Neetel Inside 文芸新都
表紙

クロカミとヤマガミ
変わる日常

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 どれくらい経っただろうか。
 ふと暗闇の世界から戻ってきたような感覚の中で、ゆっくりと目を開くと目の前には白い景色が広がる。

「あ、目が覚めました?」
 あ、白衣の天使。
 なるほど、これはそういうことなのかもしれない。
 死んで天国へ行ったかと思うとそこには天使が待っているわけだ。しかしすぐ気づく、これは現実だ。
 俺は病院の白い天井を見上げる形でベッドに横になっていた。光がまだ少し眩しい。
 そして戻ってきた嗅覚で、鼻をくすぐる薬品の匂いを感じていた。
「今、ドクターを呼んできますね」
 そう聞こえてきたと思うと、パタパタという足音が消えると共に静寂が戻る。
 まだ少し眠かった俺は再び目を閉じる。

 再び夢の世界へ戻りかけた頃、俺はナースとドクターに起こされていた。まだほんの少し息苦しさを感じるが、まあ大丈夫かな。
 そして病院に運び込まれた経緯なんかを聞いて納得する。聞いた話をまとめるとこうなる。
 あの雨の日、近所の人が落雷の大きな音に驚いて様子を見に来たらしい。そして哀れ、落雷したらしく割れた大樹の側には被害にあった様子の男が転がっていた。救急への通報によって俺はこの病院に運び込まれた、というわけだ。

 大体の話を聞いて納得した後、もっと大事な話があると言われて、俺は何やらレントゲン写真が貼られた部屋まで来ていた。
 部屋に行く途中で普通の病院より少し広めの廊下などが見られ、そこそこ大きな病院であることがわかった。

 ドクターは席につくなり、淡々と、真剣な口調で語り始める。
 主に俺の状態についての話や、退院の見通しなどだ。
 どうやら聞いている限りは、大怪我による手術などは無いためすぐに退院できるらしい。俺は説明を聞くとほっと、一息をついた。
 そして途中から、より一層険しい顔になったかと思うとこう話しはじめた。

「結果として奇跡的に致命傷は避けられたようですが、残念ながら後遺症が残る可能性があります」
「え、後遺症?」
 テレビなんかでよく聞く。事故後に後遺症が残ることがあるって。
 だけどまさか俺が……そんな。思わず聞き返す。
「実は櫻井さんの脳は、原因は不明ですが大脳皮質の一部が欠けた状態になっています。もっと正確な名称で申し上げますと」
 大脳……なんだって?
「えーと、もう一度」
「大脳皮質。さらに正確に申し上げますと前頭葉と呼ばれる部位で、問題があれば前頭葉障害が起こる可能性があります。しかし櫻井さんの場合、意識がはっきりとしてらっしゃいますし、運動失語も見られません。」
 医者のいうことはさっぱりだ。ざっくりと聞くことにした。
「つまり……大丈夫ということですか?」
「今のところは問題がない、としか申し上げられませんが。私も不思議です、脳の一部分が消失なんて通常ありえません。運ばれてきた経緯から判断する限りは落雷時の衝撃が関係ありそうだ、ということになりますが」
 なるほど、医者でもわからないことがあるのか──心配だな。

 色々と不安になった俺はすがりつくようにもう一度聞いた。
「先生……大丈夫なんでしょうか?」
「はっきりとは申し上げられませんが、現時点では可能性があるというだけで確かな事は言えません。ただ記憶もハッキリとされていますし、その点を除き怪我も見当たりません」
「じゃあ」
「日常生活には問題もなさそうですし、定期的に精密検査を受けていただく他、無いでしょうね」
 ガックリ。当分は病院通いになりそうだな。
 支払いのことなど聞きたかった事をドクターに聞くと、俺は薄暗くて不気味な部屋を後にして今の寝床へと戻ることにした。
 気分が関係しているのか、先ほどは明るかったはずの廊下がグレーに見えてくる。そんな時にふと思い出す。
 そういや一緒の場所で雨宿りしていたあの黒猫は大丈夫だろうか──何故かそんな心配をしていた。

 ◆

 そして退院当日。
 病院での検査には異常が見られず、すぐにその日は訪れた。
 すでに考え事を一通り済ませた俺は、とりあえず今が大丈夫なら大丈夫だろうという楽観主義に落ち着いていた。
 心配してくれるドクターをよそに、お世話になった人達へ手を振ってタクシーに乗りこむ。
 俺の両親は共働きで、すぐに見舞いには来てくれたものの退院の今日はあいにく都合が悪いらしい。
 気丈な俺は普段乗らないタクシーに乗って、まるで重役にでもなったかのような気分で優雅に家へと向かう。
 タクシー代は見舞いの時に事前にもらっていた。渡された封筒の中では、諭吉さんが心強く微笑む。

 タクシーの中。
 高層ビルとまではいかずとも、少し高めのビルが立ち並ぶ町並みが、俺の住んでる場所から結構離れていることを教えてくれる。
 20分ほどは珍しい景色を楽しんだ後、ようやく見慣れた景色へと戻ってきた。
 俺はふと、思い出した。
 そうだ、あの黒猫はどうなったかな。
 一緒に落雷にうたれて死んでたとしたら、墓ぐらい作ってやらないとな。誰かもう作ってやったかな?
 色んな事を考えていると丁度公園の近くに差し掛かった。俺は気づくとタクシードライバーにこう告げていた。
「すいません、ここで大丈夫です」

 停止したタクシーに向かって軽くお礼をすると、タクシーは坂を下って去っていった。
 俺はつい今、地面に降りた足で公園へと向かう。丁度ここからは石段で登ればあの落雷の現場近くに出れる。
 あの黒猫が死んでることばかり考えてたけど、もしかしたらあの黒猫はまだ生きてるかな?
 そんな事を考えつつ、石段を登り切ってちょっと深呼吸をする。やっぱり森林の中の空気は最高だぜ。
 例の落雷の場所はすぐ近くだ。その方向を振り向いた時だった。視線の先には先客が居た。
 大きく割れた大樹の前で、佇む少女が独り。後ろ姿でも目立つロングストレートの黒髪。その背格好から俺より3~5歳は離れているだろうか。あんなところで突っ立って何をしてるんだろう、大丈夫かな?
「えーと、君?」
 声をかけてみた。すると少女は軽く目を見開くと。
「あぁ、生きてたんだ」

 ──そんな言葉を返してきた。これって俺に向かって言ってるのだろうか、思わず聞き返す。
「申し訳ないけど……君と以前に会ったことあるっけ?」
「ないわ」
 なんだこの子。不思議ちゃんってやつかな?
 ふと見てみると、その顔は幼さが残る中にも不思議な魅力を感じさせるような端正な顔立ちをしている。
「いや……生きてたんだ、ってまるで」
 まるであの時の俺を見たかのようだな、と言いかけて気づいた。
 あ、そうか。もしかしてあの日、病院に通報してくれた近所の人っていうのはこの子かな?
 だけど違った、帰ってくる言葉は完全に俺の意に反した内容で。黒髪の少女は、まるで驚くでもない事を言うかのように、下向きがちの姿で静かに口を開いた。

「貴方、一度死んでるのよ」
 少女は俺に告げた。


       

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