Neetel Inside ニートノベル
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幻覚、見えるようになりました
第七話

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 目をつぶり、耳を澄ます。
「先生、大丈夫です。また会えますから」
 そう呟いている俺がいた。
 部屋には、俺以外の誰もいない。
 星野光は、やはり俺の妄想そのものだったのだ。


 星野光が口にしていたであろうマグカップを洗う。
 当然、星野光は俺の妄想であるので、注がれたコーヒーは全く減っている様子もなく、たっぷりと入っている。
 俺はマグカップに注がれたコーヒーを洗い流した。
 ひとりぼっちの部屋で、排水溝に水が流れていく音だけが鳴り響く。
 星野光は、俺の傍にはもう居ない。いや、そもそも居なかったのだ。
 どうしようもなく寂しい気持ちになった。


 パソコンの前に座る。テキストエディタを見つめる。
 深い溜息が出た。もちろん、これは小説の続きを書けなくてひどく落ち込んでいるのではなく、星野光の実態が俺の妄想に過ぎなかったという事実にげんなりしたからだ。
 結局その日は塞ぎこんでしまい、一言も発せず眠りに就いた。
 当然のごとく小説の続きは一文字も書けなかった。


 次の日、星野光は俺の家に来た。
 星野光は、手慣れた手つきでベッドに腰かけ、スマホを見ながら俺に話しかけるタイミングをうかがっている様子だった。
 俺は肩を落とし息を吐いた。星野光の方をちらりと見る。
 すると、星野光は俺に話しかけてきた。
「いやー先生、昨日は勝手にいなくなっちゃってごめんなさいね。なんかこう、急に外に出たくなったというかーなんというかー」
 俺は何も答えなかった。
「あれー? 先生もしかして怒ってますー? ごめんなさーい、この通りですー」
 目を細め両手を重ねながら星野光はそう言った。
「怒ってるとかそういうわけじゃない……。ただ……、星野さんが存在しない日常を思い出してしまって、途方もなく寂しくなってしまっただけだよ」
「そう……ですか」
 俺は星野光から目を逸らした。なぜ目を逸らしたかというと、きっと星野光優しい目をしているからだ。
 優しい目で諭されたら、俺はすぐさま泣き崩れてしまうだろう。
 女子の前で泣くのが恥ずかしいとか、そういうわけではない。
 怖いのだ。星野光に優しく諭され、そして星野光のいなくなった然るべき日常に戻るのが、怖くてたまらないのだ。
「先生……。大丈夫です。きっと大丈夫です。だから――」
 続きの台詞はわかっていた。
 それはきっと、俺にとってとても寂しい結末を示すものなのだろう。
 そう思うと、途端に目頭が熱くなった。
「私、なんだかんだいって先生の書いた物語に登場出来て楽しかったです。もちろん楽しくないこともたくさんありましたけどねー」
 星野光は微笑みながらそう言った。


「なぁ星野さん、ひとつ聞いてもいいかい?」
「いいですよー。何ですかー?」
 俺が今から何を聞こうとしているのか、星野光は既にわかっている様子だった。
「もしも俺がこの小説を書き終えた時、星野さんはどうなるんだい? いなくなっちゃうのかい?」
 少しだけ沈黙が流れた。
 星野光は唇を噛みしめ、その後こう言った。
「そうですねー。いなくなっちゃいますねー。寂しいですけど、しょうがないですねー」
 その一言を聞いた時、全身から力が抜けていくような気がした。
「わかった……そうだよね。やっぱりいなくなっちゃうよな……。だったら俺は……何のために小説を……物語を書いているんだろう……」
 そう言い終わるやいなや、星野光にくすりと笑われた。
 そして優しく諭された。
「あのですねー先生。寂しくなったら、また物語の続きを書いちゃえばいいんですよー」
 星野光の赤いツインテ―ルが揺れる。
「あっ、でも別に続編を書くとかそういうのじゃなくていいと思いますよー? ほら、よくあるじゃないですか。サイドストーリーとかアフターストーリーとか、そういうのでいいいと思いますよ」
「そう……だな。うん、そうだな。また星野さんと会いたくなったら、物語の続きを書けばいいんだな。気付かなかったよ……」
「そうですよー、先生。だから何も恐れる必要はないんですよー。今生の別れ? ってやつでもないんですし」
 星野光は聖母のような柔らかい笑みを浮かべながら、そう言った。
 視界が歪む。大粒の涙が頬を伝っていく。
 部屋の中の空気が一瞬にして優しさで満たされたような、そんな気がした。
「寂しくなったらまた書けばいい、か……」
 俺は天井を見上げた。隣をちらりと見る。
 先ほどまで慈悲深い笑顔で俺を見つめていた星野光は、もうこの部屋にはいなかった。
 誰もいない部屋。家電製品の動いている音だけが鳴り響く。
 いつもならげんなりしてしまいそうな、寂しい部屋。ひとりぼっちの部屋。
 しかし不思議なことに、もう寂しい気持ちにはならなかった。


 パソコンの前に座り、テキストエディタと向かい合う。
 書くべき物語が、タイピングすべき文字がすらすらと頭の中に浮かんでいく。
 その日はとても筆が進んだ。昨日のことが嘘のようだった。


       

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