Neetel Inside ニートノベル
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 ドアを開け、1歩足を踏み入れると、妙に甘い匂いが鼻をつきました。何せ自分のような庶民には手の届かぬ高級ホテルですから、何かアロマ的なオサレ空間演出装置の所以かと勘ぐりましたが、それは違いました。
 間接照明は暗めに設定され、カーテンは閉じられていたので真昼間にも関わらず雰囲気は妖しげで、自分も三枝委員長も、性欲の解消にいわゆる適したムードという物を必要としないタイプですが、確かにこの空間でならそれなりにロマンチックな初体験が出来そうです。
 ベッドに横たわる三枝委員長は例のごとく一糸纏わず、シーツは既に下半分がびしょびしょに濡れていました。甘い匂いの正体に気づいたものの、それを恥ずかしいと思うべき本人は今夢の中でした。状況から分析すると、ただ待っているのに飽きてソロプレイを開始し、1度で満足出来ず何回もやっている内に疲れ果て、そのまま眠ってしまったといった所でしょうか。淫乱ここに極まれり。
 自分は制服の上着を脱いでベッドに腰掛け、その端整な顔にかかった長い髪を人差し指で撫ぜてどかし、やや紅潮した頬をくすぐると、ゆっくりと瞼が開きました。
「おはようございます」
 とりあえず挨拶をしてみると、三枝委員長はこう返してきました。
「これは夢なのかしら」
 そんな台詞を聞かされてしまっては、今更我慢など出来るはずもありません。
 露になった首筋に向かって、まるで吸血鬼のようにむしゃぶりつき、しかし歯は立てずに甘噛みで、汗ばんだ皮膚を味わいました。
「あっ……」
 短く漏れた吐息が聞こえ、いよいよ自分は理性の消失を感じます。
 既に肉体は密着し、2つの体温が均一な点に向かって変化を始め、重なった鼓動は同じ時を刻み始めました。
「五十妻君、本当に私でいいの?」
 三枝委員長の珍しく野暮な質問に、自分は愛撫で答えます。若さではちきれそうな両胸を鷲づかみにし、獣のように鼻をこすりつけて匂いを覚えました。やはりというか何というか、三枝委員長は強くされるのがお好みのようで、気づけば滑らかな足が自分の腰裏へと回り、がっちりと組まれていました。
 しばらくの間、自分は三枝委員長の身体をまさぐり続けました。柔らかく張り付くような感触を楽しむ一方で、部位によって変化する表情を見て愉しみながら、それは至福の遊びでした。
「……ずるいわ」
 三枝委員長はくやしさを隠さずにそう呟くと、そのしなやかな肢体の鞭を利用して自分の身体を引き寄せると、抜けるように服を脱がし、自分の股間でいきり勃つそれに優しく優しく優しく触れました。
「私にも見せてよ。五十妻君の、余裕のないトコ」
 一瞬で逆転した攻守でしたが、別段未練はありませんでした。今はただ、三枝委員長との初めての性交渉に身を委ねるのみで、イニシアチブは最初から気にしていません。
 あむっ、とモノを口に含み、一所懸命に舌と唇を駆使する三枝委員長を見下ろしながら、自分はそこはかとない罪悪感を抱いていました。




 する事もなく、時計を眺めている。
 どうしてあたしはここにいるのか。分かっているのに、分からないフリをしている。
 いつも被害者ぶるあたしの事が、あたしは嫌いだ。
 あいつに恥ずかしい思いをさせられて、心の底から怒っているのに、本当に本当に嫌なのに、少し気持ちが良いと感じてしまっている事を隠すあたしがいる。
 これはきっと、あたしの性分なのだろう。
 あたしはあたしが既に変態であるという事を知っているというのに、未だに知らないフリをしている。
 最低だ。潔くない。
 男勝りを装いながら、誰よりも女々しく、いつも誰かに助けられる事を想像している。
 昨日、あいつに「面倒くさい」と言われた。だけど言われる前から分かっていた。あたしが面倒くさい事。
 だからって、ちょっとこの仕打ちはひどくないか?
「おや、あまり驚かないみたいだね?」
 いつの間にか部屋の中にいた男がそう尋ねてくる。着崩した黒スーツの胸ポケットに、バラの花なんて刺しているキザな男。子持ちの癖に若々しく、やや感情の欠落した表情からは、その内に秘めた異常性は読み取れない。崇拝者、と呼ばれるこの男の再来を、待ち望んでいる被害者が世界中にいる事は昨日聞いた。
「……知っていたから」
 短く答えると、崇拝者は少し首を傾げる。
「自分が選ばれない事を知っていて、逃げださないという事は、ひょっとして君は俺に抱かれたいのかな?」
 明らかな挑発に、あたしは告げる。
「あいつを信じているだけだ」
 崇拝者はあたしの瞳をじっと見つめて、嘲っているような感心しているような微妙な表情を浮かべた。しかしそう見えたのもあたしの思い込みで、本当は少しもその仏頂面は変わっていなかったのかもしれない。
 やっぱり実の父親だけあって、あいつに似ている。
「つまり君は、元樹が三枝瑞樹の方を選ぶのを知ってて、それに納得した上でここに来たにも関わらず、俺に処女を捧げるつもりは無いという事になる。さて、そろそろ真意を聞かせてもらおうか」
 私はベッドの上に立ち上がり、スカートをたくし上げる。今日は例のお気に入りのパンツは履いていない。というかパンツを履いていない。今日履いているのは、昨日あいつが買ってきた「貞操帯」だ。もちろん錠はしてあって、鍵はあいつが持っている。あいつに下半身の自由を委ねるのは酷い屈辱だけど、確かにこれは単純かつ有効な手かもしれない。
「どうだ、これで手出しは出来ないだろう」
「なるほど、それが君の心の拠り所か」
 崇拝者がマジマジとあたしの股間を見つめる。普通に恥ずかしい。
「じゃあ、これは何だか分かるかな?」
 顔色1つ変えずに崇拝者が取り出したのは、この貞操帯の鍵だった。


「安心したまえ。元樹が裏切った訳ではない」
 崇拝者は言う。疑ってすらいなかったあたしは、ただ次の言葉を待つ。
「その貞操帯、自らの手で1から作ったのではない限り、誰かから買った事になる。そして世の中には、処女童貞よりも圧倒的に非処女非童貞の数の方が多い。つまり、君達のした買い物の内容など俺には筒抜けという事だ。それさえ事前に分かれば、こうしてスペアキーを用意しておく事は容易い。分かるかい?」
「ああ……じゃあ、その鍵で開けてみろよ」
 あたしが少しの動揺も見せない事を不思議に思っているのか、崇拝者はやや訝しげに、それでもあくまで迷いはなく、あたしの腰を抱き寄せた。
「そうしてみよう」
 鍵がハマる。スペアキーだから形は同じ。当たり前。
 だけど、あたしの扉は開かない。
「……おや? これは奇妙だ」
「あいつは昨日、あたしにこう言った」
『自分はどちらか1人を選ぶ事はしません。求められれば答えますが、束縛はされませんし、去る者は追いません。しかし、いずれにせよ全力で2人を守ります。これだけは約束させてください』
 浮気もここまで堂々と宣言されれば最早本気だ。
「我が息子ながら天晴れなクズっぷりだ」
 どこか誇らしげでもある崇拝者。お前が言うなと言ってやりたいが、きっと承知の上だろう。
「『W.C.ロック』というらしい。あいつのHVDO能力だ。意識するだけで近くにある『トイレの鍵』を閉める事が出来るそうだ」
 トイレの鍵。
 あたしの説明を聞いて、崇拝者は笑い出した。まあ無理はないと思う。どんどん大きくなっていく笑い声に、神経が逆撫でされる。やがて一通り笑った後、今1番されたくない質問が飛んできた。
「くくく……かけられたのかい? それとも飲んだのかい?」
 あいつが能力を使って貞操帯の鍵をかけ続けるには、あたしの事を「トイレ」だと認識しておく必要がある。そしてその為には、いずれかの行為が必要になる事を理解した上での質問だった。あたしは答える。
「……かけられた」
 どちらかを選べと言われたので、そっちを選んだ。もうこれ以上は思い出したくない。かけるのも嫌だしかけられるのも嫌だ。そもそもおしっこはかけたりかけられたりする物ではない。
「災難だったな。だが、悪いけど無駄だった」
 崇拝者はそう言うと、あたしの貞操帯に両手をかけた。
 あいつが用意したこの貞操帯は、決しておもちゃではなく、革にステンレスが貼り付けてある本格的な物だ。正確な耐久力なんて知らないけれど、おそらく工業機械の類がないと破壊出来ない代物だ。
 崇拝者は、それを素手で引きちぎった。
 処女にかける情熱は本物だと思った。

       

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Neetsha