Neetel Inside ニートノベル
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MCC社はいつも騒々しかった。
オデロンが入社した164年前(地獄暦)から、それはまったく変わることがない。
〈ネズミの聖人通り〉を抜けた先の一等地に、地獄洞窟の壁面を掘りぬいて
建てられたこの会社は、自社の発展と共に成長した町並みを見下ろし、
不機嫌そうにうずくまる年老いたチェシャ猫のように
新米悪魔を出迎えたのを、かれは今でもはっきりと覚えている。
真下にある〈ネズミの聖人通り〉はMCC社設立後、そこの社員たちの懐から、
なんとか財布をかすめ取れやしないかと集まってきた勤勉な泥棒たち――やつらは
商人だと言い張ってるが、芋虫炒飯が2銀貨もするものか!――と、
そのカモによって栄えた通りで、そう名づけたのは社長のゴホルジャイだった。
昔、獅子の姿で狩人の罠に捕まったときに一匹のネズミに助けてもらったことへの
恩返しに名づけたそうだ。オデロンが〈ネズミの聖人通り〉を通り抜けて、
会社の魔法で閉じられた自動扉を開けたときも、
今のように蜂の巣を突くような騒々しさがかれを出迎えたものだ。

辺りは撮影機材を抱えて走るクルーや、タレントと打ち合わせをしながら歩く
ディレクターなどでごった返していた。
オデロンが、たった今出てきたばかりのエレベーターにはもうすでに
スシ詰めのように悪魔が入っていて、ボタンをせわしなく何度も押している。
もともと平凡的な上昇志向しかもたないオデロンには、かれらが何を急いでいるのか
まったく理解できなかった。走れば疲れるし、汗水たらすその姿には
優雅さのかけらも見当たらない。入社した時点で、ある一定以上の給与が
保障されているのだから、気ままに仕事をしたらいいだろうにと、
ときには蔑視することもあった。
慌しく走り回る同僚たちを尻目にすると、ただ歩くというだけの行為が
とても甘い優越感にひたらせてくれるのも事実だった。
それはいつしか、かれの数少ない楽しみの一つになっていた。
オデロンはなぜ今まで気づかなかったのだろうかと後悔した。
かれらは今の自分なのだ。いつも走り回っている悪魔はいなかった。
走り回ってもどうにもならないやつは消えてゆき、次に新しい悪魔が走り出す。
“そうだったのだ。あいつらは打ち切り間近の番組スタッフだったのだ。
ちくしょう!おれはなんて愚かなんだ。そのことに早く気づいていれば、
この事態を未然に防げたかもしれないのに……”

オデロンは騒々しい廊下を一人、社長室での件を考えながら陰鬱に肩を落として歩いていた。
社長に告げられた内容は、実質リストラ宣言に他ならないとかれは考えていた。
ミミズ並みの慈悲でもあれば、3%にするべきなのだ。
だが一方では、自分でもそうするだろうとも思う。
今の地獄は不景気だ。
地上からは質の悪い魂しか落ちてこなくなったし、天使の締め付けが厳しくなったという噂も聞く。
そんな中で、ろくな数字も稼げないタレントを雇い続ける理由などないではないか。
そもそも、悪魔に慈悲を求めるほうが間違いなのだ。
オデロンはなんとか反論材料を考えようとした。
しかし、どうにもその試みは自分の状況の逼迫さをかえって露呈させるだけの
結果に終わってしまうようだ。
いつだって正論は厳しい。
かれは自己理性へのやっかみを飲み込んだ。

その後も考えれば考えるほど気分は沈みこみ、しまいには持病の胃痛がうずきだしてきた。
先日、オデロンを診た医者はストレスを原因に挙げていたが、あの診察料では怪しいところだ。
信頼を買うには安すぎる。
かといって、大金を払ってまたストレスだと告げられた日には目も当てられない。
憔悴しきったオデロンとすれ違う悪魔たちは、かれを冷やかそうか
迷ったりした者もいたが、結局はだれもかれに話しかけてこなった。
悪魔は常に、自分のことで精一杯なのだ。だれかをからかうときはきまって暇か、
なにか善からぬことを考えているかのどちらかだ。

見上げた廊下の壁には『飛行禁止』のポスターが貼ってあり、最近売れ出した
〈毒粉〉リリーの写真とともに社内規則が張り出されている。
リリー曰く、「狭い廊下での飛行は、あなたの寿命を縮めます」とのこと。
先日、当の本人が魔(ドラ)薬(ック)のやりすぎでトんでしまい、世間を騒がせたのはいい教訓となるだろう。
それでも彼女は数字をとれるタレントなのだから、オデロンの言えた義理じゃない。
“飛びすぎるのも問題だが、飛ばないのはもっと問題だぞ”

廊下の角を曲がると、その片面はガラス張りになっていて、地獄マグマから出る
赤錆色の光が差し込む中庭が見渡せるようになっていた。中庭では3人の悪魔が
楽しそうに昼食を獲っている。社内には食堂もあるが、あそこでは踊り食いが
禁止されているため、鮮度を好む者の多くは中庭に獲物を放して食事をする。
去り際に一瞥すると、耳まで裂けた口を大きく開けた悪魔が、
哀れなまだらトカゲを飲みこんでいるところだった。

ガラス張りの廊下を抜けて、さらに二回ほど角を曲がると、そこにオデロンの目的地が現れた。
袋小路の突き当たり、黒檀で作られたドアの上には
ネームプレートに、『オデロンズ・スタジオ』とある。
そこはささやかで侘しいオデロンの城だ。

MCC社では番組を持っている社員に、機材とクルー、専用スタジオを
一つ用意してくれる。そこでかれらは一致団結し、地獄の視聴者――退屈で死にそうなやつら。
主として悪魔全体にいえることだが――に娯楽性の高い暇つぶしを提供するという
仕組みになっている。もっとも、その全てが与えられた仕事を全うできるわけではない。
中にはスタッフ同士そりが合わず、翌日には全員行方不明になったり、
魔法の使用を誤り、スタジオそのものが無くなったりといった例もあり、
様々な理由で空き部屋も目立つ。もちろん、打ち切り(リストラ)でもそうだ。
視聴率が悪い制作グループは、番組を打ち切られスタジオから追い出される。
次に新人が入る。オデロンもそうやって入ってきた。
“ここの前任者がどういう結末を迎えたのかは知らないが、初めてこのスタジオに足を
踏み入れたときは、床一面に魔方陣(ラクガキ)がしてあり血と汚物でひどく汚れていた。
打ち切りじゃなさそうなんで験がいいと当時は喜んだが、けっきょくこの有様だ……”
オデロンは外れかかったプレートを直してから、ドアノブを握りしめ、それからゆっくりと回した。
日ごろから立て付けが悪く、ドアは老朽化の改善を音で陳情しようとやっきになっていたが、
オデロンはそれをうまくかわす術をすでに学んでいた。無視するに限る。

室内は暗く、暗闇が適度な湿気を含んでいて、今の気分に実によく合っていて心地よかった。
しかし、これからしなければならないことを考えると気が重くなり、
その余韻を十分に楽しむことはできなさそうだ。
オデロンはしぶしぶ明かりを点けることにした。悪魔が指を弾くと火花が飛び散った。
それは蛾のようにひらひらと火の粉をちらして飛んで行き、それぞれが備え付けの
獣脂蝋燭に羽を休めた。
たちまち部屋中に淡い光があふれ、獣脂特有の不快な香りが漂う。        
すると、馴染みのある悲鳴が聞こえて、オデロンの前に影が落ちてきた。
「悪いな。考え事をしてたんだ」
天井から落ちてきたそれに向かって、オデロンはバツが悪そうに言った。
「勘弁してください」と、その悪魔は頭を振りながらもぞもぞと立ち上がった。
「鳥目なんだよ」オデロンは肩をすくめた。
「それにしたって、あなたの大事な共演者を守ってるのは僕なんですから。
いいかげん、明かりを点けるときには一声かけてくれないと困ります」
コウモリ型のフードの下で、頬がふくれているのが見える。
バッドは小柄で齢こそ若いが、優秀な録音技師だ。
暗がりを好む性質で夜目もきくため、スタジオ内に残している共演者たちの
夜間の護衛もかね、ここに住み込みで生活させている。
オデロンは小さな抗議者をよそに、暗闇から浮上してきた、馴染みのある部屋を見回した。
カメラが乗った支持台や曲がったマイクロホンアーム。
バッドが直前までぶら下がっていた7番スポットライトに、その下に散らばる生活ゴミ。
ついに満席になることがなかった閲覧者席――最高は12人だ。その日はホプキンスの家族が
息子の仕事ぶりを見たいと脅しに来ていて――。
そして、『オデロン・ザ・マッドショー』の番組セット。
舞台袖の向こうからいつも閲覧者席を覗き見ては、観客の反応から、放送時の視聴率予想をしていたものだ。
ふいに胸の奥がむずがゆくなったような気がした。
“なんてこった。おれは過去に慰めを見出そうとしているのか”
「バッド」
かれのフードに付いた耳がぴくりと動いた。
「他のやつらを呼んでこい。全員だぞ」
小さな悪魔はオデロンの声に何かを感じとったらしく、嬉々として部屋を飛び出しいて行った。
かれは優秀な録音技師だ。だが、けして才能があるという訳ではない。
従順なことこそ優秀なのだ。
オデロンはかれが早とちりしないことを願った。
もっとも、あながち間違いではなかったが。



       

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