。それを片手でキャッチし、ゆっくりと運転席側のドアを開けて乗り込む。
 続くようにして珠子も乗り込み、車はゆっくりと発進した。
「さて……どうしようか、鳴海くん」
「どうする……ねえ」
 手がかりはゼロ。顔(?)と名前が割れた分、前進したとも思えるが、それだけでは居場所までは割れない。
「今できることって言えば、やっぱり鬼の正体を探るところからじゃないでしょうか」
「そうだねえ。顔面潰しより、そっちのが取っ付き易そうだし」
 その時、アキラのケータイの着メロが鳴り出した。
 ズボンのポケットからケータイを取り出し、液晶を見ると、そこには平助の名前があった。ハンズフリーボタンを押し、珠子に持たせる。
「はい、鳴海です」
「今どこにいる」
 窓の外を見渡す。「桜木町駅の近くですけど……」
「ちょうどいい。今から、ヤクザの組潰しに行くぞ」
「へ?」
「タレコミがあったんだよ、芝山組から薬を買ったって匿名の。たぶん相当な関係者だな、すぐにでも組を強制捜査できる」
「わかりました、どこですか?」
 耳元に聞こえる住所に従い、アキラはハンドルを切る。
 それと同時に通話も切れ、珠子がケータイを閉じた。
「組を潰すのなんて、初めて」
「私もです……」
 鬼探しも大切だが、ヤクザを潰すのも大切な警察の仕事である。
 ある意味花形とも言えるその仕事に、アキラは少しだけ舞い上がっていた。もしかしたら、珠子もかもしれないが。

  1

 平助に言われた事務所は、関内にある。
 桜木町の隣に位置する、そこそこ大きな繁華街。
 桜木町に比べ、飲食店や雑居ビルなどが目立ち、スタイリッシュな桜木町、カジュアルな関内というのが、アキラの印象だった。
 その関内の大通りから、小さな道に入ってすこし行ったところに、暴力団芝山組の事務所がある。
 近くのタイムパーキングに車を停め、歩いて事務所の前まで行く。
 似たような雑居ビルが立つその一つの前に、平助が立っていた。電信柱に寄りかかり、タバコを吸っている。他にも、街にとけ込むようにしているが、あたりに何人かいるようだ。
「お、来たな鳴海……って、なんで水島もいんだよ」
 電信柱から背を離し、二人を見る平助。
「顔面潰しの調査で一緒にいたんです」
「どうも、平さん。私も一緒でいいですか?」
 毛の少ない頭を掻く平助。足手まといになると思っているのだろう。
「大丈夫ですよ平さん。私、こう見えても捜し物は得意なんで」
「遊びじゃねえんだぞ……ったく」
 勝手に動くなよ、と言ってビルを見上げる平助。
「ここの三階。そこが事務所だ。構成員は全部で十人。この時間は全員いるはずだ。いいか、抵抗したら公務執行妨害で全員しょっぴけ。こっちには天下の令状があるんだ」
「「はい」」
 アキラと珠子の声が重なる。緊張からか、二人とも少し上擦っている。
「うし、突入」
 その声で、街にとけ込んでいた警察官たちが姿を表す。
 アキラの目測より多い、八人程の警官が平助に続いて雑居ビルの階段を静かに上がっていく。
先頭を行く平助のすぐ後ろを陣取り、アキラと珠子は事務所のある三階へ。
 そのドアの前に立ち、ノブを握って後ろのアキラ達に目配せする平助。全員の頷きを確認すると、ドアを引き抜くような勢いで開いた。

「全員動くなっ!!」
 その大きな声と同時に、まるで砂時計の砂の様に大勢の警官が事務所内に吸い込まれていった。事務所内は、まさにVシネマの様な悪趣味さがあった。高級なソファや机などを置いているようだが、組み合わせがバラバラで『高いから揃えた』と言わんばかり。
 そのソファに座っている者や、ケータイで電話をしていた者など。入ってすぐの事務所には五人の構成員がいた。
 全員何が起こったのか正確に把握出来ていないような顔で、平助を見る。
「薬物所持、売買の容疑で強制捜査だ」
 ざわめく構成員達を他所に、警官達は慣れた風に事務所の収納を開けていく。しかし、それを黙って許すほどヤクザ達も大人しくない。一人の、金髪にパーカーの男が「ちょっと待てよオッサン」と平助の肩を掴む。
 その手を捻り、金髪の男を背負ったかと思うと、一瞬で床に叩き落とした。
 襟元を正し、平助は床で気絶している男を一瞥。
「公務執行妨害で逮捕だ」
「テッメェ……!!」
 その言葉が頭に来たのか、他のヤクザたちもすぐに平助達に殴りかかってくる。平助を守ろうと、警官達が前に出て乱闘が始まった。大勢の人間が殴り合うという初めての光景に、アキラと珠子はすぐに動くことができなかった。入り口の前で、ただ呆然としているだけ。
 ものの数分でそれは終わり、荒れた事務所をさらに警官たちが家探ししているその中心で、警官達に指示を出している平助に駆け寄り、アキラは軽く頭を下げた。隣では、アキラと同じように珠子も頭を下げている。
「いいさ。別に参加させるために呼んだんじゃねえ。見せるために呼んだんだ」
 平助の言葉に、すいません、と謝る。奥の部屋から出てきた警官が、平助を呼んだ。
「警部。奥にこの男が」
 その警官が引っ張ってきた男は、ワックスで髪を上げた綺麗なオールバック。痩せた体をしていて、紫の派手なスーツの胸元は開け、そこには金のネックレスが落ちている。
「へえ、ここの若頭、か。ちょうどいい。鳴海と水島があいつを連行してくれ」
「えっ、いいんですか。そんな大役」
 自分に務まるとも思えなかったアキラは、思わず聞き返した。が、平助は頭を掻いて「これくらい、子供だってできるだろ。今日役に立ってないんだ。これくらいはしろ」と苛立たしそうに言った。
「いや……でも」
「ほら、鳴海くん。平さんの言うとおりにしようよ」
 珠子に腕を引かれ、アキラは不安を隠さず「はい……」と言った。
 珠子に引かれ、警官から猛獣の手綱でも受け取るような慎重さで、五十嵐の腕を拘束している手錠を持った。意外に五十嵐は大人しくしていて、引っ張るアキラに従い歩いていた。その表情からは、捕まった悔しさというより、焦りが感じられた。
「水島さん。車取ってきてくれませんか?」
「あ、はいはい了解」
 敬礼して、小走りで事務所から出て行く。アキラも、焦らず強く引きすぎないようにその後を追って薄汚れた階段を降りる。
「ところで……」
 すると、突然五十嵐が声を出した。渋くて低い、任侠映画に出てくる男の声。
「刑事さん、お名前は」
「……答える義理はありません」
「安心してください。別に、どうこうしようってワケじゃあ、ありません」
「――鳴海アキラです」
「鳴海さんね。……つかぬ事をお聞きしますが、一ヶ月ほど前に、って女が、警察の厄介になってやしませんかね」
「風祭……?」
 それは、コーヒーベルトで聞いた名前だ。
 すぐにピンと来たが、警察の厄介になっていた記憶はないので、「いや」と首を振る。
「少なくとも、ウチの管轄内じゃ捕まってないはずですが」
 アキラも、すべての事件を把握しているわけではないが、もし風祭優がコーヒーベルトに出入りしていた風祭優なら、探偵という職業が目を引いて覚えているはず。
 階段を降り切ると、外では珠子が車の後部座席を開けて待っていた。
 五十嵐と共に後部座席に乗り込み、ドアを閉めると、車はゆっくりと前へ滑り出した。
「水島さん」
 運転する珠子は、アキラの声に振り返らず「んー?」と短い返事をする。
「ウチの管轄で、風祭優って人捕まってますか?」
「いや、捕まってないよ」
「そうですか……」
 珠子の言葉に、アキラは安堵と不安が混じったようなため息を吐いた。すると、その後ろで、五十嵐が真剣な声で言った。
「鳴海さん。……あなたを情熱ある警官と見込んで、頼みがあります」

  2

「……どう思う? あの五十嵐ってヤクザの話」
 五十嵐を署の地下にある留置所に連行し、二人は捜査一課に戻ってきた。
各々のデスクに座り、少しぼーっとしていると、唐突に珠子がそう言ってアキラをじっと見ている。
「どう思うって……有名企業AB社に、噂の真相を確かめるために潜入した探偵が、一ヶ月帰ってこない……。しかもその噂が――人間を拉致するって噂だけに、なんとか助け出してほしいって……」
「普通に考えたら、胡散臭い。まあ、捜査するなら、捜査令状とかで堂々と入れるけど……。警察は、そういう噂とかじゃ動けないし……。そもそも、その情報に信憑性なさすぎだし」
「五十嵐さんの話だと、もらったIDカードが通じたかららしいけど。確かに、一部が真実なら信じるな……」
 タバコを取り出し、くわえて火を点ける。
 紫煙を吐き出すと、珠子がその煙を目で追っているのが見えた。彼女はタバコを吸わないので、タバコを吸う心理がよくわからないのだろう。
「……タバコ、美味しい?」
「いや、美味しいとかで吸ってるわけじゃないけど……」
 タバコは、美味しいというか、やめられなくなってるというのが正しいだろう。
自分から手に取るというよりは、気づけば手にあるという感じ。
「それより、風祭優さんですけど……。なんの目的で拉致されたんでしょうか」
 手を組み、タバコの煙が漂う天井を睨む珠子。その視線から逃れようとするかのように、もくもくと煙が蠢いていく。
「……改造されてる、とか?」
「改造……?」
「そう! 悪の秘密結社に捕らわれた彼女は、復讐の為に戦うのだった!」
「アホらしい……」
「ムカつくなあ。……じゃ、鳴海くんはどう考えてるのさ」
「普通に考えたら、口封じだと思いますが」
「あ、そっか。……だとしたら、風祭優って子。危険じゃない?」
「……でも、一ヶ月以上経っていますし、口封じ目的なら、もう殺されてると考えた方が……」
 そうだよねー、と言って、床を蹴って椅子を回し始めた。
そんな彼女を横目で見ていると、デスクの上に置いていたアキラのケータイが着信音を鳴らした。
「その地味~な着信音、鳴海くんのでしょ~」
 台風と化した珠子の力の抜けた声に、「わかってますよ」と返事をして電話を取った。アキラの着信音は、最初からケータイに入っていた着信音1だ。
「はい、鳴海です」
「俺だ、山本」
「あ、先輩。どうですか、そっちは」
「ああ、その事なんだが……」
 電話口の向こうから、紙が擦れる音がする。
 なにかの書類をめくっている様だ。
「お前、AB社って知ってるか」
「あ、もしかして拉致とかですか?」
「……なんだ、もう知ってたのか」
 ぼりぼりと頭を掻く音がする。また毛の少ない頭を掻いているのだろう。
「風祭優って探偵が、AB社に潜入したまま帰ってこないんですよね?」
「ああ? なんだそりゃ、詳しく話せ」
 アキラは、五十嵐から聞いた話をできるだけ詳しく平助に伝える。
 芝山組から依頼を受けた探偵、風祭優がAB社に潜入し、そのまま一ヶ月近く連絡が途絶えているという事。
 五十嵐から、その風祭優の救出を頼まれたという事を。
「……その風祭優って探偵が、最後五十嵐に電話した時、警報が鳴ってたんだよな?」
「ええ、そう訊いてます」
「だったら、AB社と契約してる警備会社に通報が行ってるはずだ……。おい鳴海、お前ちょっとAB社に行って、警備員に話し聞いてこい」
「え、でも令状……」
「バカ野郎。聞き込みなら令状なんざいらねえだろ。んで、引っかかるとこがあったらそこを徹底的に突ついてこい」
「あ、はい!」
 通話を切って立ち上がり、珠子の肩を掴んで回転を止める。
「およ」
「ほら、行きますよ水島さん」
「え、どこに?」
「AB社にです」
 珠子の首根っこを掴んで無理やり持ち上げ立たせると、珠子はアキラの顔を見上げ、一言。
「拳銃持ってく? もし本当なら、危険なんじゃなーい?」

  3

 ランドマークタワーを横目にしながら、アキラと珠子は車でAB社に向かった。
 AB社のビルは、高さは五階程度とそんなに無いが、重厚感がある造りになっている。広い駐車場と門の豪華さが、この会社のレベルを語っているようだ。
 車から降りたアキラと珠子は、まず会社の入口を見る。
「あ、警備員がいるね。私、話聞いてくるよ」
 入り口前で手を後ろに組み、険しい顔をした中年の警備員を指差し、アキラに笑顔を向ける珠子。それだけ見るとまるでデートなのだが、胸ポケットに入った警察手帳が重く感じられた。
 珠子が警備員に駆け寄るのを見ながら、アキラはタバコを取り出した。
 くわえて火を点けると、空に向かって吐き出した。もくもくと雲の様に漂うそれを見ていると、ビルの最上階の窓に人影が見えた。
「……あれは」
 金髪と白衣が見える。後は遠すぎて見えないが、男性だという事もわかった。AB社の人間なのは間違いないが、どういう役職なのかはわからない。おそらくは技術的な面で働いているのだろう。
 なぜかその人物から目が離せず、じっと見ていると、その白衣の男もアキラをじっと見ていることがわかった。その瞬間、アキラの背筋が粟立つ。全身の血が一気に冷血と化したような寒さと、全身にナメクジが這っているような嫌悪感。
「死体を見た時より――気持ち悪い……!」
 口元を押さえて、思わず俯いてしまう。胃の中で渦巻く不快感をなんとか我慢しようとするが、胸の辺りまで上ってきた。もう駄目だ、吐いてしまう。そう思った時だった。

「鳴海くん? どうしたの?」
 珠子の声に引き摺られる様に、アキラは顔を上げた。目の前には珠子の心配そうな顔。
それを見ていると、気持ち悪さが引いていくようだった。ビルの最上階を見ると、もうあの男の姿はなかった。
「また気持ち悪くなったの? ……もう帰る?」
「――いや、もう大丈夫です。それより」
「あ、うん。聞いてきたよ。確かに一ヶ月前、警報が鳴ってるね。珍しいことだったから、警備員さんもよく覚えてるって。――でも、間違いらしいよ?」
「間違い……?」
 そんなバカな。では、五十嵐の証言は嘘だったのか?
 自問するが、答えは出ない。しかし、嘘とも思えない。五十嵐の口からだけでなく、コーヒーベルトでも風祭優という名前を聞いたからというのもあるし、そんな嘘をつくメリットがないから。
「こりゃあ、社内調べても無駄かなあ……」
 腕を組み、眉間にシワを寄せ、渋い顔を作る珠子。
 そんな珠子の体を無理やり回れ右させ、AB社のビルに向かって押すアキラ。
「うわっ、とと! なにすんの鳴海くん!」
 突然押されたからか、すこしバランスを崩しかける珠子に、アキラは力強い声で呟くように言った。
「無駄かどうかは、行ってみないとわかりません」
「……わかったよ。わかったから、押すのやめて?」
 その言葉に、アキラは手の力を緩める。珠子がアキラの掌から離れると、二人は並んで入口に歩いて行く。警備員に軽く会釈をし、透明な回転ドアをくぐった先にあったのは、広い吹き抜けのエントランスだ。最上階まで突き抜けているらしく、真上には透明な柵越に社員達が見える。アキラたちは、そのエントランスのちょうど中心にある受付に行くと、美人な受付嬢が「なにかご用でしょうか」と麗しい笑顔を向けてくれた。髪を乗せた耳から覗く、ハート型のピアスが特徴的だった。
「警察の者です」
 アキラは胸のポケットから、警察手帳を開いて受付嬢に見せた。麗しい笑顔が、途端に驚きの表情に変わる。
「え……ウチの会社で、なにかあったんですか?」
警察手帳を仕舞い、アキラは「いえ、まだわかりませんが……」とだけ。
「実は、失踪した人を探してまして。一ヶ月前の昼ごろに、警報って鳴りませんでした?」
「えー……っとー」
彼女は、こめかみに人差し指を当てて、記憶を探る彼女。
「ああ! はい、鳴りました。珍しいことだったんで、よく覚えてますよ。ウチって、医療とかゲノムとか、そういう技術面で発達した会社ですから。情報漏洩にはどこよりも気をつけてるんです。天使社長が秘密主義なもんで」
「なんで鳴ったか、わかりますか?」
「たしか――間違いだった、って聞いてます」
 やはり間違い。
 これでは、風祭優がこの会社にいたことが証明できない。
「ねえ鳴海くん。やっぱり無駄なんじゃない? ていうか、風祭優なんて人間、ホントにいんの? 私はそこから疑問だよ……」
 がくんと肩を落とす珠子の肩を叩きながら、アキラもその考えに毒されていた。
 しかし、そう諦めるわけにもいかない。できればこの会社を調べ終わるまで、諦めたくはなかった。
「すいません、ありがとうございました」
 受付嬢に礼を言って、二人はエレベーターで二階へと上がる。
 エレベーターのドアが開き、まっすぐ伸びる廊下を歩き、辺りの人間に話を訊く。
 しかし、警報が鳴ったことは知っていても、風祭優という人物について知っている人間は誰一人としていなかった。
「……もう帰りたい」
 階数は四階。「知りません」と聞いた回数は数えられないほどに達した時、珠子が疲れを感じさせるような掠れた声で呟いた。アキラも疲れていたが、ネクタイを締め直し気分だけでもリフレッシュさせてみる。
「もうヒールの所為で足痛い……。なんで女性の正装靴ってヒールしかないかなあ!」
 女性も思ってたんだ、とこっそりアキラは頷く。
ヒールって地面につく面積少ないから確実に足が疲れるような。
アキラは常々そう思っていたのだ。
「まあ確かに、もうここで出来ることってあまりないですね……」
 そう行っていると、進行方向から進んでくる押し車が目に止まった。灰色の作業服を着た二十歳そこそこの青年と、その作業着に縫われたAB社とは違う会社のロゴ。どうやら、AB社と契約している清掃会社のようだった。
「あの人に話訊いたら、一旦帰りましょう」
 珠子を置いてその青年に近寄り、「すいません」と声をかける。ニキビの目立つ、幼い感じの青年は、「はい?」と首を傾げる。
「すいませんが、一ヶ月くらい前の昼頃、この会社にいましたか?」
「え、ええ。当番ですから、多分……あなたは?」
「申し訳ありません、私、こういう者です」
 胸ポケットから警察手帳を取り出し、見せる。
 大体警察手帳を見せると、一般人は緊張で少しだけ背筋が伸びる。アキラの経験では、そうならなかった人間はいなかった。おそらく、警察という物の高圧的なイメージから来る物だろう。
「実は今、人を探していまして。風祭優という人物なのですが……」
 青年は、帽子で目元を隠すようにして、「えー……」と記憶の糸を辿っていく。
 そして数秒後、顔を上げる。
「そういえば、黒い帽子とベストの女の人が、そんな名前の社員証提げてたなあ」
「えっ……知ってるんですか!?」
 思わず肩を掴みそうになるが、なんとか抑え、青年の顔をじっと、焦りを帯びた視線で見つめる。
「一ヶ月くらい前仕事してたら、急に声かけられたんです。『この会社の噂、知らない?』って社員証が首にかかってたけど、社員なのに噂聞いてるの変だなあと思ってたし、その後すぐに警報が鳴ったからよく覚えてたんです」
「そうですか……!」
 これで、風祭優がこの社内に居たことは証明できた。
 アキラは珠子の方を見ると、彼女は笑顔でサムズアップ。

  4

 青年に礼を言って、二人はエレベーターに戻り五階へと向かう。
 社長、天使天に話を聞くためだ。
 風祭優がこの会社を最後に消息を絶ったのはもはや明らか。それなら、すべてを知っているであろう彼に話を聞くのが今すべきことだと考えたからだ。
 拉致という噂、実際に失踪した風祭優、そして先ほど見た異様な金髪男。その三つがアキラの中に暗く渦巻き、緊張を生み出していた。
 自分は今、危険の中に飛び込もうとしているのではないか、と。
 ちらっと珠子を見る。緊張を感じている風でもなく、ただじっと階数表示のパネルを見ていた。
 もしもの時は、自分が彼女を守らなくては。頭にその事を刻みつけると、間抜けなベルの音が鳴り、ドアが開いた。
 目の前には、十メートルほどまっすぐ伸びる廊下。
 レッドカーペットにステンレスのような壁。その先にある、壁と同色の自動ドア。
「……なんか、悪趣味」
 その言葉には、アキラも同感だった。
 素っ気なさと目立ちたがり屋の同居というその曖昧なバランスが、どうも一般人には理解しがたいセンスなのだ。
 そんな悪趣味な廊下を歩き、ステンレスの自動ドアに備え付けられたインターホンを押す。
 ブー、という呼び出し音が鳴ると、ボタンの上にあったスピーカーから、「どうぞ」という男の声。それと同時に、扉がスライドする。
 部屋の中は思いの外シンプルで、二十畳ほどの部屋に本棚が一つだけと、窓の少し前に木製の高級そうなデスク。
その場所に座っているのは、紛れもない、先ほどアキラが見た金髪の男だった。
「……おや、君たちは」
 男は水色のフレームという、すこし派手めなメガネを持ち上げ、にっこりと爽やかに笑った。
「先ほど、下にいたね。そして、そっちの彼は、僕と目があっただろう?」
「え、ええ……」
 先ほどのような不快感はまったく感じない。その事に少しだけ安心したアキラは、深呼吸して数歩踏み出す。珠子も、アキラの少し後ろで待機。
「あなたが、この会社の社長である、天使天さんですか」
「そうだよ。今後ともよろしく、えーと……」
「鳴海アキラです」
「後ろのお嬢さんは?」
「え、ああ、わたしは水島珠子です」
「へー、ふーん……」
 なぜか珠子の事を、上から下まで見回す天使。足先から頭まで数回往復すると、またにこりと笑う。
「キミ、いいねえ。僕の秘書にならないか? キミみたいな花が近くに居てくれると、仕事もはかどりそうだ」
「え、そうですか~?」
 照れているのか、体をよじる珠子。そんな彼女に、アキラはジト目を向け、「水島さん、仕事を忘れないでください」と注意した。
「おっと。そうでした……。残念ですけど、それはお断りさせてください」
「そうか、それは残念……。ところで、キミ達はなにしに来たのかな?」
 アキラは、警察手帳を天使に見せた。
 しかし、天使は「なるほど」と頷くだけで、特に目立った反応は見せない。まるで最初から全て知っていたようだ。
「僕になにか、聞きたいことがあったんだね。いいだろう。すべて偽りなく答えるよ」
 アキラは、タバコを取り出し、目配せで天使に吸っていいかの確認を取る。それに天使は頷いたので、一本取り出し火を点けた。紫煙を体の中に取り込み、それを活力に一歩踏み出した。
「……鳴海くん?」
 呼びかける珠子だったが、アキラはその声を無視し、天使の前まで歩いた。
「……風祭優って人、知ってますか?」
 そう訊くと、彼は鼻で笑って、アキラを見上げた。
「ああ、知ってる。彼女もいい素材だった」
 素材という言葉のチョイスが少し気になったが、おそらく見た目のことだろうと納得しておくことにした。それを訊くよりもまず、風祭優の身柄を優先するべきだと判断したから。
「――では、風祭さんがどこにいるかは知ってますか?」
「知ってるよ」
「……どこに? もしかして、この建物の中、とか」
「ああ、いるよ。……見るかい?」
 アキラは思わず、タバコを口から落としてしまった。
 デスクの上に落ちたタバコを、天使が拾い、ガラスの灰皿で火を捻り潰した。
「なにを驚くことがある。キミ達は、私が怪しいと思ったからここまで来たんだろう?」
「……いや、それはそうなんですけど」
「普通、そんな風に自分の悪事を告白する悪党いないって!」
「み、水島さん!?」
「はっ、はっはっはっはっは!」
 なぜか、大笑いで拍手まで始める天使。
 その半狂乱とも思える行動を、二人はただ黙って見ていることしかできなかった。
「なるほど、悪党か。なにも知らない人間から、見たら、そう見えるのかもしれないな」
 天使は立ち上がり、ゆっくりと、歩く気配を感じさせないような歩き方で、本棚に歩み寄る。そして、その中に入った本の一冊をさらに押し込むと、スイッチのように引っ込んだ。
「しかし、僕ほど平和を愛している人間もいないのさ」
 本棚の縁を掴んで引っ張ると、その本の側面には、指紋認証のパネルがあった。そこに人差し指をかざすと、本棚がドアの様に開いた。
 天使が手で二人を招いているので、とりあえず、アキラと珠子は天使の後ろに立った。
 その中には小さなエレベーターがあり、天使に促され、アキラ達はそれに乗り込む。
 天使がパネルを操作し、扉が閉まると、沈黙が訪れる。
 天使は機嫌よさそうに笑顔で居て、珠子はそんな天使を怪訝そうに見ていた。
 そんな状況が十秒ほど続き、扉がなんの音もなく開く。
「僕以外がここに来たのは、実験体を除けば初めてのことだ」
 靴を鳴らし、楽しそうにエレベーターから出ていく天使。
 しかし、アキラはまったく楽しく思えなかった。
 そこは、一言で言えば病院だった。真っ白な室内と、消毒液の匂い。しかし、無数にある培養液入りのカプセルが、そこを異形たらしめていた。
その無数のカプセルの中には、アキラを襲った骸骨達が入っている。
「が、顔面潰し……!」
 アキラのつぶやきに、珠子が「え、……これが?」と恐る恐る指を指す。
「へえ、外じゃ顔面潰しと呼ばれているのか。僕はスパルトイと呼んでるけどね」
「は……? スパルトイ? 呼んでる?」
 天使がくるりと振り向き、アキラの顔を見て言った。

「……なんだ、意外と情報を得てないんだな。このスパルトイは、僕が作った改造人間さ」

「か、いぞう……?」
「そう。スパルトイには、主に実験体を選別させている。もし使えそうなら拉致。使えなさそうなら殺す。僕は、そうしてこの兵士達を手に入れてきた」
「じゃ、じゃあ……こいつら……」
 その先は、恐ろしくて口にできなかった。
 この骸骨達が、元は人間だったなんて。
 それを考えると、腹の中にグツグツと熱い物がこみ上げてきた。たっぷり煮込まれたお湯のように、鍋からふきこぼれそうなほどの怒り。
「う、うええ……ッ!」
 そして、実際にふきこぼれた怒りは、吐瀉物となってアキラの足元に落ちた。
 天使はそんなアキラを、ただ微笑んで見ているだけ。
 口元を拭うと、アキラは天使を睨んで叫ぶ。
「天使……お前、こんなことして、なにがしたいんだっ!!」
 アキラの足がしなやかなバネに変わり、天使へと突っ込んでいく。拳を握り、それをヘラヘラと笑う天使の顔面向かって振り被った。
「なにがしたいか?」
 しかし、アキラ渾身の拳は、天使の掌に納まり、無力と化す。
「……僕はね、世界征服がしたいのさ。その為ならこれくらい、安い犠牲さ」
 アキラの拳を離し、また背中を見せて奥へと進んでいく。
「ああ、ちなみに」
 そういうと、天使は後ろ髪を持ち上げ、首筋を見せる。
そこには、何かのプラグを差し込むような、丸い差し込み口があった。
「僕も改造人間だ。これは改造された証のようなものでね」
 それを聞いて、アキラは納得していた。
 なぜ天使のような細い体で、警察官であるアキラの拳を受けられたのかを。
 確かに、改造人間であれば、あの骸骨と同等の力を持っていてもおかしくはない。
 となれば、拳銃だって意味を成さないだろう。
自分の無鉄砲さに、アキラはつくづく嫌気がさしていた。
「ほれ、鳴海くんらしくねえぞ?」
 いつの間にか後ろまでやってきていた珠子に、軽く後頭部を叩かれた。
「そりゃ、あいつのやってることはすげえムカつくけどさ。だからって今殴りかかっても解決はしないし。今は風祭さんのことだけ考えよ」
「……はい」
 怒りはまだ腹の奥で煮えているが、今はそれをしまうことにした。
 今優先すべきは、風祭優の救出。そして、それからこの男の逮捕。
 それをもう一度胸に刻み、天使の背中を見据えた。
「さて、……このカプセルだ」
 天使が指差すカプセルを見ると、そこには怪物ではなく、茶髪のセミロングに、身長百六十程度の女性がまるでフィギュアのように、全裸で入っていた。
「彼女が、風祭優だ。……出そうか?」
 アキラが頷くと、天使はそのカプセルに歩み寄り、根本にあるパソコンに何かを打ち込んでいく。
 すると、カプセルの天井から伸び、優の首筋に刺さっていたコードが抜けて、培養液が水かさを減らして行く。そして、ガラスが地面に引っ込み、風祭優が解放された。
「……鳴海くん、あんまり見ないように」
「わかってますよ」
 とはいえ、美人の裸である。堅物のアキラは目のやり場に困ってしまい、天井を見上げる他なかった。
「……風祭さんの身柄を保護。そして、天使天。あなたを監禁罪で逮捕します」
 普通は、そこで詰むはずなのだが、天使はなぜかその指摘は間違っていると言わんばかりに唇を歪める。
「……それは、彼女が監禁されたと認識している場合だろう? どうだい、優くん。私は君を監禁したかな?」
「……いいえ、私は、自らの意志でここに居ます」
「は、ああ?」
 その声は珠子の物だった。彼女は優に詰め寄り、「頭大丈夫?」と訪ねる。
「全裸にされて、あんなカプセルに入れられて、それがあなたの望みなの?」
「……はい。私は、天使博士の意のままに」
「……だめ。話しになんない。なんか催眠術にでもかけられてるみたい」
 催眠術、という言葉に、アキラは引っかかった。
 そして、天使の顔を伺うと、やはり勝ち誇ったような顔で優を見ていた。
「……なるほど。催眠術か」
「洗脳、って言ってほしいんだが……まあいいさ」
「博士。彼らは一体……?」
 アキラと珠子を交互に見てから、天使に向かって首を傾げた。
 天使は、そんな彼女に向かって、極上の、まさに天使の笑顔を見せて言った。
「ああ。敵だよ、僕らのね」
「……そうですか。では、排除します」
 優は、胸の前で両手のバツを作り、それを一気に腰へと納めて呟いた。

「変身」

 その言葉と同時に、彼女の体が変化する。
 皮膚は白く、顔には蓋骨のような目元を隠す仮面。骨が盛り上がって皮膚を貫き、外殻のようになっていく。
 その姿には、アキラも見覚えがあった。というより、今も他のカプセルに入っている顔面潰しによく似ていた。
「どうだ? スパルトイに似ているだろう?」
 天使の言葉には、アキラも頷く他ない。
 しかし、スパルトイは骨が強化され皮膚の外にはみ出したような姿だったが、彼女の変身後はスパルトイより化物感はなく、洗練された姿をしていた。骸骨の仮面と、骨を模した外殻を要所要所に貼り付けたような黒いプリンセスドレスを着ていた。
「彼女は、スパルトイの強化型。スパルトイ・クイーン。ヴァーユ」
 優が変身したヴァーユは、左の太ももにある白い拳銃を抜き、アキラに銃口を向けるや否や、トリガーを引いた。
 突然の事に動けなかったアキラだったのだが、弾丸は何故か頬を掠めただけでアキラの命までは奪わなかった。
「僕はね、フェアが好きなんだ。彼女という改造人間を持つ僕と、キミ達警察では勝負にならない」
 だからね、と一拍切り、天使は嫌味ったらしく、二人を見下したような顔で言った。

「キミ達は見逃そう。だが、今日から彼女を街に放ち、人間を選別させる」

「――ッ!」
 アキラと珠子の体から酸素が抜け、真空になる。
 恐怖や不安が一気に彼らの心を襲い、呼吸を忘れさせた所為だ。
「さあ、鬼ごっこ――いや、ドロケイの始まりだ。遊びと違って、悪役は反撃するがね。殺されたくなかったら逃げるがいい。だが、殺させたくないなら捕まえたまえ」
 その言葉と同時に、優――ヴァーユの姿がフッと煙の様に消えた。
 もう街に行ったのか、とアキラは急いで踵を返す。
「水島さん!」
「う、うん!」
 エレベーターに向かって走る二人。珠子はヒールだからか、すこし遅い。その遅さにイライラしたのか、アキラは珠子の手を掴み、引っ張ってエレベーターに飛び乗った。
「ああ、そうだアキラくん」
 天使の声を無視して、操作パネルの上ボタンを押し、閉のボタンを連打する。
「私はさっき、そちらのお嬢さんを秘書に誘ったが、僕はキミも欲しいなあ」
 ドアがゆっくりと閉まっていく。
 その隙間の向こうに見える天使の顔を見て、アキラはさきほど、駐車場で味わった不快感を思い出した。
 目玉がどろりと溶け出しそうなほどに潤み、三日月の様に歪む口元は、天使というよりも悪魔のそれに近い。

「力が欲しいのならまたおいで。キミなら、最高の兵士になりそうだ」

 かたん、と。扉が閉まったにも関わらず、アキラの瞳には、その向こうに居るはずの天使の嫌らしい笑みが見える気がした。
「――う……ぷっ」
 本日何度目かの気持ち悪さが襲ってきた。それと同時に、恐怖も。
 どうすればいいのだろうか。こんなとんでもない話を、実際に体験していない人間が信じてくれるとは思えないし、なにより信じてもらえたからといって何ができるのだろうか。
 アキラが見ただけで、が入ったカプセルは百個以上あった。
 拳銃が効かない、力は人間以上。そんな物を相手に、どう戦えというのだろうか。腰のホルスターにある拳銃の重みは、普段なら頼もしいのだろうが、今回に限っては酷く邪魔だった。
「なーるみくん」
 背中が少しだけ、暖かくなった。
 ちらりと背中を伺うと、珠子がアキラの背中を優しく摩っている。
「あたしにはこれしかできないけどさ。その……、御堂さんって人みたいには背負えないけど。背中摩ってあげるくらいならできるから。……頑張ろうよ、とりあえず、なにかをさ」
「……あ」
 何かを思い出したようなアキラの声と、エレベーターのベルは同時に鳴った。
 ドアに頭を預けていたアキラは、ドアが開いた所為でバランスを崩し、前に倒れていった。
「うわっ、鳴海くん!?」
 普段なら楽にバランスが取れるはずなのだが、アキラはなぜか重力に抵抗しないまま、あっさりと倒れた。
「だ、大丈夫、鳴海くん? 鼻から行かなかった?」
「え、ええ。大丈夫です……」
 なんとか珠子の声に応え、ゆっくりと立ち上がるアキラ。
 しかし、急いでいたはずなのだが、なぜかアキラは動こうとしない。
「鳴海くん、急ごうよ。じゃなきゃ、風祭さんが人殺しに……」
「いや……、その前に。行くところがある」
「なにそれ。どこ?」
「喫茶、コーヒーベルトに」

  5

 急いでAB社から飛び出し、アキラはパトランプを鳴らして、アクセルを思い切り踏み込む。幸い、平日の昼間なので、桜木町はそこまで車の通りもなく、普通より十分近くコーヒーベルトに来ることができた。
 二人は車を店の前に停め、コーヒーベルトの店先に立つ。
「……ねえ鳴海くん。さっきの話、ホントなの?」
「……多分。なにもしないよりは、マシというか」
「めちゃくちゃ行き当たりばったりじゃん……」
 まあ、いいか。どうせこの状況なら。
 珠子はそう呟いて、ヤケクソ気味に、髪をかきあげ、コーヒーベルトのドアを引いた。
 ドアベルが二人の来店を知らせ、カウンターの向こうから、薫が笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃい。――あれ、アキラくんか。さっきぶりだなあ」
「あの、すいません。御堂さんは……」
「春? ああ、春なら二階の自分の部屋にいるんじゃないかな?」
 ちょっと待ってね、と言って、バックカウンターにあった電話の子機を取り、数回ボタンを押して耳に当てた。すると、階段から無機質な呼び出し音が聞こえてきた。どうやら内線電話らしい。
 しかし、しばらくしてもその、音は消えないので、アキラは待ちきれず「すいませんが、上がってもよろしいですか?」と、奥の階段を指差す。
薫も子機の通話を切り、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「ああ、ごめんね。多分、寝てるのかも」
「春くんならいませんよ」
 階段から聞こえてきた声は、ノキの物だった。
 ゆっくりと階段を降りてくる彼女は、もう制服ではなく私服に着替えていた。
 前髪をピンクのカチューシャで上げ、ピンクと白のボーダーという可愛らしいキャミソール。そして下は黄色い半ズボンを穿いている。なかなか露出度の高い格好だ。
「さっき部屋見たら、いなかった」
「でも、降りてきてないけどなあ」
「あの……。今すぐ、御堂さんの居場所が知りたいんです。なんとかなりませんか?」
 苛立が募り始めたが、薫とノキにぶつけないように、アキラは細心の注意を払って喋る。
「ケータイに連絡してみるか」
 薫が再び子機の数字ボタンを押し、耳に当てるが、どうやらずっと呼び出し音が続いているらしい。しかし、その途中ノキが。
「いや、それより、ケータイのGPS確認した方が早いよ」
 ちょっと待って、と言って、ズボンの中にあったピンクのケータイを取り出し、女子高生らしい手馴れた操作で、すぐにその場所を口にしてくれる。
「えっと……。西区みなとみらい……。なにこれ? ビルからビルにすり抜けてる、みたいな……」
「は? ……ちょっと貸してくれませんか!」
「ど、どうぞ」
 ノキから投げ渡されたケータイの画面を見ると、そこには確かに早い動きでビルからビルへとすり抜けるように移動する赤い点があった。
「すいません、ノキちゃん。御堂さんのGPSデータもらいます!」
 アキラも、ノキに負けないくらいに素早く操作し、春のGPSデータを赤外線で受け取り、ノキにケータイを投げ渡した。
「おっとと。……なんかよくわからないですけど、春くんをよろしくお願いします」
「わかりました。行きましょう、水島さん!」
「ん」
 珠子の短い返事で、二人はコーヒーベルトから出る。
 騒がしいドアベルを背に車へ飛び乗り、アキラは思いっきりアクセルを踏み込んだ。
「ナビ、お願いします」
 自分のケータイを珠子に渡し、アキラは前だけを見る。
 動いていると、不安がどうとかはすぐに忘れてしまう。
 自分はそういう性分なのだと、少し思い出した。
 珠子の指示通りにハンドルを勢いよく切って、GPSの赤い点を追う。
 先程アキラが見たときは、クイーンズスクエアというショッピングモールの近くに赤い点があったのだが、今はもう横浜スタジアムの中ににいる。
 この二つは一駅分ほど距離があり、たかだが五分ではどうやっても辿り着けないはずなのだ。
 しかし、から桜木町方面に向かっていたアキラ達には好都合。コーヒーベルトから関内駅方面へと車を飛ばし、十五分程で横浜スタジアムへと到着。
 近くに車を停め、急いで降りる。アキラのケータイを確認し、珠子が呟く。
「……うん。この中に御堂さんがいるね」
「野球の試合もないのに……。まあ、とにかく。早くしないと風祭さんが……」
 オレンジ色のタイルを革靴で叩き、二人してスタジアムの中に侵入した。
 とはいえ、試合がない時にはほとんど人もいないし、出入りは自由みたいなもの。
 アキラ達がホームベース側の入り口からスタジアム内に入ると、芝生の上に鬼と骸骨がいた。
「風祭さん……と、もしかしてあれが……」
 珠子の指差す先にいる鬼を見て、アキラは頷いた。
 マウンドを挟んで向かい合う、鬼と骸骨。骸骨――ヴァーユは、左手でくるくると拳銃を回しながら、鬼――フェイクマンの様子を伺っている。フェイクマンも、ボクシングのように体を半身に構えていた。
 ヴァーユの持つ銃は、アキラ達警察官が持っている銃よりも一回り大きく、白い銃身と二つの銃口が特徴的だった。
「……素手で銃に挑むのは、不利よね」
「普通の人間同士なら、銃を持ってる方が勝ちで間違いないですが――今から起こる戦いは、普通じゃない」
 アキラの声がきっかけになった様に、改造人間二人が動いた。
 ヴァーユがトリガーを引き、銃口から雄叫びが聞こえ、弾丸が放たれる。
 しかし、フェイクマンはその弾丸が見えているかのように掌で叩き落し、ヴァーユに向かって突撃。
 それでも尚、ヴァーユは連射を続けるが、フェイクマンに銃は通じない。
「――切り替えますか」
 呟くと、彼女は発泡をやめて鬼を懐に迎え入れた。
「フ、ッ!」
 フェイクマンの右ストレートがヴァーユの顔を狙う。しかし、それは首を捻ることで避けられてしまい、代わりにヴァーユの銃が鬼の眉間に刺さる。
「しまっ――、!」
 ぱん、と命を奪うにはあっさりとした音が鳴り、鬼の体が仰け反った。
「み、御堂さん!?」
 アキラの叫びが、スタジアム内に木霊する。
 が、フェイクマンはそのままバク転のようにしてヴァーユから距離を取った。
「くっ……」
 右手でマスクを押さえるフェイクマンだったが、その視線はアキラを捉えていた。
「今……御堂さん、って」
 初めて言葉らしい言葉を発したフェイクマンに、正体を知りながらもアキラは少しだけ驚いてしまう。
「……ついさっき、もしかしたらって思ったんですよ。御堂さんににおぶってもらった時、首筋の絆創膏が天使の首筋にあった穴と同じ位置にあったな、と思って。それで確証までは行かなかったんですけど、今の反応で確証しました。あなたの正体」
「――そっ、か」
 フェイクマンはゆっくりと立ち上がり、顔を押さえていた手を退けて、顔の変身だけを解く。

 そこには、紛れもない御堂春の顔があった。

「まさか、バレるとは思わなかったなあ」
 イタズラを咎められたような、すこしショボくれた顔で春は笑った。
 寂しさを誤魔化すような春の雰囲気に、アキラの胸が少しだけ痛む。
「その、実は……」
 しかし、アキラの言葉の途中で、春は顔を変身しなおす。
「すいません、話はまた後で」
 そう言うと、春の視線がアキラからヴァーユへと向き直る。ヴァーユは、二人が話している間どうやら銃を弄っていたようで、「終わりましたか」と銃を構え直す。
「待っててくれて、ありがとう」
「いいえ。私は、そういう卑怯なことは嫌いなので」
 顔面潰しとは違い、なぜか人間味のあることを言うヴァーユ。
 改造されたのだから、そういう個性も消し去るのが道理ではないのか、とアキラは思った。
 フェイクマンの腕についている手甲のような形をした外殻の上部分をスライドさせると、そこから槍が飛び出した。勢い良く発射されたそれは、目の前に突き刺さる。
「それ、結構痛いから……」
 その槍を引き抜くと、バトンのようにくるくると器用に回し、柄を脇に挟んで構える。
「さあ、どうぞ」
 左手の人差し指で、ヴァーユを招くフェイクマン。
 それを再開の合図にした様に、今度はヴァーユから突っ込んだ。
 オリンピックの金メダリストだって驚くであろう、シャンパンのコルクが弾ける様なスタートダッシュで、一瞬で距離を縮める。
 牽制のつもりで、軽く三発ほど連射するも、今度は槍によってたたき落とされ、フェイクマンの体まで届かない。
「ハッ!」
 フェイクマンが槍をヴァーユに向かって振り降ろすが、それを銃で受け、右フックを鬼に叩き込む。
「っ!?」
 吸い込まれた様に見えるほど綺麗に決まり、回転しながら吹っ飛ぶ鬼。
「だっあありゃッ!」
 空中を投げられたペットボトルの様に舞いながら、フェイクマンは槍をヴァーユに向かって投げる。
 まさか槍を投げるとは思わなかったのだろう、一瞬驚いたように細い体が跳ねるものの、すぐにサイドステップで槍が飛ぶコースから飛び出す。
 しかし、その瞬間槍がショットガンのように弾け、その破片がヴァーユの右ふくらはぎを貫通する。
「っぐ……!?」
 うめき声を上げ、激痛の所為か前のめりに倒れるヴァーユ。
 必死に立ち上がろうと地面を押すがす、下半身に力が入らないのか上半身を起こすことしかできない。そのチャンスを鬼が逃すはずもなく、右拳に力を溜める。
「ふっ……、はぁぁぁ……」
 一気に息を吐き出すと、徐々に右拳が黄緑色に発光しだした。徐々に明るさが増していき、蛍光色の光は目を晦ますほどになった。
「あれは……!」
 アキラは一度、目の前でこの技を見ている。
 顔面潰しにトドメを刺した、あの技。そんなものをこの状況で受けたら、いくら強化型に改造された優でも死んでしまうかもしれない。そう確信したアキラは、腹に力を込めて、思い切り叫んだ。
「御堂さんッ!! その技は使っちゃダメだ! その人は、風祭さんなんです!!」
「……は?」
 信じたわけではないだろうが、驚いたのか発光が収まり拳が光を失った。その隙を突き、ヴァーユは腰に位置する外殻から弾丸を取り出し、銃に差し込んで鬼に向かって放った。
「――っ!」
 完全にヴァーユから意識を離していたのだろう。反応が遅れ避けるアクションすら起こせず、その弾が胸に直撃する。
 派手に煙が上がり、その隙にヴァーユはゆっくりと立ち上がり、アキラたちを一瞥してから、
 ケガをしていない左足で高く跳んで逃げて行った。
「御堂さん、大丈夫ですか!」
 煙に向かって叫ぶアキラ。
「……大丈夫っぽい。あれ、煙が異常に派手だから、多分煙幕だよ」
 冷静に解説する珠子。その言葉通り、ゆっくりと煙が引いていき、中からは防御姿勢の鬼が姿を表した。
「……あれ?」
 煙幕とはわからなかったのだろう。意外そうに鬼は辺りを見回し、逃げられたのだとわかると、膝を折り曲げてジャンプ。アキラ達の前に跳んだ。
 軽やかに着地した鬼は、徐々に人間へと姿を変えて行き、すぐ御堂春へと姿を戻した。
「……ふう」
 変身の疲れを吐き出すようにため息を吐く春に、珠子は一言。「すごいわね……改造人間」と呟く。
「いやあ、それほどでも」
 照れ臭そうに頭を掻く春。
「ていうか、俺からしたらアキラさんたちの方が……。なんで天使って名前知ってるんですか?」
「ちょっと、いろいろありまして……。ここじゃなんですし、一旦私たちの車に行きませんか?」

  6

 三人は、できるだけ目立たないようにして、スタジアムを後にする。
 炸裂した槍の穴など、戦った痕跡がいろいろ残っているし、見つかると面倒になるからだ。
 アキラの車の後部座席に乗り込んだ春は、「すいません、コーヒーベルトまでお願いできますか?」と運転席に座るアキラに、バックミラー越しで要求する。
「わかりました」とアクセルを踏み込み、ハンドルを切って元来た道をコーヒーベルトに向かって引き返す。
「……」
 車内には、気まずい沈黙が流れる。珠子はしかめっ面をして、爪で肘掛けをこつこつと鳴らしている。
春は下を向いて、時折なにかを言おうとして顔を上げるが、タイミングを測り損ねるのか、結局また下を向く。
「……えっと、まず、私達からから話しましょう。御堂さんは、聞く間に自分の話をまとめておいてください」
「……はい」
 気まずい空気に頭を押さえつけられたまま、春は呟いた。
「……私達は、まず、いま横浜で連続している殺人事件、顔面潰しの捜査をしていました」
「顔面……もしかして、スパルトイのことですか?」
「ええ、そうです。顔面を潰して殺すから、顔面潰し。後に、天使が改造人間にする人間を選ぶという役割が与えられていることがわかりました」
 頷く春。
「スパルトイは、多分改造できる条件の人間だけ拉致して、後は殺してるんだと思います」
 そう言ってから春は「詳しくは、知らないんですけどね」と付け足す。
 ということは、実際の被害者は警察が認知しているよりもいるのか、とアキラは思った。
「そして、捜査しているところに、スパルトイと遭遇し、御堂さんに助けてもらいました」
「いやあ。知り合いが襲われてるなんて初めてでした」
 そう返されると、なぜだか恥ずかしく思ってしまうアキラだった。春に助けられてばかりなのを、情けなく思っているのだろう。それを誤魔化そうと、頭を掻いた。
「……で、そこからいろいろありまして、とあるヤクザを逮捕し、風祭さんがAB社に侵入してから、消息を立っているという情報を得て、我々もAB社に行きました。そこで、彼女が改造されていたことを知りました」
「……それで、天使に会って、これのことを聞いたんですね」
 春が自分の首筋に手を回すと、穴の部分を突付いているのか、コツコツと固い音がした。
「迂闊でした。もうちょっと髪伸ばして、隠さないと」
「いや、普通ならわからなかったと思います」
 もし、自分が具合を悪くしなかったら。
 もし、五十嵐から風祭優の話を聞かなかったら。
 もし、天使に説明を受けなかったら。
 なにか一つでも違っていたら、想像もしなかっただろう。そのまま、何も知らずにコーヒーベルトに通っていたはずだ。最悪、出会わない場合だってありえたのだから。
「……で、私たちの話はそんなもんだけど。キミは話、まとまった?」
「え、ああ、まとまりましたけど……あなたは?」
「おお、そっか忘れてた。私は水島珠子。鳴海くんの同僚」
 よろしくねー、と後ろを向いて、春と握手する珠子。
「よろしくおねがいします。珠子さん」
「ん、改造人間の手もあったかいし柔らかいね」
「水島さん、そんな無神経な……」
 おそらく珠子に悪気はないのだろうが、すこし考えなさすぎではないだろうかと、アキラは注意を促す。自分たちにはわからない苦悩があるだろうし、注意するに越したことはないはずだ。しかし、春は気にしてない風に、そっと微笑んだ。
「気にしなくてもいいですよ。事実だし……改造人間って結構便利ですから」
「へえ、どう便利なの?」
「たとえば……食事しなくても平気とか」
「うわっ、それうらやま!」
「体重は変化しないんですけどね」
 仲良く会話に花を咲かせる二人を見て、呆れるような安心するような、微妙な気持ちになるアキラ。そんな場合でもないのだが、うまくやっていけそうだということには、すこし安心だ。
「え、じゃあもしかして、食事できないの?」
「いや、食べられはしますよ。味もわかるし」
「うっわ高性能! じゃあロケットパンチは!?」
「それはちょっと……」
「目を輝かせない!」
 この二人は、状況をわかっているのだろうか?
 途中まで別人だった可能性があると言われたら、アキラはあっさりと信じただろう。そもそも、目の前で変身解除されても春が鬼だったというのが、アキラにはあまり実感がないのだ。
「いいじゃんかよー、鳴海くんのケチー」
「そうですよアキラさん。まだまだありますよ。御堂春、二十六の秘密」
「いや……ていうか、まだ大事な話があるじゃないですか」
 ありましたっけ? と顔を見合わせる春と珠子。
 なぜ数分前の会話を忘れられるのだろうか、なぜ真面目に会話できないのか。というか、波長が合いすぎではないだろうか。うまく行くのはいいが、行きすぎて複雑な気分だった。
「御堂さんの話が、まだあるでしょう」
「ああ、そうでしたそうでした! 御堂春、二十六の秘密の一つ!」
 きゃー! と黄色い歓声で拍手する珠子と、その拍手に気持ちよさそうな顔で頷く春。
 この面子で、天使に挑むのかと思うと、不安が芽生えずにはいられなかった。

       

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Neetsha