Neetel Inside 文芸新都
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 寒風が肌に突き刺さる。もう夕暮れ時で、空は曇っていた。今夜は雪だろう。
 俺は積もった雪を踏みしめながら、ロアーヌの家に向かっていた。これからあいつを励まさなくてはならないのだが、気分はどこか浮ついている。酒屋で会ったサラのせいだ。
「いや、おかげと言うべきか」
 風。身震いしたくなるような冷たさだが、心は温かい。
 ロアーヌの家についた。ロアーヌの地位は将軍で、望めばそれなりの家も用意されるのだが、住んでいる家は質素なものである。これはメッサーナに居た時からで、あいつとしては住めれば何でも良い、という考えなのだろう。ロアーヌは、物欲や性欲に関しては、驚くほど淡白だった。
「ロアーヌ、居るか」
 声をあげる。今日は調練が休みの日である。あいつの調練は激烈なもので、時たま兵が死んでしまう事もあるらしい。だが、メリハリはつけているようで、休みの日は休み、と決めているようだ。
 しばらくしない内に、ロアーヌが戸を開けた。
「シグナスか」
「おう」
「何か良い事でもあったか」
 そう言われて俺は、心の中で舌打ちした。表情には出ないように努力したつもりだったが、ロアーヌには見破られてしまったらしい。
「まぁな。それよりどうだ。一緒に酒でも飲もうぜ」
 ロアーヌがちょっと考えるような表情を見せた。こういう時は、押し切る事だ。
「暇してんだろ。飲もうぜ」
 すると、ロアーヌは口元を緩めた。そして、黙ったまま道を開ける。俺は酒瓶を持ったまま、ロアーヌの家に入った。家の外見もそうだが、中身も質素なものである。生活に必要な最低限の物しか置かれていない。これは相変わらずだった。
 居間に入り、俺はロアーヌと向き合う形で腰を下ろした。
「お前と酒を飲むのは久しぶりだなぁ、ロアーヌ。この所は戦続きで、お互いに兵と共に過ごす事が多かった」
「あぁ」
 お互いの椀に酒を満たす。
「シグナス、礼を言う」
 飲む前に、ロアーヌが言った。俺が何の目的でここにやって来たのかを察したのだろう。
「あぁ、気にするな。今日はお前の愚痴を聞くために来た。と言っても、お前から喋る事はないか」
 そう言って、俺は声をあげて笑った。ロアーヌも口元を緩めている。
「戦で散った同胞達に、乾杯だ」
「あぁ」
 椀を合わせ、お互いに一口で呷る。そして、すぐに次を注いだ。
「先のピドナ陥落戦では、俺の部下も多く死んだ。本当に厳しい戦だった。ルイスが策を持っていたから良かったが、あいつが居なければ、たぶん俺の軍は壊滅していただろうと思う」
 本当にそう思った。俺は軍を動かす事が得意ではない。というより、先を見据えて動くのが下手なのだ。ある程度の予測は立てられるが、それに対する手持ちのカードが少ない。だから、どういう風にして動けば良いのか分からないのだ。この事をランスは見抜いているらしく、戦をする時は必ずルイスが俺と一緒に出陣するようになっていた。
 そして、そのルイスも俺の力量と性格をしっかりと把握している。だから、ピドナ陥落戦でも、やれる所まで俺にやらせたのだろう。俺の切羽詰まった動きを見て、敵軍も攻勢の勢いは緩めなかった。そして、それが要因となって、俺達は逆襲の機を得たのだ。
「軍学はしっかりと学ぶべきだなぁ。俺は今回の戦で、切実にそう思ったぜ」
「知識だけあっても駄目だ。サウスとの戦で、俺はそれを痛感させられた」
「経験か」
「あぁ」
 最も大事な事だった。これは、槍でも同じような事が言える。知識だけあったとしても、実際に食らったり食らわせたりしなければ、真の意味で理解など出来はしないのだ。物は言いようだが、下手な知識があるよりも、経験だけで育った方が強くなる事もある。俺は経験から入り、後から知識を身に付けた人間だったが、学んだ事でそんなもの実戦で使えるか、と思ったものは少なくない。
「サウスは強かったのか?」
「分からん。直接、刃を交えることは無かった。良いように引き込まれ、良いように戦闘能力を奪われた。そして、負けた」
「旗本を半数以上、死なせた、と聞いたが」
「あぁ。俺のせいでな。死んだ兵達は、さぞかし無念だっただろう。つまらぬ理由で、死なせてしまった」
「そいつは違うぜ、ロアーヌ」
 言って、俺は酒を呷った。
「俺はお前の部下じゃないから、正しい事は言えねぇ。だが、兵達は無念じゃなかったはずだ」
「やめろ、シグナス」
「お前は将軍だ。兵は、お前の部下だ。旗本は命を賭けて指揮官を守らなくてはならない。そして、この事に誇りを」
「やめてくれ」
「いいや、やめん。良く聞け。お前が兵達がどのような思いで死んでいったのかを語るのは傲慢だぞ。お前は指揮官だ。兵は、自分の任務を全うしたのだ。それを、お前が悔やむのか」
「俺が兵を死なせたのだ」
「そうだ。それは間違いなく事実だろう。だが、兵は任務を全うしたのだ。やるべきをやって死んだ。それを、お前が悔やむのか」
「死んだ兵を褒めろ、お前はそう言っているのか」
「そうじゃない。お前はサウスに負けた。ならば、次にやるべき事はなんだ」
 分かっている事だった。ロアーヌは全て分かっている。後は、気持ちの切り替えだけなのだ。
「サウスに勝つ事だ。それが死んだ兵への弔いでもある。だが、サウスは手強い。一戦を交えただけだが、それが良く分かった」
 ロアーヌの声が大きくなっている。感情を見せ始めたのだ。普段は物静かな男で、何を考えているのか読ませない所があるが、俺にだけはこういう一面を見せる時があった。しかし、これは稀な事だ。
「あいつは人の心理を操るのが上手い。絶妙な時機で前に出てきて、絶妙な位置で俺を誘い込んだ。老練な男だった。次、またやり合ったとして、勝てるかどうかは分からん。俺の経験が不足し過ぎているのだ」
 ロアーヌは相当な軍学を学んでいる。これはランスも認めていて、軍師も付いていない。これは遊撃隊だから、という理由もあるのだろうが、軍師が必要ないからこその遊撃隊だった。
「戦をする度に、強くなる」
 俺は、不意に言った。
「俺達はまだ若い。二十代半ばをやっと過ぎた所だ。だから、時がある」
「時があったとしても」
「ロアーヌ、お前は一人じゃないんだぜ」
 俺は、ロアーヌの眼を見ながら言った。
「全てを一人で抱え込もうとするな。俺が居る。俺とお前で力を合わせれば、サウスに勝てるかもしれん。経験で敵わないなら、別の所で勝つ」
 俺がそう言うと、ロアーヌが俯いた。僅かに肩を震わせている。
「虎縞模様の具足も、剣のロアーヌというあだ名も、ただの皮肉だった。俺の経験不足という一点だけで、それは皮肉に変わったのだ」
「お前の軍はメッサーナ軍最強だ。お前に経験が足りないと言うのなら、俺がそれを補ってやる」
 ロアーヌが顔をあげた。頬が濡れている。泣いているのだ。悔しくて泣いたのだろう。ロアーヌはプライドが高い男だ。負けた悔しさ、自分の力不足という事実に対する悔しさ。これらが、ロアーヌの感情の堰を壊したのだ。
「俺より軍学が駄目なお前が補うのか」
 目を真っ赤にさせて、ロアーヌが口元を緩めた。
「戦は軍学じゃねぇ。腕っ節の強さだ」
「さっきと言っている事が違うぞ」
 ロアーヌが言って、俺は声をあげて笑った。それに対して、ロアーヌが鼻で笑う。
「俺は、この負けを忘れる事はない。俺のために死んだ兵の事もだ。そして、次は勝ってみせる」
「サウスの他にも手強い奴が居るんだろうな」
「剣のロアーヌと槍のシグナスが、そいつらを叩き潰す」
「その意気だぜ」
 言って、俺は椀を差しだした。乾杯するのだ。
「俺は、良い友を持った」
 椀を合わせた。そして、一息に酒を飲み下す。
「お前、好きな女が出来たんだろう?」
 不意なロアーヌの言葉に、俺は思わず噴き出してしまった。

       

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