Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「やあ、久しぶりだね」

 昨今の日本人サッカー選手の海外におけるめざましい活躍に、にわかにも関わらず並々ならぬ影響を受けていた俺は、体育の授業において盛大に調子に乗る気満々であった。
 故にサイドバックを任されていた俺は完全に、完璧にと言っていいほど長友の気分であり、というか俺が長友であり、サッカー部のストライカー相手に封殺する気満々だった。
 が、冷静に考えてみればそもそも毎日血の滲むような、血反吐をはく思いで練習やフィジカルトレーニングを積んでいる筋骨隆々のレギュラー選手と、家から学校までの距離を行き帰り合わせても10分程度で通学し、ましてやパンを口に咥えて激走通学した記憶もない帰宅部のホワイトアスパラとの体格差など歴然という言葉を用いるのも烏滸がましいほど圧倒的ゆえ、オチは最初の接触で2mも吹っ飛ばされて両足がお逝きになるという大変無様なものであった。
 ていうか両足捻挫ってなんだよ、聞いたことねーよ、超レアだよ、パラレルレアだよ。
 しかも何で若干捕らわれた宇宙人みたく運ばれてんだよ、担架もってこいよ。
 うーむ、にしてもウイイレで結構修行したつもりだったんだけどなあ。
 ……まあ咲乃の野郎宇宙規模で強かったけどな。
 俺がバルサで咲乃が北朝鮮でも0-5で負けたし。
 ちゃっかりハットトリックとかされたしね、ふざけろ。
 まあ。
 そういった経緯を経て、俺は保健室にいるのだった。
「…………いや、多分初めましてだと思うのですが」
「あれ? そうだったかな、君とは随分と前から面識があるような気がするのだけど」
「そう言われましても……生き別れでも無い限り面識なんて……」
 まあそんなはずも無いのだけど。
 第一、虚弱で、脆弱で、ひ弱なボディの癖に無駄に健康体に産まれてしまった俺は、自慢だが生まれてこの方体調不良なる症状で保健室にお世話になったことは一度もないのだ。
 ましてや帰宅部であるこのわたくしが、生傷の絶えない日々を送るなどもってのほかなので恐らくその線も無い、怪我などしてはエースの面目丸潰れだからな。
 だとすれば身体測定の時、だろうか。
 いや、でもあれは確か教師総出で全校生徒を検査するはずだから、その中から保険の先生に当たるなんてまずないだろう、仮に当たっていたとしても何百人もいる生徒の中から大してイケてる顔でもない俺だけに強い印象に残るなんて幾ら何でもあり得ない。というかそんなどうでもいい出会いで一々『久しぶり』なんて言葉を使うのは話が噛み合わないだろ。
 だとしたら何だ? 単純に俺を保健室の常連だった人と勘違いしているのか?
「ふむ……、それでも君の顔は何度か見た記憶があるのだけどねえ、一体何処だったかな」
 しかしやはり何か引っかかるのか、火本先生は喉に刺さった小骨を取り除こうとするような面持ちで、俺との接点に夢中になり続けるのだった。
 ……ん? いや、日元だったかな?
 漢字は忘れたけど、確かそんな名前。俺が通う新都高校の保健担当の先生。
 生徒(主に男子から)は『美人過ぎる教師』として有名だったので名前と顔はよく知っていた。ショートヘアに猫目が特徴の、水泳か新体操でもやってそうな、そんな見た目。
 ボディラインに至っては峰藤子を彷彿とさせる優美さで、可憐な曲線を描いており、男子生徒が主に上半身の出血で保健室にお世話になるのも頷けるものがあった。
 ただ俺の場合、年上の女、もとい大人な美しさにあまり魅力を感じないタイプなので、男子生徒が飼っている象が麒麟に変化するという保健室に行ったことが無かったのだった。
 ――別にロリコンとかそういうのじゃなくてね。
 ていうか、早く俺の足診てくれよ。
「…………やっぱりどうしても思い出せないね、君、名前は何て言うんだい?」
 一頻り脳のハードディスクを漁っても検知出来なかったのか、彼女はそう質問してきた。
「あ、えっと、北海堂、北海堂聡一ですけど」
「きたかいどう…………? きたかいどうそういちねえ……そういち……そういち……そのうち………………そう……………………そう………………………………聡ちゃん?」
「はっ!? えっ、あ、いや、な、何でしょうか……?」
 唐突にちゃん付けで呼ばれたのでつい頓狂な声を出してしまう。
 いや、その呼び方は――
「そうか、そうか、そうか、君があの聡ちゃんか、咲乃の奴からよく話は聞かせて貰っているよ、なるほど、なるほど、君があの咲乃がこよなく愛す聡ちゃんだったのか」
「え……? 先生咲乃のこと……知っているんですか……?」
 まるで喉にフィルターを付けられたかのように急に声が詰まり気味になる。
「知っているも何も、あの子は僕の娘みたいなものだよ、咲乃が新都高校に入学したその日からずっと百合百合しいお付き合いをさせて貰っている」
 そう、彼女は薄ら笑いを浮かべながら、飄々と答える。
 ――待て、そんな話、聞いたことないぞ?
 確かに俺と咲乃が話すようになったのはつい最近の話だから、いくら付き合っているといっても中学以降の互いの生活実態についてあまり知らないのは当然のことだ。
 しかも、その空白の5年は咲乃から進んで話したがらない――というよりはまるでその期間は存在しなかったかのように振る舞うので、俺からも何となく、踏み込めないものがあった。
 ただ、それを別にしても、あいつは、咲乃は、はっきりと自分の口から学校など行く必要がないと、そう公言していたはずだ、なのに保健室にはいつも行っていたというのか……?
 一体何の事情があって――?
「咲乃は授業を受ける必要がないといっただけで、学校に行く必要ないとは一言もいってなかったと思うよ? まあそこら辺に関する入れ知恵は大体僕がやったからなのだけど」
 そう言うとひもと先生は徐に『わかば』と書かれた黄緑の箱をポケットから取り出すと、箱から煙草を押し出し口に咥え、卓上に放置された用途不明のチャッカマンで火をつける。
 そして、濃霧警報レベルの大量の副流煙を、満足そうに吐き出した。
 …………………………………………まじかよこの女。
 医者の不養生なんてよく言ったものだがここまで大胆に、しかも保険室内で、あろうことか一生徒の前でひけらかすように吸うとか……不養生を通り越してただの阿呆だろ。
 よくよく見ると天井や彼女の白衣にも澄まし顔でヤニの黄ばみがこびり付いており、どうやら俺だから、という訳でなく日常的に、至極当然に公私を混同しているようであった。
 ――まあ、そういう部分も含めて男子共からは大人の魅力を感じさせる女性として絶大な人気を博しているのだろうけど、俺から言わせれば『不快』以外の何物でもなかった。
 だからこそ、なのか、咲乃がこの女と深い接点があるとはどうにも信じ難かった。
 ――いや、もしかしたら信じたくなかったのかもしれない。
 そう。
 それほどまでに彼女は、この女は不気味な、不吉なオーラを放っている気がしたのだ。
 人を見た目で判断してはいけないことぐらい道徳の範疇として理解している、だから彼女の非常識さを軽蔑したのではなくて、根本的に『この女は駄目』な気がしたのだ。
 それがただ、煙草をきっかけに表面化して見えたように思えた。
 どうしようもない、生理的な、本能的な拒絶反応。
 たとえそれが咲乃と似たような喋り方だとしても、杞憂には出来そうになかった。
 無意識下にあった違和感が増長し、意識下を浸食し始める。
「それにしても近年の煙草の値上がりには参っちゃうよね、いやこんな3級品でも吸わないと碌に身体が働かない自分にも参っちゃうのだけどさ、公務員だからといって皆金持ちとは限らないっていうのにさ、世間は未だに勘違いして気が狂ったように叩き続けるんだぜ? その所為で缶ピーさえも吸えないなんて全く嫌になるよ……聡ちゃんもそう思わないかい?」
「いや、俺未成年ですから、社会人じゃないのに大人の事情とか分かりませんから」
「あれ? 聡ちゃんは煙草を吸わないのかい? 今時珍しいね、僕が学生の頃はやんちゃしてようがしてなかろうが男なら皆ドヤ顔で吸っていたものだったけど」
「どこの無法地帯だよ」
「それに君は僕を目の前にして全く挙動不審にならないんだね、大抵の男子生徒は股間が荒ぶって満足に会話も出来ないものなのだけど……、ああ、それとも聡ちゃんは咲乃みたいな幼児体型で端正に舗装された道路みたいなパイオツの女の子にしか欲情しないのかな?」
「誰がペドフィリアだ」
 いつの間に俺は幼女好きの設定になったんだ。ちゃんとプロット確認しろ底辺作家。
「それともあれかな? 僕と咲乃の思わぬ義親子関係に少し戸惑っているのかな?」
「――、……」
 虚を突いた物言いに、一瞬声が詰まる。
 確証のない何かが俺を囃し立てるが、悟られぬよう平静を装いながら、口を開く。
「…………いえ、まあ咲乃が授業に出席せずに保健室に通っているとは思いませんでしたけど」
「知らないのも無理はないよ、聡ちゃんは中学校以来咲乃と全く音沙汰無かったのだから」
 まるで人工衛生を使って常に監視しているような、全てを見透かした口調。
 外見を除けば咲乃と会話をしているのと何ら変わりない幻覚を見せようとするこの女は、やはり今も昔も遜色無く、俺が知らない咲乃を知っているのだろう。正直に言えば、昔話に花を咲かせる程度のノリで根掘り葉掘り話を聞きたい気持ちは山々だった。
 けれど、足を引っ張るかのように抱き続けている彼女への不信感は、他愛もない昔話をタブーへと変貌させ、二の足を踏んでしまう。
「そうなると、もしかしてテストとかも保健室でやっていたんですか?」
 そして結局、虚飾溢れる与太話を持ち出すのだった。
「うむ、本当は咲乃が高等学校如きで習う勉強など受ける価値皆無なのだけどね。ホラ、聡ちゃんもご存知の通り彼女は出席免除の代わりにテストで上位に入らないといけないように言われているからさあ、仕方なくここで、って奴だよ」
 咲乃を疑うつもりは無かったけど、やっぱり毎回定期考査で1位をキープしているって話は本当だったのか。でもあいつ、小学校の頃は別に神童って訳でもなかったんだけどな。
「それがどうかしたのかい?」
「いや、咲乃の奴が定期考査ではいつも上位に入ると自負していたんですけど、そもそも学校に行っていないのにどうやってテストを受けていたのかずっと疑問に思っていたんですよ」
「ああ、そういえば君達は咲乃と今回の世紀末考査で遊園地のチケットを賭けて対決をしているのだったね。しかしまあ、何と言うか、流石は僕の咲乃といったところか」
「……? どういうことですか?」
「ふむ? おかしなことを訊くんだね、浅学非才な君でももうかれこれ1ヶ月以上も咲乃と恋仲にあるのだから、流石に彼女の素晴らしさに気づいていない訳じゃないだろう?」
「……まあ、洞察力というか話術というか、そういう部分が長けているとは思いますけど」
「だろう? まあそういう部分も僕が伝授してあげたのだけどね、それが分かっているのなら咲乃が提示した案に、何も腑に落ちなかったのかい?」
 さながら咲乃は自分が育てたとでも言いたげな、自慢げな口調で語り続けるひもと先生。
 もしかしたら俺は彼女と咲乃の深い結びつきに、単に嫉妬しているだけなんじゃないかと一瞬思ったが、彼女の言動を聞けば聞くほどその思考は地平線の向こう側に放置され――寧ろその関係の先にある何か、知ってはいけないものが、俺の中で蠢き始めている気がした。
「それはもちろん……、いくら全教科で殆ど満点を取れる咲乃でも2対1じゃいくらなんでも負けてしまうんじゃないかとは思いましたけど……仮に秘策があったとしてもどうこうなる状況とも思えませんし」
 実際過去の平均から出した現時点での点差は70点で、一応咲乃が優勢になってはいるが、その程度の点数なら数教科に力を入れれば十分に抜ける点差だったのだ。
 だから咲乃はテストで勝負するんじゃなくて、何か裏で逢坂と東橋を仲違いさせるような、直接攻撃をしかけるつもりなんじゃないかと、そんなことを考えていた。
 でも。
「秘策なんてあるはずないだろう、咲乃は普通にテストを受けるだけで勝てるのだから」
「…………は? 一体どういう――」
 その内容はある意味簡単で、けれど盲点を突いた話だった。

       

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