Neetel Inside 文芸新都
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 俺はシグナスを自宅に招き入れていた。二人で昨日の商人について話し合うためである。
「俺は信用して良いと思ってるぜ、ロアーヌ」
 シグナスが何の事もないかのように言った。これ以外にも、商人に対する印象など、シグナスの意見はどれも肯定的なものだ。
「しかし、話がウマすぎると思わんか」
「まぁ、言われてみればな。しかし、東に行くには何らかのリスクが絶対にある。そして今回の件は、信用してしまえば、そのリスクがかなり小さくなる」
「お前の言う事も分かるが」
「ロアーヌ、俺はメッサーナに行きたい。タンメルに賄賂を支払ったという事を考えると、今でも吐き気がする。これを振り切るには、東の地で大成するしかないと俺は思ってる」
 シグナスが唇を噛んだ。その様子を見て、俺はただ腕を組んだ。
 正直な所、俺もあの商人の事は信用しても良いと思っていた。しかし、東に行くとなると全てを捨てなければならない。親から受け継いだ財産や家はもちろん、自分が育て上げた部下や従者のランドも捨てなければならない。この惜しさが、心残りとなっているのだ。だが俺は、これを言葉にできずにいた。
「シグナス、お前の気持ちも分からんでもないのだが」
「俺は全てを捨てるぜ、ロアーヌ。そうでないと、いつまでもタンメルの影がちらつく。あれは俺の中で戦だった。そして、負けた。だが、次は勝つ。勝つために、俺は全てを捨てる」
 シグナスは強い男だ。俺はそう思った。肉体的にではなく、精神的にだ。常に前を見ている。過ぎた事は過ぎた事で処理し、次にどうするのかを、自分の中で決めていく。そして決めたら、もう振り返らない。
 俺は小さな男だ。大事を目の前にして、小事を気にしてしまう。こういう時、シグナスの思い切りの良さが羨ましかった。
「ロアーヌ、行こうぜ。今回の件は信用しても良い。俺はそう思う」
 シグナスの眼の光が猛々しい。俺の背中を押そうとしてくれているのだ。
 今が決断の時か。俺はそう思った。シグナスはすでに決めている。あとは俺が決めるだけだ。いや、もう俺も決めているはずだ。あとは、言葉にするだけの事だ。
「あぁ、そうだな」
 そこまで考えて、俺は言っていた。言ってしまうと、何の事はなかった。大事なのは、これからなのだ。腐った国をぶち壊す。それを大志とする。そのために、俺はメッサーナに行かなければならない。
「礼を言う、シグナス」
「何がだ?」
 この返事に、俺はただ笑うしかなかった。そして、友とはこういうものかもしれない、とも思った。

 あれから数日後。いつも通り俺は、調練場で兵を鍛えていた。
 出奔の準備はすでに出来ていた。逃亡の身となるので、持っていく物は、剣一本と数日分の食糧に僅かな銭のみ、と決めた。おそらく、シグナスも似たようなものだろう。あとは、あの商人の言っていた役所の火災が起きるのを待つだけである。
 無論、俺の部下達や従者であるランドには、出奔の事などは話していない。悪い、という気持ちはあるが、仕方のない事だと思い定めた。
 不意に、外が騒がしくなった。
「火事だぁっ」
 この叫び声が耳に入ると同時に、心臓の音が聞こえた。あの商人の言っていた事は本当だったのか。まず俺はこれを思った。
「ロアーヌ、居るかっ」
 シグナスの声。振り返る。落ち着け。俺は自分にそう言い聞かせた。
「あぁ」
 返事をして外に出た。役所の方に眼をやる。煙があがっていた。黒い煙だ。小火ではなく、本格的な火事だ。
「ロアーヌ、手筈通りに」
「わかってる」
 互いに持ち場である調練場に戻った。兵達が僅かにたじろいでいる。
「お前達、俺とシグナスは火の様子を見に行く。煙から察するに、小火ではない。お前たちは水を用意しろ。火を消すのだ」
 兵達が返事をした。それに対して俺は頷き返し、外に出た。隣の調練場からシグナスが出てくる。
「急ぐぞ。東門から出る」
「落ち着け、シグナス。まずは俺の家だ」
 馬を二頭、ひかせてある。そこに食料もおいてあるのだ。
 走った。軍営を出て、家へと向かう。民達も、この騒ぎは何事かと外に出ていた。
 家についた。食料を確保して、すぐに馬に乗った。腰元の剣を確認する。シグナスは槍を右手に持っている。
「ランド、達者でな」
 馬腹をカカトで蹴った。駆ける。城門が見えた。いつもより見張りが少ない。火事の様子を見に行ったのか。
「止まれ、何用だ」
 そう言って、兵が道を遮ってきた。俺は何も言わず、剣を抜いた。兵と一瞬だけ、目が合った。兵が何か言いかける。それとほぼ同時に、兵の首が飛んだ。
「なっ」
 他の兵が、慌てて剣を抜いてきた。二人。場が殺気立つ。
「シグナス、こいつらはもう敵だ。容赦せずに殺すぞ」
「謀反人か、貴様ら」
「違う、大志を抱く者だ」
 剣を持ち、馬を飛び降りる。地に足が付く前に、相手の身体を縦に割っていた。もう一人。シグナスが馬上で槍を突き出す。槍の穂先が、兵の胸を貫いていた。
「再び、この地を踏む事はあるかな、ロアーヌ」
「ある。その時には、国は生まれ変わっている。いや、俺達がそうする」
 シグナスが、かすかに頷いた。
「急ごう」
 城門を出た。原野。ここから、俺とシグナスの新たな人生が始まる。

       

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