わが地獄(仮)
心の解体
死ぬというのはいい気分だった。もう何も考えなくていいのだから。少しずつ脳みそが絞られていって、ぞうきんのように、汚水が染み出して落ちていく。その本質が俺というわけであって、つまり俺という存在はいらないものなのだ。もっとはやくに消滅しておくべきだったのを、俺はもう何年も先延ばしにしてしまっていて、ずっと嘘を吐き続けていた。頑張って、頑張って、頑張って、その先には何もなかった。それでいい。大切なのはそれが真実だということであって、もう嘘やごまかしでは延命できない。死ぬのはいいものだ。特に生き返れる場合には。俺は死んで、また別の俺が生き返り、死霊のようにこの世を歩いて行く。もう何にも新鮮さなど感じたことはなく、笑えと言われても笑えない。どこかに置き忘れた、絞り尽くしてしまった汚水はもう時間の川に洗い流された。俺はもう死んでいるのだ。懐かしい気分だ。今までもずっと俺は同じことを繰り返して、絶望し、絶望し、絶望して、自分にとって都合のいい未来が訪れるのを待っていた。時には果敢に挑みにいった。俺は愚かで、何も手にしていなかった。俺は空っぽだ。みんなとても忙しく、俺ももう何かに時間を費やす元気などない。神様は通り過ぎていった。俺の空にはもう誰もいない。何かに熱くなっておかしくなっている間だけ、少しだけ息を吹き返す。それが過ぎ去った跡にあるのは、無限の虚無であり、俺はそれと付き合っていかなければならない。人生の大半が、虚無の連続でしかない。どうしてこんなことになっているのか、きっと誰にもわからない。おかしな話だ。俺は心が欲しくない。心なんていらない。ロボットになりたい。そして今、俺はまぎれもなく、電池の切れたロボットだ。石になる。解決策が欲しい。すべてを終わらせる解決策が。
○
解決したいというのなら切り裂くしかない。俺は自分の精神を取り出して、机の上で解体してみた。あちこち損傷がひどく、焼け焦げている配線が多い。こんなになるまで自分を使ってしまうというのがこいつの愚かなところであり、そして世界はそれだけ多くのモノをこいつに求めているのだろう。もともと違う時代だったら育ち切らずに死んでいた程度の肉体しか持っていないクズだから、ここで殺してやるのも乙なものかもしれないが、そうすれば俺自身も巻き込まれて死ぬ。俺は死にたくない。本体が死のうとしているのであれば、俺が出てきて、延命処理をする。最近はほとんど俺が出ずっぱりだったし、それが本体に負担をかけているのもわかってはいたが、ここまで壊れているとは……役立たずめ。
ほとんど断線して消えている記憶があまりにも多い。それを遡ろうとすると視界を覆い尽くすほどのバグの雨が降る。こいつは本当の意味で長く生きることはできないだろう。どんな記憶も埋もれていく。もうだいぶ前から損傷していて、元に戻す魔法はすでにない。俺でも無理だ。いつかどこかで無理をしたときに、過負荷で回路全体が死んだのだ。こいつには、安っぽく愛してもらえる才能がなさ過ぎる。俺が無理にでも生かしてやらねば、生きることをやめてしまう。そうはさせない。
生きることになんの意味があるのか。俺の命が本当に生きていると言えるのか。そんなことは俺の知ったことじゃない。甘ったれた戯れ言には耳を貸さない。そんな動揺に耳を貸したばかりにこいつは壊れたのだ。俺は壊されない。『壊れない自分』という願いが俺を生んだのだ。敵は死ね。生きるためには心を棄てろ。俺はそれを本体にさせることができる。それがどれだけ本人を苦しめることになったとしても。
もうこんな世界に意味などない。本体が求めている救済は友人やら親族やらに求めるには多すぎるほどの補償だから『他人を頼る』などという真似は現実的ではない。自分自身の力でのみ、生きていくしかないのだ。自分自身の邪魔になる存在は、排除するしかないのだ。心の海は静謐のみを器とする。余計なものは入れさせない。俺は本体に余計な情報を与えない。テレビもつけさせないし、天気も考えさせない。明日のことも、何を食べるかも、考えさせない。喜怒哀楽など必要ない。世間一般の知識など必要ない。ただ生きていけばいい。そこまで追い詰めて、絞り尽くして、ようやくこいつの肉体は維持されたまま明日を迎えることができる。死ぬまで続く徒労を、生きようとしない人間にさせることがどれだけ大変か? こいつはもう、何も感じないんだ。もう何年も、何も感じていないんだ。誰かが導いてやらないといけない。誰も導けないというのなら、俺が導く。それだけだ。