ボルニア要塞東門から要塞内部へ入城していくゲオルク軍。
要塞周囲で派手に甲皇軍前衛部隊を蹴散らしての堂々たる入城であり、アルフヘイム軍にとっては待望の救援のはずであった。
にも関わらず、入城したゲオルク軍を待ち構えていたのは、人気のない静かな内庭であり、寒々とした──歓迎されざる空気というか、冬の朝のように張り詰めた空気だった。歓呼をもって迎え入れられても良いようなものなのに。
「お待ちしておりました。傭兵王」
一人、内庭に現れて出迎えたのは、樹人。木のうろでしかない真っ黒な目を向け、何を考えているのか表情からは読み取ることはできない。ただ、当世風の貴族的な衣装をまとい、物腰も堂々たるもので、相手が誰であっても物怖じしないというようなプライドは滲ませている。
「お初にお目にかかります。私の名はアッシュ。このボルニア公国の大公を名乗らせて頂いている者でございます」
「なんと……失礼。大公みずから我らを出迎えて頂けるとは」
そう言い、ゲオルクは下馬してひざまずく。
傭兵王がそうしたので、部下達もそれにならった。
「それには及びません。あなたもハイランド王ではないですか」
「ここでは、我らはしがない傭兵でしかありませんからな」
「そう、傭兵…なのですよね。ということは、いわば中立的な立場で物事を見定めて頂けるのではないかと……。我らアルフヘイム、そしてボルニアは、あなたの助力を得るに足る国なのでしょうか」
「は──? それは、どういう……」
おもてをあげるゲオルクは、表情が読めないとされる樹人が、確かに
「ボルニアは、とても難しい状況にあります」
だが、そう感じられたのは一瞬で、すぐに樹人は感情が伝わらないおもてとなり…。
「──撤退! 甲皇軍が撤退!」
うわああああ、うわああああ!
その時、ボルニア要塞内にいんいんと知らせが響き渡り、次いで兵士たちの歓声が沸き起こった。
「あなたがたの活躍もあってか、敵は一時撤退を決めたようですな。まぁ、束の間の休息というところでしょうか」
「……」
「どうぞこちらへ。歓迎いたします。傭兵王」
ボルニア内奥深くへと招き入れようとするアッシュの表情や声は、やはり友好的なのか警戒しているのか、あるいは両方なのか。どちらともつかぬようすであった。
クリスタル造成のボルニア要塞内は、蜂の巣のように小部屋がいくつもあって、入り組んだ迷路のような構造をしている。どこに誰が潜んでいるのか分かりづらく、これは例え堅牢な外郭部を攻略して内部に侵入したとしても、完全に制圧するのは骨であろうと感じることができた。
小部屋ばかりと思われたが、比較的大きな町と言えるような巨大な空間もあり、そこで小柄なウッドピクス族の市民が現れ、身の回りの世話を申し出てきた。ゲオルク軍の兵士たちを宿舎に案内し、乗ってきた軍馬を休ませられる巨大な厩舎まである用意周到さであった。
ただ、ウッドピクス族──樹人というのは、やはり見た目からは表情・感情といったものがまったく伝わってこない。種族差ゆえのことなのか。口を開けば少しは彼らの意図も分かったであろうが、なぜか無口で必要以上のことは喋ろうとしない。しかし、それでもウッドピクス族の市民らがどこかよそよそしいというのは、確かである。表情が読めなくても態度で大体察せられる。ゲオルク軍に対し、丁重で親切にもてなそうとしてはくれているが、積極的に関わり合いにはなりたくない雰囲気があり、友好的というよりは渋々やっているというか、恐る恐る接してくるのだった。
「まったく薄気味悪い連中だ」
あけすけにそう罵るのは、ゲオルク軍の女傭兵ガザミ。
水棲の蟹の魚人である彼女からすると、陸上の樹人たるウッドピクス族とは種族差が非常に隔絶した存在だ。同じアルフヘイムの民ではあるが、傭兵として戦歴豊富なガザミでも、彼らと関わり合いになるのはこれが初めてのことである。
「だが、傭兵の勘が言ってるぜ。こいつら、あたしたちを歓迎しているって訳じゃないな。甲羅がカラカラになっちまうような、情の薄さを感じるよ」
「そのようだな」
ゲオルクも同感であった。
ゲオルク軍の面々は、まずは軍馬たちを厩舎に収容してから、長旅の疲れを癒やすように飼い葉や水を与えて世話をしてやることとした。ハイランドは貧しい国だが馬の名産地でもあり、ゲオルクは軍馬を何よりも重要な財産として大切にするよう定め、兵士自ら軍馬の世話をするよう命じている。王であるゲオルクですら、愛馬の世話を部下に任せるのではなく、自ら飼い葉桶を手に取ってやっている。
「傭兵王、どうやら貴殿を歓迎しての祝賀会が催されるようです」
そこに、またもやアッシュが自ら知らせに来た。
ゲオルクは、耳を疑った。
「軍議ではなく、祝賀会だと?」
「そうですね。まったくエルフ族ときたら……」
アッシュは嘆息する。そこには、確かに今この状況への不本意さが滲んでいた。
「祝賀会を開こうと言ったのは貴殿ではく、エルフ族か。アルフヘイム正規軍のアーウィン将軍かね?」
「いえ。黄金騎士団のシャロフスキー将軍です」
「なるほど」
ゲオルクの脳裏に、緋眼のヴィヴィアの言葉が思い出される。
(──クラウス親衛隊のアメティスタさんが、子供たちを亡命させようと動いていたのだけど、それを口実にして黄金騎士団のフェデリコが言いがかりをつけてきたの。義勇軍はクラウスが将軍になったころから正規軍と変わらない待遇になってはいたけど、元からの正規軍だった者たちとは壁があったわ。貴族と平民というような…。中でも黄金騎士団は貴族であることを鼻にかけた連中で、これ幸いにとクラウスを反逆者扱いにしようと考えたみたいだわ。要塞内は混乱していて、私も今どうなっているのかはわからない。でも、正規軍のアーウィン将軍やウッドピクス族は傍観しているようで、私たちは孤立してしまっていて……)
だから助けて。クラウスを、子供たちを!
切々と訴える緋眼の目には大粒の涙がたまっていた。
戦士と戦士は分かりあうことができる……と、ゲオルクは思っている。
戦場では、敵意をもって襲ってくる相手、好意をもって親しげに語りかけてくる相手、助けを求めて懇願してくる相手などなど。相手の感情というのが何となしに気配で伝わりやすい。
初対面で、僅かな時間会話しただけだが、緋眼のヴィヴィアはとても誇り高い少女のようで、その言葉に嘘はないと感じるには十分だった。
そう、目の前にいる連中とは違う。
「──アルフヘイム軍は今後どうするつもりなのか。祝賀会といったな? それは私を歓迎してのことだろうが、戦時中ではありえないことだ。既に戦いが終わったつもりでいるのか、シャロフスキーとやらは」
「祝賀会という席ではありますが、将軍から今後の方針についての話はされるでしょう。継戦か、それとも和睦か……」
「結論はもう決まっているのだろう?」
ゲオルクが先回りして言うと、アッシュは微かに驚いたようにゲオルクに向き合う。
「そう、思われますか」
「和睦はありえんぞ。敵は、そんな甘い連中ではないのだ。ボルニア大公」
ゲオルクのおもては、いつになく険しいものとなっていた。
「いやはははは! ようこそおいでになられました。傭兵王!」
陽気にそう語るのは黄金騎士団長シャロフスキー。
ゲオルクの目の前には、豪勢な料理が並べられていた。
じっさい、戦時中というのを忘れそうになるような、贅を尽くした祝賀会であった。高価なワインが惜しみなく開けられ、豊穣の地アルフヘイムの面目躍如とばかりに肉やら魚やらパンやらチーズやら、ありとあらゆる食材がフローリア風だのボルニア風だのといった洒落た調理の仕方をされており、それがまた貧乏国から訪れた傭兵王からすれば、見るだけで胃もたれを起こさせるようなものだった。
「……」
ゲオルクは、厳しい表情で立ったまま、豪華な料理が並べられたテーブルにつこうとはしなかった。
みるみるそのおもてが、憤怒といって良いほどに赤くなっていく。
「もはやアルフヘイムは安泰だ。ゲオルクどのの軍が到着したというのもあるが、これでいっそう甲皇軍は進撃をあきらめ、本国に引き返すであろう。戦争はもう終わったも同然である。いやぁ、めでたいことだ!」
本心で言っているのかどうか、シャロフスキーはご機嫌な様子で真っ赤なワインをがぶがぶと飲みだした。口元からこぼれたワインが滴っており、まるで血を啜っているように見えた。
「いかがされた? どうぞ、座られよ。このフローリア産のワインでも……」
「何を浮かれているのだ!」
その声は、雷鳴のようであった。
──ゲオルクは長剣を抜き放ち、テーブルに突き刺した。
衝撃波により、がしゃがしゃとテーブルが揺れ、ワインがなみなみと注がれた杯を持っていたシャロフスキーは顔にひっかぶってしまう。
「……!」
祝賀会に出席していた者達は顔面蒼白となって固まってしまう。
そこには、おもだったボルニアに駐留する勢力の長がそろっていた。ボルニア大公アッシュ。正規軍のアーウィン将軍。僧兵軍のメラルダ。そしてシャロフスキーと。あとは各軍の幹部連中。だがやはり、義勇軍のクラウス将軍の姿はない。
「義勇軍のクラウス将軍はいかがされた?」
いきなり、ゲオルクは核心にせまった。
「やつはもう、将軍ではない」
顔を拭きながら、シャロフスキーは吐き捨てるように言った。
「やつは、クラウスは裏切り者だ。我らを捨てて亡命を企図していた。それが露見したために、我が甥フェデリコに責められ、体裁が悪いので逃げ出したのだ。だが、そんなやつでも利用価値はあった。甲皇軍総司令のユリウスからありがたい申し出があったのだよ。甲皇国では皇位継承権をめぐっての内輪揉めにある。ユリウスは自らが皇帝になるための手柄が欲しい。ゆえに、アルフヘイム軍総司令クラウスを公開処刑し、それをもってこの戦争自体を手打ちにしようと。クラウスは、この話があったがために亡命しようと考えたのかもしれないな。が、そんなものは英雄ではない。英雄とは自らの犠牲をもって人々を救う存在でなくてはならん。だから、私はやつを真の英雄にしてやろうというのだよ!」
言い切ったシャロフスキーは、どうだといわんばかりのどや顔である。
「どちらが裏切り者だ!」
即座に、ゲオルクは激高した。
「クラウスどのは真の英雄だ。貴様らなどよりずっとな! これまでの功績を無視し、彼を甲皇軍へ生贄のように差し出して、何が和平だ!? 大体、その話では条件付きの降伏、甲皇軍の慈悲にすがるようなものではないか! 甘い! やつらは、甲皇軍の連中は、そのようなことで止まるものではないぞ!」
「……な、何を言うか。ふんっ、高度な政治や戦略は、いくら王といっても卑しい傭兵ごときには分からぬようだな……!」
「貴公らは、それで本当に良いのか?」
ゲオルクを馬鹿にして笑うシャロフスキーの方は無視して、アーウィン将軍、メラルダ僧兵長、アッシュ大公へ目を向けた。彼らは視線を落としたままで、口をつぐんでいたが…。
「……私としては、実に不本意だが」
まず、呻くように口を開いたのはアーウィン将軍だった。アルフヘイム正規軍の生え抜きで、宿将と二つ名をつけられるほどの堂々たる軍人が、何とも弱弱しい声だった。
「この戦争は長く続きすぎたし、戦況は不利だ。そして、残念ながらクラウス将軍は重篤状態で二度と戦場に立ち上がることは無理と医師からも診断されていた。そんな彼を差し出すだけで和平となるのであれば……。犠牲は最小限であった方が……」
「確かに、酷な話ですが……」
続いて、のろのろと呟くのは、メラルダ僧兵長である。
「我々は正規軍です。アルフヘイム政府の統制下にあります。その政府の意向としても、この取引は絶好の和平のチャンスであると……そう言われれば、我々も勝手なことはできないのです」
「なるほどな」
ゲオルクは鼻白みながらも頷く。
政府の意向に逆らえないという言い訳は、もっともらしく聞こえるし、卑劣だとは思うがまだ理解はできる。
「ウッドピクス族の…アッシュ大公。貴公はどうだ?」
「私にはボルニアの民を守る責務がある」
相変わらず、感情のこもっていない表情のまま、アッシュは静かに答える。
「確かに、甲皇軍がそれで止まるのかという疑念はある。しかし、今はそれにすがりたい。戦場となるのはこのボルニアだ。長く続いた戦争で、すっかり我らは疲れ切ってしまっているのだ……」
「あいわかった」
ゲオルクは踵を返し、祝賀会の席を立ち去ろうとする。
「私は傭兵だ。報酬を貰って戦っている。だが、和平をしようというしょくんらからは報酬は貰えないだろう。が、私はここに至る道中で、とある緋色の目をした少女から依頼された。クラウスを助けてくれと。彼女から明確にどの程度の報酬を貰えるかは聞いていないが、私は傭兵である前に騎士でもある。少女の涙を止められるならば、それが何よりの報酬!」
「な…!」
シャロフスキーらは唖然とする。
「最後に言っておこう。甲皇軍はそんな甘いものではない。クラウス殿を処刑したとしても、それでいっそう勢いづいて攻め込むに決まっている。そうなった時、私に助けを乞うのなら助けてやらんこともない。が、そんな時に今更雇おうとしても、我が軍は高くつくぞ──」
わっはっはっと、豪快に笑いながら、ゲオルクはその場を後にしていった。
つづく