かくも遅咲き短篇集 参
ゲスナック/後藤健二
『ゲスナック』
都会と呼ぶにはしょぼすぎ、田舎と呼ぶにはのどかさが足らない。
娯楽と言えばパチンコ屋。国道沿いにはサラ金と牛丼やハンバーガーなどのチェーン店ばかりが軒を連ねる。
つまり日本で一番ありふれた、つまらない風景の郊外の街。
その駅前のこじんまりとした歓楽街、古ぼけた雑居ビルの八階にある“スナック八千代(やちよ)”。
貸し切り、その下には“S52GK”と書かれた安っぽいプレートが掲げられている。
「前から思ってたんだが、あれってどういう意味?」
俺が尋ねると、スナックママの八千代がヤニ臭い茶色い歯を覗かせ口元を釣り上げる。
「“昭和五十二年生まれの下衆共の会”って意味よ」
「ヤッちゃん…下衆共ってのはあんまりじゃね?」
「イチ君」
営業スマイルすらやめて、八千代は真顔になる。
「下衆を下衆と呼んで何が悪いの?」
そう吐き捨て、八千代はマイルドセブンに火をつけた。女のくせにマイセンとか、おっさん臭い煙草を吸いやがる。…と思い、このマイルドセブンが俺達と同級生である事にも気付いてげんなりした。
昭和五十二年。
小学館がコロコロコミックを創刊し、JTになる前の日本専売公社がマイルドセブンを発売し、トヨタ自動車がチェイサーを発売した年。
同級生にはサッカ―・中田英寿、プロ野球・福留孝介、歌手・安室奈美恵、大相撲・雅山。
だがそんな年に生まれた俺達は今やどうだろう。
「残りの人生が消化試合にしか思えないんだよなぁ」
溜息と共にそう呟いた俺は、ちびちびとバーボンを舐める。
「イチ、相変わらずお前はネガティブだな。そんな貧相な顔つきじゃ、満足に契約も取れんのじゃないか?」
俺の左隣の席に座る、貫禄たっぷりな男が茶化してきた。
「ふん。サブは酒屋らしい腹してるが、それで仕事に役立ってるんだ?」
「当然さ。この腹には幸せとビールが詰まってるからな! がははっ」
三河(みかわ)。通称サブ。さっきからビールを何杯もあおっている。俺と同級生とは思えないほどの見事なビール腹。酒屋を経営している自営業者で、既婚者。小学生になる娘がいる。
「消化試合かぁ・・・今年は遂に雅山も引退しちゃったしなー」
俺の右隣の席に座る、筋骨隆々の男が呟く。
「ニッシーって大相撲好きなんだ?」
「警察の同僚はみんなスポーツ好きだからな。ミヤビン、三十五歳まで良くやったよ」
西脇(にしわき)。通称ニッシ―。独身の警察官。風俗とスポーツが好き。営業で路駐などして切符切られそうになってもこいつに電話すればうやむやにしてくれる。兄貴肌の頼れる元不良。
「中田英寿が引退した時はまだやれんのに早々と引退する変わり者って思ったよ。けど最近は本田とか香川とか出てきてさ、実は世代交代って進んでたんだよなぁ…って。んで、ミヤビンの引退だ。寄る年並みには勝てね~って実感するね」
同級生のトップアスリートの引退は、否応なく自らの老化も意識してしまう。鍛えた体を誇る西脇ですらそうなのだ。
「営業マンも体が資本だろ? イチはちょっと痩せすぎだな。夏バテしてんじゃね?」
「大丈夫。毎日三本は栄養ドリンク飲んでるし…」
そして俺、一宮(いちのみや)。しがない中小企業のサラリーマン。営業職としてのキャリアを積み重ね、係長となった。ちなみに平社員の頃に比べて年収が二十四万円増えたが、会社の健康診断で肉体年齢は四十五歳と出た。
「大変だな、ブラック会社の営業マンは」
「ブラックじゃない。グレーだ」
「そう自分に言い聞かせないとやっていけないってか? マジで御苦労さまだな。嫌なら辞めればいいだろ? 自分で会社作ればいいんだ」
三河がげらげらと下品な笑みを浮かべている。こいつは酒屋の経営が上手くいっていて羽振りが良い。と言っても自分で起業した訳じゃなく、単に親の跡を継いだだけだろうが。二代目のぼんぼんの癖に偉そうに会社とは経営とは何かを語りたがる。
「いやいや、世の中安定の公務員様だぜ? 不景気はまだまだ続くだろうしな。親方日の丸さ」
西脇も冗長である。お前は高校の頃の盗んだバイクで走りだしていたような反骨精神はどうしたんだ。
三河といい西脇といい、小学校からの長い付き合いだが、やった女の数を自慢するのではなく、仕事や年収を自慢するようになった。今の方が下品で不快な下衆になったと感じる。
「ごめんごめ~ん! 遅れちゃった!」
ガラガラと店のベルをけたたましく鳴らし、スナックに新しい客が入ってくる。
派手なメイクと茶髪パーマの女。スナックママの八千代もだが、彼女もまた劣化はしたが加齢に十分抗っている。
「おお、五色(ごしき)ちゃん!? 相変わらず美人だねぇ!」
「ゴマエちゃん!? 久しぶり~!」
三河や西脇が嬉しそうに歓声を上げる。
五色真江だからゴマエ。学年で1、2を争うアイドル的存在だった。今は小学生の息子もいる専業主婦の筈だ。
「えっと、もう八年ぶり? 結婚してからは初めてかしら」
「そうそう。いつもの面子で飲んでたからさ、やっと同窓会らしくなってきたよ」
同窓会、というかS52GKか。
スナック八千代には、地元の同級生が多く集まる。でもそんな常連だけでぐだぐだと世間話をしていてもつまらない。月に一度、地元から出ていった同級生にも声をかけてプチ同窓会を行う事にしている。五色は高校出てすぐ東京に行っていたし、そこで結婚もしていたので、参加は久しぶりなのだ。
「あの」
ぼそりとカウンターの隅にいた男が遠慮がちに呟いた。
「ゴマエちゃん元気だった~? 息子さん小学生になったんだろ? 写真見せてよ。うちの娘ももうこんなに大きくなってさー」
三河が五色の隣にさりげなく席を移動している。携帯を開け、待ち受け画像にしている愛くるしい小学生の娘の写真を自慢する。貫禄たっぷりなだけあり、こういう時だけ素早い。そして既婚者同士のコミュニケーションをされると独身者は話に加われない。
「ふん」
案の定、八千代が不機嫌になっている。
同じ三十五歳独身でも男より女の方が深刻だろうしな。そして俺は知っている。このニコニコと笑って愛娘の話をしている三河が、八千代とズブズブの不倫関係にある事を。酒屋とスナックだから取引関係もあるし、八千代は金のある西脇と結婚したがっている。だが三河は本気じゃない。だから八千代はいざとなれば三河の家庭に怒鳴り込んで自爆テロをする覚悟なのだ。そういう女だ。三河もそれを承知で五色にまで色目をかけている。お前とも本気じゃなく遊びなんだという風に。下衆というか実に腹黒い連中だ。
「あの、僕も久しぶりなんですが」
またカウンターの隅にいた男が呟く。
「サブ、刺身のツマが何か言ってるぜ? たまには話を聞いてやろう」
「ツナです!」
ばん!とカウンターを手で叩き、声を荒げる。
「そう怒るなよ、ツマ」
津名(つな)。野球帽と黒ぶち眼鏡、汗っかきの小太りの体をチェック柄のシャツで包み、リュックサックを背負う典型的なオタク的風貌。昔はアニメだけだったが、ここ最近はずっとアイドル声優のオタクをやっているらしい。
「気持ち悪いんだよ。何で今日に限ってお前なんかが参加してるんだよ」
「おいおい、そりゃ言い過ぎだってサブ」
あの元不良・西脇がたしなめている。こいつ毎日のように津名の事を苛めていたような…。大人になったという事か。
「だってよ。学年のアイドルだったゴマエちゃんがいるのに、こんなキモオタがいるなんて。こういう奴が一番危ないからな~」
三河ってこんなに嫌な奴だったっけ。
かくいう俺も隠れオタク(主にガンプラ)で、心情的には津名の味方である。が、この場でそれを公に言うほどに同情はしていない。
津名がぷるぷると屈辱に震えているが、不意ににやりと口端を歪めて笑う。
「ふ、ひ、ひひ、ひ。元ヤンのBBAに興味なんかないし」
うん、気持ち悪い。
顔も不細工だしネトゲ廃人並みに人生詰んでるな。
「僕の個人的な見解によればですが、ゴマエさんより明石(あかし)さんの方が学年のアイドルって感じでしたけどね?」
「おい!」
三河が声を荒げるが、それより早く、鋭い平手打ちが津名の頬をぶったたいた。ばしーん!とドラマのような炸裂音。
「明石のドブスがなんだって?」
五色である。彼女は高校時代からずっと明石さんにライバル意識を抱いていたのだ。
この場にはいないが、明石さんはとても可愛らしい女の子だった。茶髪でパーマをかけて不良の先輩らと黒い交際をしていたヤンキー五色などより、黒髪ロングヘアーで楚々とした佇まいで孤高の人だった明石さんの方がよっぽどアイドルである。
繰り返す。自らを学年で1、2を争うアイドルだったと思っているのは五色とその周囲の声の大きい仲間たちだけで、オタクの気があったり大人しい男子の人気は圧倒的に明石さんだった。
何せ高校の非公認明石さんファンクラブ会長兼会員No.1は俺なんだから。
ちなみに津名は当時アニメ(二次元)にしか興味がなかったので、この場の明石さん派は俺だけだと思っていたが、そうかそうか、アイドル声優にはまったおかげで明石さんの魅力にも気づいたようだ。
「大丈夫? ゴマエちゃん」
三河がさりげなく五色の肩をさすっている。お前ちょっと露骨すぎんぞ。
「うん…ぐすっ」
そして何故か叩いた方の五色が傷ついている事になっている。女って恐ろしい。
それにしても五色の反応は異常である。幾ら嫌いな女の話だといっても、触るのも嫌な筈のキモオタ津名をひっぱたく程とは。
「ゴマエちゃん、明石ちゃんとは色々あったからね」
訳知り顔で八千代が呟く。
「色々って?」
「それは本人から聞きなよ」
「いや、本人から聞く話よりさ、冷静な第三者の客観的な話を聞きたい訳よ」
俺がそう言うと、八千代はにやりと笑う。表向きはそんな素振りは見せないが、彼女も五色の事が嫌いなようだ。
「ここだけの話だけどさ~」
八千代の話は中々興味深いものだった。
高校でそれぞれアイドル的存在だった明石と五色。
特に明石の美貌はその手の業界も注目するところだったようで、街で歩いていたところを芸能事務所にスカウトされたのだという。
「明石ちゃんって高校じゃそんな素振り見せなかったんだけど、実はジャニーズ好きだし、芸能界には物凄く憧れてたんだって」
「へぇ…」
それは初耳だ。
ファンクラブ会長ではあったが、特に何の行動も起こさず、変な虫が寄らないようにと高校の中でだけ遠くから見守っていただけだったしな。
高校卒業後は俺も明石さんへの片思いを振り切っていて、普通に就職して仕事漬けだったからな。彼女がその後どうなったのかは全然知らないのだ。
「明石ちゃんが芸能事務所にスカウトされたって聞いてさ、ゴマエちゃんも対抗意識燃やしちゃって、自分から明石ちゃんと同じ芸能事務所に履歴書送って売り込みに行ったのよね。でも…」
「でも?」
八千代は神妙な顔つきをしようとしているが、目尻が下がっている。ああ、これは機嫌が良い時の顔だ。
「ゴマエちゃんも一応芸能活動らしきものはしてたんだけど、明石ちゃんに比べると全然だったんだって。しかも五年ぐらいかけてお偉いさんに枕営業かけたりしてやっと大きな仕事を得られそうなところで、高校の頃の黒い交際写真なんかが匿名で送りつけられてきて、事務所クビになっちゃったんだって」
笑みを隠しきれず、小声で囁く八千代。人の不幸が楽しくてしょうがないといった感じだな。
「それでも芸能界から足を洗い、普通に専業主婦として家庭を築けているんだから、普通に幸せなんじゃない? ゴマエちゃん」
三十五歳で独身女のこの言葉は重い…。
その普通の幸せは、俺も含め、遠いものなのだから。
「それにしても、大きく売りだされる前のタレントの高校時代の写真が送られてくるなんて…」
「ねー? おかしな事もあるものよねー。まぁ、ゴマエちゃんは高校時代、ヤンチャだったのは地元では有名だったからねー」
「ふ、ひひひ…」
津名が不気味な笑みを浮かべている。
さては、こいつが…。
「まぁ、ビッチBBAに当然の報いが下ったというだけの事ですね。デュフフ」
「お、おう…」
やはり、三河の言う通り、こういうやつが一番危ないのかもしれんな…。
「明石さん、今頃何やってるんだろうな」
五色の事なんかどうでもいい。
俺にとっては一番の関心事はそこだ。
「今日、彼女ここに来る予定なんだろ? 遅いな」
「えー? どうだろ。行けそうなら行くとかは連絡あったけど…出席メンバーの名前を言ったら余り良い声をしていなかったからなぁ」
「そうなのか。ゴマエちゃんと顔合わせるのが嫌なのかもな…」
「かもしれないし、別の人が原因かもね」
八千代と雑談をしながら、俺は高校の頃の美しかった明石さんを思い浮かべる。
麗しの明石さん。
ああ、俺の青春時代は彼女と共にあった。
高校生の頃、昼休みと放課後は常に図書室に通い詰めていた。明石さんが図書委員だったからだ。
本を読む振りをして、ちらちらと明石さんを眺めるのが幸せだった。
話しかけるきっかけが欲しくて、明石さんが借りている本は片っぱしから借りていった。
ああそうだよ、耳をすませばだよ。
明石さんが借りる本は哲学やら思想の小難しいものが多く、全然理解できず、話しかけるきっかけはつかめなかったけどな!
俺達が高校の頃というのは、携帯電話がまだそれほど普及しておらず、ポケベルが主流だった。ルーズソックスが本格的に流行ったのは俺達が高校を卒業するかしないかぐらいからだったが、テレクラ・援助交際といったコギャル文化は既に注目を浴び始めていた。阪神大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件もあったし、そういう世紀末感が凄かった時代。
俺達はそういう物に翻弄されていた。
俺達は刹那的に生きようとして俗物すぎたし、一方、明石さんは俗世間から乖離しすぎていた。だからこそアイドルだったんだろう。
ただ、一回だけきっかけがあったとすれば、エヴァンゲリオンだな。
いつも哲学や思想の小難しい本ばかり読んでいる明石さんなのに、なぜかその時だけアニメ―ジュのエヴァンゲリオンの特集記事を見ていたのだ。
ガンダムの隠れオタクでもある俺は、エヴァも当然チェックしており、これ幸いと話しかける事ができた。
で、人気のない図書室で、ずっとエヴァの伏線やら解釈やらで語り合ったものだ。明石さんはアニメは全然見ないがエヴァだけは見ていたという。
そして勇気を出して、初デートにエヴァの映画を見に行こうという事で誘ったのだ。
でも結果は散々だった。
俺と明石さんは碇シンジの俺って最低オナニーと綾波レイのグロ画像を見せつけられ、「現実に帰れ」という庵野監督のメッセージを受け取り、惨憺たる気分で劇場を後にしたのだ。
明石さんはそれですっかりエヴァ熱は冷めたらしく、俺とも会話はしてくれなくなった。
明石さんとはそれっきりである。
「デュフフ、デュフフ」
甘い思い出に浸っていたのに、津名の気持ち悪い笑い声で現実に引き戻された。
見ると相当酔っぱらっている。次々と何かのカクテルをがぶ飲みしているではないか。
「ビールは苦いから飲めないって言うから、カクテルを勧めてみたんだけど…ジュースみたいで美味しいって…でもあんまり飲み慣れてないみたいね」
八千代が困ったような顔をしている。
「まぁ、頃あいを見て外に捨ててきたらいいから。放っておきましょう」
いや、売り上げが伸びればいいから全然困っていないのか。
「デュフフ、僕、明石さんのその後について結構詳しいでしゅよ」
ろれつが回っていないが、津名がそう呟く。
「ほう、興味深いな。もっと話せよ」
俺は津名に追加のカクテルを注文してやり、奴の隣の席に座った。ちょっと臭いが仕方ない。
「明石さん、芸能事務所でグラビアアイドルなんてやってたりして、そこそこ売れだしていたんでしゅけどね…。あ、声優アイドルにもなってたんで、しょれで僕も明石さんをちょっと追っかけてたんでしゅが…」
長いから要約するとこうらしい。
明石さんが幾ら美人で可愛いと言っても、それは地方レベルの話である。東京に行けば、それこそ明石さんレベルの女の子はごろごろいる。
中々マイナーなグラビアアイドルや声優アイドルという立場から抜けだせない明石さん。ところがある日、大きなドラマの主演女優の仕事につくチャンスがやってきた。オーディションで最終候補まで残ったのだ。
「そこで明石さんは最終手段に出ましゅた。枕営業は断っていた彼女だけど、どうしても芸能界でのし上がりたいという夢を持っていたので、ドラマのプロデューサーと寝たのでしゅ」
「何でそんな話知ってんだよ、お前が」
「デュフフ。それは後に彼女が出たこのビデオのインタビューで収録されていた話だからでしゅ」
と言って津名が大きなリュックサックから取り出したのは…。
「やだぁ!」
八千代がそれを見て爆笑する。
“姫路蘭子”などという芸名を名乗って、化粧が濃いのか、整形しているのか、ちょっと顔が変わっているが…明石さんにそっくりだ。そしてビデオのパッケージにはR18、映倫の文字が…。
「せっかく枕営業までしゅたのに、結局ドラマの主演の座は取れなかった。もう二十四歳となっていた明石さんはそれで表舞台に女優やアイドルとして出るのは難しいと判断して、芸名を変え、十八歳AV嬢として再デビューしたのでしゅ。デュフフ」
「うーん。確かに最近の技術は凄いからなぁ。二十四歳ぐらいなら十八歳ぐらいにパッケージで誤魔化すのは簡単だろう」
いつの間にか、三河や西脇も話に加わってきている。
「あはは、受ける! あの明石がAV嬢!?」
二十三歳で芸能事務所をクビになった五色もその事を知らなかったらしい。八千代以上にその事に受けて、手を叩いて喜び、爆笑している。
ああ、何と言うことだ…。
ガラガラと、高校の甘い思い出が粉々に砕け散っていく。
俺は目の前が真っ暗になっていく絶望を感じた。
「明石さんのAVはそれなりに売れ、単体女優で十本ほどに出ましゅたが、それで引退しゅたようでしゅ。その後の事は僕も知りましぇん」
津名のリュックサックには、明石さんが出演したAVが次々と出される。こいつ、明石さんが今日出席すると知って持ってきたのか…!
“姫路蘭子、十八歳処●喪失”
“神●熱、姫路蘭子”
“美少女戦士セーラーム●ムン”
“ひらけ!ボッ●ッキ”
“ハメ●メユカイ”
などなど…。
最初はAV嬢でありながら清純派という趣のビデオに出ていたが、徐々にネタ傾向の強い物に出ていき、最後の方は“華麗ア●ル一族”というマニアックな浣腸スカトロ物にまで出ていたりする。
「すげーな…明石さん」
明石さんは高校のアイドルだった。
三河や西脇だって五色を持ちあげているが、密かに明石の方が可愛いと思っていたのだ。
「俺、このビデオだけで一生ズリネタには困らなさそうだわ」
そうしみじみと呟く西脇に、俺も同感だった。
高校のアイドル明石さんの転落劇に、言葉もないという男性陣。女性陣も最初は面白がって爆笑していたものの、そんな男性陣につられ、面白がっている自分達が下衆すぎると思ったのだろう。次第にトーンを沈めていく。
がらんがらんがらん。
突如、スナック入口の呼び鈴が鳴る。
「まさか、明石さん…!?」
「え、明石ちゃん?」
「明石!?」
みんなが振り向いてスナックの入口に目をやる。
「アイヤー」
飄々とした痩せノッポの男が入ってきた。
「これはどうした事ネ。この天安門事件の時のような空気ハ」
「お前、中国には一回も行った事ないだろ、このエセ中国人が!」
すかさず西脇が突っ込む。
「ていうかお前かよ! そこは明石ちゃんだろ!」
「いきなり切れられても訳分かんないヨ、ニッシ―」
お通夜のようになった空気を破ったのは、柳(やなぎ)。日本と中国のハーフで、愛称はリュウ。
「というかマジでどしたン?」
ちなみに中国語は話せない。日本生まれの日本育ち。メンタリティは生粋の日本人と変わらない。
「いや、何でもないさ。さぁ、遅れてきたんだ。駆け付け三杯はビール飲んで貰うぜ」
俺は話を切り替えようとする。
リュウも加わり、再びがやがやと雑談に花が咲き、五色が下手くそなカラオケでアイドルごっこをやっている。
「へえええ! リュウ。お前今そんな仕事してんのか!!」
「サブと同じだヨ。親の仕事継いだだけ」
「つっても…酒屋とソープじゃ大分違うだろ」
男性陣はリュウの今の仕事で話題はもちきりだった。
「俺の父、文化大革命の時に日本に逃げてきた在日中国人一世で、福原でソープ経営してたんだよネ。俺は父の仕事を継ぐつもりはなかったんだけど、就職氷河期だからネ。生粋の日本人のつもりでも半分中国の血が入っているってだけでまともな就職もできないんじゃないかーって考えちゃってサ」
「へぇぇぇ~~しかしそれでソープ経営とはな。どこどこ?」
「食いつくネェ、ニッシ―。あ、警察なんだっけ。ガサ入れの際には事前に情報ヨロシクネ」
「わはは、客として遊びに行かせてもらいたいだけさ。良い子を案内してくれよ~」
「いいけどちゃーんと料金は払ってネ。うちは高級店だヨ」
「高級店っていくらすんの?」
「総額六万円ぐらいだネ」
「たっけー」
「父が経営しているチェーン店のうちの一つを任されてるんだけど、チェーン店の中には大衆店もあるヨ。大衆店なら一~二万だネ」
「俺は大衆店しか無理だなぁ」
そんな感じでリュウを中心に男性陣はソープの話題でもちきり。
一方、五色と八千代の女性二人はカラオケも飽きてきたらしく、むすっとして酒を飲んでいるだけだ。
「ちょっとぉ」
いい加減、話の輪に加われない事に痺れを切らしたらしい。
「ソープとかAVとか、女の子の前でする話じゃないんじゃない?」
「子持ちのBBAが女の子ぶるなよ」
ぼそっと三河が呟く。
おいおい、お前さっきまでゴマエちゃ~んって擦り寄ってなかったか?
「AVって何ヨ?」
リュウがそこに食いつく。
「いやほら、あの高校の憧れのアイドルだった明石さんがさ、AV嬢になっちゃっててさ…」
ずらりと津名の秘蔵コレクションを出し、そのパッケージを手に取って見せる。
「ンン!?」
リュウが驚く。
「驚くよなー。あの明石さんが…」
「いや、姫路蘭子でショ。これが明石さんなノ?」
「そうだよ? ああ、ちょっと整形してるよなこれ。言われなきゃ気がつかないかも」
「そうネ。言われるまで気がつかなかったヨ」
しみじみとリュウが呟く。
「…姫路蘭子なら、父がやってるチェーン店の方で働いているしネ」
「マジか」
「マジヨ」
「ええっ」
「明石ちゃん、AV嬢の次はソープ嬢!!??」
「らしい。どんだけ~」
「ちなみに高級店ヨ? 二十五歳で売り出してる」
「十歳鯖読みかよ!」
「こういうものは見た目年齢というか、風俗年齢というものがあってネ…」
明石さん、いや姫路蘭子は元AV嬢というブランドをひっさげてソープ業界に来て、月百万以上稼ぐ売れっ子ソープ嬢になっているという。
「はー…ショックだわー。AV嬢になったってだけでもショックなのに、ソープ嬢とか」
西脇がうなだれている。
「高級店か。今度行ってみようかな」
三河が下衆い笑みを浮かべている。
「処女膜から声が出ていないビッチに興味なんてありましぇん」
津名、お前はじゃあなんでAVコレクションしてたんだよ!
「あ、電話」
八千代が携帯で話しこんでいる。
「…あ、そう。うんうん。分かった。あーそうね。うんうん。元気でー」
電話を切る八千代。
「ヤッちゃん、それもしかして」
「イチ君。そう、そうね。姫路蘭子さん」
マイセンを取り出し、八千代は一服する。
「ふー。まぁ、来れないわよねー…」
「だろうな…」
俺はカウンターに突っ伏し、うなだれた。
「ヤッちゃん、バーボンおかわり」
「飲みすぎると体に毒よ?」
「いいから注いでくれ! 飲まなきゃやってられん!」
「はいはい」
俺はバーボンロックを飲み干す。
明石さん、高校の、いや俺のアイドルだった。
明石さん、ああ、君はどこへ行こうというのか…。
了
おまけ・登場人物
1、一宮(イチ)
独身、三十五歳中小企業の営業職係長、高校のアイドル的存在だった明石にずっと片思いしていた。
2、西脇(ニッシー)
独身、風俗好き・元不良の汚職警察官
3、三河(サブ)
既婚、自営業(酒屋)妻子持ちだが遊び人、八千代と不倫中
4、明石(あかし)
高校のアイドルだった。AV嬢、ソープ嬢へと…。
5、五色(ゴマエ)
既婚、明石をライバル視していたヤンママ
6、柳(リュウ)
独身、ソープ経営者、日中ハーフ。
7、津名(ツマ)
独身、声優アイドルおたく。童貞で処女厨。
8、八千代(ヤッちゃん)
独身、スナックママ。