Neetel Inside ニートノベル
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 それが今の逢坂を形成するのに充分たる理由だったのかといえば、分からない。
 けれど彼女は歪んでいる――精神が、性格が、人格が壊れているのだ。
 しかし――彼女は本当に歪んでしまったと言い切ってよいのだろうか。
 『歪む』というのは元にあった精神が崩壊して初めて『歪む』と言えるのだ。
 つまりそれは端から見てある人間の性格が悪い意味で変わってしまうということ。
 ならばその定義の中に彼女は――逢坂結はそれに該当するのだろうか。
 初めから歪んでいる彼女を、歪んでしまったと言い切ってよいのだろうか。

「……これはあれだな、八百長だな」
「んな訳ねーだろ馬鹿。聡一にセンスが無いだけだ」
 澄み切った青空が広がる土曜日の昼下がり、『いいとも』で定番の新宿アルタ前のモニターの数倍はあろう大画面の前で、俺は馬券を人力シュレッダーで細切れにしていた。
 何故かと言われれば逢坂に誘われたからなのだが、それにしても趣味がおっさん臭過ぎる。
 要するに俺は月5000円の小遣いが倍になるかもしれないという、うまい話に乗せられて単勝1番人気に1000円賭け、そして物の見事に快晴の彼方に飛ばされていった訳だ。
 因みに競馬新聞片手に喜ぶ逢坂の奴は10000円以上も勝っていやがった。
「センスも糞もないだろ、2.5倍で1番人気な上に親があのディープインパクトだぞ? それが3着ならまでしも着外で負けるって、刺青はいったおにいが絡んでいるに違いない」
 しかも騎乗しているのはあの武豊さんなんやで…………ってあれ? 武幸?
「そりゃブランドとオッズに惑わされてる典型だぜ聡一、いっとくけどディープが親の馬は他にも沢山いるけど、どの馬も悲しいまでに走って無いんだぞ?」
「え? そうなの?」
 ディープインパクトといえば競馬知識が皆無の俺でも知っていたから、てっきりその子もすんげー速い馬だと思っていたんだが……、1敗しかしたこと無いらしいし。
「まったくよーそういう事はちゃんと下調べしとかないと駄目に決まってんだろ? 前走のタイムとか距離がその馬に合っているのかとか、細かい所が結構重要になってくるんだぜ?」
 たとえ俺の脳の機能が普段の2分の1しか使えなくなったとしても逢坂の奴から教えを頂くなど那由他が一にでも無いと思っていたが……まさかこんな形で訪れようとは不覚。
「……ていうか、そういう所に頭使えるなら勉強にも頭使えよ」
「うっ、それはごもっともではあるが……ほら、嫌いな事ってどうにも本気が出せないじゃん?」
「まあ、俺も決して頭良い部類の人間ではないからな、気持ちは分からんでもないが」
「気合い入れる為に掃除始めたら、時間が掛かり過ぎて明日でいいやってなったり」
「他にも教科書とか参考書を開いただけ勉強した気になっちゃうんだよな」
「そうそう! 他にも1人SMごっことかしたり――」
「いや、それはない」
「あれっ」
 全く持って、共感出来ない。
 何で俺の周りはこう基本変態しかいないのか。
「けどよ、今回咲乃ちんとの勝負にはとっておきの秘策があるんだなこれが」
 そう言って妙に自信あり気に胸を張る逢坂。
 己のやる気次第の勉強に秘策も糞もない気のせいだろうか。
「……ほう、とりあえず聞かせて貰おうか」
「yahoo――」
「ダウト」
「まだ一単語しか言ってないだろ!」
 睡眠学習とかならまだしもまさか最近流行りの手法を持ち出して来るとは流石逢坂さん。
「一単語しか言ってなくても分かる。どうせ携帯を使って分からない問題をyahoo知恵袋に問題を投稿し、そして第三者に回答してもらうつもりだったんだろ?」
「なっ!? 何で分かった……! 我ながら天才的な案だと思っていたのに…………はっ! さては聡一が過去に実証済みの十八番だったりするのか!?」
「そんな訳無いだろ、もっと新聞読めボケ」
 カンニングして真ん中よりちょっと後ろの順位って、どんだけ俺アホなんだよ。
 これが洒落じゃなくてマジで言っているから怖い。
「関係ないけどさ、逢坂ってギャンブルが趣味なのか?」
 恐らくこれ以上考えさせてもカンニング以外の秘策を思いつきそうな気配が無いので強制的に話題転換。
「え? ああ、確かに今時の女子高生の趣味が競馬って珍しいもんな」
 もしかしたら最近の女子高生の間では俺が知らないだけで競輪や競馬やボートレースが超イケイケなのかと思っていたが、どうやら問題無く逢坂の間でだけのブームらしい。
「別に趣味って訳でもないんだけどさ、単純にこの場所の、この雰囲気が好きなんだよ。ただここにいてもやれる事って馬券以外も何もないだろ? 小遣いは腐る程あったからさ、元々は時間潰しの為にやり始めたんだ。だから趣味というよりは『ついで』かな」
 そう彼女は淡く、儚げな顔をして言った。
 その姿は、風貌は、いつでも、四六時中見受けられる逢坂のそれでは無く、まるで欧州の貴族を思わせるその気風で――俺はほんの一瞬彼女を額縁に入れて飾りたい衝動に駆られる。
 当の本人は無意識だったのかもしれないが、逢坂のそんな顔を見たのは初めてだった。
「ついでって、じゃあこの場所はお前にとって思い出の場所か何かなのか?」
 こんな馬とおっさんしかいない様な場所がか、というのは寸前で飲み込み、問う。
「んー、敏明に連れて行って貰った場所らしいけど、思い出と言われると――」
「は? とっ、敏明?」
 まさか元彼と一緒に行った場所とかいう滅茶苦茶で無茶苦茶な展開はふざけ倒せよ。
「ん? ああ、敏明っていうのは私の親父の事ね」
「へっ、親父……?」
 何だ……逢坂の父親か……ってちょっと待て。
「お前、自分の父親の事を名前で呼ぶのか?」
「えぁ? そりゃまあ、別に親らしい事して貰った記憶ないからなあ」
 だから親父じゃ違和感バリバリだから名前で呼ぶんだよ――と、それがまるで当然であるかのように、不満に持った記憶すら無いとでも言いたげな顔で、彼女は答える。
 そんな話、漫画や小説の世界だけの、都市伝説かと思っていた。
 ただ逢坂の父親って新都高校の理事長である以外よく分からない、というのはあった。
 いや、そりゃ勿論友人の父親なんて家族ぐるみの付き合いじゃなきゃ詳しく知らなくて当たり前なんだけど……何というかそういう意味じゃなくて――まるで名目上名前があるだけで本当は存在しないのではないかと思わせるほど誰も彼の事を詳しく知っている者はいないのだ。学校行事に挨拶しに来た場面すら見たことないし。
 それこそ逢坂結しか知らないんじゃないか? というぐらい。
 でも、その逢坂でさえ、家族でありながら殆ど絶縁状態にあったなんて……。
 咲乃の親といい、逢坂の親といい金持ちは自分の子供を他人とでもおもってんのか?
「母さんも私が物心つく頃にはいなくなってたしな――あ、いっけね、こういう家庭の内情は関係無い人に喋ったら駄目って深雪に言われてたんだった。まあ、別に聡一ならいっか」
「え……? ちょ、ちょっと待てよ」
 今何て言った? 母親が……いない?
「なんだよ」
「何で……そんな平然としてられるんだよ? 母親がいなくて――父親もいないようなもんなのにどうして……そこまで平気な口ぶりで話せるんだよ?」
「え? うーん、何でだろうな――深雪がいたからっていうのもあると思うけど――正直私にも分からない。だからこう言うのもなんだけど同情みたいな、情けみたいなのを掛けられても返事のしようがないんだよね――聡一、なあ聡一――それっておかしいのかなあ?」
 まるで他人事のように話し、問い掛けてくる逢坂に俺は寒気を覚える。
 おかしい? おかしいなんてもんじゃない、それはもう狂っているよ。
 けれど、そんな台詞を吐ける筈が無かった。自覚を、理解を、認識をしていない彼女にそれを教えたところで『へぇ』の一言で終わりだろう。それを世間の当然として、疑問を持たさないように育ってきた彼女に今更それを説いた所でそれは筋違いな気がする。
 そう、もし分かっているのなら、何も知らなかったなら、ほんの数ヵ月でも両親と過ごす期間があったならば自身の境遇に何かしらの寂寥感を覚えて然るべきであるからだ。俺の眼前で彼女はそれを疑問に持って生きている筈なのだ。
 しかし、現実は同じ屋の下に住んでいる父親も深雪とかいう教育係みたいな奴も逢坂の『当たり前』の器に『有り得ない』を詰め込んだ。だから、今の彼女が作られた。
 なら、おかしいのは逢坂じゃないのかもしれない。
 おかしいのは逢坂を取り巻く環境――。
「――おかしくないよ、何も、おかしくない」
 今なら分かる、どうして彼女が咲乃や東橋に対してあんな行為に及んだのか。
 恐らくそんな事ですら――善悪の区別すらよく分かっていない。
 何故彼らが彼女をこんな形にしてしまったのか――理由は分からない、だけど、それが彼女を幸せにさせたとは俺には到底思えない。
「だよなあ、皆おかしいって言うからずっと不思議だったんだよ」
 相変わらず聡一は私のこと分かってくれるなあ、と歯を出して笑う逢坂。
 やべえ、普通に可愛い。
 じゃなくて。
「だから――」
 だから、壊してやろう。
「一緒に世紀末テストの勉強しよう」
「――ふへ?」
 誰も彼女を、普通の彼女に何もしようとしないなら――
「毎日は無理だけど、互いを監視し合って頑張って勉強しよう」
「いっ、いやでもそれだと本来の目的ある意味果たしてしまうような……」
 俺が普通の彼女を壊して、おかしくしてやる。
 それが咲乃の言う真の解決に繋がるのであれば尚更だ。
「雑談さえしなければ1人で勉強するよりは捗ると思うぞ? まあ嫌なら別に――」
「いやいやいやいや! 嫌なんていってねーよ!? 寧ろ全くおっけーだよ、万事オールライトだよ、問題ナッシングナイトクルージングだよ! 一緒にやろうぜコンチクショウよ!」
「お、おう、とりあえず国語から勉強するか」
 だから、逢坂の事をもっと知ろう。俺の方から歩み寄ろう。

 そうして俺は5枚目の馬券を破り捨てた。

       

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