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自分のために

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 深夜、尿意で目が覚めたフラッグは少しばかりふらついた足取りで草むらへと向かった。寝床から程よく離れ、風向きを確認したフラッグはいそいそとズボンをずらす。
「――っ、―ッアァ…」
 フラッグの耳に妙なうめき声のようなものが聞こえる。よく見ると大きな影が声に合わせて震えていた。目を凝らして見るとそれは人間で、しかもフラッグのよく知っている人物だ。
 うじうじ泣いているその姿に、フラッグのイラつきも、尿意も我慢の限界だったので、フラッグはその影に向かって思いっきり放尿した。
 ジョロロロ~
 湯気を立てながら、その影の背中にフラッグの黄金水が広がっていく。
「――んあ!ぶべぇ!おぐぇええ!!」
 その生温かい感触に振り向いたが最後、顔面に直撃した黄金水が少量ではあるものの口に入ってしまった。
「あー、寝る前に酒飲んだからすげー出るわ」
 溜まりに溜まった尿を膀胱から放出する開放感に酔いしれるフラッグの隣へ、尿まみれのトマスが草むらから転げ出てきた。
「イタノカトマス、ゼンゼンキガツカナカッタヨ」
 あからさまな棒読みのフラッグの言葉を聞き流し、トマスは目合わさずそのまま立ち去ろうとした。その行動がさらにフラッグを苛立たせる。
「なあ、おい」
 イチモツをしまい、ズボンをずり上げながらフラッグは口を開く。
「俺この間、ドラグナシティの領主の嫁さん見たぞ」
 トマスの足が止まる。トマスにとって最も振って欲しくない話題を、フラッグは平然と話す。それでもトマスは振り向かない。
「…レ―ヴェは、元気、でしたか?」
 絞り出したような声で呟くトマス。それを聞いた瞬間、フラッグの中で何かがキレた。
 ――ガッ!!
 フラッグは一切手加減をせずトマスの背中を蹴り飛ばした。
 事務的に、無気力に、領主の見送りをしていた女の姿がフラッグの脳裏に映る。
「…おい、フザケンナよ?」
 そう言いながら髪の毛を鷲掴みにし、頭を持ち上げて地面に叩きつける。それを数回繰り返して、フラッグは腰のレイピアを握ろうとしたが、自分が丸腰であることに気付いて舌打ちをした。

 ――何が大切かを分かっているのに――

「――ッ!」
 フラッグはトマスの顔を持ち上げて殴った。殴り続けた。
 トマスの目は虚空を見つめたままだ。そう、あの時のフラッグのように――。

 ――なんでそれをしないの?――

「隊長!!」
 気づいた時には、騒ぎを聞きつけた隊員達がフラッグの腕を掴んでいた。
 それを振りほどいてフラッグは立ち上がる。フラッグは何発殴ったのか覚えていなかったが、拳の痛みがその回数の多さを物語っていた。

 そんな中、隊員の一人が声を上げる。街で立ちこめる煙、火の手、一目で非常事態と分かる光景だった。
 皆が混乱を隠せない中、フラッグは乱れていた呼吸をゆっくり落ち着けながら、思考を巡らせる。優先順位、事態の深刻さ、自分達の武装、それらを確認した上で今自分達ができること、そして今自分がしたいことを見極めていく。
「ロット、お前はトマス連れて退避。カストールはブルドス兄弟率いて爺さん、もしくは”あれ”の確保。残りは俺と状況確認しながらなるべく一般人救助だ」
 フラッグから迷いなく下された命令に隊員達は唖然としている。そんな隊員達にフラッグは喝を入れた。
「返事ぃ!!」
 皆ビクッと体を震わせて、思い思いの返事をして行動に移っていく。
 フラッグは武装し首の骨をバキバキ鳴らしながら、目線だけ介抱されているトマスに向けた。
 負け犬の背中、半端ものの背中、そしてそれはかつての自分の背中でもある。
「行くぞ!」
 フラッグは歩き始める。自分の意思で、自分だけのために――。
 ドラグナシティでは、既にいくつかの建物が全焼している状態だった。キサラギとの決戦のために戦力を割いた分、街の防衛力が下がっているところを狙われたのだろう。しかし、それでも東の国境線を突破して北のドラグナシティまで攻め込まれるような状態ではなかったはずだ。
 火の手は保安騎士詰所や街が資金提供している施設に限られている事が見てわかる。少数精鋭部隊による街の重要施設への奇襲だろう。街の外側を守っていた騎士たちは市民の保護を最優先しているようで、領主の屋敷まで人手を回し切れていないように見えた。
 フラッグはカストール達と別れると、領主の屋敷へ向かって走り出して行く。
 既に領主の屋敷からは火の手が上がっており、正門のところに10人前後の兵士の姿が見えた。少なくともこの国の騎士の装備ではない。
「――ッ!」
 屋敷に残っている10数人の護衛と使用人が、必死に正門を死守しようとしている。しかし、屋敷が燃えてしまっている以上、敷地内にも敵が侵入しているのは明白だ。時間はない。
 フラッグは後ろについてきている二人に援護するように言うと、正門の敵に真っ直ぐ突っ込んでいった。
 3人ほどフラッグ達に気付いて声を荒げるが、そのうち2人をボウガンの援護射撃で仕留める。それを確認したフラッグは既に抜いてある黒いレイピアを前に構え、全力疾走で突進していった。
「うォおおおおお、だっしゃ――!!」
 それはもはやレイピアの突きなどではなく、ランスによる突進に近い。黒いレイピアは二人まとめて体を貫き、鮮血をまき散らす。
 フラッグはすぐさまレイピアを手放し、低く構えて死体の陰に身を隠す。大人2人分の肉の壁、敵兵士はそれらをまとめてフラッグを叩き潰すことができないため回り込む。
 しかし、回り込んだ途端に敵兵士は倒れていく。首、あるいは脇腹から血を大量に噴き出しながら、それらは動かぬ屍となっていた。
 危険だと判断してフラッグから離れようとする者には、容赦なくボウガンの矢が放たれ、敵の数は瞬く間に減っていく。
 最後の一人をフラッグは組み伏せて捕えようとするが、その男は自刃して果てた。
「ちっ、なんだってんだチクショウ」
 黒いレイピアを死体から引き抜き、軽く振って血を飛ばしながらフラッグは愚痴った。
 敷地の中で粘っていた兵士や使用人達に安堵が広がっていく。そんな中で隊員が驚きの声を上げた。
「た、隊長!こいつらの装備ミラージュの兵士のモンです!!」
「あぁ?マジかよ、あいつら自衛以外しないんじゃなかったのか」
 ミラージュは基本他国への侵略行為は一切行わない。例外としてミラージュに攻め入った国への報復はするものの、今のところクレスト皇国がミラージュに侵攻した事実はない。
「まあいい。それは置いといてお前らさっさと連中を保護して来い。敷地内にまだ…」
 そこまで言って、フラッグは声を詰まらせた。軽く苦笑いをしながら、部下に指示を出す。
「お前ら先に行ってろ」
「へ?なんでまた?」
 ガシャン!
 辺りに響く金属音。音だけでその圧倒的な重量と、防御力がうかがえる。
「はよ行け。あいつは俺が相手して…」
 ハァ~
 フラッグの大きなため息。しかしその目は真剣なままだ。
「…相手したくねぇが、まあ仕方ない。今度なんかおごれよ?」
 隊員は目で返事をすると敷地内に居る無事なものを連れ、この場を去った。
 ガシャン!!
 ゆっくり近づいて来るそれはフラッグを見るなり、動きを止める。
「貴様か…。随分懐かしい顔だ」
 フラッグは正面からそれを見つめる。目を細め心の底から嫌そうな表情を作った。
「ホント、久しぶりもいいとこだ。なぁファントム?」
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