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姉妹篇『あの世横丁ぎゃんぶる稀譚』

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 縁側に座ってのんびり桜なんか眺めていると、何もかも夢だったような気がしてくる。少なくともいづるにとって、もうあの日々は遠い過去のものだったし、あれからどれほどの時間が流れたのかも覚えていない。ただ、とても多くの小さなことが過ぎ去っていって、ひたすら積もり、その上に今の自分がぼんやりあぐらをかいている。言ってしまえばそれだけのことで、あれきり真剣勝負なんてしていない。急激に燃え上がった炎は灰くずになって盛り土のようになだらかな丘陵を描く。いづるに出来ることは、その山を不思議な気分で見守ることだけだ。
「ん」
 袖を引っ張られて、いづるは身体を傾けた。なにするんだ、と隣を見ると飛縁魔が呆れたような顔で座っている。
「曲がってる」
「何が」
「姿勢」
 そう言って無理やり肩を引っ張られ腰を叩かれ、背筋をまっすぐにさせられる。べつに自分の家の庭先にいるんだから、猫背になっていてもいいじゃないかといづるは思ったりするのだけれども、飛縁魔はしゃっきりしていないいづるを見るのが嫌らしい。
「もう子供じゃないんだから、もうちょっとシャンとしろ」
「いやだ」
「お前な……」
「冗談冗談」
 あまりふざけすぎるとぶたれるのでいづるはヘラヘラ笑って誤魔化す。そんないづるを飛縁魔が時々寂しそうな目で見ていることに、いづるは気づいていて、そして何も出来ない。
 着たきり雀の紋付袴の裾を指で引っ張って間を持たせながら、いづるは再び桜を見上げる。あの頃と変わらない表情のままの、いづるのその顔を桜の花びらが軽く触れては流れていった。足元の石ころの上にふわりと着地した柔らかそうな花びらを、いづるは感慨深げに見下ろす。気の利いた歌も浮かんで来ないが、何か感じるところはある。
 いづるの家には、一本の桜の木が植えられている。むかし、それはいつでも満開だった。けれどいづるが住むようになってから、それは枯れたり咲いたりを繰り返すようになった。この桜の木は娘の結婚を喜んでいないんだ、なんて言うやつもいる。そうかもしれないといづるも思う。けれど庭に出るたび、あっけなく枯れていたり、そうかと思うと素晴らしいほどの桜吹雪を見せてくれるこの桜が、いづるはとても好きだった。むしろ時々、枯れている時の、あてもなく霞んだ青空に裸の枝を伸ばしている懸命な姿の方が綺麗だとさえいづるは思う。永遠はすぐに飽きる。
 けれど自分は、永遠に居座った。
 隣に座る飛縁魔の、着物から少しだけ見える血の気の薄い手を握る。彼女はわずかに身を強張らせ、それから少しずつ身体の緊張を解いていった。照れられるからこっちも照れる。いづるはいつも彼女の手を握るたびに余計なことをしでかしたような気がして後悔する。それでもあの頃に比べれば、だいぶ握るようになってきた。絡まる指先に感じるわずかな熱、それをいづるは選んだ。
 あれからもう、長い時間が過ぎ去った。
 残ったものは、これだけだ。他にはない。出会いと別れは同じ数のはずなのに、別ればかりを味わってきたような気がする。そのまま全部に別れを告げて、いっそ消えてしまった方が潔いなんてことは誰よりいづるがよく知っているけれど、でも消えない。それは残された者の義務感とか、まだやるべきことがあるとか、そういう堅苦しくて雄々しい信念なんかじゃなかった。そんなものは、湯水のように溢れ続けた時間が奪っていった。
 飛縁魔が俯きながら、手を握り締めてくる。
 とん、と肩をこちらに預けてきて、酒も飲まずに何かに酔ったかのように、遠くを霞んだ眼で見守っている。
 いくな、という彼女の願いにいづるは応えた。
 この永遠に座り込んで、もう動くことはなくなった。
 それでいい、という気持ちもある。だがどれほど灰をかけて押し隠しても、自分の中の炎は消えない。くすぶり続ける炎の熱を感じながら、それが火を噴けばどうなるか、それを痛いほどに知りすぎて、いづるは苦しみ続けている。目を閉じて、掌から伝わってくるぬくもりだけが全てなんだと自分を誤魔化している。
 少しでもいい。一瞬でいい。
 胸の中にだけ燃えている炎が、幻なんだと思いたい。
 全て嘘だったんだと決着をつけたい。
 けれどいづるには、最後までそれが出来ないだろう。誰でもやっている、誰にでも出来る、そんな簡単なことがいづるには出来ない。
 だから、飛縁魔は何もいわない。
 ただ、身を寄せ合った、今にも消えそうな伴侶がまだそこにいることに安堵して、目を瞑る。
 小さく、いづる、と囁く。
 いづるは、いるよ、と応える。
 あの世に吹き続ける風はいつも優しく、澄み切っている。その風に巻かれた桜吹雪が二人の姿を一瞬、覆い隠す。桜色の花霞の中に二人は閉じ込められる。優しい風は炎を吹き消そうとするが、淡い色の炎は火の粉を散らせるだけで、決してかき消されたりはしない。
 それでもいづるは、永遠を選んだ。
 これからも、顔を出せばいつでもそこにいるだろう。
 恥ずかしそうな顔をして、彼女と一緒に。
 消すことも出来ない、誰かに見せることも叶わない、くすぶり続ける魂の炎を独り静かに守りながら。
「――いづる」
 むずがるように飛縁魔が顔をすり寄せ、強く強くいづるの掌を握り締め、冷たい手でその熱を吸い取っていく。消えない傷(ほのお)はあるけれど、


 それでもきっといつか、

 風が全てを持っていく。



















            あの世横丁ぎゃんぶる稀譚


                END
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