Neetel Inside ニートノベル
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 第四部第四話「燃えたつ昨日にさよならを」


 あたしには幼馴染がいる。
 物心ついた頃、というのが具体的にいつだったかは分からないけれど、気づくとあいつは隣の家に住んでいて、いつもむすっと、何を考えているのか分からない無表情で、ひょっとしてこいつは感情をどこかに置き忘れてきたのではないだろうかと疑いたくなる程に謎めいていた。あいつは滅多に自分の事は話さなかったし、泣いている所も、大声で笑っている所も見た事がない。小学校くらいまでは、そういう雰囲気がなんだかちょっとミステリアスで、良いかな、なんて、不覚にも思っていた時期が正直あった。けれど、中身はただの変態だった。
 あいつの母親である鈴音さんと、うちのパパは高校の頃の同級生だったらしい。たまに思い出話になると、同じ部活で散々こき使われていたとパパが愚痴る。確かに鈴音さんは豪快というより強引で、人を引っ張るタイプの人だから、根が弱気なうちのパパ(あたしが生まれる時、子供の前では絶対に泣かないと誓ったけど生まれた時に立ち会っていたら泣いてしまった、とママが言っていた)は、きっと散々な目に合っていたんだろうな、と思う。
 そういう訳で、昔からの付き合いである木下家と五十妻家には、1つのタブーがある。
「くり、人には触れられたくない事の1つや2つある。パパはくりにそういう事の分かる娘に育ってもらったいんだ」
「……触れられたくない事って、あたしの名前とか……?」
「……うん、まあ、それもそうかもしれないね」
「小学校で、同じクラスの男子があたしの事『クリトリス』って馬鹿にして言うの。パパ、『クリトリス』って何?」
「……えーっと、今は『クリトリス』の事は置いておこうか。とにかくね、パパはくりに、人を傷つけて欲しく無いんだ。だけど、気づかずにそういう事をしてしまう事もあるだろ?」
「もとくんのお父さんの事?」
「あ、もう知ってたんだ」
「ママが言わないようにって」
「ああ、じゃあもう、うん。パパからは何も無いや」
 あいつは自分の父親について語らない。だからあたしも訊ねない。
 どんなに気になっても、いくら酷い事をされても、それだけは守ってきた。
 また新しく出てきた変態に、とんでもなく理不尽な電撃を浴びせられながら、あたしは昔の事ばかりを考えていた。そしてそんな回想には、必ずと言っていいほどあいつが出てくる。忌々しい事に、あたしの人生はまるであいつの為にあるみたいで……あえてあいつ風に言うならば、非常に不愉快極まりないといった感じだった。


 電気が流れる度、鞭で叩かれたような痛みが走る。その後に痺れがきて、脳みそが少し減った気分になる。あたしが何か悪い事をしたのだろうか。あたしがこんな目に合っているのは、やっぱり全てあいつのせいじゃないだろうか。あたしがいくらそう主張しても、あいつは滅茶苦茶な理由でそれを跳ね返す。あたしのおもらし姿がとても良いから。冗談じゃない! と、叫んでも、あいつはそれを本気で言っている。心の底からそれを信じているから、あたしではもう手に負えない。
 しかもそんなあいつを調子付かせるように、あたしの周りには変態ばかりが集まってくる。中学時代。等々力は、初めて会った時から目がやばくて、あんまり関わっちゃいけない人だと思ったし、音羽ははっきりとあたしに近づいてきた目的をカラダ目当てだと言いきった。あれだけ人望があって、頭が良くて、何でも出来る委員長からして中身はまともじゃ無かったのだから、同じクラスの引きこもりが変態だったと言われても今更あまり驚かなかった。
 なんとか無事に高校に入ってからも、あたしの毎日は変態の連続だった。そもそも学校で1番の権力者が変態だったのは、入学前に調べようがない。そこでまたあたしが標的になるのも、完全にあいつのせいだ。あいつはあたしを助けたと言うが、そもそもあいつがいなければこんな事にはなっていなかったはず。
 だけど、蕪野先輩があいつと同居していた時、頭では「変態同士お似合いだし、これであたしの負担も無くなるだろう」と安心しつつ、あたしはちょっとイライラしていた。別にあいつの事が気になるからだとかではなくて、そうじゃなくて、今まで散々あたしに起こしてもらって頼りっきりだったのに、いきなりどうでもいいみたいな態度を取られたら、誰だって怒る。だからこれは決して、恋愛感情とかそういう類の物ではない。断じて。
 そして高校が代わるやいなや、変態トーナメントとかいうふざけたのが始まって、気づけばあっという間にこのザマだ。笑えない。
 さっきよりも、電気が来た時に感じる痛みが弱くなってきた。これ、あたし、死ぬんじゃないか? そんな予感がしても、不思議と怖いとは感じなかった。これまで以上に恥ずかしい思いをこれからもするのなら、いっそこのまま……なんて、思う訳が、無い。どうしてあたしが変態共の犠牲になって死ななきゃならないのか。特にあいつだ。あたしは絶対あいつより長生きしてやる。というよりあいつが死ぬ時はあたしが殺す時だと決めている。怖いと感じないのは、恐怖よりも怒りの方が上回っているからに他ならない。
 これだけ変態に囲まれているのだから、いっその事もうあたしも変態になって、HVDOとやらの能力に目覚めた方が楽なんじゃないかと思った事もあったが、駄目だった。何せ恥ずかしすぎる。どうしてこの変態達は、平気で自分の性癖を他人に晒せるのだろう。強要出来るのだろう。夢中になれるのだろう。あたしはきっと、一生変態の心は理解出来ない。
 そんな朦朧とした意識の中で、うっすらと聞こえたクイズの答え。
 あたしはどうやら既に、変態らしい。


 驚く気力さえもう無かったから、あたしはまたすぐに思い出(というより、これは走馬灯なのか?)に思考が戻った。身体は反応していたけど、痛みも麻痺していたから、あたしは悲鳴をあげられなかった。
 もしもあたしが本当に変態だとしたら、「あの言葉」は、本当だったという事になる。
 あれは確か、あたしが小学校の帰り道で初めておもらしをした日。あいつに言わせれば、自らの性癖に目覚めた日。あいつがあたしのおもらしを学校で言いふらして、あたしが孤立していくきっかけとなったその前日、夜中の事だった。
 ご飯も食べず、お風呂にも入らず、布団を被って枕に顔を埋めて何度も何度も死にたいと繰り返していた時、その男は現れた。黒いスーツを着て、黒いコートを纏って、靴まで真っ黒の怪しい風体。顔も体も見た目は若く、お兄さんと呼べなくもない範囲だったけど、顎の下に短いひげを生やしていたので、おじさんと言うのが正しいように思えた。その目は誰かに似ているような気もしたけど、思い出せない。
「木下くり、君は恥ずかしがり屋なんだね」
 優しい口調だったけれど、もちろんパパではない。聞いた事のない声だった。窓も扉も鍵は閉めていたはずだったし、元から部屋にいたなんて訳がない。だけど男はそこにいた。どこからともなく、超能力でも使ったように、気づいたらあたしの部屋の中にいた。
「だ、誰?」
 怯えながら訊ねるあたしに、男は質問を無視して答える。
「君みたいな娘は恥辱によってその魅力を引き立てられる」
「ち、ちじょく?」
「恥ずかしがるのは良い事だって意味だよ」
 あたしの部屋に、見知らぬ男。明らかに緊急事態ではあったけど、何故か悲鳴をあげたり助けを求める気は起きなかった。その口調のせいか、それともあたしを見る眼差しのせいか、奇妙な安心感があった。
「……恥ずかしいのは……やだ。絶対やだ」
「だからいい。君には才能がある」
「才能……? 何の?」
「もちろん、変態になれる才能さ」
 そうだ、はっきり思い出した。次の日の朝、パパとママに話しても信じてもらえなかったから、ずっと夢だと思っていた。だけど、これは現実にあった記憶だ。この電撃のせいなのか、急にはっきりとその時の光景を思い出してきた。
「……変態なんか、なりたくない」
「なりたい、なりたくないじゃない。君に恥じる気持ちがあればあるほど、君は変態に近づいていくんだ。今、好きな男の子はいるかい?」
「い、いないよ! 好きな人なんて……いない」
「そうか」という男はあたしを見破っていた。「でも、君も女の子なのだから、いつかは好きな人が出来るだろうし、その人が彼氏になって、もしかしたら結婚するかもしれない」
 あたしはただ必死に首を横に振った。おしっこを漏らしたその日に、結婚の話なんてちょっと飛躍しすぎだ。
「その時、君のその恥ずかしがり屋な所はきっと、『特別』な力として形を表すだろう。君にはその素質がある。もしも君がそれを望まないのならば、いっその事開き直って、恥ずかしがるのはやめた方がいい」
「……だって、恥ずかしい物は恥ずかしいし……」
 あたしがそう答えた所で、記憶は終わっている。やっぱりこれは夢だったんじゃないかと思う。しかしあたしの答えを聞いた時の、男の嬉しそうな微笑はどうしても忘れられない。


 今なら、男の言っていた意味が分かる。
 あいつのHVDO能力で漏らしちゃう度に、あたしは恥ずかしくなった。他のHVDO能力者も現れて、次々勝手な理屈であたしを使って遊ぶから、あたしはますます恥ずかしくなった。そんな毎日に少しずつ慣れていっている自分に気づくと、死にたくなるくらいに恥ずかしくなった。だけど1番恥ずかしかったのは、あいつがすぐ近くで暮らしているという事だった。
 認めたくはないけど、認めるしかない。
 あたしは、あいつとセックスしたがっている。
 こんな事、考えるのも嫌だし、口に出して言えと言われたら舌を噛んで死ぬ。けれどこれしか答えが無い。
 正直な気持ちはこうだ。
 あいつには、あたしのおもらしではなくて、あたしを好きになって欲しい。余計な事はしないで、ただ純粋に、セックスというそのままの形であいつと性行為がしたい。けれど恥ずかしい目には合いたくない。あいつのは結構大きいし入らない気もする。それに痛いのは怖い。そもそもどうしてあんな奴に欲情しているのか、意味が分からない。これはきっと恋とか愛とかそういう綺麗な物じゃなくて、もっと汚くて、女の子が絶対口にしちゃいけないような欲なんだろう。あいつには気づかれたくない。恥ずかしすぎるのは駄目だ。でも、とにかく、精子が欲しいとあたしの本能が言っている。
 だから目覚めたのだと思う。
 あいつが眠ってさえいれば、あたしは何も恥ずかしい事はない。ただ黙ってコトを済ませて、知らんぷりしてればいい。
 いや、だからって……。
 あたしは自分に呆れる。
 これじゃ、まるでただの変態じゃないか。
 あたしの口からは、思わず笑いが零れた。心配そうにあたしを見つめるあいつを見ていたら、妙におかしくなった。
 もとくん、あたし達同類だね。
 そんな馬鹿みたいな台詞が思い浮かんで、ぐっと飲み込み、あたしは確信する。
 あの夜、あたしの部屋に現れた男は、五十妻元樹の父親だ。
 そして、あいつが倒そうとしている、HVDOその物だ。

       

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