Neetel Inside ニートノベル
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わが地獄(仮)
コーナーは難しい

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 楽しみにしていたゲームをダウンロードしてみた。流しで一気にやって、一日でクリアした。プレイ時間4時間。真エンドを見る気はない。動画で見た。
 まったくもってもったいない。でも、最初から楽しめる余地が俺の心にはないんだろう。何をやっても無駄。響かない。ガッカリするだけ。
 リングフィットは続いている。四日目。ドラゴを追いかけてひたすらモモアゲしている。普通にゲームとして面白い。スムージーが足りない。
 今日はステッパーもやったから300kcalは消費した。息が軽く上がる程度の運動。あまり何も考えなくていいし、レベルも上がっていくから嬉しい。成功体験。やっぱり成功体験は人生に必要だ。たとえ負け続けるのが真実だとしても。


 ドラマを見ている。
 俺はドラマの主人公が窮地に陥ると、子供の頃から敵対するやつらは皆殺しにすればいいと考えてきた。だいたい小学三年生くらいの頃には自分が死ぬか敵が死ぬかだと思っていた。クソガキだ。殺しておけばよかった。生き延びやがった。
 今でもドラマの主人公が窮地に陥ると皆殺しにしたくなる。相手の意見なんて必要ない。ぶっ殺せばカタがつく。
 でも、ドラマを見ていくと、悪いやつだと思ったやつがいいやつになったりする。
 俺の物語にはそれがない。
 非理解者は永遠に非理解者のまま。理解者は最初から理解者のまま。明朗決済で俺の物語は進む。だからそれが俺には居心地が悪い。窮屈だ。スピードはあるが曲がりきれないコーナリングのスポーツカーみたい。ぶっ飛ばすにはいい。でもレースには参加できない。コーナーが曲がれないのだから。
 いろんな意見を持つことが、物語には必要だ。それが変化につながる。
 だからいろんなキャラクターを多角的に登場させられる物語が羨ましい。俺にはそれができない。自分と違う意見を持つものは、自分を否定する可能性がある。危険だ。排除しなければならない。
 そんな思想に染まるまで、俺は人生で負けすぎた。たとえインチキでもいいから、もっと勝たないと人生はうまくいかない。結局は捨てられる。俺たちは消耗品に過ぎない。
 優しい物語が好きだ。最後は主人公がハッピーエンドで終わるのがいい。暗い物語は疲れる。
 生きるのが上手な人間の物語にはさっぱり入り込めない。生きにくさの中にある人間にしか感情移入できない。物語としての完成度よりも、どれほどの生きづらさを鮮明に描写しているかが大事だ。
 俺はいろいろ間違えた。うまくできなかった。残っているのはデブった身体だけだ。毎日首の贅肉で酸欠を起こしている。どんなに考えてもハッピーな考えが頭に浮かばない。もうハッピーなんてどこにもないからかもしれない。
 読もうと思っていた小説が、洗濯物に埋もれて消えた。家族の誰も、俺の小説を机の上に置いておくとか、二階に持ってきてくれるとか、気が利いたことをしてくれない。だから、俺は自分の小説では気が利くやつをたくさん出す。気が利かない人たちの中にいるのは孤独だから。思いやりに欠けているから。
 まともに生きている人たちが羨ましい。俺にはそれがよくわからない。
 俺は小説が好きだったんだろうか。よくわからない。小説が好きだったというより、好きな作者がいたというのが近いかもしれない。好きな作者がいないのに、読もうと思えるほど小説が俺は好きじゃない。目が滑る。
 どう頑張っても、どうにもならないことを、どうにかしようと無茶をするやつが好きだった。自分勝手で、独善的で、純粋な書き方。一発叩き込めばそれでカタがつくと知ってる切り返し。そういうのが好きだった。
 今はもう無茶をすると俺みたいに簡単に死ぬ。窮屈な世の中になった。
 俺たちみたいのが息をしていてもいいフロンティアがどこにも見当たらない。どれもこれもクリアされたゲームだ。何度もやる気が湧いてこない。
 それでも、この世界よりはマシだと思う自分がいる。
 この世界が本当に嫌いだから、俺は文章を書きたい。この世は本当にどうしようもないごみ溜めなんだと。生きるに値しないのだと。だから自由に好きなようにやっちまえばいいんだと感じたい。
 多角的な視点で書けるやつは、たぶん人間が好きなんだ。
 俺は嫌いだ。

       

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