恐怖は唐突に姿を現すのである。さながら気まぐれな猫である。ニャンコの気配をすぐに察知できるのと同じように、恐怖に対する我々の感覚器は鋭敏である。それこそ背後にニャンコが迫ろうものなら、鳴き声を耳にする前に振り返ることも可能だ。恐怖を抑制するのは不可能である。ニャンコをもふもふしたくなるのと全く同じ理屈である。従ってニャンコの予感を察知しようものなら、何が何でも振り返らずにはいられないのである。視界に収めてそれがニャンコであることを確認しなければならない。言うまでもなく、それは初めからわかっているのだが。ビハインド・ザ・ニャンコ。ニャンコなのだよ、私の第六感をびりびりと脅かすナニモノかの正体はニャンコだ。にゃんにゃん。
「にゃーん!」
どかん。
「バカ! 敵襲だッ!」
誰かのものだった右腕に肩をどつかれた。
ぼとり。
「通信兵即死です!」
「状況ッ! 報告ッ!」
ガガー、ピー。
「敵です!」
「わっとるわそんくらい! 敵は見えるか!」
「見えません!」
「死んだのは? ひとり?」
もくもく。足音。
「相手は何人だ!」
「えーーせーーへーーー!」
誰かの血の臭い。
「ひい」
「隣のヤツが死にましたあッ! チキショー!」
「あのう! 撤退してもいいッスか!」
ずん。
「撃って撃ちまくれっ」
「バカか自滅するず」
ぱたぱた、ぱた。
「やめろ!」
「敵は刃物で武装してるぞっ! すぐ近くにいるっ!」
「鍬じゃねーの? ぶ」
「見えねー!」
「くそったれのコムニストがっ!」
どかん。
「逃げましょーよぉ!」
「死んだ奴はほっとけ!」
「進めッ!」