17話 再会と決別
「傭兵王! 傭兵王!」
「ゲオルク! ゲオルク!」
「アルフヘイム万歳! ハイランド万歳!」
「甲皇国なんか怖くないぞ!」
アルフヘイム首都セントヴェリアは、ゲオルクを称える歓呼が鳴り止まなかった。
元来、アルフヘイムびとには「愛国心」は育っていなかった。エルフやドワーフといったそれぞれの部族に分かれ、それぞれの部族固有の生活圏を持って他種族と小競り合いもしていた彼らにとって「愛郷心」はあっても、統一された精霊国家アルフヘイム国民という意識は希薄だった。
それが今や、甲皇国からの侵略に遭い、アルフヘイム大陸全てが亜人の骨で埋め尽くされようとしている中で、ようやく彼らにアルフヘイムへの愛国心が芽生えつつあったのだ。
「俺達を、あなたの元で戦わせてください!」
フローリアの戦いで多くのハイランド兵を失い、失意にあったゲオルクの元へ、アルフヘイムの民は立ち上がり、多くの者達が志願兵として名乗り出てきた。
アルフヘイム正規軍に加わるのではなく、ゲオルクの元に彼らが来た理由は明白だった。
正規軍の情けない戦いぶりは音に聞こえていた。
甲皇軍に対して連戦連敗、かろうじてアルフヘイム側の英雄クラウス・サンティの義勇軍が活躍をしており、西方戦線での甲皇軍の進撃を食い止めている状況であった。
だがそのクラウス義勇軍も、最近は精彩を欠いている。
正規軍よりも、クラウス義勇軍よりも、今はゲオルク軍だ!
新たな英雄ゲオルクの誕生に、志あるアルフヘイムの若者達が参集してくるのも無理はないことだった。
ほぼ壊滅状態だったゲオルク軍は新たに編成され、大部分が新兵ではあるが、その数を二千にまで増員することとなる。
ただその中に、名のある熟練の傭兵や戦士らもまったくいないという訳ではない。
その一人に、西方戦線で戦い負傷して後方に逃れてきていた傭兵ダンディ・ハーシェルの姿があった。
そう、30年前、ゲオルクが愛しのエレオノーラを奪還すべく、甲皇国の皇居グデーリアン城に忍び込んだ時に付き合ってくれた相棒だ。
「久しいなゲオルク!」
「おお、ダンディか…ム、貴様、あの大剣はどうした?」
若かりし頃に比べると少し退行した頭髪を撫でながら、ダンディは苦笑いする。
「もうそろそろあれを振り回すのも厳しくてな…」
SHW所属の傭兵ダンディは、ゲオルクよりも一足早くアルフヘイムに雇われ西方戦線で戦っていた。
ゲオルクよりも一つ年上の46歳。さすがに体力の衰えを感じ始めていた。つい最近まで彼の象徴とも言われた大剣を両手で振り回して戦っていたが、今は片手剣に持ち替えている。だが、この年齢の男性ならみっともなく下腹が出ることも多いが、灰色の上衣の下からでも分かるように腹筋が盛り上がっている。同じSHW所属の傭兵同士、ゲオルクはあれからもよくダンディと共に戦ってきたので、腕が確かなのは良く知っていた。
「アルフヘイムには若い頃、魔法を習得しようと修行に来たがどうしても精霊やら詠唱やら理解できず、半年で諦めてしまった。ただ、滞在中にアルフヘイムの人々には随分と世話になったものよ。この美しい大地が甲皇国に乱されるのは捨て置けんからな」
「なるほどな。いやしかし、貴様が来てくれて心強いぞ。経験豊富な兵はどこでも貴重だ。ぜひ、新兵達の模範となってくれ」
「ふっ…この老骨がどこまで役に立てるかは分からぬが、請われれば応えるのが男というもの}
ゲオルクとダンディは固く握手を交わした。
そしてまた、この男も───。
「おいおい、ワシを忘れてもらっては困るな」
「貴様は…シャムか!?」
ゲオルクは驚きの声を上げる。
そこには、やはり30年前、あの天空城アルドバランで戦ったエルフの剣士シャムがいた。
いや、ここはアルフヘイムなのだから彼がいてもおかしくはない。ただゲオルクがシャムと会うのはまさしく30年ぶりなのだ。
さすが長命のエルフというだけあり、シャムは30年前と何ら変わることのない姿だった。背中まで伸びた白髪に、獣を思わせる黒い眼光。体も引き締まっており、その剣気にいささかの衰えも見られない。
「ワシもそこのダンディと共に、西方戦線で戦っておったのだよ」
シャムはゲオルクとも戦ったという昔話をしたらダンディと意気投合し、そのまま相棒となって共に西方戦線で戦っていたのだ。ダンディの負傷と共に、休暇を取って後方に戻ってきていた。
「まさかこの3人が一同に集うことになるとはな…」
ゲオルクは感慨深げに呟いた。
ゲオルク、ダンディ、シャム。
いずれも古強者として鳴らした戦士達だ。
「アルフヘイムの民よ!」
群衆に向け、ゲオルクは高々と声を張り上げた。王たるゲオルクは、人々の心を揺さぶるような演説を得意としていた。
「ここに集った戦士達は、かつて私と共に戦った英雄たちだ。私を英雄と称えるならば、彼らにもその歓呼を! 彼らはそのまま私と同格の英雄と見なして遜色のない、ひとかどの戦士たちである!」
おおー!と、群衆はまた歓呼に打ち震えた。
「ワシらは決して若くはないが…」
シャムは自嘲気味に呟く。長命のエルフといっても、その中でもシャムは老いを感じる年齢なのだという。
「だが、俺たちには経験と戦場で生き抜くすべがある」
ダンディが続ける。
「その通り。そして傭兵は、負けるような戦いはしない」
ゲオルクが締める。
彼らはそれぞれの腰の剣を抜き、高々と掲げ、抜身の剣を交わした。
「アルフヘイムに勝利を!」
わっと群衆が歓呼を持ってそれに応える。
歓呼の声はいつまでも、いつまでも───。
ゲオルク達が軍議があるといって立ち去った後も、鳴り止むことはなかった。
後の世に、この光景は「三剣士の誓い」としてアルフヘイムの歴史に名を刻むのである。
アルフヘイムの反抗がこれより始まるのだ。
勇気凛々、いざ西方戦線へ───。
「まずは後顧の憂いを絶たねばならん」
軍議でゲオルクがまず発言したのが、アルフヘイム…その中枢の闇を払わねばならないということだった。
「今のアルフヘイムは、戦争に臨める政治体制となっておらん」
ガザミ、ディオゴ、アナサスら、若い戦士達を前に、ゲオルクが教師のように解説した。
アルフヘイムには国王がいない。
ノースエルフ族族長ダート・スタンが形式上のアルフヘイム代表となっているが、彼に甲皇国皇帝のような絶対の権限がある訳ではない。
各部族の調整役をダート・スタンがやっているに過ぎず、村の寄り合いレベルの稚拙な合議制を取っているのだ。
そしてヴェリア城のミスリルに覆われた玄室において、様々なエルフ族の族長やラギルゥー族のような貴族や権力者たちを集めて軍議をしているものの、その中に兎人族やドワーフ族といったエルフ以外の亜人族は含まれていない。
今は国難であるから、甲皇軍に対抗するべく、形式的にエルフ族に他部族が従っているだけだ。それも強制ではないので、エルフ族の決定に他部族が従わないことも多い。
調整者としてのダート・スタンの力量を疑う訳ではないが、殆ど統制が取れておらず、各部族が好き勝手にやっている状態が続いている。
中央集権的で、皇帝の意向が隅々にまで行き渡っている甲皇国とは正反対である。
「各部族の独立性を保つには仕方ないのかもしれんが、そんな政治体制が軍の体制にまで及んでいる」
アルフヘイム軍もまた、各部族がバラバラになって散漫な戦いを繰り広げているのだ。
細切れとなった各部族軍が個別に戦っていた為、統率の取れた甲皇軍にはかなわない。
「北方戦線が良い例だ。白兎族と黒兎族が相争う状況につけこまれ、甲皇軍の進撃を止めることができなかった。だが、兎人族はエルフ族に次いで数が多いのだ。お前たちさえ協力していれば、決してあの丙武軍団にも後れを取ることはなかっただろう」
これには黒兎族の戦士ディオゴも反論はできない。白兎族の裏切り(と、ディオゴは思っている)により、彼らの同盟は瓦解したものの、同盟軍が機能していた時だけは多少なりとも丙武軍団を食い止めていられたのは事実だ。(※詳しくは黒兎物語を読もう!)
ドガッ!
耳障りな破壊音に、一同がそちらへ注視する。
揺ら揺らと椅子を傾け、行儀の悪い座り方をしていたディオゴが、机の上に足を投げ出していた。態度が悪いにも程がある。
「……今更言うまでもねぇが」
理屈では分かっているが、感情が許さない。
浅黒く健康的な肌だというのに、目の下には不健康な隈が濃い影を作っている。中々の美青年だったというのに台無しだ。蝙蝠族の遺伝からなる白い牙を覗かせ、誰も信用していないという猜疑心と威嚇に満ちた面構え。
今やディオゴは麻薬中毒者だった。亡き妹を想っては咽び泣き、夜毎疲れ果てて眠れるまで自慰に耽る。それに飽き足らず、現実逃避に麻薬に溺れた。
そんなディオゴを誰もがやるせない気分で諦めたように見つめる。かつては彼の境遇に同情して忠告しようとした者もいたが、彼は暴力でそれに答えたのだ。
もう誰もがそんな彼を見限り、諭そうなどという者はおらず、遠巻きに暴力的な基地外だと恐れをなしている。彼の近くで共に戦ってきたガザミやアナサスでさえ、彼に冷たい一瞥を投げかけるだけだった。
「この俺に! 白兎どもと手を組めというのは! クソを食えって言ってるのと同じ意味だぞ!」
ディオゴは激高する。
まやもや、だ。
居合わせた者たちも、またいつもの癇癪かと嘆息するだけである。
ディオゴもフローリアまではまだ自重していた。いや、兵として機動力に優れるディオゴだから単独行動を取ることが多くて目立たなかっただけだ。
ゲオルクは小さく嘆息する。ディオゴがこんな調子だから、白兎人族の王子セキーネをこの場に同席させることもできない。
兎人族はその領地を甲皇軍に接収されており、今や大量の兎人族はすべて流浪の民となっている。
だが、ゲオルクは流浪の身となったセキーネとひそかにつながっているのでその行方を知っているし、協力関係にあるのだが、とても今のディオゴにセキーネと和解させるのは無理だなと感じていた。
「俺の妹モニークを奪い、黒兎の里を滅ぼしたその陰謀の元を滅ぼすことだけが、俺の望みであり、俺がおめおめ生きながらえてでも戦う理由のすべてだ!」
そうなのである。
ディオゴはアルフヘイムのためではなく、あくまで己の復讐のために戦っているに過ぎない。死んだ妹の仇を取るまでは死ねない。でなければとっくに妹の後を追って自殺していると公言する男なのだ。
「……我が友、ディオゴ・J・コルレオーネよ」
ゲオルクは重い口を開く。
誰もが見下げ果てたやつ、麻薬に溺れた凶暴な男と恐れていてもなお、ゲオルクはディオゴを友と呼ぶ。
「君の妹を殺し、黒兎人族の里を滅ぼした白兎人族の離反。その黒幕を暴くために」
ディオゴがゲオルクを見る目つきが変わる。射殺す勢いで、眉間に皺が寄せられ、血走った目が吊り上がる。その怨嗟に満ちた禍々しい視線は、ゲオルクの背後に吸い寄せられていた。
「敢えて言おう。クソを食え」
言ったのはゲオルクではなかった。
ゲオルクの背後に、毛艶の良い貴公子然とした白い兎面が。
白兎人族王子セキーネ・ピーターシルヴァニアンが立っていた。
大方の予想通り、その後は散々な状態となった。
ディオゴの妹モニークの仇はセキーネではないが、白兎人族が犯した罪を償えとばかり、ディオゴは軍議の場というのに凶刃を振り回してセキーネに飛びかかったのである。
何とかそれはゲオルクやガザミらがディオゴを取り押さえたものの、危うくセキーネは命を落とすところであった。
「彼に恨まれているのは仕方ない。だが、白兎人族の不始末は……後世に禍根は残すことはできない。誤解は解かねばならんでしょう……」
ゲオルクはセキーネの人物像を訂正せねばならなかった。
飄々として、「モフモフするために私は生きねばならないのです」と言っていた男とは思えない。
かつてゲオルクが会ったセキーネは影武者だったという。
本物のセキーネ王子は、十六夜という白兎人族のエリート隠密部隊を率いる武人でもあり、正々堂々とした侠気と勇気に満ちたひとかどの男だったのだ。
「だが、やはりディオゴは聞く耳を持たないようだ」
「……彼の協力がなくとも。白兎人族の不始末、そしてアルフヘイム中枢の闇は、この私が払って見せましょう」
「やはり、ラギルゥー族か?」
「ええ。彼らは甲皇国と内通している。それに、問題は彼らだけではありませんが……」
アルフヘイム中枢の闇は深い。
それをこのセキーネ1人に背負わせるのは荷が重いかもしれない。
だが、内憂外患のアルフヘイムにおいて、内憂まではしょせん外国人傭兵であるゲオルクの手には余る。
「アルフヘイムびとの問題は、アルフヘイムびとに任せるとしよう」
「無論です」
「……ディオゴ、聞いているならば」
ガザミの尻に敷かれ、ディオゴは床にへばって伸びていた。
「気絶してるだろ? こいつ」
「構わん」
ゲオルクはふっと微笑する。
「貴様のゲオルク軍での軍籍を剥奪しよう。どこへなりと行くがいい。そして貴様の仇は、恐らくアルフヘイム中枢にいる。セキーネ殿下に協力しろとは言わんが、好きに動くがいい。誰も貴様を止められはしない……私もな」
聞いているのか、聞いていないのか。ディオゴはぴくりとも動かず、反応もしない。
「……ん」
ガザミがゲオルクに目配せして、顎で部屋の出口を指し示す。その意図は言わずもがな。
男は涙を見られたくはないものだ。
ディオゴが気絶した振りをして泣いているのを察して、ゲオルクはそれを見ないように背を向ける。
「ではさらばだ……友よ」
それきり、ゲオルクは振り返らずにその場を立ち去る。
男は涙を見せぬもの。
例え今生の別れとなろうとも。
ただ明日を信じて、男たちはそれぞれの戦場へ赴くのだ。
つづく