Neetel Inside 文芸新都
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 やがて生徒が続々と登校してきて、二人の感情(正確には俺一人)が鬩ぎあっていた教室は、やかましい喧騒で埋め尽くされた。まったく、朝からよくこんなに元気あるな、こいつらは。
「おっす竜司! ビッグニュースだろ! 新堂さんが来てるんだぜ!」
「……ああ、そうだな」
 かのメールの送信者、朝倉が執拗に話しかけてくる。饒舌な奴だ。舌が回りすぎて千切れてしまうんじゃないかってくらい、こいつはよく喋る。クラスでも一、二を争うだろう。俺からしてはいてもいなくてもいい存在なんだが、どっちかというといなくていい。唾が飛んでくるから。あと、ビッグニュースではない。
 独り言のように話し続ける朝倉は無視して、奈津紀を見やる。どうやら奈津紀も奈津紀で同級生とくっちゃべっているようだ。こいつらから言葉を取ったら、いったい何が残るんだろうか。まあ、人間の一個体か。
 HRの時間だというのに担任はまだ来ない。これもあの時と全く同じだ。ということは、俺は「アレ」を阻止できるということになる。ほんの少しの勇気と、努力さえあれば。そう考えるとあのときの自分はよっぽど恐怖に戦いていたんだと思って、苦笑した。
 始業のチャイムが鳴る。と、同時に前の扉を開けて、初老の男性教師が入ってきた。担任の前村先生だ。最近めっきり頭の白髪が目立ってきている。表情こそは元気に振舞っているが、その目の奥に生気はない。それもそうだ。先生はついこの間、長年相伴してきた妻を殺されてしまったのだから。
 ……犯人は知れているが、俺の口からは言わないことにしておこう。
「それでは、朝礼を始めますね……」
 予想通り消えてしまいそうな声で、前村先生が細々と朝礼を進める。いつも大した内容は話さないから特に聞く必要はない、というかもう知っていることだろう。俺は一番後ろの席であるのをいいことに机に突っ伏す。朝礼中だというのに、喧騒は小さいながらもまだしつこく続いている。担任の話を聞く奴なんて、大体半数ぐらいだ。後は携帯をいじったり、隣の席の奴と話したり。私立の高校なんて、そんなもんだ。
 で、こういうときには大体、委員長キャラが痺れを切らして注意を促すものだが。
 このクラスの場合、ちょっと違う。委員長ではなく、ある人物がクラスの注意を引くのだ。
 そしてそれは、誰もが望まざる、最悪の行為。ふとした瞬間に――――そいつは動き出す。
「すみません、ちょっとトイレ行ってきてもいいですか?」
 そういって立ち上がったのは、奈津紀。何を考えているか分からない奥ゆかしい笑顔は、邪気を孕んでいるようにも取れる。
「ええ、構いませんよ」
 そして戦慄の引き金を引く前村先生。何も知らないのだから、しょうがない。そんなことを言っている間にも、あれよあれよと奈津紀は教室を飛び出した。気に留める人間は、俺以外には誰もいない。
 だからこそ、俺はこの道を選ぶ。
「先生」
 前村先生の目線がこちらに向く。
「体調が悪いので、保健室に行って来てもいいですか?」


 【存在しなかった過去】


「……どうしてここにいるって分かったの?」
 意味深な笑顔を浮かべたまま、奈津紀が訊く。その表情は、朝見せたものとは明らかに変わっていた。
「お前が考えそうなことだからな。その右手に持ってるものも」
「あっははは、やっぱり勘が鋭いねー竜司は」
 奈津紀は右の手のひらを見せ付けるように開く。握られていたのは、スイッチのようなものだった。既にスイッチは押されているようで、赤い凸の部分がへこんでいる。
「……それはガスか何かの起動装置か」
「ん、まあそんな感じかな。クーラーがついてて教室は締め切ってたし、そもそも一酸化炭素だからそこまで臭いも気にならないでしょ。今頃何人か倒れ始めてるんじゃないかなー」
「全く、お前の考えることはいつも奇天烈だな」
 クラスメートが殺されてもなんとも思わないって俺の精神も、どうかしてるが。
「それはそうと、俺がここに来た理由は分かってるな? 奈津紀」
「私を止める気なんでしょう?」
 妖艶な笑いを浮かべながら、奈津紀は目を見開く。ウサギを殺したときの、あの顔だ。暗闇のように深く黒い瞳は、少しでも気を抜けば俺を吸い込んでしまいそうだった。
「そうかもな」
 俺は勇気を振り絞って答える。あの時とは、もう違う。
「何を止めようとしてるかは、俺にも分からねえが」
 俺の言葉を聞いても、奈津紀は尚笑う。
 風の吹き付ける――――屋上の端っこの、柵の上で。

       

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