Neetel Inside 文芸新都
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 眠れなかった。眠らなければ、と思うと、余計に目が冴えた。だから、私は仕方なしにロウソクに火を灯し、地図に目を注いだ。
 朝、レオンハルトは丘の上に居た。丘の上で、我らの陣を見下ろしていたのだ。そのレオンハルトに向けて、私は一本だけ矢を放った。そのまま射殺も狙える距離であったが、成功はしなかっただろう。殺気を感じ取られる。それならば、威嚇をした方が効果は高い。ゆっくりと陣形を眺める事が出来るのは、一度きりだ。私は、矢でそう伝えたのだ。
 そのレオンハルトは帰陣すると共に陣を敷き、今は私達と睨み合う恰好になっていた。その陣は見事という他なく、戦線は膠着状態である。もっとも、まだ開戦すらしていない。要は、その開戦の機が読み取れないのだ。戦う姿勢は見せているが、何かが引っ掛かる。まるで、何かを待っているかのような、そんな不気味さが陣形から見え隠れしているのだ。
「バロン様、よろしいですか」
 ヨハンの声だった。正直言って、ヨハンにはかなり助けられている。とにかく頭が切れるので、細かい所などは安心して任せられるのだ。ただ、軍の指揮はそれほど得意ではないらしい。
「奇襲の備えはできておりますか?」
 幕舎に入ってきて、ヨハンはいきなり言った。
「歩哨は立てているが」
「二倍に増やした方が良いかもしれません。今夜は雲がかかっており、月が見えません」
 そう言われて、背に悪寒が走った。
「敵襲っ」
 幕舎の外からだった。
「まさか」
 言ったヨハンを押しのけ、私は弓矢を背負いながら外に出た。
 喊声と悲鳴。耳を貫く。舌打ちしていた。どこからだ。騎馬隊の方。奇襲。
 すぐに指笛を鳴らした。愛馬のホークが駆けてくる。そのまま手綱を掴み、私はホークに飛び乗った。
 火はあがっていない。直接、こちらに攻撃を仕掛けているようだ。遠目で見る限りでも、見事に統制が取れていて、逡巡もない。しかも、深入りしてくる気配も感じられない。奇襲に慣れている。いや、それだけでなく、全体の動きが速く、細かい。そして正確だ。簡単に崩せる所を素早く選び、そのまま崩して次に行く。ひどく効率的な攻め方だ。奇襲を知り過ぎている。指揮官は何者だ。
 思考を巡らせつつ、指揮圏内に入った。旗を振らせようとした瞬間、敵軍が一斉に背を見せて逃げ始める。
「なんだと」
 声をあげていた。私の姿を見止めた兵達はすでに持ち直し、臨戦態勢に入っている。
 追撃。
「駄目だ、バロン」
 言われて、振り返った。
「ロアーヌ」
「あれは餌だ。追撃をかければ、レオンハルトの本隊が動く」
 分かっている事だった。だが、良いようにやられたのだ。手も足も出ないまま、何をする事もなく、ただやられた。
「指揮官の顔は見たか、バロン?」
「いや。顔どころか、姿を見る事すらできなかった」
 とんでもない動き方だった。今までの官軍とは比べ物にならない程の、動きの良さだったのだ。しかも、奇襲だった。
 損害の報告が次々に入ってくる。戦闘時間は五分にも満たなかったはずだが、犠牲が思ったよりも多い。現時点で、すでに二百の報告だ。
「バロン様、すぐに陣形を変えましょう。騎馬隊の脆い部分を、衝かれたようです」
 馬で追い付いてきたヨハンが言った。
 脆い部分。そんな部分など、ないはずだ。いや、ないはずだった。
「バロン様が指揮を執るには難しい所を衝かれました。しかも、奇襲です。そこを」
 もうヨハンの言葉は耳に入って来なかった。とにかく、完膚無きまでにやられた。おそらく、レオンハルトが直接出てきた訳ではないだろう。今回はむしろ、ランスが言っていた、エルマン、ブラウ、ハルトレインの内の誰かの可能性が高い。
 天下最強の軍。その名は伊達ではない、という事なのか。
「とにかく、陣形を変えるべきです。騎馬隊の近くには、アクト将軍を配しましょう」
 アクトは冷静沈着な男で、慌てる事がない。確かに奇襲に対しては、相性が良い。だが、レオンハルトがもう一度、同じ手を仕掛けてくるのか。おそらく、奇襲はこの一度だけだ。今回の奇襲は、私達の戦意を削ぐ為の一手ではないのか。つまり、出鼻を挫く事が最大の目的ではないのか。
「バロン、考え過ぎるな」
 ロアーヌが、ぼそりと呟くように言った。
「奇襲は何度も仕掛けられるものではない。だが、警戒はしておいた方が良いだろう。ヨハンの言う通り、アクトを上手く使え」
「あぁ」
 ロアーヌにしては、よく喋る。私は、何となくそう思った。
「総大将としての重圧は、理解しているつもりだ」
 言って、ロアーヌはタイクーンと共に自陣へと駆け去った。
「ヨハン、お前が大将軍なら、次はどうする?」
「明朝に攻撃を仕掛けます。おそらく、兵達は今夜はもう眠れません。つまり、体力が回復しきらない。そこを狙います」
 私と同じ考えだった。まだ、いくらか冷静だという事だ。
「お前の策を聞きたい」
「明朝に攻撃を仕掛けてくる、という事を前提とした策ですが。まず、奇襲部隊を編成します。これは本当に奇襲をする訳ではなく、声だけの奇襲を仕掛ける為です」
「つまり、相手を眠らせない、という事だな」
「えぇ。隙が見えても、決して戦闘はさせません。誘いの可能性が高いですから」
 良い策かもしれない。直接的な被害は与えられないが、士気の低下には繋げられる。睡眠が足りていない戦闘というのは、予想以上に辛いものだ。これを相手にも課す事が出来る。
「よし、すぐに部隊を編成しろ」
 私がそう言うと、ヨハンが敬礼して馬で駆け去った。

       

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