Neetel Inside ニートノベル
表紙

インドマン
第五皿目 カレー味のナニカ、ナニカ味のカレー

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 週末に市内の大型ビルの書店を訪れる俺。俺は最上階の参考書コーナーに置かれたCAD入門の本を手に取った。そしてその分厚いページを捲りながら溜息をついた。

――先日、夕飯時に食卓で嬉々として最近のインドマン状況を話していたら決定的なひと言を一家のあるじに言われてしまったのだ。

「でさぁ、千我がサァ、白木屋がサァ」俺が妹の六実と母の清美と楽しげに話しているとダン!と食卓の向かいの席でコップが強く叩きつけるようにして置かれた。

 口をつぐんで顔を向けると俺の父親の英作が酔って赤くなった顔の眉を吊り上げながら俺を睨みつけた。

「それで、お前はいつになったら働くんだ?」「そ、それは…」

「お父さん」母さんがすかさずフォローに入ってくれた。「英ちゃんだって頑張ってるのよ。ほら、こないだ動画の広告収入とかいうのでお金が入ったからってお家に入れてくれたし」

 親父は少し驚いた顔を浮かべたが甚平の袖に通した腕を組んでその口を真一文字に結んだ。沈黙に耐えかねて俺は口を開く。

「ほ、ほんの少しだけど。先月撮ったインドマンの動画が再生数伸びたから口座に金が入ったんだ。これからも続けていくよ」

「前に話していたユーチューバーという奴か?フン。そんなモンは働いた内に入らん。お天道様の下で汗を流して一所懸命に働くのが労働というものだ。もう寝るぞ」そう吐き捨てると親父は立ち上がって寝室へ向かって歩き出した。

 親父は30年来の公務員務めということもあり、昔気質でユーチューバーなどと言う俗に染まりきった職に理解を見出せるとはとても思えなかった。入り口で立ち止まって親父は俺に言った。

「今みたいに食わせてやるのも今年中だけだからな。年明けに仕事を見つけてこなかったら知り合いのヨットスクールにぶちこんでやる」

 親父がスリッパを突っかけて消えると六実が含み笑いを堪えて俺を振り返った。

「うわ~英造、大ピンチ!あそこのヨットスクール、絶対死ぬヤツだよ」「大丈夫よね英ちゃん。お母さんはあなたのやりたい事で生きてゆけるように応援してるからね」

 六実と母の表情を見比べて俺はただただ「頑張るよ」としか言い返せなかった。確かに年末に行われる『アクター・ロワイヤル』で優勝すれば大物YouTuberとして一生分の金が稼げるだろう。が、もし敗れた場合は…

 決して親父のいうヨットスクールにビビった訳じゃない。ただ、なにか自分に自信を付けられるモノが欲しいと思って俺は動画編集ソフトに操作方法が似ているCADの資格を取ろうと思ってこの書店を訪れたのだ。

 ぎゅるる。本を読み進めると突然腹が下の方で鳴りはじめた。本屋に行くとトイレが近くなる現象――。確か人の名前が付けられた突発的な症状だというのを昔バラエティ番組で見たことがある。

「今日はこの辺にしておくか」俺はそう呟いて本を元の場所に戻した。俺は今日、本屋に来て資格の勉強をした!最初の一歩ではあるが脱ニート成功である。

 俺はその後、地味にトイレを探しながら最上階から一階ずつエレベーターで下りて興味のある本を探しながら店内をうろついた。


 おかしい。書店の全ての階の男子トイレを覗いたが個室がどこも開いていない。入り口を出て本のインクの匂いが消えたというのに下腹部の痛みは強さを増してきている。

 ぐるるる。腹の音もさっきよりアラートを強めている。「あっ、日比さんじゃないっすかー」腹に手を置くと向かいの通りから野太い男の声がした。顔を上げると千我と白木屋のふたりがキャップを被り、最近流行の太ももまで肌を露出した短パンを履いて歩いてきた。遠目から見たらホモカップルにしかみえない。

「こないだ言ったとおり部屋借りて動画撮りに来たんすよ」千我が事情を説明すると白木屋が肩にかけたリュックを担ぎなおした。

「ここ、向陽町でしたっけー?ほんっと何もないっすね~あまりに撮るものが無さ過ぎて日比野さんの社宅、ドローンで撮影して周ってましたよ」「やめろ。今すぐにその動画を消せ!」

 俺がリュックを掴むとヘラヘラした表情で「取れ高ないんであげませんよ」と白木屋が俺に言い返した。ぼーん。頭の上で12時の鐘が鳴る。

「あっ、ここのラーメン屋美味いって評判の店じゃないっすか!」千我の声で俺は通りのラーメン屋『ひいらぎ』の看板を振り返る。いつもはそれなりに並んでいるのだが今日は何故か店内は空いているようだった。

「せっかくだから行きましょうよ」千我に促されてやや強引に店内に連れ込まれた。俺は年下のふたりにナメられるのが嫌だったから麺固め、味濃い目、油多目の全アゲをバイトの店員に向かって頼んでやった。


「ふー美味かった!…でもさすがに食い過ぎましたね」麺増量、全部乗せをたいらげた千我が膨れた腹を叩きながら店の暖簾をくぐる。どるるる。腹の音が危険水域を越え始めて、額に軽く脂汗がこみ上げてくる。

「いや食った食った。腹痛くなったからうんこしてーな」デリカシーのない白木屋を見てたしなめる気にもなれず俺は静かにその場で頷く。すると耳をつんざくような金属音がして俺は顔に手を伸ばした。横のふたりもそれが聞こえているようで同じように手の平で耳を塞いだ。

「ヨー、中堅YouTuberのちがちゃんとしろきー。向陽町へようこそー。これはアクターの素質を持つオマエラにだけ聞こえるメッセージだぜー」

「なんだ?」「敵アクターの襲撃っすよ」千我が俺に向かって声を出す。「オレ様は向陽町の隣の光川町にいるぜー。そこでタロットのカード持って待ってるぜー。ほらほらせっかく都内から来たんだからここまで来て見ろよー。来れるもんだったらよー」

 間の抜けた口調で俺たちを煽る敵アクター。「来れるモンなら来て見ろ、か」俺は腹に手を置いてゆっくりとその場から歩き出す。「あの、日比さん。先に言っておきますけど、俺」「大丈夫だ。わかってる。みんな同じだ」

 俺たちは腹痛に耐えながら腸に留まる便をイメージしながら内股で隣町まで行ける駅の改札をくぐった。するとちょうど良く目的地側の線路に電車が止まった。

「お、ラッキー。これですぐに行けるぜ…?」ドアが開いて白木屋と俺は閉口した。止まった車両にはジャージを来た中学生がみっちりと乗り込んでいた。引率の先生らしき女性が俺たちに向かって手を合わせて謝った。

「ゴメンなさい!この子達今日が部活の試合でこの電車を逃すと時間に遅れちゃいそうなんです!」「どうするよ?日比野さん」白木屋が俺に訊ねる。「ご…ごめんなさい。ここはもうひとり、いえ…どうつめてもふたりまでです!!」引率の先生が俺たちに言う。

 俺は車内の学生たちを見渡した。その通り、どう考えてもこの車両にこれ以上の数を載せるのは不可能だ。でもこの腹じゃ次の電車まで待てそうにない…諦めかけたその時、突然背中がドン、と強く押し出された。

「千我ちゃん、な…なにを!!」白木屋が驚いて振り返るとプシューと電車のドアが閉まり、車内の俺と白木屋が外に居る千我の名前を呼んだ。

「ダァシャッス レシャウゴキヤス」車掌のアナウンスが流れると千我の口が『後は任せましたよ』と静かに動いた。「千我、お前の犠牲は忘れない」列車がホームを離れると千我の短パンから勢い良く汚物が飛び出しその足元に汚れた水溜りを作った。

「終わったぜ。俺の人生」真っ白に燃え尽きた千我の目が列車が見えなくなっても敵アクターが待つその方角を見つめていた。

     

 千我の尊い犠牲を払い、俺と白木屋を乗せた列車は進む。すぐ隣の駅に着くと俺たちは込み合った車両から降りて改札をくぐった。俺は腹の痛みを堪えながら隣で同じように腹を抑えながら歩く白木屋に訊ねた。

「この間も敵に襲われたんだが、アクターってのは遠隔で攻撃が出来るのか?」前回闘ったエスメラルダは指定した部屋に自由にトラップを仕掛けるという戦術で勝負を仕掛けてきた。う。ふいにまた鈍痛の波が来て俺は歩くスピードを緩める。この腹痛も敵アクターからの妨害に思えて仕方が無い。

「あー、なんかそういうスキルを持ってるヤツもいるらしいですよ。でもその分、肉弾戦の戦闘能力は低くなってるとか。女とかオタクのアクターに多いって千我ちゃんが言ってました。いてて…やべーっすわ」

 いつもは間にコミュ力の高い千我がいるから3人で会話をする事がほとんどで、白木屋でふたりで話すのに慣れてなかったから駅を出るまで会話はそれっきりだった。白木屋が炎上系ユーチューバーだというのもあるけど俺も大学辞めて家に居る時間が長かったからあまり同世代の人間と話す事に慣れてなかったのかもしれない。

 駅から続く階段を下りながら白木屋が俺に聞いた。

「敵はこの光川町に居るって言ってましたけどそれだけで相手を見つけるの、ほぼほぼ無理っすよ。相手の居場所分かればアクター特有の『ステージセレクト』で一発で行けるんすけど。日比野さん、インドの力でどうにかならないんすかー?」冗談めかして言った白木屋の言葉を受けて先代のインドマンが俺に告げたセリフを思い出した。

「そうだ、インドマンは日本人が持つインドへのパブリックイメージ。それなら…変身!」俺はその場でインドマンに成ると階段の踊り場で胡坐をかいた。そして親指と人差し指を合わせて輪を作り、その両腕をそっと持ち上げて意識を集中させた。

「日比野さん。そ、それは往年のインドキャラの名物ワザっすね!」白木屋が俺の姿を見て大げさに持ち上げる。行きかう人たちはメディアや路上でご当地ヒーローや町おこしのゆるキャラを見飽きてるせいか、インドマンの姿を見ても足を停める事はない。白木屋がはしゃいで両拳を握り締めた。

「これは期待値高いっすよー。これで一発で敵のところへ行ける!」サングラスの奥でカッと目を見開くと俺はすっと息を吐き出した。

「いくぜ、ヨガ・テレポート!」「おおおお!……おおっ?」「……」

 一息に念を解き放ったが俺の身体に変化なし。白木屋がシラけたように目線を逸らすと、平和の象徴である鳩が俺の右肩に留まった。無敵のインドマンでもさすがに出来ることと出来ないことがあるようだ。諦めて歩き出すと路肩の草を見つめながら白木屋が呟いた。

「あの草とあそこに生えてる草、食べれるな」しゃがみ込んで草を抜き始めた白木屋に俺はおい、と訊ねる。「何やってんだ、そんなところで道草食ってる場合じゃないだろう」上手い事言ったつもりの俺にヤツは草を食みながら振り返った。

「オレこう見えても大学で薬学、学んでるんすよ。食べれる野草とそうでない草見分けられるし、それにこの草、鎮痛効果あるからハライタも治るかもしれない」

 そうなのか、俺は驚いて街路樹に手を置いた。一見頭がおかしい青年にしか見えないこの男がそんな高学歴だなんで思わなんだ。俺は昨日ユーチューブーにあがっていたコイツの動画、「しろきーのアポなしチャレンジ!フィリピンパブで恋ダンスを踊りながらアンタの乳首の位置あてたろか?」での活躍ぶりを思い出し、期待を込めてその様子を見守る。

「お、これミツバっすよ。とにかく、殴りあう前に腹が痛いとかお話になりませんからね……あの…日比野さん、ちょっといいですか?」

「なんだ?」俺が後ろから声を掛けると汗だくの顔で白木屋が振り返った。尋常じゃない量の汗は暑さの為ではなく、表情は徐々に青白くなり、小刻みに体が震えてひきつけを起こしていた。その姿を見て俺はヤツの症状を察した。

「やれやれ。使えないやつめ」白木屋純也。路端の毒草を食した事による中毒症状のため再起不能リタイア――。歩き出す俺の背に匍匐前進のように身を這わせながら白木屋は“分かれ”の言葉を呟いた。

「日比野さん…とまるんじゃねぇぞ……」

 アクターふたりの犠牲を払っても腹の痛みは止むことは無い。俺がなんとかしなくちゃ。

 俺は腰のベルトホルダーに目を落とした。千我と白木屋のふたりと闘った後に生まれたガシャットを手にとって見つめた。このガシャットは名前こそ同じだが仮面ライダーのドラマで使われているモノとは違い、インドマンの精神の成長によって生み出される強化アイテムのようだ。先端のクリスタルには白い虎の絵が描かれている。もしかしたらコレで…!俺はそのガシャットをベルトに捻じ込んだ。


『魔人モード:パールヴァーティー』!機械的なアナウンスが流れ出し、光がやむと俺の身体を白黒のゼブラ柄のフォームが包み込んでいた。

「これが、新しいインドマンの姿…!」俺がショーウィンドウに反射する自分の姿を眺めていると前方から全長2メートルくらいある白虎がのっしのっしと軽い足取りで歩いてきた。どうやらその白虎はインドマンの念で作り出した仮想生物のようで、一般人には見えないらしく飼い主を見つけた途端、ぶるると喉を震わせてその身を屈めた。俺はその背に乗ってアスファルトを蹴って走る白虎に行き先をゆだねる。

「毘沙門天よ!敵の待つ場所を指し示してくれ!」――腹痛を起こして相手の人生を終了させようとする、許すことの出来ない最低の敵。待っていろ。そんな下品な野望はこのインドマンが叩き潰してやる!

 再度訪れた鈍痛に身を屈めながら俺は白虎のたてがみに顔を埋めるようにして全自動の使い魔に事の成り行きを任せていた。


     

――光川町中心にある噴水公園。その入り口に昭和の特撮モノに登場するハリボテロボットを彷彿とさせるアクターが不気味な笑い声を上げながら歩いている。

 彼の名はアジョラ・ボカ。ネトゲで知り合ったスペインのメル友に貰ったアクターネームだが、その意味がスペイン語でアジョ・ラ・ボカ。にんにくの口。つまり口が臭いという意味だと知った時は重い人間不信に陥ったが、今は開き直ってその最悪の能力で数多くのアクターバトルで猛威を振るっている。

 新しい右手と成ったロボットアームでポテチをつまみながらそれをコインの投入口のように細い、顔に付いた口へ運ぶとケシャケシャと笑いながら公園の噴水を見て勝利を確信したように反対側の腕を掲げた。

「やっぱ、闘わずして勝つってのはいいなぁー。能力発動するだけで勝手に自滅してくれるからさー。カードを回収しに行かなきゃいけないのが面倒だけどー。」

 日曜日の公園は賑わいを見せていて後ろから女の子のはしゃぐ声が聞こえてくる。「私!桜丘ひとみ!この春から私立門場越もんばえつ学園に通う高校一年生!」後ろの階段の手すりから女子高生と思われるセーラー服を着た女の子が勢い良くスカートの尻で滑り降りてくる。

「みんなの力があれば」

「私たちなんだって出来るよ!」

 道の横から今度は別の女の子ふたりが左右から両手を広げて現れた。彼女たちはボカの目の前で綺麗なターンをビシっと決めると脇の方に立ち居地を替えた。長い髪の女の子の匂いにうとれていると背中をさっきの女の子がドンと突き飛ばした。

「辛い時も、明日が見えなくなった日も、友達と一緒だったらどこだって行ける!聞いてください!私たちで『Find the Milky Way』!!!」

 ボカが起き上がって頭を掻くと目の前で彼女たちによるゲリラライブが始まった…なんだこのコたち、聞いてもいないのに突然自己紹介しやがって。「なんだぁー。最近流行のフラッシュモブかなにかかー。ン?」

 後ろの階段の上からアクターの気配がしてボカが降り返る。するとそこにはトラにまたがった野性味溢れるアクターが公園を見下ろすようにして佇んでいた。

「…遠隔インド演目『マハラジャ』。どうやら俺も少しの間だけだったら遠隔攻撃が出来るようだな」歌っていた曲が終わるとスクールアイドル調に踊っていた彼女たちは何かの洗脳が解けたように観衆の拍手に包まれながら3方向に消えていった。

「ちなみにフラッシュモブの起源はマハラジャの歴史を持つインドが発祥だ」「お隣の迷惑国みたいな事いいやがってー。何者だー?」

「おっと自己紹介がまだだったな」俺は白虎の背中から勢い良く飛び上がると空中でガシャットを引き抜いて敵アクターの前で着地してコブラのポーズ。

「我が名はインドマン!インドの熱き血潮をその身に宿した正義の戦士!腹痛により相手を貶めるとは許せん!いざ、尋常に…いてて」

 俺が右手で腹を抑えてちょっとタンマのポーズ。それを見てへボットのような敵がケシャケシャと笑う。「よく見たら英造くんじゃないかー。中学卒業以来だねー。キミもアクターになってたんだねー。」

「なんだと?」突然の知り合い宣言に新たに湧き出たこめかみの汗が冷たいものに変わる。揺さぶりのつもりか?「さっさと終わらせる!」拳を振り上げて距離を詰めると敵の背中にしょわれた排気筒が大きな音とともに黄色い煙を吐き出した。

「この煙は…!?」とっさに口許を抑えて距離を取る。「ボクの変身アクターはアジョラ・ボカ。こういう形だけれども唯一の友達に出会えて嬉しいよー。」怪しい煙を空気に溶かしながらそのアジョラ・ボカは俺の方に近づいてくる。

 う、う。腹痛がマックスになって俺はその場でうずくまる。「な、何言ってんだ。俺の友達がこんな姑息なマネをする訳ないだろう」変身ヒーローとしての見栄や体裁を捨てて俺は子供の様に額を地面にこする。わかるだろう?ハライタで便座の上で祈るように両手を組む、その感覚が。

「年末の『アクター・ロワイヤル』に出るためにカードを集めてるんだー。譲ってくれないかなー。一枚でいいからさー。」ロボットアームをカチカチ鳴らしながら一歩、また一歩と敵アクターが近づいてくる。その度に腹痛が痛みを増していく。

 どうやらあの煙はアジョラ・ボカが持つ腹痛能力を更に強める要因のようだ。薄れていく意識の中、白木屋が言っていた事を思い出した。

「アイツの言っていた通りなら、遠隔特殊能力を持つアクターは肉弾戦が弱いはず…ここだ!」「!?なにをー。」

 油断した相手の隙をつき、一瞬で相手の首元に手刀を打ち込む。からん、からんと音を立ててブリキのヘルメットがアスファルトの床に転がる。その中から現れた男の顔を見て俺は息を呑み込んだ。

「久しぶりだね。英造君」「…おまえは……」短い前髪に丸眼鏡。口からはみ出た出っ歯を見て俺の記憶がフラッシュバックした。


――中学時代、俺はイキっていた。

 小学の終わりに親父の仕事の都合で俺たち一家はこの向陽町に引っ越してきた。よくある公務員の転勤。でもそれは都会から田舎への都落ちのようにも思えたから、俺は転校先の学校でも普通の中学生よりも肩肘張って生きて行かなければならなかった。

「あー、かったりーわ。先コーうぜーわ。今日あっちいからビール飲みてー」体育の授業の終わり。グラウンドを歩きながら後ろの方で俺が頭の後ろで手を組んで大声で言うと、「やっぱ英ちゃんは他のヤツとは違うわなー」とお調子者のクラスメイトが並んで肩を組んできた。

「午後の授業、眠てー歴史の吉原だろー?ブッチしちまおうぜー」「ほぉーやっぱ都会から来たヤツはいう事がデカイねー」運動部で背が高い田原が俺を見てそんな事を言ったと思う。俺は内心ビビッていたが、あいつは俺に絡もうとした途端、担任に呼ばれて消えていったから俺は安心して息を吐いた。


 そして俺のイキリはエスカレートしていった。

「…それでさー。2つ上の先輩が地元ですげー悪い先輩でさー。今度こっち来るからウゼー奴いたら教えろよ。俺と先輩で全部ブッツぶしてやるからよー!」

 その時も確かそんな事を言っていたと思う。昼休みの教室。ヤンキーのいない空間で俺はワックスでガチガチに固めた髪を手櫛て目の前のキョロ充集団に大声を張り上げていた。

 もちろんそんな先輩は存在しないし、転校して3ヶ月という事もあり、俺のイキリに皆慣れていた時期だ。ここは一発デカいイベントを起こしてコイツらの気を引き締めてやる必要がある。俺は後ろを振り返って図書室で借りてきたラノベを眺めていた男に声を掛けた。

「おい、熊倉ー。お前こないだのテストの時、プリント受け取るの遅れたよなー。おかげで国語の長文問題、一問解けなくなっちまった。このオトシマエ、どうつけてくれんだよ?」

「そ、そんな事言われても知らないよー。」間の抜けた口調で俺を見上げたオタクの襟首を掴みあげる。ムカつくニキビ顔に普段からナヨナヨと情けない態度。妹とケンカしても勝てない俺でも殴り合っても負けないレベル。俺は口をゆがめると熊倉に向かってこう言った。

「前々から思ってたけど、おまえムカつくよなー。今日の授業終わったら裏庭に来いよ。他の奴呼んだり、先コーにチクったらやっちまうぞ?」

「そ、そんな英造君ー。」「おい、休み時間終わるぜ」「おれ便所言ってくる」取り巻きの同級生が俺の周りから消えていった。その当時は俺の強さをコイツらに示すことが出来たと思って鼻高々だった。でもみんなはこう思っていたはずだ。日比野の奴、ついに『いじめ』にまで手を染めたか。ってね。


 そして事件は起こった。昼休み開けの英語の授業。斜め後ろの長谷山さんが驚いて席を立ち上がった。

「ちょ、嘘でしょ!?」大声でクラスがざわめく。ふと足元を眺めると白い学靴の周りを泥水のような液体が包み込んでくる。鼻の感覚が麻痺するような酷い悪臭。俺はイキリの本領発揮とばかりにその場を飛び上がった。

「先生、みんなー!見てみろよ!コイツ、うんこ漏らしてやがるー!」

 その時の熊倉の顔は忘れられない。無念そうに顔を歪めて大粒の涙を机の上に流し、身体を震わせてみずっぽいうんこを制服のズボンの裾を伝わせて大きな音を立てて垂れ流していた。

 当時は目立てるチャンスとばかりに指差してからかっていたが今、歳だけ成人になってよくわかる。熊倉は、俺にケンカを売られたプレッシャーに耐えられなかったのだ。

―俺はその後も事あることに熊倉を「うんこ野郎」とか「ウンコマン」とか言って馬鹿にして周った。中学卒業のその日まで俺は熊倉を『いじめ』ていたのだった。卒業証書を貰って席を片付けている時、熊倉は俺に言った。

「こ、高校は別になっちゃうけど、これからもお互いがんばろうー。」「はぁ?何言ってんだ!?」俺のイキリ声にクラスメイトの動きが止まった。上目遣いで笑顔を見せていた眼鏡のオタクに俺はこんな言葉を投げつけていた。

「おまえみたいなうんこ漏らしはどこ行ったって馬鹿にされんだよ。高校行ってまでうんこ漏らしてウチのガッコの評価さげんなよ」

 ぱしん、突然横から平手をぶたれて俺は「何すんだよ!」とぶった相手に声をあげる。「日比野、あんた最低!」長谷山さんが目に涙を溜めて呼吸を深くして肩を大きく揺らしていた。

「長谷山の言うとおりだよ」「なんで中学の最後って時にああいう事言えるかね?」「ずっと思ってたけど日比野って性格最悪だよな」「ああ、ずっとウザいと思ってた」

 クラスメイトがここぞとばかりに俺に向かって冷たい目を向けてきた。なんだよみんな。俺はただ、このクラスでうまくやっていきたかっただけなんだ。それなのに、どうしてこんな事に……


 そして俺はこの記憶を黒歴史として長きに渡って封印してきた。「思い出したー?ボクのことー。」今、目の前で中学時代いじめていた熊倉が俺に訊いている。

「ああ、覚えてるよ」せめてもの償いだ。俺はまっすぐ立ち上がるとゆっくりと腰を落として腹に力をこめた。ぶひぃん!どりゅりゅと酷い音を立ててアクターフォームから軟便があふれ出して来る。

「ひ、日比野くん!なにをー?」慌てふためくアジョラ・ボカとなった熊倉の肩に手を置いた。「これで俺もお前と同じウンコマンだ。今まで辛かっただろう?俺が悪かった」「ひ、日比野くんー!」

 噴水公園の入り口。脱糞を喫したアクターが敵のロボアクターと抱き合っている。「すいません、警察ですか?公園で異臭がします!今すぐ来てください!」誰かが携帯を手にとって通報を始めた。でもそんなの関係ない。俺は泣き出した熊倉を見て優しく告げた。

「中学時代の事を許してくれとは言わない。その後俺も上手く行かなかったんだ。もう一度俺を友達と呼んでくれるかい?」「ひ、日比野くん。。。」

 見覚えのある泣き顔を腫らして熊倉はその場に膝を着いた。その瞬間、頭の中にアナウンスが流れ始めた。

「この勝負、アタッカー側のアジョラ・ボカの戦意喪失により勝者、インドマン。このバトルにより、新たに『星』のカードを手に入れました」

「ちょっとまて。勝敗とかそんなのは関係ない…」「実はこれがボクの最後のカードなんだ。受け取ってくれよ」

 涙を拭って立ち上がった熊倉が晴れやかな顔をして宙に浮かんだカードを見つめた…能力の特性、熊倉本来の戦闘能力を考えてアジョラ・ボカはこのアクターバトルで苦戦を強いられて来たのだろう。その最後といわれるカードを握り締めると俺は指笛で使いの白虎を呼んだ。

 白虎はクソまみれの俺を見て目を背けたが後ろ首をかむとそのまま地面を蹴って駆け出した。

「…水っぽい話はここで終わりだ!立場を築くために他人を貶めるとは最悪至極!保身に染まった己の魂に熱きインドの火を灯せ!」

 いつもの様に勝ち名乗りを上げるようにして自らをたしなめる。熊倉は中学時代に俺に「うんこ野郎」といわれた事がずっと胸に引っかかっていた。それがあの能力に繋がったと考えていいだろう。

「またねー。英造君ー。ボクはこれでカードゼロになっちゃったけど、これからもお互いがんばろうー。」

 偶然か故意か。友人が俺に言った言葉はあの時と同じだった。「…ああ!頑張ろうぜ!」遠ざかる熊倉の姿に親指を立てて笑顔を見せてやる。うんこマンとなったインドマンの明日はどっちだ?

続く。


     

 かつての級友、アジョラ・ボカとの戦闘を終えて無事、家にたどり着いた俺。洗面所のドアを開けると俺は汚れた下を全部脱いでドラム式洗濯乾燥機にそれを投げ入れた。

 ヒーローとして明日のパンツを失う訳には行かない。親父が去年の年末俸給で買った洗濯機が音を立てて回り始めると俺はその場で膝を抱いて丸くなった。呼吸を落ち着けて俺は今日遭った出来事を振り返る。

―中学の同級生がアクターになっていた。新しく生まれたガシャットの能力。そして成人して初めての脱糞。いや、最後のはどうでもいい、熊倉はあの闘いでカードがゼロになったと言っていた。

 アクターバトルのルールがどういうものか全て把握している訳じゃないが、なんかしらのペナルティが運営から熊倉に下るだろう…変身能力の取り上げ?動画投稿者として活動しているサイトからの一定期間のBAN?

 様々なネガティブ案が頭に浮かんだが沈んでいても仕方が無い。俺は立ち上がってテンションをあげるべく、某エロマン○先生のEDのように乾燥機の横で腕を上げてアニソンを歌い始めた。ぺちぺちと腹や太ももに小気味よくマイサンがあたる感覚が気持ちいい。

「…ハーイィ!ミスターアルディのアクターズニュース速報だよォ、イェア!」「!?」突然居間の方から濁声のDJが鳴り響いて俺は飛び上がるのを止めてそろりと洗面所を出る。廊下に民族的なBGMが聞こえ始め、居間のドアを空けると閉じられたパソコンの中からその音源は鳴っているようだった。

 ノートパソコンの画面を開くとそこにはアニメ調の動画が再生されていて、栗を持ったリスが突拍子のない明るめのテンションで聞きなれない言語を駆使し、早口でなにやらディスプレイ向こうの相手に対して話をしている。

「なんだよこれ…」こんな現象は初めてだ。ウイルス感染が頭に浮かんで無線USBを引っこ抜こうとしようとすると画面のリスがカメラに顔を近づけて日本語で話し始めた。

「ハーイィ!続いてのニュースはなんとォ!あのアクターバトルで遂に持ちカードがゼロになったアクターが生まれたよォ!」読み込みで一瞬黒転した画面に自分の引きつった顔が写りこむ。「えっ、どういう事だよ何故それを知って…!」

「カード・ゼロの犠牲者はT県仲田市を基点に活動していたアジョラ・ボカ!」画面にインドマンと成った俺と闘っていた時の熊倉の映像が流れ出した。「そんな、馬鹿な」思わず口元に手が伸びていた。誰がいつ、こんな映像を撮影していた?どこで撮られていた?アジョラ・ボカの能力を小馬鹿にするような紹介をするとそのリスは画面の中の画面を指でタップ。

 するとそこに熊倉の中学時代の卒業写真が浮き上がり、あいつの本名『熊倉拓二』がその下にテロップとして表れた。俺はその成り行きを息を呑んで見届けた。

「ハライタを巻き起こすアジョラ・ボカのアクター、熊倉拓二ィ!中学時代の脱糞のトラウマが能力として顕現化してたんだけど、それも今日で終わりィ!熊倉は中学卒業後、仲田市の進学校に通うも3ヶ月で不登校になり自主退学ゥ!高卒資格を取るために通信制の学校とやりとりする間にパソコンの先生になった熊倉は2010年頃からニマニマ動画にアニメMADを投稿し始めるよォ!
全盛期は100万再生に近い数字を誇っていたカリスマだったんだけど、2014年の終わりにあるYouTuberを揶揄して作った動画が本人の逆鱗に触れ、その信者とニマニマの停滞する閉塞感に不満を募らせていた一部視聴者が暴徒化してカリスマから一転、非難の的にィ!大物YouTuberMAD製作者『くまやん』アカウント凍結のニュースは皆もちょっとは聞いたことがあるんでない?
知ってる人もそうでない人も大丈夫ゥ!何故ならヤツは今日で人生終了だからさァ!」

「…こいつ、さっきから何言ってるんだ!?」最悪な予感がして俺はパソコンのディスプレイを両手で握り締めていた。食い入るような目でそのリスの次の言葉を待つ。すると年表のような画面が浮かび上がり、モノクルを引っ掛けて教鞭を持ったそいつがひとつひとつ指し示しながら歴史教師のようにとうとうと話し始めた。

「エー、熊倉拓二1992年6月2日生まれ。住所は仲田市芽笥域めすいき町3-22-8。聖地巡礼するなら親がいない日中がおススメェ!あ、言わなくてもだけどユウジは現在求職中という名のニートで親が居る土日は光川駅前の市立図書館で過ごしているよォ!
ちなみにこれまで25年の人生で職歴はなし、性的経験もナッシングゥ!カードゼロ野郎は学力、体力、そしてコミュ力ゼロの典型的なダメ人間だ!」ピコン、パソコンの別画面に通知が来て俺はやっとそこで意識を別に逸らす。その発信者は千我でそのショートメールは『日比さん、パソコン見てますか!?』といった内容だった。

 額の汗を拭ってごくり、と唾を飲み込む。こいつ、熊倉の個人情報を徹底的にばら撒くつもりだ。「…ここでユウジの部屋を公開するよォー。おっとこれはヤツの遺書だ。引きこもり時代から何度も書き直してたんだろう。ここに消しゴムで強く消した痕がある。そりゃーこんなクソみたいな人生送ってたら死にたくもなりますわなァ!ちょうどいい機会だ。しんじゃ…」

「やめろーー!!」パソコンのスピーカーに向かって叫ぶも影響なし。「ただいまー」妹の六実が家に帰ってきても俺はそれに気付かずに画面の向こうのリスを睨みつけていた。

「アクターバトルでのカードゼロペナルティが人生のアカウントBAN?ふざけるのも大概にしろよ!俺達の人生をもてあそびやがって!」「…あーそんなユウジにもただ一人、友達がいたみたい」

 それを訊いて俺ははっと息を漏らす。画面の中のリスはその手に持った半紙をおずおずとカメラに向かって広げ始めた。

「熊倉拓二、中学時代のいた唯一の友達、同じクラスの日比野英造」その知らせを受けて俺はディスプレイから手を離した。居間の中を覗いた六実が床にバッグを下ろした音が聞こえた。

「そしてその正体は、…!」映像が乱れて砂嵐の中でそのミスターアルディと名乗ったリスが別れの挨拶を視聴者に向かって話し始めた。

「先週ピックアップに浮かんだインドマンはアジョラ・ボカと同じ、仲田市で活動中ゥ!皆も近くに来たらボカの敵討ちしてみるのもいんでない?それではみなさん、次の機会に!クシャシャシャシャ!!」

「ちくしょう、熊倉…こんな事があってたまるかよ!お前の仇はこのインドマンが必ず取る!」俺が決意を固めるように拳を握り締めるとこめかみの辺りに強い重圧がぶつけられた。

「…とりあえず、パンツはけ!このクソ兄貴!」六実のハイキックによりフルチンのままブラックアウト。人生を賭けたアクターバトルは更に過酷さを増していく……


第五皿目 カレー味のナニカ、ナニカ味のカレー

 -完-


       

表紙

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Neetsha