Neetel Inside ニートノベル
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 その巨大な門の前で、自分は両手を大きく広げて、少なく見積もっても3年分くらいは唖然としましたので、これから先当分の間、驚く事はないだろうと踏んだのですが、それが大きな間違いだったのです。
「……もとくん、本当にここで合ってるの?」
 手を繋ぎ、この茫漠なる唖然を共有するくりちゃんにそう尋ねられても、自分はすぐに答える事が出来ませんでした。住所は手紙に書かれてあった物と一致しているはずですし、三枝委員長がなかなかのお金持ちである事は噂に聞いていましたが、まさかここまでとは。あまりに現実感が無くて、3D立体映像に見えるくらいの光景が、自分の前には広がっていたのです。
 両開きの格子門は、自分の背丈をゆうに超えて、軽く3mほどはあるでしょうか。門の両側には、おそらく大理石で出来ているであろう塀が寿限無のようにどこまでも広がり、それを見ていると、社会に蔓延るあらゆる小競り合いが馬鹿らしく思えました。圧倒的格差。資本主義という不平等。このままここに佇んでいると、妙な悟りを開いて八甲田山で仙人のような隠遁生活を送ってしまいそうになって危険です。
「ねえねえもとくん、こんな場所、絶対現実にありえないよ。帰ろうよー」
 自分の上着の裾をくりちゃんが引っ張るので、その意見には同意せざるを得ず、自分は深く頷いて踵を返し、帰る事にしました。
「『しました。』じゃないでしょう」
 振り向くと、門の向こう側には、三枝委員長が立っていました。ただの真白色なのに、なぜか気品溢れ、ゴージャスささえ感じられるブラウスと、首元にはこれまた高級そうなストール。自分と比べても、到底同じ中学生とは思えないのですから、今のくりちゃんと比べればアルファケンタウリとミトコンドリアくらいの差がありました。
 自分は、たまたま手にとったものを相手に向かって投げるように、言い訳をします。
「いや、その、まさかここまでスケールの違うお金持ちだとは思ってもみなかったもので、少し動揺してしまいました。あ、招待の方は喜んで受けさせてもらうつもりで、今日はここまで来たんですけれども……」
 三枝委員長は三ツ矢サイダーのCMにそのまま出演できそうな爽やかな微笑みを浮かべ、耳にかかった髪をかきあげ、暖かい毛布をそっと肩にかけるように言うのです。
「そう。とにかく入って」
 巨大な門はほとんど音をたてずに、自動で開きました。本当に自分みたいな平民が入っても良いのでしょうか。一歩踏み込んだ瞬間に防犯用に設置されたセントリーガンで利き腕を撃ちぬかれてしまわないだろうかと懸念していると、三枝委員長が自分の手を取りました。
「待っていたわ」そしてそっと近づいて、くりちゃんに聞こえないように耳元で「ご主人様」と自分を呼びました。


 我々は手紙で招待されて、ここにやってきたのですし、相手は中学校の同級生で、ましてや自分の奴隷となった雌豚なのですから、緊張する要素など微塵もないはずなのですが、やはりここまで別世界を見せ付けられると、たじろいでしまうのは仕方の無い事です。
 家、というよりは屋敷、というよりは城に近い三枝家本宅と門の間は大庭園になっており、野球でもサッカーでもセパタクローでも出来そうな広さでしたが、しかしもしも本当にしたら専属の庭師が号泣するであろう美しく手入れされた植物達が設置されていました。
 本宅に入り客室に案内され、そこのふっかふかの椅子に腰掛けると、三枝委員長は向かい側に座りました。正座した方がいいのかな? と思いつつ背筋をピンと張ると三枝委員長はまた聖母のような笑顔を見せて、
「そんなに気張らなくていいわ。今日は両親もいないし、執事やメイド達にもほとんど休暇を出したから」
 自分が来るからそうした、と思うのは、果たしてうぬぼれなのでしょうか。
「ほとんど、というと?」
「1人だけ、残ってもらったのよ。あなたの後ろに立ってるわ」
 言われて、振り向くと、そこには白い肌が印象的なメイド服を着た女の子が立っていたので、「ははは、なんだか怪談みたいな言い方ですね。でも三枝委員長、自分はその手には乗りませんよ」と言って正面を向き直り、「それにしても大きなお家ですねえ」と言った後、超高速で首を曲げて、そこに確かに立っていたメイドを二度見しました。
「お、おじゃましています」と自分が言って、隣に座ったくりちゃんもぺこりと頭を下げると、そのメイドは「紅茶です」と最低限の説明をして、テーブルにティーセットを広げていきました。
 全くもって、三枝委員長に言われるまで、その存在にすら気づかず、言われてからも最初は嘘だと思った訳ですから、その存在感の無さは色鉛筆の白並で、霊的な印象さえ受けます。
「うちのメイド、兼、来年からは私達の先輩になる柚之原よ」
「柚之原知恵(ゆのはらともえ)です。よろしく」
 ざっくばらんな言い口とは対照的に、深々と頭を下げられたので、自分は滅相もなくなって、いえいえこちらこそ、と名刺があったらケースごと差し出す気分になりました。
 改めて見てみれば、柚之原さんは三枝委員長に比べても負けずとも劣らぬ美しい女性でした。搾りたてミルクのような白い肌には一切の汚れが無く、メイドとしてはどうかと思える、眠そうな眼。背丈は三枝委員長と同じくらいですが、メイド服を着ているだけあって少し大人な印象がありました。何より言葉を発する時に独特の静寂があり、しん、という日本語特有の無音を示す擬音が良く似合うような、静音系女子でした。もしもこの人がおしっこを漏らしたとしたら、その白い頬を真っ赤に染め上げるのでしょうか。それとも淡々と、静かに静かに垂れ流すのでしょうか。それを想像すると、心の下にある油圧ジャッキがギコギコと音を鳴らして気分を持ち上げていきます。


「ん? ちょっと待って下さい」
 自分はある事に気づきました。それは、三枝委員長が先ほど口にした、「来年から私達の先輩になる」という言葉です。
「三枝委員長は、翠郷高校へ進学するんですよね?」
「ええ」
 翠郷高校はこの一帯では最高レベルの進学校であり、卒業生の2人に1人が旧帝大に進学しているという男塾レベルに無茶な学校であり、通うのはまさに将来を約束されたエリート、つまり三枝委員長のような人物だけです。
「柚之原は今、翠郷高校の1年生だから、私達が入ったら先輩になるという事よ」
 今度ははっきりと聞きましたので、はっきりと否定させてもらいます。
「三枝委員長、あいにくですが自分に翠郷高校は無理ですよ。学力が足りなすぎますし、既に清陽高校へ進学する旨も担任に伝えてあります」
「ええ、知ってるわ」
 と言って、三枝委員長は紅茶のカップに口をつけて言葉を終わらせます。
「……えっとつまり、先ほどから三枝委員長が仰ってる『私達』というのはどういう事ですか、と自分は尋ねているんですが」
「普通に考えて、私と貴方は、春から同じ学校に通うという意味しかないわね」
 煙を殴る、このむなしさよ。
 自分は清陽高校に通う。三枝委員長は翠郷高校に通う。2つの学校は地図上でも偏差値でも全く違う位置におり、法律上、1人の人間が2つの高校を掛け持ちして通う事は不可能なはずなので、三枝委員長が清陽高校に通う事はありません。と、ここまで考えて自分は閃きました。
「なるほど、分かりました。自分にカンニングをして翠郷高校に入れという事ですか? もしくは裏口入学か何かですか?」
「どっちでもないわ」
 三枝委員長はそう否定し、まるで「この前学校の帰りに道端で猫を見たの」とでも言うような普通さで続けました。
「翠郷高校と清陽高校を合併させる事にしたの」
 そもそも自分は、ここに到るまでの過程で、もっと驚いておくべきだったのです。まず家にメイドがいるという時点で自分のような庶民からしたらあり得ないですし、そのメイドが美少女でしかも年も近く、ついでに頭がすこぶる良く、国内有数の進学校に通っているという事実。加えて重要なのは、三枝委員長が自分と同じ学校に通いたいと希望している事(まあこれは、学校内での調教行為の甘受を想定しての事だと推察できますが)。あと、柚之原さんのいれた紅茶は舌がびっくりする程に美味しいという事。感覚が麻痺して、それら全てに驚く事を忘れていました。
 しかし、本物の金持ちが持つ巨大すぎる発想の前に、自分の驚愕などは、小指の先でぷちんと潰されるような小さな物だったという訳です。


「が、合併って、学校側は納得しているんですか? いや、そもそも学校側が納得した所で、教育委員会やら何やらの偉い人とか、あと在校生はどうなるんですか。いくら三枝委員長が神と同じ権力を持っていたからといって……」
 三枝委員長の、まっすぐに立てた人さし指が唇の前に添えられると、自分の疑問は音を失いました。
「そんな事はどうにかなるわ。それよりまず、木下さんの事について話をしましょう」
 隣を向くと、いつの間にか柚之原さんに絶品紅茶を返却して、代わりにもらったいちご牛乳をくぴくぴと飲んでいたくりちゃんが、白熊の赤ちゃんのようなきょとんとした瞳で三枝委員長を見ていました。
「記憶が無いのにこんな事を言っても仕方ないかもしれないけれど、あなたは今、本当は中学3年生なのよ。それは分かっている?」
「うん……」
 くりちゃんは怒られたみたいにしゅんとなって、頷きました。くりちゃん幼女化現象に関しては、何度か自分の口から本人に説明してはいるのですが、やはり「記憶がない」というのは大きく、完璧には理解など出来ないようです。「とにかく、もとくんと暮らせるならいい」と、本人は言っていましたし、天使のようなくりちゃんと過ごす日々がかけがえなさすぎて、自分もあえてシリアスに考えませんでしたが、このままでいいはずがありません。
 まずは大きな問題として、受験があります。こうして小学生になる前までは、くりちゃんも自分と同じ清陽高校への進学を希望していて、成績的にも問題ありませんでしたが、こうなってしまってからには、いくら勉強を教えてもそれは時間の無駄という物です。小学校2年間分と中学3年間分をまとめて教えるとなれば、暗記パンの必要性が出てきます。
 それから、くりちゃんの両親問題もあります。今はなんとか誤魔化していますが(電話やメールでのやりとり、2階の窓から顔だけ出して会話させたりなど、全体像を見せずにコミュニケーションをとる手段をこれまでは駆使してきました)、いくらなんでもずっとこのまま押し通すのは不可能です(今日までなんとかなってきたのがむしろ奇跡的な事です)。
 三枝委員長はいつになく真面目な顔で、自分に向かって尋ねました。
「どうすべきか、分かってる?」
「はい」
 自分は唾をゴクリと飲み込んで、こう答えました。
「これからは一生、自分がくりちゃんを養っていくつもりです」
「違うでしょ! 春木を倒さないと!」
 三枝委員長の「コテコテのツッコミ」を初めて見た自分は、その意外なかわいさに、むしろ一生養ってもらうパターンもありだな、とそこはかとなく思いました。

       

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