ピンク色似合うと思うよ。
見世物じゃないんだ。
ファミレスで食事した次の日は金曜日であった。
金曜日は一時限目が担任教師の担当科目なので、少しばかり遅刻しても大丈夫な日だ。
俺はいつもより少し長めに朝食を食べ、ゆっくりと制服に着替えた。
そろそろ梅雨が近付く。学ランを脱ぎ、長袖のカッターシャツに着替える時期だな。
ゆっくりと自転車をこいでいると、信号待ちの時に携帯にメールが届いた。
液晶には「美咲ちゃん」と表示されていた。
“今日一時間目、数学から変更して文化祭の出し物決めるらしいよ!
遅刻しちゃだめだよ!”
とメールには可愛らしい女の子が打つような文章。
「……文化祭かぁ」
青信号に変わった横断歩道を、重い足で自転車を漕ぎ始める。
文化祭にはあまり良い思い出は無いものだから、俺は少し憂鬱だった。
自転車を漕ぐ足が重い。
やっと学校の校門が見え始めると、遠くの方に小さく、見慣れた後姿が見えた。
黒瀬だった。
俺は黒瀬を見つけた時、なぜかすごく嬉しかった。
何だか、黒瀬が恋しかったのだ。いや、変な意味ではなく。
「黒瀬ー!」
大声で叫ぶと、黒瀬の足が止まった。
俺は自転車のスピードを上げ、黒瀬の元へ急いだ。
「はは、黒瀬も遅刻か」
「今日一時限目、担任の教科だからねー。いいかなぁって」
「俺も俺も。まったく同じこと考えてた」
もう既に授業が始まっている校舎は、やけに静かだ。
微かにピアノの音や、教師の声が聞こえてくる。
俺と黒瀬は二人で廊下を歩いていた。
「文化祭、いやだなぁ」
「だなー。俺もあんまり、良い思い出ないからなぁ」
「去年、龍之介、女子の制服着て呼び込みしてたよね。」
「……お前だって劇で王子様役だったじゃねえか」
「……今年は何だろうね。あんまり気が進まないな、文化祭って。」
「だな、ほんとに。」
不思議と、少し気が楽なった様な気がする。
黒瀬も文化祭には良い思い出が無いから、気持ちの共有を出来るからだろうか。
「ま、今年は出来るなら裏方に回りたいよね。龍之介と私が同じクラスって初めてじゃん?
絶対変な事になるよ。」
「……文化祭なんて面倒だよなぁ…」
はぁ、と溜息を吐いて教室のドアを開けると、クラスメイトの視線が一斉に俺と黒瀬に刺さった。
男子達は、担任が黒板に向かって何か書いているのにも関わらず、俺の元へやってくる。
おはよう、おはよー。と、わざわざ俺に挨拶なんかしなくていいのに。
そして黒瀬も、女子達に囲まれていた。
お互い、大変だな。
「えー。席に着きなさいー。ほら、遅れてきた黒瀬と白石も早く鞄直して。」
ハゲ頭担任の、変に語尾を伸ばした声が聞こえてくる。
今日は文化祭の出し物を決めます、と黒板に書いた文字を指した。
「第37回 文化祭出し物」と汚い文字で書かれている。
「まず、出し物より先に、文化祭委員を決めなきゃいかんのだがー…」
クラスはガヤガヤとうるさいままだが、担任は気にせず話を進める。
俺はしつこく話しかけてくる男子達を無視しながら、腕を組んでいた。
「出し物を何にするか?」という問いになると、クラスの口々から次々と意見は出るが、
「文化祭委員を誰にするか?」という問いになると、一気に皆の口数は少なくなる。
要するに皆めんどくさくてやりたくないのだ。しかし、俺は密かに思っていた。
“文化祭委員になれば、他の余計な仕事はしなくていい”
去年も一昨年も、文化祭委員の生徒は、劇であろうが喫茶店であろうが、委員の仕事が忙しい為、
文化祭当日は裏方に回っていたのだ。
そうか、文化祭委員になれば、出し物の裏方に回れるんだ。
俺は忘れてはいなかった。この前の昼休み、クラスの男子達が「今年も文化祭は女装男装喫茶にしようぜー。」と騒いでいた事を。
「黒瀬いるし、龍さんはめっちゃ可愛いし、絶対ウケるよな。」と。
「センセー!俺、委員やる!」
俺は手を上げた。「白石君委員するの?」と男子の問いが聞こえてきたが、ここは無視だ。
そして目が合った黒瀬にアイコンタクトを送る。口パクで、「お ま え も や れ」と呟くと、
黒瀬は頷いて、手を上げた。
「じゃあ、私もやります」
女子達は、黒瀬の一挙手一投足に見とれていて、黄色い声援が上がったが、男子達は反論した。
「えー、この二人が委員やったら男装喫茶の目玉商品無くなるじゃん!」
「龍ちゃんも委員したら駄目だよ!可愛い子いなくなるじゃん!」
可愛い子いなくなるってどういう意味よ!と女子と男子の口論が始まったが、
俺はそんな口論など耳に入っていなかった。
黒瀬と俺は見世物じゃないんだ。
「えー、はいはい。じゃあ、白石と黒瀬の他に委員したい奴いるかー?」
担任のしきる声に、教室が静かになる。
俺と黒瀬以外に、手を上げる奴はいなかった。
じゃあ、黒瀬と白石、お願いな。と担任はノートに何か書き込むと、教室の端の椅子に座った。
「出し物は適当に決めておけー」。適当な担任はプリントに視線を移した。
「出し物、黒瀬と龍ちゃんがいるなら男装女装喫茶無理だよなー。」
「じゃあ普通の喫茶店にする?」
「それじゃあ面白み無いじゃん!」
「普通の喫茶店でいいんじゃね?」
ガヤガヤとざわめく教室内。もう、休み時間と同じような雑談の空間になっていた。
俺は黒瀬の席の隣に移動した。
「俺達まるで、見世物みたいな扱いだったな」
俺がムッとしたまま吐くように言うと、黒瀬は少し口角を上げた。
「…しかたないよ。でも、ありがとう。龍之介って、こういう時男らしくて素敵だね。」
「なっ、…素敵だね?い、意味わかんねぇよ。…それに、ありがとうって、何が」
「……私、今年はね、男装したくなかったんだ」
黒瀬は薄い唇を閉じた。
その表情は、ただの女の子だった。
クラスメートが知らない、黒瀬の女の子の顔を、俺は盗み見しているような気がして、
心臓が痒くなった。