Neetel Inside ニートノベル
表紙

敢えて二人を名付けるなら
――冬佳嬢の身上事情

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 自分といて飽きないのか、と問われたことがある。
 その時は何と返したのだったか。確か、愛玩するただそのためだけにペットを飼う主人じゃあるまいし、なんて回答だったと思う。
 ただ今思い返せば、それは言い得て妙だった。
 私は、自分を楽しませてくれる愛玩動物が欲しかっただけだった。

 中等から高等に進級し、慣れないのは腕を通すブレザーの質感のみならず、人間環境にも言えた。
 旧知の顔ぶれがチラホラといた中学生時代と違い、見ず知らずの人間ばかりが並ぶ新しい校舎で、私は見事に取り残される。周囲の人間が早くも集団化しつつある中、私だけは誰に干渉もせず、同時干渉もされなかった。
 原因は、私の名前の前につく三文字にある。
 自己紹介の際名乗ったフルネームは、面々は違えど地域風土の変わらない新天地でも十分に効力を持ったようだった。
 ――五条院。
 聞けば誰もが、地元の市民センターよりも広大な屋敷を思い浮かべるのだとか。
 その話題の的となる屋敷に住む自分でさえ、他の家より多少大きいな、と感じるぐらいなのだ。余所の方々からすれば揶揄通り、広大とも言えるのだろう。それこれで真っ先に身元が割れた私に近寄ろうとする人は一人といなかった。真偽の程はさておき自宅に慄かれたと表現するのは冗談でも嫌なので、彼女らの言葉を借りると、引いたのだ。恐らく。
 両親の誇る家柄で私も恩恵に与ろうと言うわけではないが、不躾な女学生が噂の屋敷での生活ぶりを聞いてくる、ぐらいのことが起きてもおかしくないと思っていた身としては、自己紹介以降の触れられなさ加減に肩の荷が下りたというか、透かされたと言うべきか。
 そして、人間避けられていると分かると近づいてやろうとも思わないごく当然の理が作用すると、相互効果で入学後一週間が過ぎても、この通り孤立する。
 なるべくしてなった、鬱屈するまでの、現実だった。
 元は親の言い付けで強制的に決められた当学への入校だったが、誰とも交友せず言われるがまま勉強に励んで、このままならきっとその繰り返しになるのだろう。才色兼備であれと望む両親の求める私の姿としてはそれが完全なのだろうが、自分が満足かと言われたらそんなことは決してない。
 煩雑な通学路を強いられてまで投げ入れられた、学歴で言えば上等なこの学校で、命令通り学生としての義務のみを果たす。まるで人形だな、と考えが暗い方向に進むに連れて、帰宅への意欲が失せてきた時だった。
 したこともないような埃取りの掃除を終えて、何となく同じ班の人達から離れるようにトイレへ立ち、ゆっくりと校舎内を眺めるようにしながら教室に戻る。
 すると、中が空なのだ。
 廊下を通して聞こえる音は人々の喧騒で、どこかしらまだ学生が残っていることは判然としている。そういえば部活動勧誘の時期だとか言っていたか。興味がないことはないが、先立つ自己紹介の時のような事が起こるのは、正直御免だった。
 寧ろそちらより興味をそそられるのは、今眼前に広がる環境である。
 誰の目にも触れたいと思えない心境。沸き起こらぬ自宅への帰宅心。しばらく誰も戻りそうにない空の教室。
 気が付くと、禁じられているベランダへの出入りを平気で破っていた。遠くに夕焼けが見える空の下、校庭でそれらしい服装に着替え球技に勤しむ姿や、さっさと下校する制服も見受けられる。
 その風景の中に自分が映っていないことが、高校上がりたての自分には堪えた。少なくとも、つい数ヶ月前までは何人か近しいと思える人間がいたのだ。
 今は過去となってしまったその光景に感傷に浸っていると、自分の足で歩くも、霧影を呼びつけるも気が向かない。どのみち帰りが遅くなれば彼女が駆けつけてくれることを思い出すと、ますます何の気も起きなかった。
 視線の先で、夕日が稜線にじっくり潜るのをぼんやり眺める。
「……お?」
 喧噪から外れて、背後から声が聞こえたのはちょうど陽が形を消した時。
「まだ残ってたんだ。どーしたのよ、ベランダなんかに出ちゃってー」
 朗らかだな、というのが第一印象。振り向きもしなければ顔が見れるはずもないので、飽くまで声だけのイメージだが。
「えー夕焼け見えるんだー。あたしも見たっ……」
 すたすた歩くその靴音も機敏さが伺える。快活的。
「……っい」
「消えたわね、もう」
 そのイメージ通りの、晴れやかな顔つきをした子だったな、と強く記憶しているのは、私が誰か横に並んで初めて理解した瞬間、その表情が目に見えて引きつったからだ。
 ショートシャギーという軽そうな髪型に、私よりは少し低い背。そのくせ女性らしい部分は私に勝る、健康そうな体つきをした子だった。顔を見て私と分かるのだから、恐らく同じクラス、外れても同学年だろう。
 まずいのに話しかけてしまった、という心情が瞭然の反応に、二度目とはいえ少々看過するに限界が来たのだと思う。だから少々意地汚い心が生まれて、
「綺麗だったわよ。じわりじわりとね、山の向こうへ沈んでいくの。最後、光が吸い込まれるようで」
 何を勿体付けて喋っているのか自分でも分からない。夕日が見たいという彼女の台詞を真に受けたのだとしたら、こんな返し、とても幼稚で聞いてられない。高校生が夕日一つでだから何、と跳ねつけられるだろう。
 まぁ、どのみち意地汚い心だったことは初めから認めている。相手に嫌悪感を植え付けられさえすれば効果としては上々、と踏んでいた。
「うっそ本当に? うわーいーなー見たかったーぁ!」
 だから、この反応は予想外だった。
「こう、こうさ、出入り禁止のベランダで見る夕日っていいよね。凄い高校生っぽい!」
「……」
 さっき見せた表情の歪みは何だったのかと思わされるぐらいの朗らかな笑みに、さっきとはまるで立場が逆になる。まずいのに話しかけてしまった。
「で、どしたのさこの時間にここで一人で。やっぱ部活見学?」
「いえ……あまり興味ないわ」
「おや。そうなんだ?」
 私と見るや、すぐにどこかへ行ってしまうと思っていたものの、意外にへばりつく気でいるらしい。周りが、赤の他人と接触する際の挨拶語として使いそうな話題の振りが、等しく自分にも投げられたことが不覚にも新鮮だった。
「あたしもサッと運動部辺り見てきたんだけどね、そんな強いわけでもないのに練習だけは立派だったりして、ちょっとめんどいかなーって」
「真面目にやることはいいことなんじゃないかしら……」
「まぁ付いて行く気はないよね」
 この辺、全く同じ意見だったりすることが不本意だ。私の場合はそも運動部が選択肢に入らないが。
「文化部の方は身についてるものがないからなぁ。えーっと……五条院さん、は何かやってたりしないの?」
「習う機会、なかったから」
「そーなんだ。興味もないならやっぱり無所属?」
「そうなるわね」
「うーんあたしもそーなんのかなー。でもなぁ」
 聞いてもないのに自分のことをちょくちょく喋る子だ。会話しているだけで人となりが微かに見えてくる。
 きっと、人間関係を作る上で苦労しないだろうな、なんてことを思った。
「部活やってないと暇だし、友人あんま増えないかな、って」
「……前者はともかく、友人に苦労しそうには見えないわよ、あなた」
「え? 今なんて?」
 表情がコロコロ変わる。感情がそのまま顔の筋肉にリンクしているのか。
「この学校で私に話しかけてきたの、あなたが初めてよ。その明朗さを誰にでも披露できるなら、まぁ誰からもなんて言わないけど、嫌われはしないんじゃないかしら」
「ん……え、っへへー……そっかな」
 断定できないのは、私が彼女に対しその判断を下せないからだ。
 心の中がどんな形であれすぐ露呈するのは、見ていて心地よいものではない。が、好感が持てないわけでもない。そういう意味では苦労する性格かもしれない。
 一言交わす度評価が上下する、大変不思議な子だった。
「ま、まぁそれはともかくさ。暇なのは変わりないんだよねー。五条院さんもこんなところいて暇に感じないの? というか何で今の時間ここに?」
 人のことを詮索しようとするのは、悪い癖のように見える。
「一人でぼんやりしてるのを暇と言われるのは癪だわね。そんな悪いものじゃないのよ。背景が夕日ならなおさら」
 稜線へと隠れ、陽がなくなった空は、今度は上からインクが滲むように黒を強めていった。黒から紫に、紫から藍、透明度の強い水と続いて、地平線にはまだ亜麻色が残っている。
「それが終わったら?」
「……帰るしか、ないわね」
 何も連絡せず放っておくと、使用人が迎えに来る。それを盾にぐずっていた節もあるのだが、際になって煩わしくも感じた。
「……ね、だったらさ」
「何?」
「家寄ってかない?」
「……は?」
 突然な提案に、思わず失礼な反応をしてしまった。
「いやもう、回りたい部活もないし、一緒に帰る友人見失っちゃうし、帰っても一人でちょっと、ね」
「一人? ご両親が出かけて不在とか?」
「あ、アパートで一人暮らしなんですよ。あたし」
 高校生にして一人暮らしとは随分複雑な身分だ。何となく言及しづらくて、口には出さないでおく。
 だが、
「へぇ……一人暮らしね。羨ましいわ。やってみたい」
「ホントに?! いやもーあたしの部屋だし、あたしいるけど、好きに来ちゃっていいよ?」
「いえでも……そも、何で私なの」
「え、いやホラ、友人どっか行っちゃうしー、今から家にこないかって電話するのもーだしー、何より、ホラ! 五条院さん、家に! 帰りたく! なさそうだから!」
「……」
 察しがいい。一度も家に帰りたくないとは言ってないはずなのだが。
 だが理由として少々役不足な気がする。それだけで初見の人間を家に上げたりするものだろうか。
 それが飽くまで私の感性でしかないことは、今彼女の家に足を向けていることで否定されたばかりなのだが。
 何もすぐ実行せずとも。
「……何で、言われるがまま歩いてるのかしら、私」
「え? あぁ、やっぱり名前も分からない相手の家に上がるのって抵抗ある? 御免御免。あたし、西果 歩。よろしくね、五条院さん!」
 調子がいいというか、都合がいいというか。そういうことを聞いているのではないのだけれど。
 心の準備すら整わないまま、背の割にキビキビ歩く彼女についていくのだった。

       

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