Neetel Inside 文芸新都
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 シグナスが微笑んでいた。だが、微笑むだけで、何も言わない。
 激しい喧騒の中、シグナスだけがずっと先に居た。背を見せて、顔だけをこちらに向けている。微かに笑みを浮かべているが、まるで遠い存在のように感じた。
 周囲がうるさい。まるで戦だ。金属音、馬蹄、悲鳴。戦だ。ここは、戦場だ。戦場なら、剣を振るわなければならない。俺は、剣のロアーヌ。シグナスの志を受け継ぎ、戦場を駆け抜ける。
 シグナスが、手を差し伸べてきた。その手を掴もうとした。だが、掴めない。シグナス、何故だ。
「何故だ」
 声をあげていた。起き上がり辺りを見回す。寝室だった。
「夢か」
 俺は額に手をやり、しばらくジッとしていた。
 初めて見る夢だった。シグナスが夢に出てくる事など、今までに一度も無かった。まさかとは思うが、何かを暗示しているのか。
 馬鹿馬鹿しい。俺はそう思った。たかが夢である。
 夜中だった。もう一度、寝ようと思ったが寝付けそうも無かった。
「シグナスが死んで、もう十数年か」
 ふと、そんな事を口に出して言っていた。俺は四十二歳になり、息子であるレンは十五歳になった。
 レンの稽古は、今でも続けている。だが、俺が教える事はもうほとんど無くなっていた。剣の方はまだ未熟であるが、槍はもう完成したと言っていいだろう。剣の方も、すぐにそうなる。こうなれば、あとは実戦だった。鍛練で辿り着ける境地というのは、やはり限界がある。実戦を経験し、修羅場をいくつか潜り抜けなければ、真の意味での完成とは言えない。
 修羅場。思えば、俺はシグナスと共に、数々の修羅場を潜り抜けてきた。あの男と共に、俺は戦場を駆けてきたのだ。
 シグナスと共に戦った日々。あの頃は若かった。南方の雄であるサウスに負けて、悔し涙を流した事もあった。今でも、あの時の事は鮮明に思い出せる。シグナスと酒を酌み交わしていた夜だった。シグナスは、俺を酒で元気付けに来てくれたのだが、あいつは女に惚れていた。浮かれ気分で、俺に会いに来たのだ。俺はそんな気分ではなかったというのに。
「まったく、ふざけた奴だった」
 口元が緩んでいた。だが、良い思い出だった。お互いに、足りない所を補い合う。そうすれば、勝てない敵にも勝てる。シグナスは、そう言ったのだ。
「生涯でたった一人の、たった一人の友だった」
 おそらく、これはこの先も変わらないだろう。そんなシグナスの手を、掴む事が出来なかった。夢の中の出来事とは言え、これはどことなく寂しい事ではあった。
 いつの間にか、寝入っていた。朝陽が眩しい。途中で起きてしまったせいか、眠りがどこか浅い。そう思いながら、俺は寝室を出た。
「おはようございます、ロアーヌ様」
 従者であるランドが、俺を見つけて頭を下げた。
「レンは?」
「もう朝食を済ませて、いつもの素振りをやっております」
「レンは未だに強くなりたい、と言っているのか?」
「はい。ですが、その理由が見えません」
「シグナスの仇を討ちたいのだろう」
 言ったが、本当の所は分からなかった。レン自身も、把握してないという感じがある。だが、理由というのは大事である。大きな壁にぶつかった時、その理由がしっかりしたものであるなら、それを支えにする事が出来るからだ。ここでいう理由は、むしろ大志と言い換えた方が良いのかもしれない。
 どの道、今のレンにはそれが欠如していた。レンは、メッサーナの中だけで育った。つまり、敵対する国の事を知らない。だから、強くなる為の理由と言うより、戦う為の理由を掴む事が難しいのだろう。
 国は大きく変わった。この短い時の流れの中で、国はその姿を大きく変えたのだ。だが、根本的な部分はメッサーナとは対を成している。すなわち、歴史を存続させるのか、ぶち壊すのか、である。
 俺は、ぶち壊す方に大志を見出した。もう、国の寿命は尽きた。全ての頂点に立つはずの王が、政治も戦も放り出し、遊び呆けているのだ。王がこれだから、下も腐る。腐っていない人間までもが、腐っていく。今の国は最後の力を振り絞って何とかなっているが、その力が消えた途端、国はまたすぐに腐り始めるだろう。
 レンは、そんな国の姿を知らなかった。
「やはり、一度は戦に出した方が良いのかもしれんな」
 戦に出して、力量を見る。これも一つだが、実際に戦を経験する事によって、間違いなくレンの視野は広がる。それぞれがそれぞれの正義を、大志を胸に武器を執る。そして、生死を間近で感じ取る。それが、戦なのだ。
 それに、レンはシグナスの仇を討ちたい、と常々言っていた。だが、その仇とは何なのか。その部分を、ハッキリとさせるためにも、レンには戦を経験させるべきなのかもしれない。
「父上、おはようございます」
 軽く息を弾ませながら、レンが部屋に入ってきた。剣と槍の両方の素振りをこなしてきたようだ。
「レン、戦に出たいか?」
 唐突に俺がそう言うと、レンの表情は僅かに緊張の色を見せた。
「はい」
「それは何故だ?」
「それを知りたいからです。俺は、自分でも少しは強くなったと思います。父上と向かい合っても、大きく退けを取るという事もなくなりました。ですが、強くなった先に何があるのか、まだこれを掴めていません」
 俺は黙ってレンの眼を見つめていた。純粋な眼だった。だが、人生の汚れは知っている。父の死という理不尽なものを飲み込んだ上での、純粋さだった。
「シグナスは、国に殺された」
「存じています」
「仇を討ちたい。だから、戦に出たい。お前はそう言わないのか」
「それは私憤です。戦は私憤でするべきではない、と思います」
 レンは、十五歳とは思えぬ程、達観している所があった。このやり取りもそうだ。レンには、必要以上に厳しく接してきた。これが、今のレンを形作っているのだろう。
 やはり、もう俺が教える事は無くなっている。レンを、次のステップに進ませる時が来た。
「次の戦、俺のスズメバチ隊の一兵卒として、出陣しろ」
 俺はいつもの口調で、そう言った。レンはジッと俺の眼を見つめ続けている。
 今のレンは、すでに一隊を率いる程度の力量は備えている。だが、俺はあえて兵卒として戦に出す。いきなり隊を率いれば、傲慢に繋がりかねないのだ。レンはまだ十五歳の童だ。きちんと順序は踏ませた方が良い。
「はい。父上、感謝致します」
 素直な笑顔を見せて、レンは頭を下げた。
 メッサーナは、国との決戦に向けて国力を蓄えていた。そして、それはもう終わる。メッサーナの全てを賭けた戦いが、もう少しで始まろうとしているのだ。すなわち、国と雌雄を決する時が近付いている。
 シグナス、お前の息子の初陣は、俺が見届ける。心の中で、俺はそう言っていた。

       

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