ズレた青春の日々
【新しい部活を作ろう!】
カリカリと小気味いい音が響く教室で、少年は一人物思いにふけっていた。
朝方、幼馴染の少女から告げられた事実。
それは少年にとって、ひどく衝撃的なものだった。
『私、バスケ部の先輩に告白されたの』
自らの思い人が、違う相手と結ばれる。
彼の立場からしてみると、そういうことだ。
(悩んでるとか、言ってたけど)
ちらりと視線を横に流し、隣の席の少女に目をやる。
少年の視線に気付く様子はない。答案用紙に目を落としたまま、くるくる退屈そうにペンを回している。
(木村先輩、だもんな。結局は、付き合うに決まってる……)
そんな少女から目を外し、少年は軽く溜め息をついた。
――憧れの先輩と、自らの思い人と。並んで歩く、少女の姿――
不意に脳裏に浮かんだビジョンを、少年は必死で振り払う。
ふるふると文字通り頭を振り、黒板の上の時計に目をやる。
時刻は、12時40分だった。
「あっ」
少年がそんな声を漏らすのと、校内に電子音が鳴り響くのと。タイミングに差はなかった。
頭髪の寂しい中年教師が、教卓から生徒たちに呼びかける。
「それでは、最後尾の人。答案用紙を集めてきてください」
今日は始業式であると同時に、休み明けテストの実施日だったのだ。
解答時間は60分。その時間をすべて思索に充てたため、少年の答案は白紙である。
(……まあ、失恋の痛みなんて、すぐに癒えるっていうしな。あんまり気にしないよう心がけよう)
最後尾から歩いてきた女子に、少年は自分の答案用紙を手渡す。
そして少年は思った。このテストの結果も、あんまり気にしないよう心がけよう、と。
テストが終わったあと、少年は親しい友人を誘い、昼食に向かった。
「一緒にご飯食べない? やっぱり、ちゃんと話がしたいんだけど……」
幼馴染のその言葉が、聞こえなかったわけではない。
聞こえはしたが、あえて無視する。それが少年の判断だった。
「宮本さんとケンカしたの?」
そんな少年の態度を見て、親友は何かを感じ取ったようである。
彼らは食堂にたどり着くと財布を取り出し、食券を買い求める。
「前川には、そう見えるのか?」
親友の問いを問いで返した少年は、購入した食券をカウンターへ出す。
割烹着を着た女性が、笑顔で注文を受諾した。
ちなみに前川というのが彼の親友の名で、宮本というのが幼馴染の名前である。
「いや、さっきガン無視してたじゃん」
前川も同じように食券を出すと、数歩下がって壁に寄りかかる。
少年も少し端へ寄り、注文の品が届くのを待つ。
「ケンカ……じゃ、ないな。俺にも思うところがあるんだよ」
朝のやり取りを脳内に再現しつつ、少年は思う。
『変な勘違いでもされたら困るだろう』というのは、あの場を離れるための言い訳だった。
だが、まるっきり心にもないことを言ったわけではない。少年は一人で頷いた。
「ふーん。まあ、いいんじゃない? 恋人でもないのに、近すぎるとこあったからね、君たち」
前川が自分で振った話なのだが、あまり興味もなさそうにそう言う。
むしろ出てきたカツカレーのほうに関心が移ったようで、ケンカどうこうの話はそれで終わった。
「それで、堀越はテストどうだった?」
「まあ、そこそこかな」
嘘八百を述べながら、少年は座る場所を探した。ちなみに、堀越というのがこの少年の名前である。
味噌ラーメンを抱えた堀越少年は、食堂のちょうど中央の席が空いているのを見つけた。
「おっと。そんな目立ちそうなとこ、座らなくてもいいんじゃない?」
しかし、前川がそれを制した。
「飯食うだけの話なのに、目立つもクソもあるかよ……」
ぼやく少年を引き摺るようにして、前川は他の席を探す。
結果、彼らは一番隅の席に座ることとなった。
「いただきまーす」
笑顔でカレーをかき込む前川を見て、ひとつ溜め息をついてから、堀越も割り箸を割った。
だがラーメンに手をつけるより先に、前川に対して質問する。
「なんか、話でもあるのか?」
「あ、やっぱわかっちゃった?」
食事の手を止めて、前川は苦笑した。スプーンを置いて、口元を拭う。
堀越は一度ラーメンを啜ると、軽く周囲を見渡して、言葉を続ける。
「まあ、わざわざこんなとこに来るくらいだからな……」
そこそこ大きい食堂ということもあってか、2人の周囲3メートル圏内には誰もいない。
わざわざ好き好んで端に来る奴もいない、そういうことである。
「なるべくなら、人に聞かれたくない話だから」
「聞かれたくない話?」
うんと相槌を打って、前川は水を1杯飲んだ。
ゆっくりと息をついてから、口を開く。
「部活、作ろうと思うんだ。軽音楽部」
真剣、そのもの。前川の表情を見て、堀越はそう思った。
自分も一度箸を置き、前川の言葉に深く頷いた。
「いいじゃん、それ。お前、音楽好きだしな。楽器とか弾けるのか?」
「うん。一応、ギターならそこそこ自信があるんだ」
にこりと笑い、ポーズを取ってみせる前川。
「入学したときから、ずっと考えてたんだ。軽音部に入りたかったけど、この学校にはないみたいだったからね」
その笑顔が、少しだけ翳る。
「だったら、自分で作ってしまえばいいんじゃないかって。思ってたんだけど……」
ハハッ、と、嘲るような笑みが漏れた。前川自身の口から。
「やっぱり、いざ実行に踏み切ろうとすると、どうしても勇気が出なくてね」
「誰でもそんなもんだろ。むしろ、まだ1年なのに本気で作ろうって思えたのがすげえよ」
少し沈んでしまった前川に、堀越がフォローを入れる。
前川を励まそうとしての行為ではあるが、それは同情でもなんでもない堀越の本心だった。
「ありがとう。でさ、君にも少し手伝ってほしいことがあるんだ」
それが前川にも伝わったのか、彼の笑顔に再び明るさが戻った。
ここからが本題なんだ、と、軽く舌を出して言う。
「部活の設立を認めてもらうには、少なくとも5人以上の部員が必要なんだけど……」
「わかってる」
「え?」
身を乗り出した前川を諌めるように、堀越が手を出す。
俺は、すべてわかっている。そう言って何度か頷くと、ハードボイルドな笑みを見せた。
「手伝って、くれるの?」
その頼もしい態度を見て、前川の目がキラキラと輝く。
ああ、と頷き、堀越は言った。
「もちろん。部員、足りないんだろ」
「……えっ?」
聞き返した前川を遮って、皆まで言うなと念を押す堀越。
ハードボイルド堀越の言葉はまだ続く。
「俺とお前でまず2人だから、あと3人だな。うーん、楽器弾けそうな奴か……クラスに誰かいねーもんかな……」
「ちょ、ちょっと待ってよ。なんで、君も入ることになってるのさ?」
「ん? いやあ、友達が頑張ってるんだからな。俺だって、できる限りの協力はするさ」
「いや、だから……」
「遠慮するなって。俺、楽器なんて触ったことねーけど、頑張って練習するからさ」
「そうじゃ、なくて!」
まったく噛み合わない会話に苛立ち、前川は立ち上がって地団太を踏む。
その行為に対面していた堀越も驚いたが、何よりも食堂にいた無関係な人々が一番驚いた。
あちこちから視線を集めていることに気付き、前川は我に返るとその場に座り込む。
「そうじゃなくて、さ。部員はちゃんと足りてるんだよ」
そして顔を赤くして、小声でそう言った。
今度は堀越が驚く番である。
「え、そうなの?」
「うん。演奏できそうな人の当たりはつけてるし、何人かは入部してくれるって言ってる」
呆れ気味に続く前川の言葉に、堀越は少なからず驚きを感じていた。
(こいつはこいつなりに、俺の知らないところで、努力してたんだな……)
男子にしては小柄、そう言わざるを得ない前川の体格。
しかし堀越は、そこに確かな『男らしさ』を感じていた。
「それに、音痴の堀越にバンドだなんて……そんな残酷なこと、僕にはできないよ」
「……」
堀越は、そこに確かな『毒舌キャラ』も感じていた。
「ともかく。部員は足りてるから、君に頼みたいのは入部することでも部員集めでもない」
前川は両手で腕を組み、2,3度頷く。
そして、堀越の鼻先に指を突きつけると――
「君にやってほしいのは、部員を減らすことなんだよ」
そう、告げた。
「部員を、減らす?」
前川の言葉の意味がわからず、堀越はオウム返しにそう言った。
なぜそんなことをするのだろう? 考えてみても答えは出ず、仕方がないので前川に問う。
「なんでだ? 数足りてるんなら、それでよくないか」
「まあ、ね。入ってきたのが普通の人だったら、僕だって何も気にしなかったよ」
前川の目はどこか遠くを見ていた。
「普通じゃないのか?」
「うん。オブラートに包んだ言い方をすると……」
しばらく思考を巡らせてから、一気に言い放つ。
「時代錯誤も甚だしいワル気取りのクズども、ってとこかな」
「……」
『オブラートに包む』ことの意味を知らないのか、それとも包んでなおこれなのか。
どちらかはわからないが、堀越はその言葉から多大な憎悪を感じ取った。
「軽音楽部設立のため、僕はいろんな人に声をかけて回った。最低5人は集めないと、同好会レベルで終わっちゃうからね」
「まあ、そうだな。でも、ちゃんと人数は集まったんだろ?」
少し伸びてきたラーメンを啜りつつ、堀越が言う。
前川は頷くとスプーンを取り、カレーを一口頬張った。
「うん。部室はその辺の空き教室を使えばいいし、顧問になってくれる先生も見つけた。いい先生だよ」
そこまでは順調だったんだけどね、と前置きして、前川はぽつりと呟いた。
「その過程で、よくないものを引き寄せてしまったみたいで」
「よくないもの……」
前川は心底嫌そうな顔をしていた。
ここまで嫌悪感剥き出しなのも珍しい。堀越は引きつった笑みを浮かべつつ、慎重に言葉を選ぶ。
「それが……えーっと、時代錯誤も甚だしい……なんだっけ」
「ただのクズだよ。アウトローなのがかっこいいなんておめでたい勘違いをしちゃってる、不良と呼ぶのも躊躇うような救いようのないバカどもさ」
「……」
吐き捨てるようにそう言った。もはや実際に吐き捨てていた。
人に聞かれたくない話だから。
前川は食事の前にそう言ったが、まったくそうだと堀越は思う。
「あいつらは、僕らの部室を狙ってる。それと部費もだ」
一段と鋭くなる前川の目。堀越が一瞬たじろいだ。
「音楽はどうでもいい。ただ自分の汚い欲望のために、僕らの部室を利用しようとしてる」
「えー、っと。つまり……」
「秘密基地を持ちたいんなら、勝手にすればいいと思うよ。ガキみたいな奴だとは思うけど」
「つまり」
「でも、僕の夢に乗っかってそれを利用しようなんてのは許さない。認めない。死ね」
「……」
ダークな雰囲気を全開にして、横槍を跳ね除けまくし立てる。
見るに耐えかねた堀越が、軽く机を叩いて言った。
「つまり。軽音部の部室が不良に乗っ取られそう、っていう……」
「そういう話」
それで前川も我に返り、表情を和らげて微笑んだ。
堀越はしばらく黙り込んだ後、やがて大きな溜め息を吐く。
「わかった。その不良をボコればいいんだな、俺が」
「そう、君が」
「……」
おどけた調子で言ってみたら、その通りだと頷かれ。堀越は再び黙り込む。
そんな堀越に笑顔を向けつつ、前川は思い出したように付け足す。
「そうだ。不良だけじゃないな、追い出してほしい奴は他にもいる」
「他に……?」
これ以上何をしろというんだ。
その言葉を飲み込んだ堀越は、とりあえず聞き役に徹していた。
「西村さんって知ってる? 隣のクラスの人なんだけど」
唐突に飛び出した新用語。それが女子の名前だということは、堀越も一応知っている。
結構、美人だった気がするな。そう漏らすや否や、前川は勢いよく食いついた。
「そうでしょ? その美人の西村さんだけど、軽音楽部に入ってくれることになったんだ」
「へえ。よかったな」
さほど興味もないようで、堀越の反応は淡白だった。
しかし前川にとっては一大事らしく、憎憎しげに言い捨てる。
「ドラム、やってくれるんだ。上手いから、それはいいんだけど……」
しばらく間を置いて、前川は拳を握り締める。
「……西村さん目当てで軽音部に入ろうとする、尻軽男子の多いこと多いこと」
「……」
やけに力の篭った拳、やけに憎しみの篭った目。
それらをチラチラと交互に見ながら、堀越は予測していた。その後に続くであろう言葉を。
「真面目にやってくれるならそれでいい。ただ僕には、どうも『ラノベみたいな青春がしたい!』っていう意図が透けて見えるような気がしてしょうがな――」
「それはいいんだが、もしかして……」
再びダークオーラを纏う前川。いい加減やめろとそれを遮り、右手を挙げて堀越が問う。
「……もしかして、そいつらも……」
「うん、追い出してほしい。どんな手を使ってでも」
前川はさらりと答えた。
「……」
それは、ただの私怨じゃないか?
そう言おうかとも思ったが。ダーク前川を前にして、挙げた手を下ろす場所はなく。
堀越は力なくうなだれた。
(……おかしいな。こんなはずじゃなかったのに)
数分前。『部活を作る』との言葉を聞き、堀越は考えた。
自分がやるべきことは何か? それは『部員の確保』だと思った。思っていた。
しかし今ではどういうわけか、『不良掃討作戦』に化けた。
「……」
「じゃ、続きは部室予定地でやろうか。ちゃんと計画を練らないとね」
いつの間にやら、前川はカレーを食べ終えていた。口元をぬぐって立ち上がる。
仕方なしに、堀越もラーメンを啜る。伸びていた。