Neetel Inside 文芸新都
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 さすがにバロンの弓だった。タイクーンでなければ、間に合わなかった。もし、俺の馬がタイクーンでなければ、アクトの命は、バロンの一矢によって絶たれていただろう。
 バロンの弓騎兵隊が、原野を駆けていた。俺はそれを目で追いつつ、手綱を握り締める。
「タイクーン、やれるな」
 俺の言葉に、タイクーンは身体をぶるんと震わせた。
「よし。スズメバチ隊、出るっ」
 一斉に、千五百騎が動き始めた。虎縞模様の具足が、原野を駆け抜ける。そのまま、一直線に弓騎兵の後を追った。バロンとの約束を果たすのだ。すなわち、再戦である。
 前回のぶつかり合い。あの時に、互いにある程度の力量は掴んだ。部隊では、おそらくは互角だ。弓騎兵一万を前に、こちらは一騎たりとも脱落しなかったのだ。数の劣勢を考えれば、これは互角以上の戦いをしたと言える。ならば、指揮官同士ではどうだったのか。
 結果的には俺の負けだった。馬を射殺されたのだ。だが、馬が無事であれば、立場は逆だったのではないのか。あのまま行けば、剣の距離にまで持ち込めたはずだ。そして、そこまでやれれば、首を取るのはたやすかっただろう。だが、あの時はそれが出来なかった。結果として、俺はバロンの弓に屈したのだ。
 しかし、今はタイクーンが居る。タイクーンと一緒ならば。
 原野。弓騎兵に追い付き、並んだ。両軍の馬蹄が地鳴りのように響き渡る中、鋭気が肌を突き刺してきた。矢だ。飛んでくる。そう思うと同時に、馬首を巡らせた。刹那、矢の嵐が真横を突き抜ける。
 弓騎兵の横腹。見えた。距離が縮まっていく。
 その先頭にバロン。弓を構えている。前回はここで馬を射殺された。あれを経験とする。同じ過ちは繰り返さない。グッと剣を握り締めた。
 鋭気。矢。
「見えたっ」
 金属音。だが、同時に鋭気。矢だった。連射。バロンは連射が利くのか。剣を。そう思ったが、遅い。矢に貫かれる。
 その瞬間、矢が頬を掠めた。外れた。あのバロンが、ミスをしたというのか。いや、違う。
「タイクーン、お前が」
 矢をかわした。天祐(思いがけない幸運の意)ではない。タイクーンが自分の意志でかわしたのだ。馬が乗り手を守った。
 バロンがさらに弓を構えていた。タイクーンが駆ける。剣の距離へと導いていく。タイクーン、今度は俺がお前に応える。応えてみせる。
「バロンっ」
「ちぃっ」
 バロンが弓を収めた。もう間に合わないと判断したのだろう。バロンが腰元の剣へと手をやり、そのまま抜き放つ。
「俺と剣で勝負しようなどっ」
 ぶつかる。一合目。金属音。俺の一撃をバロンが受け切る。
 後方。スズメバチが追い付き、弓騎兵を蹴散らした。近距離に持ち込めば、弓騎兵は脆い。十五隊に分かれて、内外から崩しまくる。
 タイクーンが反転し、駆け抜ける。二合目。
「ホーク、お前の勇気を私にっ」
 バロンが吼えた。眼の光が強い。燃えている。バロンの馬が、突進してきた。タイクーンに怯まず、突っ込んでくる。
 ぶつかる。金属音。バロンの剣が、虚空へと消えていた。即座に反転する。首を。
「取らせてもらうぞ、バロンっ」
「そう易々と取れると思うなっ」
 短剣。バロンが抜き放っていた。ぶつかる。それと同時に短剣を弾き飛ばし、剣の束でバロンの胸を押した。バロンが姿勢を崩す。だが、馬から落ちない。ホークという馬が、バロンの態勢に合わせていた。
 そこをタイクーンが押す。だが、ホークも持ち堪えた。零距離。バロンが俺の右手首を掴んできた。剣を持つ手。これでは剣が使えない。
「往生際の悪い奴だ、武器無しのお前に何ができるっ」
「ロアーヌ、お前にだけは負けんっ」
「タイクーン、押せぇっ」
 叫んだ。タイクーンがグッと押し込む。ホークの足が揺れ、バロンの姿勢も崩れた。勝機。
 その刹那、バロンが腰元の弓に手をやっていた。この男、まだ諦めていないのか。だが。
「ちぃっ」
 バロンの舌打ち。喉元に、剣を突き付けていた。
「俺の勝ちだ」
 言ったが、息が弾んでいた、額には大粒の汗が浮かんでいる。それが頬を伝い、顎の下から雫となって落ちた。
「首を取れ」
 バロンが、低い声で言った。
「私の負けだ」
「お前には借りが二つある」
「知らんな。早く首を刎ねろ。私は敗者だ」
 バロンがジッと俺の眼を見つめてきた。恐怖の色はない。むしろ、闘志で眼が燃えていた。
「今のお前の首など何の価値もない」
「何? 侮辱するのか。この私を」
「違う。俺の中で、お前には借りが二つあるのだ。それを返すまで、お前の首には価値がない」
「詭弁を。私の弓騎兵を散々に蹴散らしておいて、その指揮官を討たないというのか」
「軍を引け」
「何だと?」
「軍を引けと言ったのだ。俺のこの行動がお前を侮辱したので言うのであれば、次で決着を付けてやる。次は、貸し借り無しの勝負だ。そのために、軍を引け」
 束の間、バロンと睨み合った。剣は突き付けたままだ。
 バロンが、唇を震わせた。
「後悔しないことだ」
 声を絞り出すようにして、バロンが言った。
「行け」
 言って、俺は剣を鞘に収めた。すぐに背を向け、駆け去る。同時に、バロン軍の太鼓が鳴った。退却の合図である。
 侮辱。バロンは、そう言った。俺は、あれほどの武人を侮辱してしまったのだろうか。あれほどの武人を。
 微かに、俺の心が痛んでいた。

       

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