篠崎
「しかしお前もつくづく馬鹿だな」と篠崎が言った。「あんな父親の言うことをいまだに真に受けるなんて」
俺は篠崎から顔をそむけて、椅子に座り、灰色のモニターを眺めていた。いまは誰とも口を利きたくない気分だった。特にあんなことを実の父親から言われた日は。
「ひどいもんだな。最近のお前が書くもんはみんな父親絡みの愚痴ばかりだ。読者もいい加減にウンザリしてるぜ、わかるだろ?」
「だったらどうした? そんなの俺には関係ない」
「その反骨心は立派だよ」篠崎は俺の原稿を読みかけの新聞みたいにぱさりと置いた。にやにや笑って俺を見、
「まるで小説の登場人物みたいなところがあるからな、お前は。そんなもんが現実をウロウロしてるってんだからたちの悪い冗談だ。事実は小説より奇なり、だが小説が事実というのは単なる悲劇だ。報われない」
「そんなのはお前に言われる前からわかってる」
「だろうな。で、どうする。仕事終わりにクソにクソ垂れられて、涙目になって書けもしない原稿に向かう。これがむかしはちょっとはチヤホヤされた物書きの姿だと思うと虚しいもんだな」
「だから、それがどうした? 俺にはそんなの関係ない」
「そうだろうとも」と篠崎は満足げに頷いた。俺が買った椅子に偉そうに腰掛けて足を組み換え、
「まさにお前の言うとおりだ。お前、まさかあのカスがお前より価値があると本気で思ってんじゃないだろうな」
俺は無理やり動かそうとしていた指を止めて篠崎を振り返った。篠崎は笑ってる。
「いい加減に気づけよ。いなくなっちまったやつもいるが、それでもお前の文章を読みにきてるやつらがいる。お前の親父にそんな存在がいると思うか? 他人を傷つけ自分の優位を守ることでしか安心を得られないモラハラ夫。お前さ、モラハラとか愛着障害とかいちいちググって自分と重ねるのいい加減にやめろよ。誰かに認めてもらいたいなら俺が認めてやる、お前はアダルトチルドレンってやつで、世間じゃ珍しくもない毒親持ちだ。まァ確かにお前自身の性格がクソなのも確かだが、それもこれもあのカス野郎と幼少期を過ごしちまったのが運の尽き。――だからなにもいちいち傷つけられたくらいで『傷ついた』なんて罪悪感を覚える必要はどこにもない。やつは因果応報なのさ、自分が傷つけた人間に憎まれる。あの馬鹿がどれほど逃避しようと、弱者をなぶることで自分を守ろうと、実の息子から呪われていることは変わらぬ事実だし、そしてやつ自身がそんなこと蚊に刺されたくらいにしか感じていないのも真実無謬。お前はツイてなかった。普通の家庭に産まれて来なかった。ADHDの馬鹿な女をアスペルガー障害のクズな男が騙して孕ます。よくある話で、人間が繁殖する上では当然の選択肢でもある。問題はお前の知能もお前の才覚もお前の優しさもすべてお前の親父を超えちまってるってところだ。そればっかりは誰がどう御託を並べようと、ああお前の親父に言わせればお前の発言は全部『能書き』になるんだっけ? どうせお前は能書きについちゃ天賦の一個や二個は持ってるんだからべつにいいじゃねぇか。ま、とにかく、お前を否定したがるやつはよくいるが、どう足掻いたって本当のことってのは消せないんだよ。だからみんな消したがる。お前という男の価値ごとな」
そこで篠崎は深く息をついた。確かめるように、飴玉でも舐めるように吟味しながら言葉を選ぶ。
「人との会話を能書きと表現するお前の親父のゴミカスっぷりには同情するが、まァ気にするな。今のお前にとっちゃ家族なんてどうでもいいことだろう。もう残り時間も少ないし、一気に走り抜けるしか解答がない。家族? そんなもんいらないだろう。たとえお前の両親が改心したとして、お前にはそんなものは必要ない。なにせよく見ろ、画面が文字で埋まってるようじゃないか? ついこのあいだ『もういい』とか言ってたんじゃなかったか? そうはいかない。わかってんだぜ、そろそろ休憩は終わりだろ? なにせ孤独というものは、お前らに与えられたたったひとつの贈り物なんだから。まったく扱いづらいぜ、下手なことを言って本当に刺されたんじゃ、読みたい続きも出やしない」
振り返った時、そこには誰もいなかった。俺は少しだけ減ってるコーヒーを見て、それを自分が飲んだことを知る。