Neetel Inside ニートノベル
表紙

幸運。
1話「箱庭と不良といじめられっこ」

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 真っ白な壁の部屋があった。
 まるで箱の中であるかのように綺麗に継ぎ目はなく、扉も見当たらない。照明は天井につるされた電灯のみで時計はなく、電光掲示板のようなプレートがあるが今は明かりがともっておらず他に見当たるのは昔ながらのダイヤル式の黒い電話と、どこからか拾ってきたのかぼろぼろな10インチ程度の小さなブラウン管テレビが置かれている。ブラウン管テレビの上には通販で最安値とも言われていた低画質のWebカメラが設置されておりそのコードとテレビのコードだけが外につながつ唯一の綻びだった。
 この部屋は密閉されていた。
「うん……?」
 そしてこの部屋にあった、最大にして最小の最後の一つ。
 制服を着た男が電灯の明かりを鬱陶しそうに目をこすった。
「いてて」
 男はふと後頭部あたりに鈍痛を覚えそこを手でなぞる。
「いてっ」
 案の定こぶが出来ていたのか男はそこを軽くつついては顔をしかめる。やや細身だが長身の男はだらしなく着崩した制服をボタンが止めておらず、しわしわになったカッターシャツも制服同様ボタンが止められていない。故に肌着代わりの真っ赤なTシャツがその存在を自己主張していた。また、ズボンもだらしなく下がり、踵(かかと)の部分は踏み潰したのか擦(す)れたのか破けてしまっている。
 髪は赤ワインでもぶちまけたかと聞きたくなるほど濃いワインレッドで、それがハリネズミのようにつんつんととがっており、耳元にはピアス。整えられた眉毛にナイフで切込みを入れたかのような鋭い目元。いかにも不良ですといった出で立ちの通りと言うかなんというか、男は意識がはっきりしてきたと思えば乱暴な言葉遣いで挑発するように備え付けのWebカメラを睨み付ける。
 が、いつまで経っても変化はなかった。叫べども喚(わめ)けども深淵で遭難したかのように何の返答も反応もない。
 イラついた男は壁を蹴飛ばす。しかし、男に返って来たのは返事ではなく鈍い痺れと痛みだけだった。その苛立ちから軽い破壊衝動を覚えるが、男は決してWebカメラやテレビ。そしてブラウン管には手を出さなかった。何かの手がかりになるかもしれない。それを考えるだけの賢さが男には備わっていた。
「くそっ」
 こつんと弱々しげに拳が壁を叩く。
 どうしようもないのかとそのまま額を壁に預け、ずるずると地面に崩れながらまぶたを下ろす。
 壁に体重を預け、ぼんやりとどうしてこんな事になったのかを思い出そうとするも、まるで記憶にロックでもかかっているみたいにソレを思い出す事が出来ない。それどころか後頭部のこぶがひどく痛んだ。
 やがて、いくらの時間が経っただろうか。一分かはたまた十分か。一時間か一日か。時を感じさせない無機質な壁は男の時間感覚を狂わせるには十分すぎるほど白く、無常だった。
 このまま死ぬのだろうか。壁を背に、体重を預けてふとそんな事を思う。おそらくあのWebカメラは自分の事を観察しており、自分が苦しむのを面白おかしく見ている奴がいる。男の解釈はそうだった。そう思うと男は怒りよりもまず贖罪の念が浮かんだ。
「なぁ、見てるんだろ? 須木ぃ(すき)」
 そして男はカメラに向かってつぶやくのだ。犯人だろう知り合いの名前を。



 †須木(すき)



「ワイワイ」
「ガヤガヤ」
 朝。
 教室。
 規則的かつ一定間隔で設置された黒板や窓ガラス。そして机に椅子。指定されたカリキュラムを消化しながら日々をすごし、人員さえも規則性を持って変動する。
 これじゃまるでプログラムだ。
 むしろそれに気がつけた自分だけが正しい人間で、それ以外はプログラムじゃないのか。
「ひさしぶりだなぁ須木ぃ?」
 机に伏せていた少年は苗字を呼ばれてびくりと肩を震わす。もちろん何度繰り返したか分からないいつもの妄想はぴったりと止んで今は恐怖が頭を支配する。
 マジックで塗りつぶしたような真っ黒な髪におかっぱ頭。自信なさげにおびえた視線。まるで小動物がかつらをかぶっているようだと須木を呼びつけた少年は揶揄(やゆ)する。
 だが、須木の体は少年が言うように小動物のそれとは大きくかけ離れており、言うならば慎重が普通より低いところが小動物といえるだけで、風船を膨らませたようにぷくぷくとふとった全身は制服を窮屈そうに圧迫していた。
「何とか言えよ」
 そう言って少年は須木の太い肩をグーで殴る。どうせ何か言っても同じ事をしたんだろうな。と寝たふりを敢行する須木。なに、これくらい慣れっこだ。
 そう思う一方で、須木はあふれ出る喜びを隠すので精一杯だった。なにも須木は殴られて快楽を教授する特殊な部類の人間はない。その気はあったとしても今はその事で喜んでいるのではなかった。
「よっしーも須木が来たってのに休むだなんてついてないよなー」
 よっしー。その名前を聞いて須木は口元を緩めた。
「よっしーケータイにもでねぇししかたねぇべ」
 少年たちの一人が校則で禁止されている携帯をいじりながらそういった。
「まーたどっかでボランティアでもやってるんじゃないの」
 そうかもなと言う少年たちの口調は何処かあざ笑うかのようで、ボランティアというものというより、それをしているよっしーを侮蔑していた。不良がボランティアで地域貢献なんてのはダサい。それが少年たちの総意であり、決定事項でもあった。
「ワイワイ」
「ガヤガヤ」
 少年たちは須木に飽きたらしく、去り際にまたグーパンチを置き土産にして教室に消えた。と、いっても実際はすぐ近くにいた。だが須木にはワイワイガヤガヤの一部なのである。
 本当のところは須木にもおしゃべりの内容は聞こえていた。それはワイワイガヤガヤではなく昨日のテレビ番組の内容がどうだっただとか、今日の小テストがどうだとか日常的な会話。だがしかし、今の須木にはやはりワイワイガヤガヤとしか聞こえないのだった。
 だれも須木に話しかける者はいない。クラスメイトたちは楽しそうに話しているのに、お宅みたいな外見をしたやつらもグループになって話しているのに。その誰一人が須木の存在を無視するかのように話しかけてこない。
 事実、須木はいじめられていた。原因はなんだったのか、須木はもう覚えていない。いつの間にか群れからはずされ、孤立していた。それを考えるとよっしーを筆頭にしたいじめっ子集団だけが唯一須木を気にかけていたともいえる。
 だが、須木はそれでも良しと思っていた。
「おはよ。スッキー」
 そんな須木の肩を叩いたのは一人の女子だった。
「お、おはよう。中内(なかうち)さん」
「もう。同級生なんだからさんはいらないって言ってるのに」
 そういって頬を膨らませる姿は、狂おしいほどかわいらしい。
 言ったら本人は嫌がるだろう幼い顔つきに、太りすぎではなくふくよかでゆったりとした体のライン。校則にのっとってぎりぎりまで短くされたスカートから覗く太ももはやわらかそうで、いつか膝枕をされてみたいと須木の妄想は膨らむ。髪も須木ほどではないが黒く、肩にかかるかかからないか程度のセミロングはいつも須木にシャンプーの甘い香りを届ける。とどめは太い赤縁(あかぶち)の眼鏡だった。どこか大人びだその眼鏡は童顔の中内と面白い不釣合いで、そして似合っていた。細長い楕円状のレンズの先にある真っ黒な瞳に何度吸い込まれそうになったか須木はもう覚えていない。
 故に高校生活最後の一年。そして今学期。須木が中内と隣席になったのは奇跡以外のなんでもなく、いじめられっ子の須木がたびたび学校に行く最たるい理由になっていた。
「ご、ごめん」
 一言二言だというのに中内の笑顔を見ると顔が熱くなるのを感じて机に伏せる。
「次はがんばってね」
 ふつうなら気味が悪いとか不気味だとか笑われるのだが、中内は気にした様子もなく鞄から教科書を取り出して机にしまう。
「あ、美佐(みさ)おはよー」
「おはよー千恵(ちえ)」
 千恵と呼んだ女子と一緒に中内は一つのグループに呑まれる。
「なーんの話?」
「あ、美佐おはよー。いやね、昨日の番組がさ」
 美人でまじめ。勉強も出来る。そんな中内だったが、それを自慢したりせずむしろ他を立てるような性格。だからクラスでは人気者。それが須木の知っている中内だった。
「そんなことより今日の小テスト勉強してきたの?」
「ガヤガヤ」
 まるでフィルタでもかけたかのように須木は中内の言葉だけを抽出する。
「先生が来るぞ」
 楽しいおしゃべりの途中、誰かがそう言った。
 その瞬間、蜘蛛の子を散らすかのように教室にいた生徒はおしゃべりを止めて各々の席に着く。席についていなかったのは須木を殴った少年の一団だけだった。
「お前等、席につけ」
 数秒、ガラガラと音を立てて戸を開いた先生は開口一番少年の一団にそう言って教卓に向かう。少年等も、うぜーな。なんて事を言うものの、結局は席に着いた。
「おはよう」
 先生の話は連絡事項程度。いつもそう決まっていた。
「お、今日は須木が来てるのか」
 が、今日は違った。先生の言葉で教室中の視線が自分に集まるのを須木は感じ、咄嗟に机に伏せる。ほっといてくれ。それが須木の本心だった。
「先生うれしいぞ」
 そう言うと定例の連絡を伝え始める。だがその最中も、クラスのいたるところから視線を感じた須木はどんどん固くなっていく。
「じゃ以上だ」
 先生が言って教室を立ち去るのと同時に、教室はまた騒がしくなる。と、同時にヒソヒソと須木を噂をする気配を感じる。
「うっ」
 強烈な吐き気に口元を押さえて須木は教室を飛び出す。
「おーっと」
 はずだったのだが、少年たちに行く手を阻まれてしまう。
 何とか抜けようと試みるのだが、人数と力のせいもあってポコポコと赤子をいたぶるように頭やら腹やらを殴られる。
「ちょっと。やめなさいよ」
 声をあげたのは中内だった。
「けっまじめちゃんがよぉ」
 中内の声にやる気をそがれたのか、少年たちは廊下に続く道を渋々といった感じで開ける。
 視線だけを中内に向け須木はありがとうと心の中でつぶやく。
「あーごめんねー」
 道が開いたと思って走り出した須木の足を軽くすくうと、須木は簡単に地面に転がった。背後からは中内の怒る声と少年達の笑い声が聞こえてきたが、須木はかまわず立ち上がりトイレえと駆(か)けた。
「はぁはぁ……」
 個室の一つ。それも一番奥の洋式の物に入り須木は息を整える。
 気持ち悪い。いつしか須木は視線に嫌悪感を覚えていた。それはいじめ続けられた事によって追い込まれた精神異常なのかは分からないが、とにかくこれが出ると胃の中の物を全部出してしまわないと落ち着かない。
「へへへ……」
 だがしかし、今日の須木は違った。気味の悪い笑みを浮かべると制服のポケットから震える携帯を取り出し、耳をつける。
「やぁ。吉野 八雲(よしの やくも)」

       

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Neetsha