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Life Of WhitE

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 美少女が手錠代わりというものはいいもんだ。
 そばでぎゅっと脇を固めてくれるところなんか、拘束されているというより護られているように思える。
 俺はいまから二十三年分の罪を償わされに逝くところなわけだが、どうやらそれほど重い罪でもないらしい。こんなに丁重に護衛していただけるんだから。
 そうだろ? と隣を見ると髪をざっくり切った茶髪の天使にぎろりと睨まれた。そんなに毛嫌いすることない、いったい俺が何をしたっていうんだ?
 ちょっとたいしたことない死に方したくらいで、ごちゃごちゃと文句を言われる筋合いはないぜ。
 白いつばさがきれいだが、それで俺を護ってくれたことが一度だってあるのか? ないだろう。
「ここだ」
 俺の左を固めていた黒髪の天使が言った。吊り目がとってもキュートだ。とても好みのタイプなんだが、俺を見る視線からどうにも脈は感じない。
 もっともいまの俺にだって、返してやれる脈拍もないわけだが。
「この先に天使教様がいらっしゃる。そこでお前は生前の罪を悔い改めるのだ」
「そんなことしたって、おもちゃの車はくれないんだろ?」
「なにを言ってるんだ?」
「なんでもない、ただの嫌味だよ」
 べつにそんなもの欲しくもない。欲しかったのは子供のころ、ファミリーレストランでたらふく食った後、デザートだけでは飽きたらず土産棚を物色してそれを見つけたときだ。もうその時はとっくのむかしに過ぎ去って、俺はおとなになり欲しいのも必要なのもほんものの車になった。かっこいい車はぶつけた時に傷が目立ちやすいだけに見え、流線型のフォルムはスピードを売りにただ定価を上げるだけの装飾になった。こんな国のどこで時速百八十キロが必要になる? 飛ばしたところでどこにいくわけでもない、トラックの運転手だってデジタコつきのデコ車にちんまり乗ってる。どんなことがあろうとも、人間には身分というものがあるんだ。
「入れ」
 俺は天使に背中をこづかれて、その部屋に入った。なにか泡のようなにおいがして、まだるっこしい。俺は顔を振った。風呂場にいるみたいだ。俺はこれから洗われるのかもしれない。余計なお世話というやつだ。
「おい、あんた」
 俺は机に座る女に言った。
 女は真っ白な髪を絹のように背中に流して、うつむき本を読んでいた。ページをめくるたびにくしゃりと小さな紙擦れの音が指先にまとわる。
 なにか言いたげに唇がやや開き、そして太陽を見上げたように目をすがめ、眼鏡を外して顔を白い手で拭う。そして眼鏡をかけ直して、ようやく俺のことを見た。
「あなたですか」
 初対面であなたですかもない。俺は肩をすくめた。
「お前なんか知らん。イチバン偉いからって、誰からも知ってもらえてると思うなよ」
「いえ、確かに私はあなたと出会っています」
「いつ?」
「二十三年前に」
 これだよ。いわゆる天上の存在というやつは、どうしてこうも傲慢なんだ? 二十三年も前の赤ん坊だった頃の俺がどうして天使の親玉のことなんか覚えていなきゃならないんだ。
「そりゃあお久しぶり。二十三年前はありがとう、とってもくだらない命をもらったよ。いらなくなったから返しに来た。ちゃんとリサイクルしてくれるやつがいてよかったな、これでしばらく新しいやつの封を開けずに済むだろう」
「私はあなたに命を与えました」
 頬杖を突きながら天使は俺の話を無視する。
「その結果、あなたはその命を使い切れず、こんなところまで持って帰ってきてしまった。私がコウノトリとなって、あなたを運んだのは、わざわざ使ってもいない命を戻してもらうためではありません」
「仕方ないだろ? なんにだって不良品というものはあるわけで、そりゃ半導体だろうと人間の精神だろうと同じなんだ。俺は腐ったまま生まれ、そして死んだ。なにも為すことはなかった。全部お前ら神様連中のしわざだよ、俺ばかりに苦労をかけさせやがって、もっとちゃんと不幸を上手に分配しねぇとまだまだ俺みたいなやつが死にまくるぜ」
「ええ、そうですね。あなたは特別ではない。あなたのような生き方をして死んだ人間は大勢います。その誰もがいま、あなたの後ろで列をつくっている。同じ恨み言を携えて」
 恨まれないわけがあるか、勝手に生かされ、追い詰められるように死なされて。俺は断りもなく天使の対面の椅子にこしかけ、ふわふわとしたドーナツ製の手錠(おかしいんじゃないのか?)で拘束された両腕を器用に動かし、胸ポケットからこっそり忍ばせておいたタバコを取り出した。火はないが、窓の向こうから降り注ぐ光に当てていたら勝手に燃えた。実に便利だ、現実とは違う。
「で、ごちゃごちゃ不平不満を垂れるのはご勝手だし、気分もいいんだろうが、いいか天使様、もうこうして俺が死んじまった以上、それをどうこうできるわけもない。罪状だかなんだかしらんがさっさと読み上げて、俺を好きなようにするがいいよ。べつに俺は愚痴りたいわけじゃない、お前なんかと話をしたくないだけだ」
「……そうですか」天使教は残念そうに見えなくもない、作り物めいた表情を浮かべた。
「ならば、はっきりと言いましょう。あなたの罪状は」
 不都合。
「――偽証罪です」
「……ほーう、俺が嘘つき、それがあんたの言い分か? なるほど俺は本当のことを言っていないわけだ、きつい人生を歩まされて、ちょっとコケて死んだら嘘つきか。お前、何様だ? 天使だからって容赦しねぇぞ、俺が嘘つきだと? ならお前ならもっとうまくやれたのか。俺を上手にやれたのか。あ? そんな余裕かましたツラなんて、すぐに剥がれる。現実は足元から崩れ落ちていくことばかりで、お前らみたいに宙にふわふわ浮いてる連中は気楽だろうが、この俺は最初から最後まで地面に足くっつけて生きたんだ。てめぇごときにガタガタぬかされてたまるか」
 俺の怒りに天使はわずかに頷いた。
「そうでしょうとも。あなたのこころは怒りでまじりっけなしの赤に染まっている。それほどあなたを怒らせるものが、大地の上には蔓延していることは認めます。ですがそれでも、あなたは嘘をついている」
「ついていない。俺のどこに嘘がある? いまさらなにをごまかす? もしも俺を嘘つきだと言いはるなら、俺の何が嘘なのか言ってみろ。答えてみろよ、その綺麗なだけの口先でよ。ツバも蒸発して残ってねぇんじゃねぇのか? 人間みたいなナリして、ご立派だがな、お前らなんざたいしてさほど長生きしねぇよ。つばさもなしじゃな」
「あなたは不良品ではなかった」
「はあ? いまさらそんなおべんちゃら、聞きたくもねぇんだよ」
 俺は吸っていたタバコを吐き捨てて、天国の絨毯を燃やした。その煙も炎もどこかへすぐにかき消える。
「言っておくが、俺は生まれてきてくれてありがとうなんて誰からも言われたことがない。お前がいなければダメなんだなんて言われたこともない。誰からも邪魔にされ、疎んじられて、煙たがられて生きてきた。俺だって誰かを必要としたことはないが、やつらと同じくらいこの俺だって無意味だったのさ。所詮、人間は能力が全てだ。何もないやつはいないほうがいいんだ」
「またあなたは嘘をついた」と天使は俺の逆鱗にやすやすと触れてくる。
「あなたは誰も必要としなかったわけじゃない」
「必要なかったさ、役に立たない人間ばかりだったからな。俺はな、自分の役に立つかどうか、それでしか他人を判断したことがない。だって誰からもそういう判定をくだされてきて、自分だけお前、綺麗なものさし使えってそりゃあねぇだろう。そんな道理はないだろう。俺はやられたらやり返すんだ、利用された分だけ利用してやるんだ。どいつもこいつも俺の都合に遭うかどうかだ! ……遭わなきゃとっとと死ねばいい」
 汚れた言葉はいいものだ。吐き捨てた後に気分がすっとする。炭酸じみた真実が喉から胃のふに滑り落ちていく。後悔のような気味の悪さが、泥酔を予感させてくれる。これがいい。
「べつにいまのあなたの言葉に嘘があるとは言いませんが、ひとつだけ、あなたは誤解しています」
「どこかな、どこでも否定してやるから言ってみろ」
「あなたはべつに間違っていない。ただあなたが間違えたのは、自分が欲しがったものを与えてはくれない相手に望んだこと。それだけです」
「誰も俺には何も与えてくれなかった。何一つ、くれたりはしなかった」
「それは嘘です。あなたはただ、それに満足しなかっただけ。それがイチバン欲しいものじゃなかっただけ。だから目を逸し、ごまかした。そして……すべてを、失った」
 天使の目は磁気を帯びているような輝き方をする。その見透かすような光が、俺は気に入らなかった。
「なにをわけのわからんことをゴチャゴチャと……俺が誰に何を望んでいたっていうんだ? 俺はすべて望んだよ、自分が手に入れてないものはすべて」
「いいえ。あなたが欲しかったものは、最初から最後までたったひとつだったはずです」
 天使の声が波紋のように俺の革靴の底から額の中央まで響いてくる。弱く感電したような気持ち悪さが俺に身じろぎをさせる。べつに追いつめられてるわけじゃない。図星でもない。
「あなたは誰かに認めて欲しかった。すごいと言って欲しかった。よくやったと褒めてもらいたかった。それだけだったはずなんです」
「そんなもので、めしが食っていかれるか? 金になるのかよ、少しでもよ」
「あなたはそんなものは欲しがったいなかった。どうでもよかった」
 天使はじっと伏せた本の背表紙を見つめている。題名の無いその本を。
「あなたは親に認めて欲しかったのです。友達でもない、教師でもない、他人では決していけない。――家族に認めて欲しかったのです。ほかならぬあなたの力を」
「家族? 家族ね、ああ、嫌なやつらだったよ。きらいだった。いつまでも俺を信じようとはしないんだ。あいつらこそ、俺を嘘つきだと思っていたんだ」
「そうです」
 唐突な肯定に俺は戸惑った。階段を踏み外したような気味の悪さが背筋を這う。追いつめられてなどいない、俺は図星なんて持っていない。
「……なんだ、認めてくれるのか。だったら話は早い、俺はくそったれの両親に育てられたくそったれな子供だった。俺の人生はそれでおしまい。どこにもなにも芽吹かなかった。それでいいだろ? 終わりにしようぜ、こんな問答。意味ねぇよ」
「そう急ぐことはないでしょう、時間なら限りなくあるのですから」
「怖いこと言うな」
「ふふふ」
 天使は風が吹くように笑った。
「そう、あなたは嘘つきだと思われていた。家族から信じてもらえなかった。それがあなたの命の炎にかかった冷水です。燃え上がるはずだった命を、むざむざここまで持って帰ってきてしまった主因なのです」
「そうか、じゃあ俺の両親をここに連れて来て首でもはねたらどうだ? そうしたら俺の溜飲も――」
「あの二人にはその価値もありません」
「…………」
「彼らはあなたの能力を無視した。あなたの言葉に耳を傾けようとはしなかった。それがあなたを窒息させ、呼吸から遠ざけた。ほんとうは輝くだったはずのあなたの人生が台無しになってしまった……それは決して赦すことができない罪悪です。あなたも、あなたを信じなかった家族も」
「…………」
「それでもあなたはあの二人を切れなかった」
 傷跡を撫でるように、天使の指先が革表紙の上を滑っていく。目に見えない傷が、そこには無数にあるのだというかのように。
「あなたはあの二人を無視できなかった。自分には関係ない、俺には俺の命があると思い切れなかった。だからあなたは光差す道から外れ、落ちた。彼らはそれを振り返りもしなかった」
「…………弱かったからな、二人揃って。馬鹿なんだ、どうしようもなく」
「でしょうね」
 天使が肯定するたびに、なぜか俺は咳が出そうになる。こらえる。何かが残る。
「愛して欲しいと胸の裏で叫ぶ子供を愛してやらない親は馬鹿です。まさに冒涜、ほかに言い方がありません。愛することができないのであれば、そんな者たちこそ私の待つドアを叩くべきなのに」
 ため息をつき、
「あなたの両親は愛を知りませんでした」
「…………」
「なぜならその両親からも、あの二人は愛されたことがなかったからです。厄介者として疎まれ、動く用事でしかなかった。彼ら二人はあなたとは違う結論にたどり着きました。すなわち、『無関心』です。愛されていないなら、愛など理解できないままでいい。愛されたことがないことを思い出すのが怖いから、そんなものはないんだと言い聞かせる。そしてそんな答えにたどり着いてしまった者たちに、誰かを愛することなどできません。彼らにあるのは、好都合か、不都合か、厄介か、どうか。それだけのものさしで世界を見る、実に哀れな二人でした」
「……どうかな、お前だって適当言ってるのかも」
「残念ながら、私は真実です」
 天使は言った。
「あなたは、切ればよかったのです。目をそらすのではなく、真正面から、親子の縁を切るべきでした。愛していると叫びながら、あの二人と絶縁するべきでした。最後までわかってもらえないまま、あの黒い家から出て行くべきでした。それは嘘ではないからです。あなたにとってのほんとうだったはずなんです」
「ほんとうのことが、俺に何をしてくれる?」
 俺は天使の背中から生えた純白の翼を見ていた。じつにきれいだ、汚れていない。でも、だから? それが俺に何をしてくれた。何を与えてくれた。正しさごときで、いったいなにが守れる。
「それで何が変わる。俺の何が埋まる? 俺は認めて欲しかった、いいよ、そういうことにしておこう。で、だから? もし仮にそうだったとして、だからなんだ。それは無理なことだった。埋め合わせられないことだった」
「あなたは埋め合わせられると思っていました」
 天使は己の罪を白状しているかのように、とつとつと、歩くような速さで語り続ける。
「あなたは奇跡を信じていた。いつかわかってもらえると思っていた。裏切られ続けるだけの日々のなかで、『いつか』を求めていた。つらい現実から自分を理想まで引っ張っていってくれる魔法を待ち続ける灰かぶりの少女のように。でも、それはできない。誰にもできない。あの二人の命はどんなに歪んで壊れかけていても、あの二人のものでしかない。ほかの誰かが彼らに『誰かを愛する』ように設定し直すことはできないのです。人間は機械ではないのだから」
「でも、そうでもしなければ叶わないことが、俺の夢だった」
 俺はドロに汚れいくつもの傷でくすんだ靴を見下ろした。
「叶ってくれさえすれば、俺はそれでよかった。どんなに遅くてもいい。どんなに間違っていてもいい。俺はいつかを待っていた。確かにそうだよ、認めるよ。俺はそれを待っていた」
「でも、それは来なかった。あなたを待っていたのは、あなたの死の間際でさえも、誰かにどうすればいいか尋ねたくてたまらないとばかりに、部屋の四方をぐるぐると見回す親の姿でした。……それは親を探し求める子供の顔でした。あなたはその子供の顔を、自分の親の表面皮に見た」
「そうとも。……そうだとも」
 だからどうした。
 いまさらどうする。
 俺の視線に染みこんだその問から、天使教は目をそらさなかった。
「あなたはほんとうの意味では生きていなかった。だから、その命、返してもらうわけにはいきません」
「俺だけ特別扱いしていいのか? ずるはよくないな」
「私は手段は選ばない性質でして」
 天使は解けるように微笑んだ。気づけば、もう俺の両手に手錠はかかっていない。わずかに砂のようなものがこびりついていたが、それも乾いた肌を滑り落ちてどこかに消えた。
「俺は他人の期待は裏切る性質だ。信じたって馬鹿見るだけだぞ」
「確かにあなたは両親の期待を裏切りました。『都合のいい存在たれ』という願いはね。ですが、そんなもの、叶えてやる必要がどこにあります? 私が見たいのは、あいもしない殻に押し込められて苦しむあなたの命じゃない。そんなものから抜け出して、あなたがどう生きるのか知りたいのです。たとえそれがどんなに孤独と苦痛に苛まれるだけのものであっても」
「つらいな。できればやめたい」
「ええ、ですが、人は楽しむために生まれるのではありません。己自身が、己自身のために、為すべきことを為さんがため、……私はあなたにIt(それ)を与えたのです。捨てるためではなく、使うために――」
 風が背中を押してくる。振り返らなくてもわかる、ドアが開いたのだ。そしてそこにはさっきの天使が二人いて、澄ましたような、何もかもお見通しのような顔をして控えているのだろう。
 そうはいくか。
 俺はふたたびタバコを取り出し、ゆっくり吸った。
 じれったそうな空気のなかで、俺は悠々と白煙を楽しむ。
 そうとも俺は誰も待っていない世界へと帰っていく。そこでつらい時間を過ごす。
 それが見たいというならやってやらないこともないが、俺の味わう苦痛と人生に比べれば、少し待つくらいどうってことない。
 なにせ天使どもには時間は限りなくあるらしいから。
 俺は二本目に火をつけた。
「……ちょっと」
「いいだろべつに」


 目覚める前は少しでも長く寝ていたい。
 時計の目覚ましなんて、聞こえない――




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