屍術使ヒ
あいつが屍術を使うなら、家族を作ろうとするのに決まっていた。だから俺は電車で四つ、わざわざあいつの家までいって、その家族とやらに対面させてもらった。つん、と鼻につく冷気以外は、なんの変哲もない3LDK。流れ者の魔術師のくせにずいぶん高い部屋を借りたものだが、それだけの価値はあるとあいつは思ったんだと思う。
ひさしぶりに見たあいつの顔は痩せていて、無精ひげまじりで、大学に通っていた頃とさほど変わらなかったが、わずかに頬がたるみ始めていた。俺もあいつももう歳だ。魔法だ秘術だなんて言ってないでまともな暮らしってやつをしたっていい頃なんだ。まあ、その方向性を真正面から間違えてしまうのがあいつらしいのだが。
よう、とあいさつするとふてくされたような顔で部屋に通してくれる。そこにあいつの家族はいた。いやはや予想的中というやつだ、俺はあいつなら、きっとニコニコ笑ってるだけの死体なんて作らないだろうなと思っていたのだ。まさにそのとおり、そこにいたのは生きているのとなんの変わりもしない家族の姿だった。奥さんはハタキを片手に部屋の掃除と模様替えを兼行するか迷っていたし、こどもは3DSを腹ばいになってピコピコやっている。両親らしい死体はあいつの実の親なんかではなく、そのへんでかっぱらってきた人のいいおじいさんとおばあさんだったのだろう。縁側でのんびり茶なんか飲んで夫婦なかよく並んでいる姿なんかを見ると、俺はあいつがああなりたかったんだということがよくわかって胸が苦しくなる。
あいつは魔術の天才だった。俺はあいつほど上手くマナを走らせられるやつを見たことがない。あいつ自身は「どうしようもない努力家のバカどもが俺の食い扶持を奪った」とゴネていたが、それは真実半分虚勢半分だったろう。あいつ自身も、たとえ努力によるものであっても、一定の性質を得られる術式にはそれなりの価値があるにはあると分かっているのだ。許容ができず、好きにもなれないだけで。
「飲めよ」
死体の奥さんが淹れたお茶を、俺は笑って茶卓の脇に寄せた。あいつは少し傷ついた顔をしたが、俺がそういう性格だということを分かっているし、それにもう七年近い付き合いなんだから、俺があいつを許したり、認めたりするともだちじゃないってことくらい、あいつだって分かっているのだ。俺のために淹れられたお茶をふてくされながら自分で飲んで、あいつは言った。
「俺は気に入ってる」
「だろうな」
なんでも先手を打って喋るから、あいつと会話できるやつなんて今では俺ぐらいなんじゃないかと思う。頭が回るのはいいが、その空想どおりにいかないのが人生だということを、あいつは結局最後まで認めることがなかった。
だから、というわけじゃないと思う。あいつに家族が作れなかったのは、いろんな原因があって、それにはあいつに責任があるものもあるし、どう考えても何度聞いてもあいつが悪くない性質のものもある。だからといって、あいつを救おうなんてこれっぽっちも思ったりはしないけど、それでもあいつにな同情の余地があると思う。結局あいつは実の親を魔術攻式を真正面からぶちかましてバラバラに吹っ飛ばし、実家の庭先に埋めちまって、一年経っていまこうして偽物の家族と一緒に暮らしている。あいつの親がくれなかった、当たり前の家族のごっこ遊びを、死体を使ってやっている。
人形使いとはよく言ったもの、まさにあいつのためにあるような言葉だが、はたして俺もあいつに操られている人形なのだろうか。生きてはいても。
「これが家族に見えるか?」
「俺に聞いてんのか? ――ああ、見えるね。気立てのいい奥さんに、腕白盛りの子供、それからまだまだ足腰はしっかりしててもやせ始めた定年超えて十年目くらいのじーさんとばーさん。いやはやいい御家族ってやつじゃないのか。心臓が動いてねぇのが残念だな」
「そんなもん、いらねぇよ」
生命なんて、あいつにとってはなにも与えてくれなかったものの代名詞みたいなものなんだ。
「俺は家族が欲しかった」
「だろうな。わかるよ」
「これでいいのかな」
「屍術使いは極悪人だから、まあ見つかればお前は死ぬんじゃねぇか」
「ちがう、そういうことじゃなくて……」
「わかってるよ。――いいと思うよ、俺は。どのみち、いまから努力して、お前にこんな家族が作れるわけがないものな。結社の中でもお前は手に負えない狂犬で、誰の言うことも聞かず、何もかも自分の思い通りにしようとして、誰かに迷惑がかかろうと『研究のため』の五文字を相手のカンオケにまで貼りつけた。お前にいまさら頑張れなんて言うやつがいたら、俺が無駄だって言ってやる」
「……そうか」
あいつは静かに茶をすする。死体のさわった湯飲茶碗なんて俺は死んでもごめんだが、あいつにとっては、そのわずかな冷たさでさえもぬくもりみたいなものなんだ。
俺は死体に囲まれた部屋をぐるっと見渡す。
どうせたすかりゃしないのだ。
あいつはガキの頃からデキのいい兄貴と比べられて育って、一族の中でも鼻つまみものだった。どれほど魔術の才能があろうと、上位互換がいれば意味がない。俺からすればあいつにはあいつの、兄貴には兄貴のよさがそれぞれあって、それを混同した周囲がマヌケの集まりだったと思うのだが、残念ながら俺とあいつが出会ったのは大学の喫煙所で、あいつが8歳の時に一人で部屋のすみっこで震えて泣いてたときじゃない。だからあいつは、誰にも励まされずに育った。
哀れだとは思う。
結局、あいつは家族を作れなかった。だれよりも魔術の才に溢れ、敵はぶちのめし、二度と立ち上がれないように完膚なきまで屈服させてきたあいつが、とうとう人生の前に屈服した。家族が欲しいという子供じみた欲望をあいつは抑えきれなかった。いまさら四人殺すのを躊躇するような男じゃないが、それが研究のための犠牲じゃなかったのは、たぶんこれが最初で最後なのだと思う。
べつにあいつが苦しむことはなかったと思う。誰かがあいつを愛してやれば、こんな残忍な光景を俺は見なくて済んだのだ。どこかの馬鹿な女があいつの才能にでも惚れていりゃあ、あいつだって人を癒す術式の研究でもまじめになってやったかもしれない。それが禁忌の屍術に手を出して、このざまだ。
俺と別れてから七年間、あいつがどれほど多くの人間に見捨てられてきたのか知らないが、その中でたったひとりくらい、あいつのそばにいてやれば、あいつは四人も殺さずに済んだのだ。
あいつを苦しめるだけの理由なんて、誰にもロクにありゃしない。