誰の声も無の向こう
フェアリーライト
ビガル、ビガル。俺はそう呼ばれたのを聞いて目を覚ました。剣を片手に目をこする。見ると大きな男が俺のテントに顔を突っ込んでいた。何者かと思えば旅人仲間のメッキムだ。メッキムはスキンヘッドのひげ面じじい。俺は手を振った。出て行ってほしかったからだ。
だがメッキムは出て行かず、俺に剣を手渡してきた。新しい剣だ。それで魔物を倒して欲しいという。わがままなやつだ。俺は引き受けることにした。俗に言うクエストというやつだ。
退屈な毎日が少しでもマシになるのならそれでもいい。
俺はクエストを受けた。ベリウサルトの森で何か魔物が発生しているらしい。いってみると超巨大なクモがキャラバンを襲っていた。俺はエベルオンの剣を取り出して振り回した。スキル『一刀流』が発動してクモを八つ裂きにした。俺は強い。
ここはVRMMORPGのなか。
デスゲームに取り込まれてからどれくらいの年月が経ったのか俺は覚えていないし、どうでもいい。興味がない。そんなことはたいした問題じゃない。
大切なのは、ここでは俺に仕事があるということだ。剣士として、ソロプレイヤーとして、俺の能力は重宝されている。それでいい。
俺は助けたキャラバンから謝礼金をもらって、近くの町で宿を取った。プレイヤーとしての努力を放棄した不老の娼婦たちに金を払ってご奉仕してもらう。俺のランクはAクラスだから娼婦たちも嫌がらない。ゲームクリアしてくれるやつがいれば、彼女たちも屈辱の毎日から解放されるからだ。屈辱? 病気にもならず、痛みも制限され、嫌気が差せば接触拒否コマンドも押せるくせに屈辱なんてあるものか。俺は彼女たちを思うがままに楽しんだ。一刀流使いである剣士の俺にはその資格がある。
夜の街をベランダから見下ろす。美味い酒を飲み、美味い食事を取り、いい女と遊んで町の喧騒に耳を傾ける。こんな生活、リアルでは得られなかった。
俺はこのゲームをクリアするつもりがない。
なぜならクリアしても意味がないからだ。あんなボロアパートのフリーター生活に戻ってたまるか。俺はここで暮らしていくんだ。元の身体がどうなろうと知ったことか。もうここでの世界こそが俺のリアルなのだ。
デスゲームである以上、死ねばゲームから追放され、元の身体が破壊される。だからどうしたというのか。俺からすればクリアすることと死ぬことは同義だ。俺は絶対にもう現実には戻らない。このままここで生きていく。
翌朝、娼家を後にして、馴染みの店で朝飯を食う。ベーコンレタスサンドにホットコーヒー。ため息が出るまで朝日を浴びてから近所の狩場へ出向く。レベル上げと、盗賊避けのためだ。PK専門のプレイヤーが町に近づかないように、俺たちは町のそばの草原や森や丘陵のモンスターを狩って生活している。もちろんそれでレベルは上がらないから、たまにレベルを求めて高い難易度のダンジョンへ出向くこともある。俺のレベルは今、42。まあまあだ。
ゆっくりとのぼっていく日差しを浴びながら、低級モンスターを狩っていく。
低級とはいえこのフルダイブ型VRMMORPG『フェアリーライト・フルストリーム』は突然変異モンスターが1%ほどの確率で発生するようになっており、うかうかしていると死ぬ。最初は十億人いたプレイヤーが二千万人に減ってしまったのも、その難易度の高さのせいだ。スキルの組み合わせと死をなんとも思わないクソ度胸があればどうにかなるのだが、それができない弱虫はみな死んだ。ガードスキルなんかを使おうとするからだ。ガードしたらスーパーアーマーつきの防具でもつけていない限りはコンボでハメられて死ぬのがこのFRFSなのに。
とはいえ、逆に言えば大抵のモンスターはスパアマなしなので、先制を打てばそのまま殺し切れることがほとんどだ。慣れてしまえば眠っていてもこなせる死闘。だから俺はこのゲームが好きだ。
踊るようなルーチンワーク。
だが、それにも飽きてきた。俺は旅に出ることにした。長い旅だ。グランドクエストクリア目前まで進めるつもりだ。その頃には俺はもう神にも近い腕になっていて、きっともっと平和な心を手にしているだろう。俺はいっそモンスターになりたい。獣になってこの世界を駆け回りたい……何も気にせず、誰のことも考えず。