Neetel Inside 文芸新都
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 右肩に突き刺さった矢は抜かなかった。抜くと、血が流れる。この状況で血を失うという事は、命を失う事に等しい。だから、矢じりだけを残して、俺は矢をへし折った。
「まずは右肩。私も将軍を簡単に殺せるとは考えていません。まずは四肢を奪います。それから、命」
 ナイツが言った。声は小さく、よく耳を傾けていないと何を喋っているのか分からない。俺の知っているナイツは、ハキハキと喋る快活な男だった。だから、今喋っている男はナイツではない。
 ならば、この男は誰なのだ。姿形はナイツそのものだ。だが、この男が発している殺気、全身からにじみ出ている武術の気は、ナイツのものじゃない。
 息が切れていた。何なんだ。一体、何がどうなっているのだ。ただ、分かっている事は、俺とサラが殺されかかっているという事だけだ。それも闇の軍に。
「お前は一体、誰なんだ」
 言っていた。俺の後ろで、サラの静かな呼吸が聞こえている。サラは、無事だ。俺が守っている。だから、まだ、かすり傷一つさえも負っていないはずだ。
「私はナイツですよ」
「違う。お前はナイツではない。誰なんだ」
「ナイツです。というより、少し前までナイツでした」
「どういう意味だ」
「私が誰であるかなど、もうどうでも良いでしょう、将軍? 要はあなたを消したがっている人間が居るのですよ。そして、私はあなたを消すためにここに居る」
「俺を殺して何の意味が」
「あなたは自分の価値を存じていない。あなたは人を惹きつける。いや、それだけではなく、勇気を与える。希望を与える。すなわち、稀に見る英傑。それが将軍、あなたなんですよ」
 言っている意味が分からなかった。何の話をしている。そうも思った。
「あなたは表の人間すぎる。影という影がない。もっと言えば、人間的欠陥がない。欠点であろうものも、大多数の人間からしてみれば、魅力の一つとして認識される。あなたはそういう人間なのですよ。そして何より、強すぎる」
「何の話だ。何を言っている?」
「このまま生かしておくには危険すぎる。だから、殺します」
 言うと同時に、ナイツが右手をあげた。
 刹那、木の幹から無数の殺気が溢れ出す。ほぼ同時に、殺気が動いた。敵が襲いかかって来る。全方位。
 もう何も考えなかった。槍だけに全てを込めた。命すらも、込めた。
 右肩に激痛。奥歯を噛みしめる。
「俺は、ここで果てるわけにはいかんっ」
 家族が居る。友が居る。部下が居る。君主が居て、大志を抱いている。俺には、守るものが多くある。俺が死んだら、これらを誰が守るというのだ。
 短剣。かわす。槍。真っ直ぐに、突き出した。風の音。敵の身体が螺旋状にねじ曲がり、吹き飛ぶ。
「なんという」
 ナイツの呻き声。俺は、槍のシグナスだ。こんな所で、死んでたまるか。死ぬには、まだ早すぎる。


 シグナスの槍は、尋常では無かった。私の部下達が、シグナスに近付く度に死んでいくのだ。それも、死に方が異常である。身体が螺旋状にねじ曲がっているのだ。シグナスの槍には気が漲っている。いや、命が漲っている。
 左手をあげた。矢を射込ませる合図だ。このまま接近戦を展開させるのは上策ではない。
 矢が、無数に射込まれた。しかし、シグナスはその全てを弾き返している。
 狙いをサラに変えた。シグナスが身を挺す。それと同時に、私は右手をあげた。接近戦の合図。部下が一斉に飛び込むも、その全てが螺旋状に捻じ曲げられ、肉塊となった。
 何なのだ、この男は。無敵か。それとも、伝説の闘神とでもいうのか。どうやったら、殺せるのだ。
 冷静さを欠いている。私はそれに気付き、一度だけ小さく息を吐いた。
 シグナスとて、人だ。だから、体力には限界があるはずだ。それにこちらにはサラが居る。サラはギリギリまで生かしておかなければならない。何故なら、サラはシグナスの枷なのだ。殺してしまえば、シグナスは野に放たれた虎になってしまう。
 サラを上手く使う事だ。そして、私自身が動く。
「将軍、槍の稽古、ありがとうございました」
 言って、走った。徒手空拳。私が極めた武術。
 シグナスの眼。澄み切っている。槍の間合い。来るか。そう思うと同時に、わき腹を抉られた。というより、削り取られたような感覚だった。刃は触れていない。シグナスの気が、命が、私のわき腹を削り取ったのだ。
「ナイツっ」
「将軍、あなたは言いましたよね。戦場で武器を無くすのは、死と同じだと」
 槍。かわす。しかし、気で身体の一部を削り取られた。それでも、構わず間合いに入る。
「それは間違いです。今から、私がそれを証明してみせます」
 槍の柄を掻い潜る。拳。突き出す。よけられた。石突きが飛んでくる。それを掠めるようにかわし、回し蹴りを放った。同時に矢。狙いはサラだ。部下は私の呼吸を知っている。ここぞという時に、矢を放った。
 刹那、金属音。シグナスは、槍で矢を弾き、私の回し蹴りを左腕で受けていた。
 化け物め。普通なら、この回し蹴りで絶命する。それをシグナスは左腕で受けた。だが、その時の感触を、私はしっかりと感じ取っていた。
「左腕の骨を砕いた。これで、あなたは右腕しか使えない」
 左手で矢を手掴みし、槍で蹴りを受けられていたら、立場は逆だっただろう。今のシグナスの槍は、それ自体が凶器なのだ。たとえ柄でも、槍で受けられていれば、私の脚など引き千切られていたかもしれない。
 しかし、結果はシグナスの左腕を奪う事になった。残るは右腕と両脚。その中の右腕は、肩に矢が突き刺さっている。
 運は、こちらにある。


 もう、何もかもが限界だった。ただ、死ねない。守り抜く。この想いだけで、立っている。糸が張り詰めていた。命の糸。気力の糸。体力の糸。何かの拍子で、これらの糸は断ち切られてしまうかもしれない。しかしそれでも、俺はまだ立っている。闘っている。
 ナイツの武は驚嘆に値した。なんと、武器が無いのである。己の身体そのものを武器とし、それも動きが一流である。シーザーぐらいなら、小細工なしでも殺せるだろう。俺も、一対一で、正々堂々とやってみたい。そう思うほどだった。
 しかし、今の状況。
「正々堂々もクソもないか」
 瞬間、ナイツの拳。かわす。槍を突き出す。だが、それもかわされた。徒手空拳と槍の間合いは違い過ぎるほどに違う。槍の間合いで闘いたいのが本音だが、サラが居た。サラから離れるわけにはいかない。ならば、あとは何とかして槍の間合いまでナイツを押し出すしかないが、押し出せる肝心要の機に矢が飛んでくる。つまり、ナイツと闇の軍が連携を取っているのだ。
 拳の間合いに詰め寄られる前にナイツを殺せなかったのが、痛い。あれが最初で最後の機会だった。あの時、絶え間なく続く矢のけん制さえ無ければ、ナイツは殺せたはずだった。
 だが、全ては終わった事だった。
 刹那、右脚に何かが入った。視線を落とす。矢だった。
「もう、痛覚さえ無いのかよ」
 笑みがこぼれていた。本当に、もう駄目かもしれん。そう思ったが、気力を振り絞った。まだ、俺は死ぬわけにはいかない。守るべきものがある。
 その刹那、馬蹄が聞こえた。一つのものか、複数のものかはわからない。だが、軍馬の馬蹄だ。
 ロアーヌか。ロアーヌなのか。いや、ロアーヌであってくれ。槍を振り回しながら、視線を向けた。
 敵の、騎兵だった。複数居る。
「念には念を入れます。あなたは強すぎる。矢、私の武術、そして騎兵。この三連携で、あなたを殺す」
 気が、滅入りそうになると同時に、憤怒が全身からこみ上げてくるのが分かった。

       

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