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第五話 火鼠の皮衣

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 私の家、右大臣家は名家であり、一族は繁栄している。欲しいものは何でも手に入る。だが、かぐや姫は例外である。地位と名誉と金でも心は動かない。姫を手に入れる為には、火鼠の皮衣なるものを手に入れなければならない。そう言えば、唐土の知り合いに王慶というのが居たな。いつも交易船に乗って来るから、そのついでに持って来て貰おう。私は腹心の部下である小野房守に「火鼠の皮衣というものが欲しいのですが、どうか手に入れてくれませんか」と書いた手紙と大金を持たせ、唐土へと向かわせた。
 まだか、まだか、と思っていると房守が手紙を持って帰って来た。手紙にはこんな事が書いてあった。
  
  火鼠の皮衣は唐土には無いものです。噂には聞いておりますが、実物を見た事はございません。この世に存在するのなら既に手に入れている所ですが、そうで無いという事はこの世には存在しないという事ではないでしょうか。しかし、もしかしたら、天竺の金持が持っておるのかもしれません。手に入らなければ、お金はお返ししましょう。

果たして手に入るのか不安だ。心配で心配で仕方なかったが、とうとう唐土の船がやって来る時期になった。私は房守を筑紫に送った。二十日程して、房守が皮衣を手に入れたという噂が都に届いた。私は、占めたと、膝を打ち、早馬を用意し、迎えの者を送った。その御蔭か、房守は筑紫から7日で都まで辿り着いたのである。地位と名誉と金があったからこそ出来たことである。房守はどうやら手紙も預かっている様だ。

  人海戦術で火鼠の皮衣を探しましたが、この商品というものはいつの時代でも手に入れる事が難しい品物でございます。中々見つかりません。我々も諦めかけていたその時に、昔、天竺の聖人のお坊さんが、この唐土の西の方にある山寺に運んで来たという事が判明致しました。その寺を訪ねてみたのですが、秘宝ですから簡単には売ってくれません。仕方がないのでその地方の役人に賄賂を渡して、仲介して頂きました。皮衣を手に入れたのは良いのですが、役人が足らぬ足らぬは賄賂が足らぬと申しますので、その分も払った所、予算を五十両超えて仕舞いました。私が帰る前に、どうか不足分をお支払下さい。払えないのであれば、皮衣をお返しください。

勝手に五十両出したのを気にしている様だな。たった五十両位気にしなくてもいいのに。うちには金は腐る程余っているから、心付けとして十倍の五百両渡してやろう。
 王慶が苦労して手に入れた皮衣とはどんなものなのだろうか。瑠璃を散りばめた箱を開けてみると、皮衣があった。初めは皮衣とは分からなかった。全体的に青みを帯びており、毛先は金色に輝いていたからだ。燃えないという性質以前に、見た目だけでも普通でない事が分かる。
「これは、かぐや姫も欲しくなる筈だ。良くやったぞ、房守」
私は皮衣を箱に直し、花を添え、自分にも化粧をした。おっと、歌を忘れていた。誇り高き我家では歌も盛んなのだ。かぐや姫を手に入れる為、全身全霊で歌を詠む。

  限りなき思ひに焼けぬ皮衣
     袂乾きて今日こそは著め

うん、素晴らしい歌だ。自分でも惚れ惚れとする。


 私は準備を終え、かぐや姫の屋敷に向かった。門の前で呼ぶと翁が出て来た。
「あら、右大臣樣ではありませんか。皮衣が見つかったのですか」
「ええ、こちらの箱に入っております」
「では、かぐや姫に渡して来ましょう」

 お爺さんが箱を抱えて外から戻って来た。
「お爺さん。それは何ですか」
「お喜び下さい。これが念願の火鼠の皮衣ですぞ」
お爺さんが箱を開けると、美しい皮衣が見えた。
「素晴らしいわ。でも、本当に燃えないのかしら」
「兎にも角にも、右大臣樣を部屋にお入れ致しましょう。この様な美しいものが偽物の筈がないでしょう。文句ばかり言ってあの方を困らせてはなりませぬぞ」
私の憂鬱を無視する様に、お爺さんは右大臣を部屋に招き寄せた。

 かぐや姫を自分のものに出来る。今迄唯一手に入らなかったものが手に入るのだと思うと嬉しくて仕方がない。珍しく媼もいらっしゃる。娘が私と結婚出来る事が余程嬉しいのだろう。だが、老夫婦とは対照的にかぐや姫は喜んでいないらしく、こんな事を言い出した。
「この皮衣が本物なら燃やしても大丈夫な筈です。火を点けて燃えなければ、結婚致しましょう」
翁はかぐや姫に同意する。
「御尤(もっと)もです。右大臣樣、本物かどうか火を点けて試してみましょう」
「この皮衣は、唐土にも無かったものを、手を尽くして手に入れたものです。偽物の筈がありません」
翁は真偽が気になって仕方ないらしく、家の使用人を呼んで火鉢を持って来させた。皮衣を火に入れるとすぐに燃え、灰になって仕舞った。
「これは偽物ですな」
と無慈悲にも翁は言った。残酷な現実を突きつけられた。皮衣は偽物、即ち、かぐや姫を自分のものに出来ない。目の前が真っ暗になった。それに追い打ちをかける様に、かぐや姫は皮衣が入っていた箱に歌を入れて返してきた。

  なごりなく燃ゆと知りせば皮衣
    おもひの外におきて見ましを

もう、私は帰るしかなかった。


 この事は暫く噂になった。
「そう言えば、安倍の右大臣が、火を点けても燃えない火鼠の皮衣というものを、かぐや姫に送ったらしいが、どうなったのだろうか」
「その皮衣は火を点けるとすぐに燃えて消え失せたらしい。当然、かぐや姫と結婚する計画も立ち消えた訳だ」
「まあ、あの人は大事な事に気が付かない位ぼうっとしているダメ男だ。最後の最後で詰めが甘かったんだろう。まさに『あへなし(安倍なし)』だな」
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