Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 俺はサラとの房事を終えて、夜風を浴びていた。空には雲がなく、多くの星が瞬いている。
「あの中に、俺の星はあるかな」
 こんな事を呟いてみるが、誰も聴く者は居ない。サラは寝床に転がって、未だに荒く息を吐いていた。
 俺は幸福だった。本当にそう思う。愛する者を手に入れ、その温もりに触れる。すると、心が安らぐ。それは何物にも代えがたい安らぎで、まるで母に抱かれる心地よさだった。これから子が出来れば、その安らぎはまた別のものへと姿を変えるだろう。いや、安らぎがまた一つ増えるのかもしれない。
 槍のシグナス。官軍時代からこの名は有名だったが、今では天下にその名を轟かせていた。これはロアーヌも同じで、俺とあいつはメッサーナの二枚看板である。だが、ロアーヌはこういう事には興味が無いらしく、とにかく自分の遊撃隊を強くする事ばかりを考えていた。
 戦に生きる男。それが、ロアーヌなのだ。俺はそれが羨ましくもあり、惜しいとも思う。あいつは人並の幸福を得ようと思っていない。そればかりか、排他しようとしているのだ。それが俺は惜しいと思っていた。だが、逆に排他する事によって、戦という一つのものに集中する事が出来るのかもしれない。俺にとっての幸福。ロアーヌにとってのそれは、戦なのか。
「あなた」
 ようやくサラが起きだして、側に寄ってきた。
「戦が近い。それまでに俺は、お前に子を成したい」
「槍のシグナスの子なら、男子になりますね」
「さぁな。戦は、俺の代だけで十分だ。戦が終われば、学問の時代になる」
 風が吹いた。側に立てかけている槍の穂先の布が、僅かに揺れる。
 俺は、子に武人としての人生を歩ませたくはなかった。戦乱の世で武人として生きるという事は、過酷すぎる事なのだ。それを俺は身をもって知った。俺は、たまたま槍が使えた。そして、たまたま天下随一の槍の使い手だった。つまり、運だったのだ。果たして俺の子に、その運があるのか。
「あなたの血を引く子です。だから、槍の才能はあるでしょう。それは男子も女子も関係ありません」
「まだできてもいない子の話だ、サラ」
「さぁ、それはどうでしょうか?」
「どうでしょうかって、まさか、お前」
 俺がそう言うと、サラが二コリが笑った。
「そうか。気付かなかった」
 男はこういう事に鈍感である。いや、男ではなく、俺という人間か。
「だったら、早く休め。身体を壊すなよ」
「まぁ。さっきまで乱暴に扱っていたくせに」
「そう言うな。男は荒っぽいもんだ」
「そうでしょうか? ヨハンさんはお優しい方ですよ」
「何、おまえ、ヨハンと」
 俺がそう言うと、サラはおかしそうに微笑んだ。
「何がおかしい」
「いえ、素直な人だなって思って」
「どういう事だ」
「良い意味で感情をすぐに表に出す。私があなたの好きな所の一つです」
 言われて、俺は舌打ちした。次いで顔を横に向ける。赤面しているのだろうが、暗闇でそれが見られる事はないだろう。
「先に寝ますね。あなたは顔色を元に戻してから寝た方が良いですよ」
 サラが、笑みを噛み殺しながら離れて行った。どうにもバツが悪い。俺の事を何でも知っているのか。
「勝手にしろ、くそ」
 吐き捨てて、再び空を見上げる。星は相変わらず輝いていた。この星空を眺めていると、今が戦乱の世だという事が信じられなくなる。
 そろそろ、兵の調練を厳しくし始めた方が良いかもしれない。俺はそう思った。今の調練は副官のウィルがやっていて、これは、はっきり言ってぬるい。今の実力を落とさない程度の調練内容なのだ。だから、現時点より強くなるという事がない。
 次の相手は、あのサウスだった。南方の雄として名を馳せ、ロアーヌの遊撃隊を打ち破った男。これまでの官軍と同列に考えていれば、こちらの足元を掬われかねない。だから、兵達は今よりも強くなる必要がある。
「気を引き締めねばな」
 結婚したという事で、俺には休暇が与えられていた。まだ休暇は数日残っているが、これは今日までだ。明日から、俺が兵達を鍛える。戦において、兵の練度は何よりも大事なのだ。ロアーヌのような苛烈な調練は別としても、サウス軍には負けず劣らずの兵に仕上げなくてはならない。
「戦が幸福、か」
 そんなロアーヌの心情を想いながら、俺は寝床についた。
 翌日、俺は朝廷へと出仕した。今のメッサーナ軍は、西のメッサーナと東のピドナを中心にして政治が執り行われており、西はランスが、東はルイスとヨハンが政治を担当していた。その中で、ヨハンだけは西と東を行ったり来たりする。ルイスは戦で力を発揮するタイプの人間らしく、政治を一人で取り仕切る事は出来ないらしい。
 政務室に入ると、ルイスが忙しそうに書類を捌いていた。ヨハンはメッサーナの方に行っているのだろう。
「肉欲はきちんと貪ったか、シグナス」
 こちらに顔も向けずにルイスが言った。相変わらず、忙しそうに書類を捌いている。
「あぁ、おかげさんでな。俺の玉袋の中身が空になったんで、出仕してきた」
「ずいぶんと早いな。下の方の槍は、大した事なかったか」
 俺は苦笑した。相変わらず、痛烈な嫌味だ。だが、俺は嫌いじゃない。シーザーなどは、こういう嫌味に対して激昂してしまう。
「槍の方じゃねぇよ。それなら、ロアーヌの剣より立派だ。大した事がなかったのは、袋の方だ」
 俺がそう言うと、ルイスが顔をあげた。僅かに口元を緩めている。俺とロアーヌのイチモツを想像して、少しばかり面白かったのかもしれない。
「ずいぶんと知恵が回るようになったな。戦でもそれを活かすようにしたらどうだ?」
「そいつはお前に任せる。戦場じゃ、俺は暴れる方が好きなんでな」
「副官のウィルが毎日うるさい。シグナス将軍はまだですか、とな。直接、言いに行け、と何度も追い払った」
「そうだったのか? 一回も来た事は無かったが」
「それはそうだろう。家の前まで行って、女の嬌声が聞こえてくれば、誰だって戸を叩きたくはあるまい」
 そう言われて、俺は頭を掻いた。サラの奴、そんなにデカい声だったのか。
「悪かったよ。もうやめてくれ。恥ずかしくてやってられん。もう今から調練に向かうぞ。他に何か嫌味はないか?」
「少しばかりやつれてる。今、ロアーヌと勝負したら負けるぞ」
「うるせぇよ、くそ」
 そう吐き捨てて、俺は政務室を出た。ルイスの奴、とことんまで言ってくる。
 そうして俺は、すぐに調練場に出向いた。ウィルが大声で兵達に向けて指示を出している。声がいくらか高いので、どこか迫力に欠けるが、それでも兵達は真面目に調練をこなしているようだ。
「おう、きちんとやってるな、お前達」
 声をあげる。兵達が、一斉に俺へと目を向けてきた。
「シグナス将軍っ」
 ウィルが言うと、兵達が次々に俺の名を呼んでくる。ウィルが俺の方へと駆けてきた。
「お待ちしておりました。本当にお待ちしておりました」
「たったの数日だぞ。何か変わった事でもあったのか」
「いえ、何も。ですが、シグナス将軍を皆が待ち侘びておりました。このまま、出仕されないのかと」
「大げさだ、馬鹿。兵達の練度は下がってないだろうな?」
「無論です。それが私の任務だったのですから」
「よし、なら俺が見てやる」
 言って、俺は少しだけ前に出た。たったの数日だが、身体を動かしていない。兵達を相手に、準備運動をするのも悪くないだろう。
「お前達、今からこの俺が全員をボコボコに叩き伏せてやる。そうして欲しい奴は、すぐに整列しろっ」
 そう声をあげると、兵達がニコニコと笑いながら整列した。それを見て、俺は舌打ちした。
「お前らと来たら。ウィル、仕切りは任せたぞ」
「はいっ」
 ウィルが笑顔で返事をした。
 やれやれ、と思ったが、俺の口元は緩んでいた。

       

表紙
Tweet

Neetsha