Neetel Inside ニートノベル
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 人は眼前に見える恐怖に対しては、恐らくそれに準じた経験を積んでいない限り通常、パニック状態に陥り、足が竦み、動けなくなるのが当然なのではないだろうか。
 例を挙げるとすれば、自動車に轢かれそうになった瞬間とかがそうだ。
 では、それに対して漠然とした、目に見えない恐怖には果たしてはどうするのだろうか。
 答えは至って簡単、まさに今、俺が進行形で行っている事だ。

「……いいのかい? 内申だけでここまで進級して来たような程度の学力の聡ちゃんがサボタージュなんて真似、僕は感心しないけどな……」
「五月蠅い黙れ。大体俺は下から数えた方が早い学力じゃないぞ」
「上から数えた方が早い学力でもないけどね」
「……」
 知っとるわ、みなまで言うな。
「それに……そんな事言っている場合じゃないだろ。大体何でお前が学校にいるんだ? しかも制服着用なんて……一体何処からパクってきやがった。お前ニートの筈だろ」
「……何時僕が自宅警備員だなんて言ったんだい。ちゃんと聡ちゃんと同じ高校に在籍しているよ、まあ入学式から今に至るまで通常授業はサボタージュしているけどね……」
「それを世間一般ではニートって言うんだよ」
 文字の羅列を介して見れば実に和気藹々とした会話に見えなくもないが、現実は咲乃をおぶって必死に走っている状態での会話なので実は深刻な描写な事に注意願いたい。
 ――そう、深刻なのだ。本当に、真に、諧謔ではなくマジで、俺たちはヤバイのだ。
 咲乃に核心を聞いた訳じゃない。ただ――コイツを受け止めた時に見えた絞め痕――それが視界に入った瞬間、咲乃に質問をする前に足は勝手に動き出していて――校門を出た頃にはトップスピードになっていたのだ。
「……予め言っておくけどこのまま病院とか警察に行くのは無しだよ? そんな事をしてもこの問題を解決した事にはならない。それに、聡ちゃんも色々と聞きたい事があるだろう?」
「咲乃がこの問題を解決する為に行動に出たのは見れば分かる、そしてその結果が命を失いかねない、危うい状況っていうのもな。だったら答えは1つだ、もうこんなお遊び――」
「女にも二言は無いよ、分かったらまずは僕の事務所まで運んでくれ」
 顔を見なくとも、声を聞いただけで咲乃が弱っているのは明白な事だった。だから、たとえ何と言われようと、駄々を捏ねようとも病院に連れて行って、犯人捜しも全て警察に任せてしまって、咲乃にはもっと別の社会復帰の方法を促すつもりでさえいた。
 でもその言葉と、悲壮と恐怖が織り交じった表情から垣間見えた強く、決意に満ちた鋭い眼に、俺は言葉を失ってしまい、気づいた時にはコイツの家の前で立ち尽くしてしまっていた。

扉に埋め込まれた2つの錠と、ドアロックが下ろしてあるのを何度も、入念に確認した後、リビングに戻り5台の空気清浄機に電源を入れていると、ソファーベッドに横になっていた咲乃が蚊の鳴くような声で静かに口を開いた。
「……この状況を見て、きっと聡ちゃんは得も言えない鬱積した思いを抱いていると思う。でもね、それでも言わせてくれないかな……我儘を聞いてくれてありがとう――」
「……助手だからな。あくまで俺は咲乃の手伝いをするのが仕事だ。お前の言った事に反発して、邪魔する事が俺の仕事じゃあない」
「……意見をするのは大切な事だよ、僕の言っている事が常に正しいとは限らないのだからね……ただ今回は駄目なんだ。決して綺麗な、何の蟠りも無く終わる事が無かったとしても物語には終わりが無くちゃいけない、打ち切りだけはあってはならないんだ」
「つまり犯人が誰か分かったって事か、やっぱりお前を襲った奴なのか……?」
 少し落ち着いたのか、咲乃はゆっくり起き上がると俺の方を向いて話し始めた。
「順を追って話そう、まず学校裏サイトに大量に書きこまれていた、聡ちゃんが同学年の女子生徒をいじめているという件からだ。これは全て1人の人間による自作自演と分かった」
「じ、自演……? 犯人が全て1人で架空の生徒を演じていたって事か……?」
「まあそんな所だ。学校裏サイトは2chみたいにIDで分かる仕様になっていないからね、閲覧側からすればまるで知る人ぞ知るといったような、影の話題のように見えてしまう。それに君は友人が多い部類ではない、疑惑を晴らす為にそれ裏付けてくれる仲間がいなければたとえ嘘であったとしても否応なく噂が広まってしまうのは灼然炳乎だと思わないかい」
「それは確かにそうだけど……でもそんなのどうやって分かったんだよ」
「学校裏サイトの管理画面にアクセスし、IPアドレスを確認しただけだよ」
「……何? お前クラッキングのスキルを持ち合わせていたの?」
 そんな天才キャラ設定だったのかよ、咲乃って。
「すーぱーはっかーさんかっけいーってかい? 本当にそうなら最高なのだけど……きっとこの件も迅速かつ正確に、テンポよく進める事が出来ただろうね」
 違うのかよ、ハイスピードでキーボードを打ちまくる咲乃とかちょっと見たかったのに。
「でも、それじゃあ自演が分かっただけで、犯人は分からなくないか?」
「この管理画面に入る為のIDはね、自分の考えた物ではなく自身の所有するメールアドレスが採用されているんだ。……僕は初めから犯人は逢坂結か東橋夕季のどちらかと踏んでいた、だから両者のアドレスをID欄に打ち込み、あるパスワードを打ち込んだ。……あとはこのサイトの管理者の書き込みと自演者のIPアドレスを照らし合わせた、これで終了だ」
「終了って……という事はやっぱり犯人は逢坂か東橋のどっちかなのかよ」
「何を今更。僕は初めから聡ちゃんの友人の中にいると言っていたじゃないか」
「それは……確かにそう言ったけど……」
 2人のどちらかが犯人? 何故? 何の為に? 正直皆目見当がつかなかった。
 それに……それだと……そうなってしまうと……。
「仮にそうだとして、パスワードはどうやって分かったんだよ?」
「仮じゃない、事実だ。パスワードはね……こう言うと嘘にしか聞こえないかもしれないが勘だ。流石に適当にアルファベットを打ちまくったりはしてないよ、当てはあった」
「か、勘って……無茶苦茶だ、そんな都合良くいく訳がない」
「ああ無茶苦茶だ。でも僕は彼ら2人のメールアドレスの内一方を使って管理画面に入る事に成功している、これは事実だ。そしてこの学校裏サイトの管理人が聡ちゃんを事実無根の犯人に仕立て上げていた事も突き止めた。嘘だと思うなら今から聡ちゃんの目の前で実践しても構わない」
「……いや、いいよ、お前がここで嘘ついたって何の意味も無い事ぐらい分かっている」
 何だろうな、現実を突きつけられると何故か息が詰まりそうになる。
 上辺の……どうでもいいような付き合いの筈じゃなかったのか――。
「でも……なら依頼は一体何だったんだ? 裏サイトの書き込みが自演なら、あの依頼は矛盾を飛び越えて……ただの依頼者の妄想になってしまうぞ?」
「その通り、この依頼はただの妄想だ。僕を誘き出す為のね」
 ……咲乃を誘き出す? 犯人が? じゃあやっぱり咲乃が落下してきたのは――。
 その瞬間、間延びした電子音がリビングの中でこだまする。
 ……呼び鈴? まさか、犯人にばれたのか?
「――どうやらようやく来たみたいだね、依頼者が」
「え? 依頼者……?」
「そう、依頼者だ。失礼の無いよう丁寧にもてなしてあげてくれ」
 犯人じゃなくて依頼者? 授業は始まっている筈なのに?
 少し躊躇したがしつこく鳴り続ける電子音に押され、とりあえず親機とり取り付けられたモニター画面で依頼客が誰なのかを確認してみる。
 ――勿論果たして依頼客誰のかと言われれば答えは二者択一なのは分かりきっていた筈だった、何故なら咲乃は一度たりともあの2人以外の名前を挙げた事はなかったから。
「逢坂……?」
 なのに、それが、言葉としてのみであった者が形となって現れた瞬間――理不尽な煩悶が濁流となって俺の胸の中への侵入を許し、尋常じゃない不快感に襲われる。
 逢坂は犯人じゃない、依頼者だ。そう理解していてもその理解が溺れて流される。
 更に胸の中で溢れかえった煩悶は思考にまで一気に流れ込む。思考がもみくちゃにされ、冷静さが悲鳴をあげて助けを求める。何だよこれ、一体何なんだよさっきから。
「聡ちゃん!」
 その刹那、溺れていた意識が何者かによって引っ張り上げられる。
「聡ちゃん、大丈夫だ。僕は誰か不幸にする為にこんな事をしている訳じゃない、皆が、誰もが幸せに近づけるように、物語を修正しているだけだ。だから、僕を信じて」
 はっとして振り向くといつの間にか、まだ覚束ない足取りな筈の咲乃が俺の腕を支えにするかのようにしがみついていて、慈愛に満ちた、優しい笑顔でこっちを見つめていた。
「初めに言っただろう、僕は人の悩みを解決したいんだ。それが最初の趣旨と違っていても――悩んでいる事に変わりがないのなら、僕に依頼してきた以上必ず解決へ導く。そしてそれは関わっている人間、被害者・加害者問わず全員に適応される。例外は無しだ」
 その笑顔に落ち着かされたのは言うまでもなかった。
 それ以上に、咲乃の矜持溢れるその言葉は、まるでモーセが紅海を干からびさせた時のように俺の胸の中で形成された湖を干からびさせたので、俺は易々と言葉を生成する事に成功する。
「分かった。それにしても助手の癖にさっきから情けない所しか見せてないな、俺」
「恋人としてもね。でも今回ばかりは仕方無い、次からは堅実な補佐を頼むよ」
 だから、俺が今集中すべきは目まぐるしい咲乃劇場に振り落とされない、その一点だ。

       

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