Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「……面白い奴だ」
 褒められたような、馬鹿にされたような、自分としては本気で言っていただけに判断に困りました。
「はっきり言っておきますが、自分はもうくりちゃんがどうなろうと知ったこっちゃないのです。くりちゃんは自分と縁を切ると宣言しましたし、自分もくりちゃんの貧相なボディーにはもう興味ありません。実は引越しも考えているくらいなんですよ」
 それは決して嘘ではありませんでしたが、やや誇張気味の強打と表現しておくのが正しい所でしょう。みすみすイニシアチブを相手に渡す趣味を自分は持ち合わせてはいませんので、やるかやらないかの選択権はあくまでも手元に置いておき、いざバトルが始まった時、なるべく有利に運ぶ条件(例えば場所や時間)を用意し、最大限のアドバンテージが得られるように事を運ぶ。これが策士の定石というものです。
「なるほど、随分な鬼畜らしい」
 まるで感情が込もってない樫原先輩の台詞を最後にして、電話はぷつりと切れました。
 自分は耳から電話を放し、一旦深呼吸し「やっちゃいましたかね、これ」と試しにおどけてみると、くりちゃんが飛び掛ってきて首を絞めてきました。親指を鉤状にして頚動脈をしっかりと押さえる、本気で殺しにかかる時のそれですギバップ。
「き、木下さん! もっくん死んじゃいますよ!」
「エロ汁でりゅううううう!!!!」
 三途の川でキャンプをしているアウトドア派のお婆ちゃんが見えたその瞬間、自分がたまたま背後にしていた窓に「こつん」と石か何かが当たる音がして、くりちゃんはようやく、顔がねるねるねるねそっくりの色になった自分を解放してくれました。
 続けて「こんっ」今度はもう少し大きめの物が当たる音がして、それがやはり石であると肉眼で確認出来ました。
 当然、窓を開けて、下を覗きます。そこにいたのは、清陽高校の制服を着た、きりっとした眉毛が特徴的な三白眼の男でした。今さっき人を2、30人殺してきたかのような雰囲気を纏った強面で、不良、というよりはやくざ気味な、クラスではきっと「若頭」とあだ名されているのではないかと自分は勝手に想像しました。
「あ、樫原君です」
 ハル先輩が確認してくれました。ハル先輩も2年生なので、同級生なのでしょう。電話の主である事は間違いないようです。
 そして再び着信。今度は直接自分が出ました。
「遅刻するぞ」
 眼下3mほど先で喋る樫原先輩の声が、電話を通して聞こえました。
 何はともあれ、くりちゃんの人生はまだ終わってないようです。
「五十妻元樹。木下の今後なんてどうでもいいんだろ? なら、勝負しようじゃないか。木下を素材に使うのに問題ないという事だ」
 自分が手にしようとしていた有利は、どうやら砂で出来た脆い物だったようです。
 いえ、そもそも最初から、自分に選択肢などは無かったのかもしれません。
「俺の性癖は淫語だ。お前は?」
 おもらしの素晴らしさを理解しない方には、実力行使でもって分からせるしかない。おもらしをする少女は究極の美を体現し、世界の理を支配する。自分にはそれを愛でる力があり、他の性癖は全てこれの下位交換でしかない。ならば勝負以外ありません。
「自分はおもらしが好きです」
 答えると同時、樫原先輩の頭上に0%と書かれた勃起率が点灯しました。


 思い返してみるに、他のHVDO能力者との真っ向性癖バトルというのは、春木氏以来久しぶりの事かもしれません。知恵様とのバトルは相手をいかに騙して脱出出来るかの変則的な物でしたし、三枝生徒会長の野外ストリップは、自分を敵として行った物ではありませんでした(トムの策略により会場に導かれた自分は勝手にピンチに陥っていましたが)。なので、自分の性癖を相手に理解してもらうという本来の趣旨に沿ったバトルは、実に久々の事です。
 脳の普段使っていない部分が、急激に揺り起こされていく感覚を覚えます。性癖バトルは感情がそのまま力になるという単純な物ではなく、頭を使い、相手の虚を突き、興奮するポイントを見極めなければ、勝利を収める事が出来ません。そして最大限にくりちゃんを羞恥させ、その魅力を引き出す。この作業において自分は負ける訳にいきません。
 何はともあれ部屋の中では出来る事が限られていますので、自分は言いました。
「今、そちらに降りていきます」
「その前に1つ言っておこう」と、樫原先輩。「いや、言葉にする必要もないか」
 意味を分かりかね、問いただそうとした瞬間、鼻腔を通じて理解はやってきました。
 悪臭。
 部屋で普段生活している時にはまず感じないタイプの臭いでしたので、自分の鼻は敏感に嗅ぎ取り、そしてそれが非常に心地の悪い物であると即時判断を下しました。具体的に言えば、全然手入れの行き届いていない真夏の公衆便所という所でしょうか、尿の臭いならまだしも、糞の発酵した臭いが織り交ざった、鼻のひん曲がりそうな汚臭です。
 思わず鼻をつまみました。ハル先輩も同様のようです。しかしただ1人くりちゃんだけは、きょとんとして、自分とハル先輩の変化の理由が、まるで分かっていないようなのです。
「な、何ですかこの臭い!」自分が叫ぶと、ハル先輩も「臭すぎますです!」と、悲鳴をあげました。
 くりちゃんの焦る顔。2人っきりのエレベーターで硫黄臭のするすかしっ屁が出てしまった人のようなおろおろとした反応に、自分は確信を得ました。人間、自分の臭いというのはなかなか分からない物で、例え友人同士であっても「お前、臭い」と言うにはかなりの勇気が必要で、それが分かっているだけに、「もしかして自分も臭いのではないだろうか」というネガティブ思考も生まれ、結局、体臭という名の大魔王は誰か親切な勇者が現れるまで放置されたままになりがちなのです。
 しかし、今くりちゃんが放っているバッドスメルオーラは、そんな甘い事を言っていられるレベルの代物ではありませんでした。
「木下さん、くさいです!」
 自分より先に言ってのけたハル先輩。先程、淫語を通じて培ったはずの友情は最早宇宙の彼方に吹っ飛ばされて、またも裏切られたくりちゃんは、引きつった笑顔で自分の腕をくんくんと嗅いで、首を傾げて「おちんぽ……」と呟いていました。
 この劇物的な体臭も、淫語と同様に不自然なものです。樫原先輩の別の能力かと疑いましたが、「臭い」と「言葉」の関係性は、いくら考えても思いつきませんので、可能性は非常に低いでしょう。それに性癖は1人1つ。この決まりが意味する答えは……。
「卑怯だと罵るならそれでもいい。俺も、負ける訳にはいかないんでな」
 2人目の敵。その存在です。


 2対1。
 拳と拳を交えるような普通の喧嘩の場合、「数の暴力」というのは決定的な有利を生むはずで、それは例えば実際に血の伴う戦争においても、盤上で白熱する駒同士の戦いにおいても、「数の多い方が勝つ」と言っておけば少なくとも50%以上の確率で予想は的中するであろうと思われます。
 しかし性癖バトルにおいてはどうでしょうか。相手の扱う性癖にさえ「刺さらなければ」、こちらが勃起する事はありえませんし、また、こちらが仕掛けた1つの行為によって、同時にそれを見ていた複数の敵を倒す事が可能なので、極端な戦力差は付き難いように思われます。
 もちろん、敵が多ければ多いほど、その中に何かしら、自分がうっかり魅力的に感じてしまう性癖が眠っている可能性が高くなるという点においては、「数の有利」というのは確かに存在しているかもしれません。ですが、現時点における、「体臭」と「淫語」は、幸いな事にどちらも自分のストライクゾーンからは大きく外れており、淫語しか口にする事が出来なくなった上、身体がいきなり臭くなったくりちゃんは、確かにどうしようもない程かわいそうな存在だと思いますが、それでもなお性的な興奮はいまいち覚えません。
 それよりも、今から同時に2人を倒せば、当然一気に新しい能力を2つ得る事になり、5分間の無敵能力「ピーフェクト・タイム」が再び手に入ります。あの能力は性癖バトルにおいてはかなり強い部類に入ると、春木氏が太鼓判を押してくれた事もあり、ある種この2対1という状況は、リスクが少なくリターンの多い、ピンチというよりはチャンスであるという解釈も出来ます。
「卑怯だとは思いませんね」あえて自分は余裕を見せます。「やれる事は全てやるべきです。何せ陰茎懸けですから」
 電話の向こうからは、自分よりもっと余裕のある声が返ってきます。
「物分りが良くて助かる」
「では、この汚物……じゃなかったくりちゃんを使って、2対1の勝負を始めましょうか」
 自分は窓の下をそっと覗きます。樫原先輩は表情を変えず、告げました。
「誰が2対1と言った?」
 この時点でようやく自分は、恐怖を感じたのです。
 それは許されざる鈍感さでした。相手は既に自分の事を調べ上げ、「命令された」という一切感情の排された理由で倒しにきており、まるで毎日こなしているルーチンワークを行うがごとく落ち着き払い、手馴れた風に追い詰めてきている。そこには当然周到に用意された自分を殺す手段か、あるいはほぼ負けないであろうという確たる勝利の方程式のような物があるはずで、それが自分には見当もついていなかったのです。
 負ける訳にはいかない。自分で言った事です。感情だけでは勝てない。これも自分で言った事です。
 認識をしていても思考が付属していなかった。後悔は足音もたてずに、気づくと背後に立っていました。


「くりちゃん……喋れない以上、見せてくれないと、伝わりませんよ」
 言いたくない事を言うには大量のエネルギーを使うもので、しかも事態が好転する事は稀です。しかし言わなければならない事が、今のうちに確かめておかなければならない事がある場合、そこに選択の余地はありません。
 思えばくりちゃんは、この部屋に入ってきてから、ずっと「何か」を訴えていました。それはもちろん、「淫語しか喋れなくなった」という異常事態を伝える手段としては的確で、なおかつそれ以外に無い方法ではありますが、もしも「淫語しか喋れなくなった事」が「今1番恥ずかしい事」ならば、むしろ口数は出来るだけ少なく、一旦それを相手が理解した事が確認出来たのなら、そこからは完全に口をつぐむのではないでしょうか。
 くりちゃんも馬鹿ではありませんから、それは分かっていたはずです。でも必死に訴えるしかなかった。自分を責める事によって、察してもらう事を望んでいた。肩を落とし、目に涙を溜めながら、深く俯いて、唇を震わせるくりちゃん。自分はそっと背中を押します。
「約束します。くりちゃんが協力してくれるなら、必ず樫原先輩を倒します」
 くりちゃんはゆっくりと立ち上がると、制服の上着を脱ぎ、シャツのボタンを1つずつ外していきました。
 先程まで漂っていた悪臭は、気づくと別の臭いに変わっていました。前の臭いを自分は「公衆便所」と表現しましたが、今度のは「汗の臭い」です。例えるなら、1日中走っていた陸上部の女子の脱ぎたてソックスといった所でしょうか。すえた臭い、いやこの場合、「匂い」の字を当てるのが適切かもしれませんが、それは匂いフェチならずとも性的な印象を受ける、スポーティーでエロティックな芳香であり、包み隠さず正直に言えば、自分はごくごくたまにくりちゃんからするこの匂いがちょっと好きでした。
 おそらくまだ見ぬ「体臭」のHVDO能力者は、くりちゃんの身体から発生する匂いも、ある程度コントロールする事が出来るのでしょう。公衆便所臭が不評だったので、こちらに変更した、と見えます。
 やがてシャツを脱ぎ終わったくりちゃんは、まだ当分は必要ないであろうブラを手で少しでも隠しながら、縮こまっていました。ハル先輩はいきなり脱ぎだしたくりちゃんに戸惑っていましたが、自分はフォローを入れる余裕も持てず、くりちゃんの身体を観察していました。
 鬼が出るか、蛇が出るか。
「3対1だ。もう増える事はないから安心しろ」
 耳元で樫原先輩の声がしました。
 次の瞬間、意を決したようにくりちゃんは両手を高く挙げ、バンザイのポーズをしました。
 もっさー。
 なんという腋毛。
 しかもそれは、さしみのつまのようなささやかな物ではなく、色違いの黒いモンジャラが草むらから飛び出してきたかのような存在感を放ち、くりちゃんの脇にがっぷり生えていました。くりちゃんは顔を真っ赤にして、恥ずかしさで爆発しそうになりながら、頑張って二の腕をぷるぷるさせつつ、バンザイの姿勢を維持していました。全開になった情熱のアポクリン腺から、例の汗臭もとめどなく溢れ、自分の部屋は柔道部の部室並に酷い事になりました。
 それからくりちゃんはそっと妖刀・脇一文字を鞘に収めると、自信なく曲がった指で、自らの股間を「ここ、ここ」という風にさしました。
 どうやらまだ地球には藤岡弘、の探検していない未開のジャングルがあったようなのです。腋毛だけではなく陰毛も似たような事になっている。ひょっとすると、村……ではなくケツ毛も……。
「引きました」
 思わず自分がオブラートをビリビリに破いた感想を述べると、くりちゃんは反射的に罵るような口調で叫びました。
「あたしのエロエロまんこから変な匂いがするからいやらしい毛全部剃って!」
 初めて状況に適している事を言ったな、などと思っていると、今度は自分の身体に変化が起きていました。
 しかしそれはくりちゃんのように絶対的に誰かのせいという訳ではなく、強いて言えば自分のせい、かなり贔屓目に見て責任転嫁モードを全開にすればむしろくりちゃんのせいと思われる変化でした。
 100%。
 性癖バトルにおいては負けを意味するこの数字を、自分のエロエロちんぽはいともあっさり達成してしまっていた訳です。
 淫語+体臭+剛毛。
 完全に嫁の貰い手がいなくなったくりちゃん。自分は迂闊にも興奮してしまいました。

       

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