Neetel Inside 文芸新都
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「良いか、レン。一度だけだぞ」
 私がそう言うと、レンは真剣な表情になり、ゆっくりと頷いた。調練場である。雲一つない晴天の下で、私は腰元の弓を手に取った。
「その弓で、父上と戦ったの?」
「あぁ、そうだ。そなたの父上は、本当に強い男だ。レンは、その父上よりも強くなりたいのか?」
「なりたい」
 そう言ったレンの表情は、真剣以外の何物でもなかった。執念すらも感じる表情だ。強さに凄まじいまでの執着を持っている。シグナスが死んだ事を、その心に刻みつけているのか。いや、刻み込まれてしまったのか。
「強くなって、どうする?」
「父上の代わりに戦う」
 この父とは、おそらくシグナスの事だろう。志半ばで倒れた無念さを、幼いながらによく理解しているのか。これは利発というより、感受性に優れていると言える。
 ロアーヌは、ただ黙って聞いていた。タイクーンに跨り、ジッとレンを見つめている。
「よく見ていると良い」
 私はそう言い、背の矢筒から矢を一本抜き取り、そのまま弓につがえた。
 レンが集中するのがわかった。この空気を張り詰めさせるほどの集中力。幼い子供のものとは思えない。やはり、シグナスの血を受けているのか。
 私も集中した。ずっと先にある的の中心。もう、そこしか見えない。戦に臨むような覚悟で、私は的を見つめた。視界が狭まる。集中力は研ぎ澄まされ、矢は離れる機を伝えてくる。
 放っていた。風の音。光を切り裂き、稲妻の如く迸る。次の瞬間、矢は的のど真ん中を貫き、そのまま吹き飛ばした。
「すごい」
 息を呑むようにレンが言った。
「他の兵隊さんは、的の中心に突き立てるのがやっとなのに」
「鷹という鳥を知っているか、レン?」
 私がそう言うと、レンは首を横に振った。
「鷹という鳥は、雄々しき鳥だ。誇りを抱き、大空を自由に舞う。そして、狙った獲物は逃がさない」
「絶対に?」
「あぁ、絶対だ。どんな遠くからでも、獲物を捉え、そして仕留める」
「たかのめ」
「そうだ。私は人々から鷹の目と呼ばれている。その理由が、この弓の腕という訳だな」
 六歳児には難しい話だったかもしれない。だが、レンの表情を見る限り、理解はしているように思えた。
「たかのめは、最初からそんなに凄かったの?」
「いや、そうでもないな。レンは弓が使えるようになりたいのか?」
「僕は槍が使いたい。次に剣。あと馬。あと弓も」
「残念だが、まだ弓が引ける身体ではないな。ご飯をいっぱい食べて、早く大きくなると良い」
「うん」
 レンは無邪気な笑顔を見せて、大きく頷いた。
 この私の弓を見た事で、レンの中の何かが変わるのか。六歳という年齢で、これ程までに武術に興味を示すというのは、どこか変わっている。強くなりたい。本当にそう思っているのだろう。いや、むしろ、本能として、強くなる必要がある、と感じているのかもしれない。
 しかし、本格的に武術を教え込むには、まだ幼すぎる。稽古レベルがせいぜいと言った所だろう。だが、今の内に出来る事もある。
「ロアーヌ」
 私が呼ぶと、ロアーヌは視線だけを私の方に動かした。
「レンに馬を与えたらどうだ?」
「まだ乗れん」
「いや、赤子だ。北の大地の子供は、馬の赤子と共に育つ。そうする事によって、自然と良い騎兵に育つのだ。兵になれない者でも、馬の気持ちをよく読み取れるようになる」
「赤子か」
「父上、僕も馬が欲しいっ」
 レンが声をあげると、ロアーヌはあるかなきかの表情を浮かべた。
「良いだろう。だが、きちんと世話をするのが条件だ。一日も怠ける事は許さない。それでも欲しいか?」
「うん」
「馬も生き物だ。心を持っている。これと通じ合うのは難しいぞ。それでもやりたいと思うか?」
「やる。僕も、父上とタイクーンみたいになりたい」
「よし、なら厩(うまや)に行こうか。世話をする馬は、レン自身が見て、レン自身が決めなさい」
 ロアーヌのこの言葉を聞いて、レンがワッとはしゃぎだした。レンは、馬に乗る事が夢だと言っていた。この夢に一歩、近付いたのだ。気持ちはよく分かった。
「やはり、レンは兵として育てるのか?」
 嬉しそうに走り回るレンを横目に、私は静かに言った。
「本人がそれを望んでいる。シグナスは、子を兵にはしたがらなかったがな」
「槍のシグナスか」
 一代の英傑だった。そして、その声望は、北の大地にまで及んでいた。天下最強の槍使いであると共に、剣のロアーヌと肩を並べる男。もし、まだ生きていれば、メッサーナは今とは違う形で歴史に台頭していただろう。そして、私とロアーヌも、もっと違った出会い方をしていたかもしれない。
「バロン、この先の戦いは、どうなると読んでいる?」
 不意に、ロアーヌがぼそりと言った。ロアーヌが自分から話題を振るというのは、珍しい事である。
「大将軍が動くな。メッサーナは、もはや地方の反乱とは呼べん勢力だ。能天気を人間にしたかのような王も、さすがに焦り出すだろう。あとはフランツの問題だ」
 フランツは全てを自分一人でやりたがる所があった。というより、人に任せておけないのだ。これは、自分がやった方が遥かに効率よく、しかも確実に出来る為である。だが、もうあの男も老年だった。老いを重ねれば、限界も見え始める。特にここ数年のフランツは、失敗続きだ。これが、どう影響するのか。
「レオンハルトか。伝説の男だな」
「私は、お前の方が優れていると思う。レオンハルトも、もう老いた。武神という異名は、すでに廃れたと言って良いだろう」
「俺は、まだサウスに勝っていない」
 ロアーヌが静かに言った。だが、声の底には激情が見えた。
「南方の雄か。軍備が終われば、次はコモン関所だろう。あそこを奪えば、天下に限りなく近付く」
 コモンには、サウスが居る。このサウスは、ロアーヌを二度も打ち負かした男だ。だからこそ、ロアーヌもサウスに対して、並々ならぬ思いを抱いているだろう。
「父上、はやくっ」
 そんな思考をしていると、レンの無邪気な声が聞こえた。

       

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