Neetel Inside 文芸新都
表紙

昨日ノート
四章 スーサイド・ノート

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 歯を磨いた回数は何万回。日付変更の回数は何千回。パソコンを立ち上げたのも何千回。セックスした回数は〇回。彼女ができた回数は〇回。
 自殺しようと考えた回数――――三十九万五千六百二十八回。しめて、俺の十九年間の歴史。
 LED電球が明々と点く部屋の中で、俺は四六時中パソコンの画面と向き合っている。引きこもっているかと訊かれると、微妙なところだ。大学には行っておらず、すぐに就職試験を受けて見事合格した。コンピュータ関連の仕事だ。そして今は、その作業の真っ最中。明後日までにプログラムを作って、提出しなければならない。新人試験みたいなものだと言っていた。……とは言っても、その内容は工業系高校に通っていた俺からすれば簡単極まりない。後数分もすれば、作業は終了する。ってか、こんなこと考えてる間に完成した。俺天才だな、ハハハ。
 両手を上げてんーっと伸びをし、俺は椅子から立ち上がる。ここ最近座りっぱなしのことが多いから、腰を捻るとパキポキとはっきり音が鳴る。これって骨の音じゃなくて気泡の割れる音だっけか。腰も痛いし、そろそろ整骨院にでも行こうかな。まだ十台だというのに、腰痛持ちとは参ったね。
 パソコンの横においてあるリモコンで、テレビの電源を入れる。時刻表示は午前五時。どうやら五時間も作業をしていたようだ。しかし眠くないのは、もうこんな生活に慣れてしまったからだろうな。やれやれ、俺の体内時計はすっかり夜型に切り替わってしまったみたいだ。
 窓際のカーテンを開けると、薄暗い夜空が次第に朝の姿に化け始めていた。点在する家の明かりは段々と消え始め、街と人々は起動を開始する。今日もこうして一日が始まるのだと思うと、なんだか感慨深くなってくる。こんな気分を味わえるなんて、徹夜も悪いものじゃないかもしれないな。
 ……………………
 まあ、今呟いた事が全て現実に起こっていたなら、俺は多少なりとも救われていただろう。
 俺は久世聖。今まで十九年間生きてきた中で、思い出深いことは特にない。小中学校時代はあまり記憶がないし、高校時代は友人が数人出来て、それだけだ。連絡を取り合うこともないし、卒業したら卒業したで一切出会うこともなくなる。つまり俺には、親友と呼べる友人が誰一人としていない。会社でも業務連絡ぐらいでほとんど話をしない。孤児だから親と呼べる親もいないわけで……本当に身寄りがない、孤独な人間の代名詞が「俺」だと言っても過言ではない。
 まあそれだけだったら、同じ境遇の人間は世界中にゴマンといるかもしれない。
 しかし、だ。俺の場合、不思議なことが一つある。ベランダに空腹少女が落ちてきたりとか、突然美少女メイドが押しかけてくるとか、そういう類のものではない。“俺”が明らかに異常なんだ。
 試しにベランダに出て、飛び降りてみる。生温い夜明けの風が体を押し上げるように吹いて――実際は俺が落ちているから風が吹いているように感じるだけなのだが――視界にははっきりと、アスファルトが目に付いた。今俺は、マンションの十二階から確実に飛び降りている。空気が吹き付ける眼球にも、迫りくる大地がしっかりと焼きついていた。…………それなのに。
 次の瞬間、視界がブラックアウトする。目の中に墨を注ぎ込まれたように視覚が真っ暗闇で覆われる。瞬きをしても切り替わらない光景は、徐々に白っぽい光で支配されていって、やがて、再び闇と化す。
「……これなんだよなあ」
 がばっと俺が身を起こすと、俺はベッドの上に横たわっていた。飛び降りて気を失ったところを誰かに助けられたわけではない。そもそも、ここは俺の部屋だ。さてさて、これが今まで何回続いたことか。
 壁に掛けてある時計を見やる。午前五時。“俺が自殺しようと考えた時間”と、全く同じだ。つまり俺は、自殺したにもかかわらず自殺する前の状況に戻っている。この間見た映画の用語で言えば、いわゆるタイムリープみたいなものだ。
 しかし、それはあくまでフィクションの話。この世界では、あらゆるものがノンフィクションである。それではなぜ、俺は自殺することが出来ないのか?
 違和感は、二つほどあった。
 一つ目。作業の途中で立ち寄った掲示板に立てられていた『もし昨日に戻れるとしたら、あなたはどうしますか?』というスレッド。俺はそこに『昨日に戻れたなら、俺はこれから死のうとはしていないかもしれないな』と書き込んだ。理由は至極簡単。
 昨日――――六月九日に、俺の後輩が自殺をした。
 まだ高校生だったが、唯一話が出来た友人でもあった。だけど朝のニュースで、そいつが自殺したと言う知らせを聞いて、俺は絶望した。世界に置いてけぼりにされるようで、とても怖かった。だから俺はそのうちに自殺をしようと決心し、そして今日の朝五時。自殺を試みようとベランダから飛び降りた。
 はずなのだが、俺はいまだに生きている。真実を言うと、さっきのも含め俺は三十九万五千六百二十九回自殺しようとした。しかしそのたびに同じ現象が起きて、俺はベッドの上に横たわっていた。何がなんだか、わからなかった。
 そこでもう一つの違和感に目が行く。自殺することを許されない理由の一つ。
 昨日コンビニに夕飯を買いに行ったときに、道端であるノートを拾った。別に拾わなくてもよかったのだが、高級そうでしかも真っ白だったので、遺書的なものに使えたらと、家まで持って帰った。そして、そいつは今も俺の部屋に居座っている。これのどこが違和感なのかと言うと。
 表紙に金の箔押しで打たれている文字が、『Yesterday's note』。
 昨日のノート、ということだった。

     


「正直に言え! お前が犯人なんだろう!」
 薄明るい中、まるで某裁判で逆転するゲームの主人公のように証拠品(?)に尋問する。しかし当然のことながら、ノートが返事をするわけがない。出来るわけがない、の方が適切か。ノートが喋りだした日には、俺の自殺回数は百万回を越えるだろう。「私を呼びましたか?」ほうらね、喋りだしてしまった。あーあ、これで俺の自殺回数も優に…………
「……………………」
 あれ? とうとう頭がおかしくなったかな? イマダレカノコエガキコエキガ……
「私を呼んだのかと、訊いているんです」
「うおおおおおっ!?」
 ――黒髪が、宙を待った。
 ふと後ろを振り向くと、それはそれは眉目秀麗でさらさらの黒髪ロングヘアをお持ちでありなおかつ頬の辺りは血色がいいのか淡いピンク色に染まっておりそしてそして極め付けには大人の妖艶さと挑発的な生意気さを兼ね備えたような漆黒の瞳! これぞまさしく、現代に生くる大和撫子ッ!
 みたいな考えが浮かんだが、面倒なのでこれ以上考えるのはやめにした。とりあえずは現状を把握することを最優先にして事を運ぼう。うん。そもそも初対面の女性相手にこの妄想はいけない。
「それで」俺が先に口を開く。「お前はいったい何なんだ」
「お呼びになったのはあなたではありませんか」
 大和撫子(仮)は、ピアノブラックの髪を揺らしながら言う。
「私はあなたがお持ちになっているノートの……所有者と言いますか、精霊と言いますか。まあそんな感じの存在です」
「ずいぶんと適当な存在だな」
「まあ精霊としておきましょう。私は今までに何度も、このノートを使用した人間を見てきました。もちろんあなたも、このノートを使おうと考えているでしょう?」
「ん、ああ。一応遺書にでも使おうかなと」
「それは少々無理なことですね」
「何だってえ?」精霊の即答に、俺は思わず声が裏返る。恥ずかしい。
「あなたはこのノートの表紙の文字は読めますよね?」
「あ、ああ。イエスタデイノートだから……『昨日のノート』もしくは『昨日ノート』だろう」
「その通りです。このノートに記された事項は全て昨日へ遡ることになり、そこで為すべきことが為されなければ永遠のその呪縛からは解き放たれません」
「待ってくれ。言っている意味がよく分からない。つまりお前のパンツは水色ってこと?」
「純白です」答えるのかよ。興奮するだろうが。
「そして私はあなたが『昨日』に遡り、すべきことを為すのをただただ見守るだけです」
「それについてちょっと訊きたいことがあるんだが」俺は精霊に問う。「昨日昨日つっても、俺がこれを拾ったのは六月十日になってからだぜ? 昨日に戻るって言うなら、六月九日に戻るんじゃないのか、普通は」
「そのあたりは概念の問題ですね。そもそも『昨日ノート』というのは通称であって、故に効力も昨日に値するとは限りません。人によっては一年前に戻ることもあるし、数時間前に戻ると言うこともあります」
「つまり俺の場合は、やらなければならないことをしないと永遠に時間をループし続けると」
「そういうことになりますね。私にはあなたが何をしなければいけないのかは分かりませんが」
「ふーん……」
 ずいぶんと現実離れした話だが、精霊とやらが見えている時点で信じるべきなんだろう。どうやら夢でもないみたいだし、俺が死のうとしても死ねなかったのは疑いようのない事実だ。となると、俺が死ぬと「昨日ノート」によって過去に飛ばされていたんだよな。つまり、俺には死ぬ以前にまだすべきことがあるってことなのか?
 しかし、それが俺の自殺の原因と直接結びつくとは考えられない。なぜなら俺の自殺原因は後輩が自殺したからで、それは六月九日の出来事だ。にもかかわらず、昨日ノートが俺を飛ばしているのは自殺しようとする少し前。それだと筋が合わない。俺がしなければならないことは俺の自殺とは関係のないことなのか?
「お前も俺が何をすればいいのか分からないんだっけか」
「そうですね。あなたが自力で見つけ出すしかありません」
「はあーあ、面倒くさいなあ……。とりあえずこのままじゃ死ぬに死ねないし、いろんなところ回って俺の心残りとかそういうのを探してみることにするか」
 俺はリビングに向かった。とりあえずは行きつけのカフェにでも行って、話を聞いてみるのがいいかもしれない。もしかしたら昨日ノートについて知っている人だっているかもしれない。思い立ったが吉日、早速行ってみるかな。


「ふふふ……単純ですね」
 久世のいなくなった部屋で、精霊は笑う。
「“それ”こそがあなたの行くべき道だということに、まだ気づいてなんて。人間はなんて愚かで、すばらしい生き物なんでしょう」
 精霊はノートを持ち上げて、口角を吊り上げる。
「まあそんな人間を救うのが、私たちの役目なのですが」
 そう言うと精霊はノートを抱え込み、三秒数え終わる間に、ノートとともに風となって、消えた。
 

       

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