Neetel Inside 文芸新都
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 ○7○

 駅のすぐ近くに、小さな交番があった。
 まだ出来たばかりらしい、少し洒落た木造製の交番だ。
 僕達は、そのドアに手をかける。引き戸を引くと、ガラガラと音を立てて扉がスライドする。

「もう、マスターったら本当におっちょこちょいなんですから」
「すまない」
「それで、何落としたんですか? 財布? 携帯? それとも自宅の鍵とか?」
「いや、全部ある。それは大丈夫だ」
「なんだ、なら大事ないですね。一体何落としたんですか?」
「それは……」思わず言葉に詰まる。

 恐らく僕が何を落としたのか、この場で正直に告白した途端、彼女は白目をむいて倒れる事だろう。二十五万はした指輪だぞ。

 僕がどう説明したものかと困っていると、目の前に婦警がいることに気付き、僕達は同時に体をビクッと震わせた。全く気付かなかった。気配がなかった。
 婦警はやる気がなさそうに机に頬をつけたまま、ジッと人形の様にこちらを眺めている。こんなに目が死んでいる人間を見るのは初めてだ。

「な、何だか様子が変ですね、マスター」
「う、うむ」

 婦警はこちらを視認しているのに、動く気配がない。瞬き一つせず、まるで不気味な人形に見つめられている気分になってきた。
 いよいよどうしようかと思っていると、奥から「あぁ、すいませんねぇ」と警官が一人出てきてくれた。少し若い顔立ちの、人の良さそうな警官だ。
 
「お待たせしました。どうかされましたか?」
「落し物をしたので、届けられていないか確認したいのですが……その、そちらの方は?」
「ああ、大丈夫ですよ。気にしないで下さい」無理だ。
「とりあえず、こちらの書類にお名前と住所を記入していただいていいですか」
「わかりました」
「何を落とされたんですか?」
「えっ?」

 一瞬答えるのをためらった。
 僕のすぐ後ろには彼女が居る。
 指輪を落とした、などと口が裂けても言えない。
 いくらなんでも、サプライズを計画して肝心のブツを落とすなどありえない話だ。
 こんなしょぼいネタバレは、さすがにしたくない。

「えっと……箱です。小さな」
「箱? 中身は?」
「えっ? 中身ですか? 箱の?」
「ええ」
「そうですよね。えぇと……ゆ、指、指」
「指? Finger?」
「No finger。そのですね、えぇと」

 僕が彼女をチラチラと見ながらワタワタしている様子から勘付いたのか、警官がニヤリと笑った。
「分かりました。じゃあここに記載してもらって良いですかね。……彼女さんには見えないように」
「助かります」神かよ、と言いそうになるのを堪えた。

 言われた通りに書類に記入していると「今日はデートですか?」と尋ねられる。
「え? えぇ……まぁ」
 あんまり明言すると彼女がまた興奮し出すので、僕は小声で答えた。

「良いですね、クリスマスデート」
「お巡りさんは、こう言う日は特に忙しそうですね」
「ええ。慌しいです。でも、ちょっと懐かしくなります」
「懐かしく?」
「はい。実は、元々ケーキ屋さんだったんです」
「ケーキ屋さん?」えらい方向転換だ。
「ええ。そこで座っている彼女はその時、麻薬捜査官でした」
「その二人が、なんで交番のお巡りさんに?」
「降格したんですよ、彼女。僕を彼女が誤認逮捕しかけたことが理由で」ろくでもない。「彼女は過去に四人ほど、麻薬捜査関連で誤認逮捕をしていました。降格が掛かった最後の案件で、彼女に逮捕されそうになったのが僕です。僕は彼女から逃げました。その脚力を認められて、警察官になったんです」
 肝心なところが吹っ飛びすぎてまるで意味が分からない。
「じゃあ、そこで座っている婦警さんは降格をされたから、あの調子なんですね」
「いえ、降格したのは大分前で。あれはただの二日酔いです」
「帰れ」

 下らない事を言い合っているうちに、書類の記載が終わった。
 僕が無くした物を見て「ああ、なるほど」と警官が声を出す。
「これはねぇ、ちょっと届いて無いですねぇ」
「やっぱりそうですよね」
「別の交番に届いてる可能性もありますし、確認しましょうか? どこで落としたかとか、心当たりは?」
「それが、全くなくて」

 指輪の行方について僕達が考察していると、不意にガラガラと交番の扉が開けられた。
 来客だろうかと、何気なく振り返って、目玉が飛び出そうになる。
 やって来たのは、僕が指輪を買ったあの胡散臭い販売員だった。あの印象だ。間違えるはずもない。

「みことくん」
 僕が内心で驚いていると、警官がそう言ったのでますます驚いた。知り合いかよ。
 みことくんと呼ばれた販売員は、僕には気付かず「テメー、いつまで待たせんだよ!」と大きな声で警官に詰め寄る。

「六時に待ち合わせっつったのオメーじゃねぇのかよ? あぁ!?」
「いや、まだ職務中だからね? ちょっと落ち着いて」
 胸倉をつかまれる警官。凄い光景だ。
「これが落ち着けるかよ。クリスマスだぞ? 今日は。人の貴重なクリスマスの時間を削ってんだよ、テメーは。ちょっと就職したからって調子乗ってたら撥ね殺すぞ?」
「はい」

 そこまで恫喝すると、みことくんはこちらをチラリと一瞥する。
「オメーの仕事が遅いから市民の皆さんが困ってんだろが糞がボケが!」
「いや、困ってるのは君の存在にだね」
「口答えすんじゃねぇ!」理不尽の上塗りがえげつない。

 警官とみことくんは知り合いらしいが、軍曹と新兵ほどの立場の差があった。

「と、とりあえず、書類は受理しましたので、行ってもらって大丈夫ですよ。後で、近くの交番に確認しておきます」
「え、えぇ、よろしくお願いします」
 一瞬当惑したが、横にいる彼女が「行きましょう、マスター」と頷いたので、僕達はいそいそと交番を出た。

「なんだか凄い現場に遭遇しましたね……」
「修羅場という奴だろうか」
「そう言えばマスター、さっきの女の人、知っているようでしたけど」
「ちょっとね」
「浮気ですか?」
「病気かよ」ヤンデレばりに嫉妬心がえげつない。

「それで、どうします? レストラン」
「えっ? どうするって、そろそろ行かないと予約の時間に間に合わないだろ?」
「でも、マスターが落としたの、大切なものだったんですよね? そんな状況で食事に行ったって、マスター楽しめないでしょ?」
「じゃあどうするんだよ。このまま帰るのか?」
「決まってるじゃないですか!」
 彼女はぐいと一歩、僕に歩み寄ってくると、僕の手を掴んだ。不意の行動に、心臓が跳ね上がる。距離が非常に近い。近い、近すぎる。
「探しましょう! 落し物! 二人で!」

 ……ああ、そうか。
 この時、僕は何となく分かった。
 クリスマスにも関わらず、ずっと楽しみにしていたにも関わらず、彼女は嫌な顔もせず、さも当然と言うように、僕の指輪探しに付き合おうとしてくれている。
 その明るさや、前向きさや、優しさや温もりが、どれだけ僕にとって光となっていたのか。
 
 僕はこの時、改めて自覚したのだ。


       

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