Neetel Inside 文芸新都
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 メッサーナ軍が、戦の準備に取り掛かっているという情報が入った。しかも、その矛先はこの北の大地である可能性が高い。
 情報を持ってきたのは、国の宰相であるフランツの従者だった。そして同時に、メッサーナ軍を蹴散らせ、という命令も持って来ている。
 私はフランツとは面識が無かった。何年かに一度、宰相と諸侯は会合をしなければならないため、何度か出頭してくるように命令はあったが、私はそれを拒否し続けてきたのだ。
 フランツと私は、どこか馬が合わない。というより、フランツの思想とは、である。彼の思想には夢がなかった。国の歴史を尊び、再生に腐心する。これは悪い事ではないだろう。だが、夢が無さ過ぎる。女のようにいつまでも一つの事に執着し、他の可能性には見向きもしないのだ。
 私は真っ直ぐに生きたかった。何にも捉われず、自分の意志で、自分の決めた道を、真っ直ぐに進みたかった。名門の家系でなく、普通の人間であったなら、それも出来ただろう。だが、私にはあの高祖父の血が流れている。そして、これは私の誇りなのだ。
 矛盾していた。自らの望みと、私の誇りは矛盾している。そして、これを考えると、出口のない迷路を彷徨っているかのような感覚に陥る。一体、どうすれば良いのか。自分はどうするべきなのか。まるで、心が淀んでいくかのように、私は苦悩していた。
 そんな時、私は空を見上げるのだ。空は広大で、どこまでも続いている。見上げれば、いつも違う表情を見せてくれる。そんな空を見ていると、心も透き通るのだ。
「どうするんだ、バロン」
 崖の上で空を見上げていると、幼馴染で副官のシルベンが背後から声をかけてきた。
「フランツの野郎の命令を素直に聞くのかよ」
 シルベンが馬に乗ったまま、話を続ける。上官を前にして乗馬というのは軍規に反しているが、今は二人きりだった。二人きりの時、私とシルベンはただの友人になる。
「北の大地は守る」
「相手はメッサーナだぞ」
「高祖父の作り上げた国だ」
「お前、本当にそれで良いのか? お前の鷹の目には、国の腐りが」
「分かっている。だが、私は軍人なのだ。名門の家系なのだ」
 シルベンの言いたい事はよく分かった。それに、この男は私の気持ちも知っているだろう。
 私は、この国をぶち壊してやりたいと思っていた。腐りきった国をぶち壊して、新たに国を作る。これこそが私の望みだった。私の思う、真っ直ぐな生き方だった。
 私は幼い時に汚いものを見過ぎた。祖父は役人に賄賂を渡して首を繋ぎ、父は役人どもの前で土下座までもやった。何も不正な事はしていないのに。ただ真面目に北の大地を統治していただけなのにだ。
 許せなかった。役人どもも、祖父も父も。役人どもは、腐りきった亡者だ。そして、祖父と父は、その腐りきった亡者にひれ伏したのだ。高祖父という偉大な血を受け継ぎながらも、二人は亡者にひれ伏した。これはつまり、血の意味など無いも同然だという事だった。
 だが、それとは別の所で、高祖父の血の尊さがあった。私にとって、血は誇りだった。弓騎兵という兵科は、私の中で最強だ。そして、それを作り上げた高祖父は、まさしく誇りなのだ。
 祖父と父は、間違っていたのか。亡者にひれ伏した事は、果たして間違っていたのか。これに対して、私は未だに明確な答えを出せずにいた。無闇に反抗すれば、それは要らぬ争いを生む可能性もあっただろう。だから、完全に間違っている、とは言い切れないのだ。だが、私の想いは。
 シルベンは、私の迷いを知っているのか。いや、理解してくれるのか。幼馴染とは言え、平凡な家系の生まれだ。名門である私の苦悩が、シルベンに分かるのか。
 シルベンは名門である私にも気兼ねない付き合いをしてくれた。これには感謝している。だが。
「バロン、もっと簡単に考えろ。お前はもっと素直に」
 シルベンが説き伏せるような口調で言った。その口調が、私の神経を妙に逆撫でした。
「黙れっ」
 気付くと、怒鳴っていた。
「お前に何がわかる。シルベン、お前には何も枷がない。だが、私は違うのだっ」
 もう止まらなかった。次々から次へと、思いとは別に罵詈雑言が口から飛び出していく。
「平凡な家系の出であるお前と一緒にするな。良いか、私は名門の生まれなのだ。凡人とは違う色んな重荷を背負っている。お前に何がわかるっ」
 肩で息をしていた。後悔に似た思いが全身を支配するが、もう終わった事だった。
「そうかよ」
 シルベンが馬首を返す。返す瞬間のシルベンは、無表情だった。
「将軍、とりあえず、俺は命令に従います。ですが、俺はメッサーナ軍とは戦いたくない。これだけは伝えておきます」
 言うと同時に、シルベンが馬腹を蹴った。馬が駆け出す。
 地面に目を落としていた。馬蹄だけが、どんどん遠ざかっていく。
 私は戦わなければならない。この北の大地だけは、何としても守り抜かなければならないのだ。そしてこれは、私の誇りを守り抜く事と同義だ。しかし。
「何故、何故、私は名門の生まれなのだ」
 私の誇り。高祖父の血。今は、これらがとてつもなく重い。
 メッサーナ軍とは、戦う。これは、決めた事だ。そう、決めた事なのだ。
 しかしそれでも、迷いの涙が、地面に滴り落ちていた。

       

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