Neetel Inside ニートノベル
表紙

ヒトニシズム
惰眠探偵はスパゲッティーモンスターの夢を見るか?

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 見栄を張る気もないので正直に言おう。私、三重楓はニートだ。親は私のことを浪人生だとか勘違いしているかもしれないが、実はただのゴミ虫ニートだ。
 とあるマンションの一室で、食っては寝て食っては寝ての生活を送っている。胃下垂で良かった。もしそうでなければ、私は今頃、ぶくぶくと肥えた醜いデブへと変貌していたことだろう。いや、いっそそうなってくれればこんな生活とサヨナラする決心が着くというものである。つまり私が悪いのではなく胃下垂が悪いのだ。おのれ胃下垂め。なまじキュートな体形が維持できるからこそ、私は動く気になれないのだ。憎いぞコノコノ。
 さすがになにもしないままでは精神的にきついので、小説家を目指すことにした。しかし、いつも屁理屈をこねては作業を中断し、ただひたすらごろごろしている。私みたいなクズが世界には何人いるだろう? いっぱいいるか、うん。心配するほどのことではなかった。
 仕方ないよね、就職難だし。面接すら受けたことないけど。
 私がここで一人暮らしをしている経緯は簡単だ。
 昨年、華々しく第一志望の大学に私は合格した。ところが両親が入学金を払い忘れたため、合格は取り消しになってしまった。こうして浪人生となった私だったが、払い損ねて娘の一年を無駄にしたことに責任を感じた母親が私に対して過剰に卑屈に接するようになり、そのことで家に居辛くなった私は一人暮らしを始めたのである。当然といえば当然だが、試験勉強のモチベーションは下がりっぱなしで今の生活に至る。



 お腹が空いたので、腹を地面に付けたまま冷蔵庫の前までのそのそと移動する。最近、私は部屋の中を匍匐前進で動き回ることが多い。起き上がることが面倒臭いのだ。近い内に不要になった足が腐り落ちるかもしれない。あるいは人間である必要がなくなった私の体がカフカの変身のように虫へと変わってしまうかもしれない。
 冷蔵庫の前まで辿り着くと私はゆっくりと立ち上がる。やっぱり足は必要だ。足がなければ冷蔵庫の上の段に手が届かない。あれだけ床擦り付けていたにも関わらず、服は特に汚れていない。こう見えて私は掃除好きなのだ。
 冷蔵庫の中はまだまだたくさんのものが入っていた。私は中の段を開けて中に手を入れて探り、あまり調理しなくても食べられそうなものを探す。なかなかこれといったものが見付からず、長く開かれたままにされていた冷蔵庫から、開けっ放しを持ち主に知らせるためのドアアラームが鳴り始めた。
「わかってるって、うるさいな」私は冷蔵庫に文句を言う。
 冷蔵庫から『じゃあ早く閉めてくれよ楓さん』という声が聞こえてきた気がした。
「まだ探してるの、邪魔しないで。次に何か言ったらコンセント引っこ抜いてやるから」私は再び独り言を口にした。その瞬間、ドアアラームの音がぴたりと止んだ。いや偶然だろうけれども。
 冷蔵庫と会話が成立してしまうとは、私もこのニート生活で少しおかしくなってしまっているようだ。
 そもそもコンセントを引っこ抜いて困るのは私だと言うのに、何が「コンセント引っこ抜いてやるから」なのだろうか。買い込んだ食糧を腐らせてどうするつもりだ。
 結局、私は冷蔵庫から生ハムとピーマンと魚肉ソーセージを取り出した。壊滅的な取り合わせだが、調理せずにすぐ食べられそうなものはこれだけしかなかった。次からはもっとインスタントものを買おう。この前、中途半端に料理に手を出したのがいけなかった。悪戦苦闘しながら作ったハンバーグが思いのほか美味しかったので、主婦としてのスキルを磨いていけば結婚でもしてなんとかなるかもしれないとか思ってしまったのがいけなかった。冷凍餃子の味が恋しい。
 私は包丁でピーマンを真っ二つに切り、中の種をとって皿の上に乗せる。それから椅子に腰を掛けて、素手で生のピーマンを齧った。パックを開け、上手く剥がせず二枚張り付いたままになっている生ハムを口に運ぶ。湯冷ましの水道水をコップ半分ほど飲んでから、魚肉ソーセージを食べる。なんだか虚しくなってきた。
 高校時代の今の私が見たら、なんと言うだろうか? 私の予想では、無言でドロップキックをかますと思う。そのあとマウントポジションを取って首を絞める。私は必死に抵抗するけれど、高校時代の活力に溢れた私には敵わず、よくて半殺しぐらいにされるだろう。最悪の場合、殺される。もしも私に似た人物を目にする機会があったら、全力で逃げることにしよう。間違えても生き別れた姉妹か何かだと思って近付いてはならない。万が一、タイムスリップした私だったら殺されかねない。
 高校時代の私は女子高生探偵楓ちゃんとクラスメイトから呼ばれていた。才色兼備な私は周囲からの信頼も厚く、よくテスト勉強の手伝いや悩み事相談みたいなことをしていたものだ。それがなんやかんやで発展していって、彼氏の浮気調査やペット探しなんかを頼まれたものである。
 十一時過ぎ、少し遅い朝食もどきを食べ終えた私はピンク色のクッションに顔をうずめて、床の上で横になった。
 そのときドアの方から三度ノックがなった。そのノックは妙に力強く、まるで私を脅かそうとしているようだった。
「……インターホン使えよハゲ」ドアの前にいる人物に絶対に聞こえないであろうぐらいの声量で私はそう言った。
 ハゲ、と悪態をついてみたものの、ドアの前にいるであろう人物に私はまったく心当たりがない。親がなんの連絡もなしにここまで来るとは思えないし、私がここに住んでいることを知る友人は一人もいない。
 インターホンの存在も知らない未開人の顔を確認してやろうと思い、半ば野次馬根性で私は玄関へと行き、ドアスコープを覗く。見慣れたコンクリート迷路が目に映った。ドアを叩いていたであろう人物の姿は見えない。
 ピンポンダッシュならぬドンドンダッシュだったらしい。悪質な嫌がらせだ。ドアを開けて犯人を捜そうかとも思ったが、ドアノブに手を掛けた瞬間、急に面倒臭くなって私は手を離した。構ってちゃんに餌をやる必要はない。
 何気なくドアの内側についている郵便受けをチェックすると、真っ赤な封筒が入っていた。大きく黒字でアルファベットのIが書かれている。
 私は「ひっ……」と思わず声を洩らし、封筒を床へと投げ付けた。
 外装だけでも十分に不気味だが、手にとって触ってから私の第六感がよくないものを感じ取ったのだ。
 床に棄てられた封筒はさっきと逆の面を私の方に向けており、そこには黒字でDと書かれていた。
「あい、でぃー……ID?」
 この二つのアルファベットを見て、頭の中に何か引っ掛かるようなもやもやとした感覚が広まる。最近何かで不吉なものとしてこの二文字を見たことがあったような気がする。ずっとこの部屋に篭もっている私のことだからネットだろうか? 
 この封筒を開けたらわかるかもしれない。私はかがんで先程落とした封筒を拾い上げる。
 思いのほか糊付けがきっちりとされていたようで、なかなか封筒は開いてくれなかった。なんとなく雑に破くのは気が引けたため、私は黒い鋏を棚から取って中の紙を傷付けないように配慮しながら封筒の上部を切った。
 封筒をひっくり返し中に手を入れると、新聞記事の切り抜きが出てきた。てっきり手紙か何かが出てくると思っていた私は少しがっかりした。
 新聞記事の切り抜きは九日前にこの辺りで起こった通り魔事件に関するもので、ネットで目にしたことのあるニュースだった。
 この手紙の送り主は私に何をして欲しいのだろうか。ひょっとして高校時代の知り合いで、元女子高生探偵楓ちゃんであるこの私に事件を解決して欲しいということなのだろうか。
 そうだとすれば過大評価にもほどがある。こんな本格的な事件、私が解けるはずがないのだから。
 封筒の両側を押さえて中を除いてみたが、他には何も入っていない。とりあえず新聞の記事を読んでみることにした。

『今月1日、蝶笠市の駐車場で中3年、前野奈々さん(14)が刺殺された。
 府警は傷口の状況から、包丁か果物ナイフのような刃物が使われたとみている。また犯人が被害者のバッグ内を探った形跡はなく、財布には現金が入っていたことから強盗目的ではない可能性が高いとのこと。
 前野さんが発見された駐車場近くの住宅街から22時頃、包丁を持った女の人がうろついているとの通報があった。また同日、市内に住む高校生が行方不明になっており、警察は事件との関連性を調べている。』

 念のために記事の裏側も確認してみる。鉄道トンネルを掘る苦難について書かれている記事が中途半端に途切れていた。殺人事件の方を見せたかったのだと考えて間違いはなさそうだ。
 送り主が何を考えているのかはわからないがやるだけやってやろう。
 記事を封筒の中へ戻し、机の前へと移動する。私はノートパソコンの電源を付けて、封筒に大きく書かれているアルファベットを見つめた。
 どうやら私はこの不可解な状況に、少しだけ胸を躍らせているようだ。好奇心と知識欲がせめぎ合い、思考が鮮明に働く。久し振りの感覚だった。こんな気持ちになったことは高校を出て以来、今まで一度もなかった。

       

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