Neetel Inside ニートノベル
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HVDO〜変態少女開発機構〜
第六話「幼い世界を大いに笑おう」

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 ロリータ。
 我が命の灯。
 我が肉の焔。
 我が罪、我が魂。
 L.o.l.i.t.a.
 舌の先が口蓋で3歩のステップを踏んで、
 3歩目にそっと歯を撫ぜる。
 ロリータ。
        ――ウラジーミル・ナボコフ「ロリータ」より抜粋。


第六話


 カーテンを閉め切った八畳ほどの部屋の明かりは、パソコンの画面と、小さなライトスタンドのみで、もしも「この世で一番暗い所で賞」が決められるとしたら、総合的な意味において、この場所がノミネートされるのではないかと思われる程でした。
 そんな負のエネルギーが累積された極地にて、今、3人の男と3人の女が、一触即発の状態で固まっています。「人形」のHVDO能力者である音羽(兄)は、部屋の奥から怯えた様子でこちらを伺い、自分の前には、どんどんカーペットに吸収されつつある2人分の水溜りと、それらをたった今自らの股間から排出したばかりの、おそらく今現在、日本で最も恥ずかしい2人組(ノーパン)が立っていましたが、視界に入っているのはたった1人の男でした。
 春木氏。彼は開いたドアの向こうにいて、部屋からは少し距離を取り、腕組みをして余裕たっぷりに、部屋の中の様子を眺めていたのです。
 正直、自分自身も混乱を極めているので、ここで一旦、ここまでの流れを頭の中でまとめて、仕切りなおしをしましょう。
「僕がしようか?」
 ずいと前に出た春木氏に、「結構です」と断りを入れると、「遠慮するなよ」と気持ち悪い程爽やかな笑みを浮かべて、あたかもメインプレゼンターのように、芝居がかったお辞儀をすると、滑らかに回る舌で、語りとしての自分の役目を颯爽と奪い去ったのです。
「つい最近、HVDO能力に目覚めた五十妻元樹は、行方不明の木下くりを救出しに、冒険の旅に出た。道中、同じクラスの委員長である三枝瑞樹の協力を得て、一度は木下くりの捕らわれているこの音羽邸にやってきたが、まさかここに居るとは気づかず、元能力者の等々力新から新しい情報を得に学校へと向かった。そこで何があったか僕は知らないが……」
 知らないならあらすじを語りだすな、と申し上げたい。
「まあなんとかして、この場所に気づいたのだろう。さぞや驚いただろうね。ついさっきまで木下くり救出作戦会議を開いていたその真下に、助け出すべき張本人がいたのだから」
 春木氏が手で示した方向に、今は人形と化したくりちゃんが座っていました。暗さの下でもはっきりと分かる程に肌が白く、命の形を失っても、なお余りある存在感。退廃的な美しさとでも言うのでしょうか、ゴシックな衣装に隠れたその四肢は、さぞやすべらかに違いないのです。


「春木氏。単刀直入にお伺いしますが、あなたもHVDO能力者なのでしょうか?」
「おいおい」と、春木氏は馬鹿にしたような笑みを浮かべ、「『単刀直入』と言うなら、『あなたの性癖は何ですか?』と聞くべき所だよ、ここは。僕から逃げる気が君に無いのならね」
 ほんの少しのやりとりからでも、春木氏が相当な手練である事は把握出来ました。自分は黙ったまま、あくまでも自分のした質問の答えを待ちます。
「ああ、その通り。僕はHVDO能力者。それから、部屋の隅で震えている彼も同じく能力者。ここに来たという事は、既に分かっているんだろうが、木下くりを人形にしたのは彼さ」
 と、春木氏に指をさされた音羽(兄)は、確かに春木氏の言う通りに震えていました。
「彼の能力はちょっと特殊でね。発動条件が厳しい代わりに、とても便利なんだ。だから僕は彼と組んでいる」
 確かに、人1人の自由を完全に奪い、ただの「物体」に出来る能力が、そう簡単に発動されてはたまりません。しかし便利、という言葉が具体的にどのような事を指しているのかは、自分にも分かりません。
「つまり、くりちゃんを誘拐させたのは、春木氏、あなたですか?」
 自分は明確な敵意を込めてそう尋ねましたが、春木氏はまるで武芸の有段者が素人をいなすようにあっさりと、自分の質問をいなしたのです。
「誤解されては困るね、五十妻君。『協力』と言っただろ? 木下くりを人形にしたいと言い出したのは音羽さんの方さ。僕はただそれを手伝っただけ」
 真意を確かめる為、音羽(兄)の方に向いて見つめると、「おっおっ」と独特の返事をしながら首を縦に振った後、横に振り、その後更に首を縦に振ったので、判断がつきませんでした。
「この事件の発端は君なんだよ、五十妻君」
 自分が「どういう意味ですか?」と尋ねる間もなく、春木氏は淡々と語りました。
「つい先日、君は木下くりに対して、この家の前でおもらしをさせ、音羽さんを攻撃したそうじゃないか。もっとも、彼は生身の人間のする行為に何の興奮も抱かないタイプだからね。全く効き目は無かったが、それでも彼は木下くりに興味を抱いた。『人形にしたら、さぞや美しいだろう』という風にね。だから僕が手伝ってあげたのさ。能力の発動条件を整え、こうしてピンチになった今、駆けつけてきた。どうだい? 協力者としては100点の動きだろ?」
 自分はここまできてようやく気が付きました。この春木氏という男と話をしていると、自分のペースをあからさまに乱される。まともな会話など出来る気配がまるで無い。ここは彼の演出する舞台で、自分はただの一登場人物に過ぎないような錯覚に捉われてしまうのです。あるいは、こちらの手札が相手に丸見えのババ抜きでしょうか。一度ババを握らされたら勝てる見込みの全くなくなるゲームをさせられているような物です。
「さて、もう1度、『単刀直入に』聞いてみたらどうだい?」
 そう言って、にこっと笑う春木氏の後ろに、悪魔のような物がちらと見えました。
 それが罠であると、相手を都合の良いように動かす策略であると分かっていても、しかしそれでも尋ねてしまうのです。
「……あなたの性癖は何ですか?」
「僕はロリコンだ」
 と、春木氏は誇らしげに言いました。


 ロリコン。
 諸外国においては、ティーンエイジャー全般に対して性的な感情を持つ者を一般的にそう呼ぶらしいのですが、ことこの変態国家日本においては、小学生の低学年から高学年を範囲とした性趣向を表している代名詞であるというのが現状のようです。
「ロリコン、ですか」
「ああ、別名児童性愛とも言うかな。僕のストライクゾーンは小学4年生から5年生と非常に狭い」
 あまりにも清々しく言うので、非難する気にもなれませんでした。いえそもそも、「僕はロリコンだ」と躊躇なくカミングアウト出来る人間に対して、一体どのような罵倒が有効なのでしょうか。こちらが教えて欲しいくらいです。
「中学生は対象外なの?」
 今まで黙っていた三枝委員長が、横から出てきてそう尋ねると、春木氏は「ああ、残念ながらね。僕が不登校になったのも、中学校には小学生がいないからさ」と答えました。音羽君が、「うわぁ……」と率直な反応を見せても、春木氏は樹齢百年の大木のようにどっしりと構え、一切揺るぎませんでした。
 戸惑う、というより若干引き気味の自分を他所に、春木氏は続けます。
「では次はこちらから聞かせてもらおうか。五十妻君、君の性癖は何だい?」
 HVDO能力者同士が、互いの性癖を告白するという事は、即ちバトルの開始を意味します。
 自分は返答に迷いました。しかし迷った時点で、勝敗は決していると言っても過言ではないのです。いえ、自分にロリコンの気がある訳ではありません。単純な戦況の問題なのです。
 相手がロリコンだと言うのなら、こちらは子供のおもらしをぶつけるべきだと判断するのが普通ですが、生憎、今自分が手持ちのポケモンは、本日付けで自分の奴隷となった三枝”ドM”瑞樹委員長と、いつも見下している実の兄の前で、たった今放尿ショーをご披露したばかりの音羽”混入”白乃君のみ。肝心のくりちゃんは人形化していて使い物になりませんし、しかもこちらの能力は既に相手に知られている一方で、春木氏の能力は未だもって未知です。
 勝率が、余りにも低すぎる。かといってここで逃げれば、くりちゃん救出の機会を失う事になります。
「君が何を心配しているか、僕は分かっているつもりだよ」
 黙ったままの自分に、春木氏は優しげにそう声をかけました。まるで恋人のように、頼れる教師のように、あるいは両親のように。
「僕の事を倒しうる『武器』がいないんだろ? 三枝さんも、音羽さんの妹も、今はもう汚れきっているみたいだし、僕を攻撃するにはまるで役に立たない」
 包んだオブラートを突き破る勢いで「汚れ」とばっさり斬り捨てられた2人は、かといって反論も無いらしく、ぐぬぬ、と歯軋りをして春木氏を睨みました。
「そんな君に、とっておきの武器をあげようじゃないか。……音羽さん、いや、人形師。能力を解除してくれないか?」


 人形師、と呼ばれた音羽(兄)の方を振り向いた瞬間、足元が、ぐらり、と崩れました。
 平行感覚を失い、一瞬だけ、目の前が暗転しました。
 それは今までに味わった事のない奇妙な感覚であり、精一杯この小さな脳を使って想像するに、おそらく、宇宙船で大気圏を突破した時のような、つまり、何か大いなる力から解き放たれたような気分にさせられたのです。
 そして瞬きをすると、そこは既に音羽邸ではありませんでした。
 つい2秒前の状態から、三枝委員長と音羽君の姿が完全に省かれ、周りの景色が、一瞬で差し変わりました。自分は一歩も動いたはずなどないのに、今立っているここは確かに、どこかの学校の教室なのです。
「驚いたかい? 高位のHVDO能力者は、こんな事も出来るのさ」
 と、春木氏。自分は興奮を抑え、あくまでも冷静を心がけ、「ここはどこですか?」と尋ねました。
「小学校さ。モデルは僕の母校だが、そことは違う。僕が作り出した、僕だけの空間。シチュ能力といってね、HVDO能力者の中でも結構レアなんだ。半径50メートル以内にいるHVDO能力者と、能力の対象者だけをこの空間に飛ばす事が出来る。だからあの負け犬2人は置き去りにされたって訳さ」
「……そうですか」
 見た目は、本当にただの教室。窓の外が大きなカーテンでもかかったように暗いのが不自然ですが、チョークの粉が満遍なく広がった使い古しの黒板と、穴があったり落書きがあったりな机と椅子には懐かしい見覚えがあり、黒板の反対側には、ランドセルを収納する為の棚、掲示板に書かれた今月の目標は「困っている人に手を差し伸べよう」でした。
「出来れば早急に現実世界に戻していただきたいのですが」
 自分は丁寧にそう言うと、春木氏は「ははっ」と小粋なジョークでも聞いたような反応をして、「それより、彼女を使って勝負をしようじゃないか」と言って、自分の背後を指差しました。
 机に座ったくりちゃん人形は、先ほどとは明らかに変わった様子でした。それは「人形」というよりも、ただ「眠っているだけ」のように見え、今にも目を開けそうな雰囲気をかもし出しているのです。
「おっ、おっ、能力は、解除した、おっ。後は勝手にやってくれ、おっ」
 くりちゃんの隣に立っていた音羽(兄)はそう言うと、くりちゃんから距離を取り、教室の隅っこに移動しました。あくまでもこれは、自分と春木氏の一騎打ちのようです。
「さて、ここで1つ良い事を教えてあげよう」
 春木氏はくりちゃんに近づきながら、嬉しそうにそう言いました。
「人形師、いや、音羽さんの能力は本当に特殊でね。発動条件が、『別のHVDO能力にかかっている人物に触れる事』なんだ。そして人形化した人間には、元からかかっていたHVDO能力が表面に現れない。まあ、現れないってだけで進行はしているんだけどね。……さて、これが何を意味しているか、聡明な君なら分かるだろう?」
「……いえ」
 あまり考えずに、そう答えました。いえ、考えたくはなかったのです。
「おいおい、君らしくないな、五十妻君。答えはね、『木下くりは、既に他のHVDO能力の対象にとられている』という事と、その能力者は……僕だという事さ」
 次の瞬間、目の前に広がっていった光景に対して、自分は、息を飲み込み、見つめるだけしか出来ませんでした。無理もない事だと思われます。何かが出来た訳でもありません。
 くりちゃんが、小さくなっていったのです。
 まるで人間の成長過程を逆再生し、更に早回ししたかのように、背は低く、顔は幼く、胸は……まあ対して変わりませんが、全体的に『子供』になっていったのです。青いキャンディーを食べたのか、謎の組織に注射を打たれたのか、それとも中国の天然温泉に修行中に落下したのか(これは違いました)、とにかく漫画的急激さ、説明不可能さでもって、くりちゃんは子供に戻ったのです。
 変化が終えると、元々着ていたゴスロリ服は、ぶかぶかになっていました。余した袖と長いスカート、弛んだ首下が、変化の大きさを物語っています。
 そして春木氏は、くりちゃんの耳元に近寄り、あの優しげな声でこう言いました。
「木下くり……いや、くりちゃん。そろそろ、目覚めの時間だよ」
 やがてゆっくりと、くりちゃんの大きな瞳が開きました。

       

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