Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。抱くは大志
第十章 闘神

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 監視の目を感じていた。私がシグナス槍兵隊の副官となった頃からだ。おそらく、メッサーナの間諜部隊が動いているのだろう。
 初めての事だった。私は今まで、誰にも何も気付かれずに任務をこなしてきたのだ。所が、今回は監視をつけられている。どこかで何かを踏み違えた。要はそういう事で、これにはロアーヌが一枚噛んでいるはずだ。
 それでも私は平然としていられた。メッサーナの間諜部隊は、表立って動いているというわけではなく、あくまで監視だけをする、という事に専念しているようだからだ。おそらくだが、メッサーナはまだ何も掴んではいない。そして、私が監視されている事を、シグナスは知らないだろう。
 だから、メッサーナのやっている事は無意味だった。いざ、行動を起こす時には、あらかじめ潜ませてある部下の三百名を使う。あとは私が動くだけだった。
 シグナス槍兵隊の副官となって、暗殺に必要なものは全て揃った。それはシグナスの妻であるサラからの信頼であったり、他の兵や将軍達からの信頼だったりする。これらは目に見えないものばかりだが、だからこそ必要なものだとも言えた。表の世界の人間は、実よりも絆のようなものを信じる傾向があるのだ。
 シグナスは正面から対峙して殺せるものではなかった。第一に、強すぎる。あの強さに比肩しうるのはロアーヌだけだと言うが、私にはシグナスの強さはロアーヌ以上だと思えた。だから、正面から殺すのは不可能だ。表の世界の戦の事はよく知らないが、あの強さでさらに兵が周りに居る事を考えると、討ち取るのは至難の業だろう。強さ以外にも人望などがあって、表で殺すのはとにかく難しい事だと思えた。
 しかし、裏ならばそうではない。シグナスの持っている全てのものは、あくまで表の世界でのみ通用するものばかりだ。それは強さも例外ではない。裏の世界は、言ってしまえば何でも有りの世界だ。妻であろうが子であろうが、全てがこちらの武器となり得る。だから、裏でシグナスを殺す事はそんなに難しい事ではない。
 自分の手は穢れている。これまでに、拷問などもやってきたのだ。女を男の前で凌辱し、首を刎ねた事もある。当然、情報を吐かせたらすぐに男も殺した。他にも数え切れないほど、自らの手を穢してきた。
 だから、シグナスを殺す事も、殺す手段の事も、特別な思いは何も無い。
 私はピドナの市を周っていた。当然、この間にも監視は付いている。だが、堂々としていた。
 ある出店で買い物をした。買ったものは饅頭で、普通に銭を払った。出店の主人は私の部下である。こんな何気ない動作でも、きちんとした意味があった。
 今夜、事を起こす。抜かりなくやれ。そう指示を出したのだ。
 シグナス暗殺計画の始動である。まずはサラを餌にする。この餌に息子のレンを加えたかったが、今日はロアーヌの所に行っていた。ロアーヌは私を疑っている。だから、レンだけでも、と思ったのだろうが、無意味な事だ。その程度の事で、私の暗殺計画は狂わない。
 それから一時間もすると、ピドナ中が一気に騒がしくなった。三百人の部下が動き出したのだ。騒がしくなった、というのは私の感覚で、表では何ら変化のない普通のピドナである。
 メッサーナの間諜部隊は特に変化を見せていなかった。つまり、計画の始動に気付いていない。すでに私の部下はメッサーナの間諜部隊の背後に回っていて、すぐにでも始末できる状態になっているだろう。
 私はそのまま、調練場に戻った。
「おう、ナイツ」
 シグナスが笑顔で話しかけてくる。この笑顔は、数時間後には消えている。私は、そう思った。
 すでに陽は暮れかけていた。本格的に動くのは、完全に陽が落ちてからである。
「ちょうど調練が終わった所だ」
「はい。では、最後に」
 兵達の調練を終えた後、私はシグナスと立ち合う。これは日課のようなもので、おかげで私の槍の腕はかなり上がっていた。
 一時間ほど、シグナスとやり合った。当然、打ちのめされたが、これが最期か、という思いが強かった。
「よし、では帰るとするか」
 軽く息を弾ませながら、シグナスが言った。最初は息を乱させる事すら出来なかった。だが、今は違う。すなわち、それだけ私も強くなったという事だ。
「将軍、今日は飲みませんか?」
 私は何気なく言った。
 シグナスとはすでに何度か飲んだ事があった。それもシグナスの家でだ。
「別に構わんが。しかし、酒はサラの所のだぞ」
 サラの実家は酒屋である。しかし、酒を売っているだけで、飲み屋というわけではなかった。
「当然です。私もあの酒には惚れました」
「サラには惚れるなよ」
「まぁ、それは。第一、入り込む余地がありません」
「それもそうだな」
 言って、シグナスは声をあげて笑った。
「よし、なら俺は酒を買って帰ろう。お前は先に家に行っておけ」
「はい」
 全てが順調だ。私はそう思った。
 調練場を出た。すると、すぐに監視の目を感じた。同時に、部下の気配も感じる。メッサーナの間諜部隊は、それに気付いてはいない。
 鈍いな。そう思いながら、シグナスの家に向かった。
「ナイツです、サラさん。いらっしゃいますか」
 訪いを入れると、サラはすぐに出てきた。挨拶のつもりで、右手をあげる。
 始末しろ。そういう合図だった。すぐにメッサーナの監視の気配が消えた。部下の気配だけが周りに残っている。
「まぁ、ナイツさん」
「こんばんは。実は、シグナス将軍から飲まないか、と言われまして」
「そうだったのですね。でも、今からレンを迎えに行かないと」
 レンはロアーヌの所に行っている。本音としては、レンも手中に収めておきたかったが、これは仕方がない。多少の運はどうしても絡むのだ。
「息子さんはロアーヌ将軍の所ですか?」
「えぇ。たまに夫の代わりに面倒をみてくれて、レンも懐いているのですよ」
「そうですか」
「それじゃ、行ってきますね。すぐに戻ってくるので、上がっててください」
「はい。そうします」
 笑顔で言いつつ、すれ違った。刹那、サラが物のように倒れ込む。当て身を打ったのだ。
 すぐに部下が集まって来た。十名である。他の二百九十名は、タフターン山に潜ませてある。
 すなわち、タフターン山がシグナスの墓場だ。
 十名が馬を曳いてきた。気絶したサラをそれに乗せ、部下達も馬に跨った。
 そうして、私はすぐに酒屋の方に向けて走った。シグナスの歩いている姿を見止める。
「シグナス将軍、家が」
 息を切らせながら、私は叫ぶように言った。
「何だ、どうした」
「サ、サラさんが」
 その瞬間、シグナスが血相を変えて走りだした。
 家の前。十名の部下がこちらを見ている。部下達はシグナスに気絶したサラをわざと見せて、馬で駆け出した。
「貴様らぁっ」
 シグナスの怒号。
「将軍、相手は馬です。これで」
 シグナスの家から馬を曳いてきた。しかし、駄馬だ。あくまで農耕用の馬で、戦場で駆け回る馬ではない。
「この馬では追い付けん」
「将軍の馬はあの十名が奪ったのでしょう。ともかく、徒歩よりずっとマシです」
 舌打ちして、シグナスが馬に飛び乗った。すぐに駆け出していく。
 私はその背中を見つつ、自分の馬を曳いてきた。これは戦闘用の馬で、シグナスの駄馬とは比べ物にならない。私はこの馬で大きく迂回して、シグナスの前面に回り込むのだ。
 あとは時間との勝負である。ロアーヌが異変に気付くのは間違いないだろう。レンを預かっている。そのレンの親であるシグナスとサラが、いつまで経っても迎えに来ないのだ。
 しかし、十分に殺せる時間はある。そう思いつつ、私は馬に跨り、駆け出した。

       

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